池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

さまざまな出来事に

2022-07-31 22:05:11 | デイサービス池さん

7月もいろんなことがありました。

いろんな出来事がありすぎて、あっという間の1ヶ月でした。

成長したスタッフたちを見るたびに、頼もしく思えて嬉しくなります。

新しいメンバーが池さんに馴染んできて、距離感が近くなるのを感じると嬉しくなります。

命を終える人を見届けることもできました。

短い時間でした。

でもその濃い時間を考え抜くことで、ご家族と心を繋げることができました。

最期の時間を生ききるために、病院から離れて池さんを選んでくれたのだと思うと、その想いを形にすることができて良かったと思います。

他のどこでもなく池さんを信頼してくれて、池さんの看取りを選んでくれたご家族に感謝です。

 

お弁当の配食希望もどんどん増えています。

ほんの少しの支援の必要な人が多いということだと思います。

お弁当を届けるたびに、支援が必要だったり、誰かと話をしたくてうずうずしている人がいっぱいで、毎日時間が足りません。

1人で出かけられない人に、買い物を頼まれます。

ウイスキーだったり、たばこだったり、宝くじだったり、おしめとビールという人もいます。

笑ってしまいますが、その人にとってはきっと生きている証なのでしょう。

歩けずに這いずっている人も、おしっこだらけでビショビショの人も、長い間お風呂に入っていなくて大変な状態の人も、お弁当を持っていくと喜んで受け取ってくれます。

普通に、何もないかのように、当たり前に、「ありがとう」とビショビショの下着姿で出てきてくれます。

毎日のそんな光景を聞くたびに、(スタッフは大変でしょうけど)私はなんだかホッとしたりするのです。

衛生的だとか、健康的だとか、栄養がとか、住環境がとか、そんな常識的な尺度なんかくそくらえ的な、生きているだけですごいんだと、この人がこの状態で生きていることが奇跡なんだと、心から思えてくるのです。

家族の支援もほとんどなく、行政の支援の狭間で生きていくしかない一部の人たち。

その人たちの暮らしは、おそらく想像すらできないほどの大変な状況ではあるけれど、それでも生きてゆくしかないのだと改めて思います。

サービスなどでは割り切れない形のない支援を、必要な時に必要なだけ、ちょっとだけ、行っていくことを続けていきたいと思うのです。

 

毎日が混とんとしています。

スリルとサスペンスの物語満載です。

マニュアルや方法論では語れないいろんな出来事がいっぱいで、そのたびに即座の決断力と判断力が求められます。

柱になる池さんの理念を頭において、自らの対応能力を磨いておかなければなりません。

 

高校生の実習も受け入れました。

まだ若く希望に満ちた高校生も、そんなカオス状態の池さんの中で、いろんなことを考えたことでしょう。

これから先の人生の何かに繋がったらうれしいです。

いつでもこの場所を、思い出してもらいたいものです。

月日の経つのは本当に早いです。

 

暑い夏はまだ続きます。

孫たちが生きる時代は、一体どんな社会になっているのか、

不安も満載です。

夏に3年ぶりに帰省する予定だった福岡の末娘家族も、帰省を取りやめました。

安心して暮らせる世の中になることを、平和な世の中になることを、

今宵も、やっぱり、願っています。

 

 

 

 

 

 

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寄り添うこと

2022-07-13 21:50:04 | デイサービス池さん

7月1日は石鎚山のお山開き。

今年も9日に大ちゃんが山頂にある頂上社にお参りしてくれて、お札を頂いて来てくれた。

3年前、破傷風の後遺症で記憶がとどまらなかった入院中の母は、大ちゃんと、大ちゃんが持ってきてくれた頂上社のお札を見て、2か月ぶりに奇跡的に意識がはっきり蘇ったことを思い出す。

石鎚山とこの霊峰の力は、この土地に暮らす人たちにとって心の拠り所なのだ。

(なので、登山すると言わず、お参りさせて頂くと言う。)

いにしえの時から、この地に生きる人は、山の恵みに感謝し、山を敬って生きてきた。

湯浪のじいちゃんも、ヒイちゃんも、伊藤さんや、アッ子さんも、皆皆、この土地は山に守られているのだといつも手を合わせていた。

昔を知らない若い人たちにも、こうした先人たちの願いや想いや生き方を知ってほしいと思う。

自分たちが暮らす土地のことや山のこと、自然のこと、いろんなことに興味を持って生きてほしいと思う。

で、今年は池さん一番の若手、まいちゃんがお参りに同行。

まいちゃん、新しい経験を経て急成長中。

今年山頂で見た景色や、昔の人が感じたと同じお山の空気や霊気を、大切に心の宝箱にしまってほしいと思っている。

 

そして7月も半ば。

忙しくて段取りが思うようにいかず、朝からトゲトゲしていた心のありかをまるで見抜いたかのように、ヨッシーの息子さんが来てくれた。

いつもの豪快な空気をまき散らしながら、「元気ですか~?」と来てくれた。

そのとたん、フッと肩の力が抜けた気がした。

フッと。

心が楽になる。

大好きだったヨッシーの豪快な笑顔と重なって、心が緩む。

フッと緩む。

 

いつも皆に助けられる。

心が穏やかでない時、それを知っているかのように、必ず誰かが来てくれる。

「大丈夫、大丈夫」と言ってくれるかのように、池さんに来てくれる。

そして、昔を思い出して、心はフッと楽になる。

 

時代と共に介護も変わってきている。

介護される人も昭和の時代、昭和二けたの人もいる。

介護する人たちは、世の中が成長期だった時代を生きてきた人たち。

合理的で割り切った価値観を持った人たちも多くなった。

親に対しても、老いに対しても、死に対しても、自分たちの生活に対しても、

新しい価値観や判断を持った人たちが多くなった。

時代が変わったのだと思う。

是か非かの問題ではなく、現実として、今から向かい合うかもしれない家族は、出会うかもしれない家族は、新しい時代の人たちだということなのだろう。

いろんな場面で、そんなことを考えながら暮らしていると、

かつて一緒に悩んだり考えたりした人たちが、なぜかとても懐かしく感じられたりするのだ。

昔が良かったということではなく、今まで、長い時間を生きてきたということなのだろう。

16年前にはなかったスマホで、写真を撮る時代なのだ。

子どもたちもリモートで授業を受ける時代なのだ。

連絡網など今はない。学校からの連絡は、メールで行う時代なのだ。

人も、暮らしも、生き方も、変わって当たり前なのかもしれない。

そんな変わりゆく時代の中でも、

家族と共に、老いや生き方を考えていきたいと思う。

時間をかけて、言葉を尽くして、

いろんな価値観のある中で、いろんな生き方がある中でも、

諦めずに寄り添い続けたいと思っている。

老い逝く人だけでなく、

繋がることができる家族のそばに。

 

ヨッシーの笑顔も、みよちゃんの指も、ヒイちゃんの声も、

いつも私の心の宝箱の中にあって、

思い出すと、フッと心が温かくなる。

そんな出会いを、

一緒に生きる時間を、

ずっと大切にしていたいと思う今日この頃。

 

今夜は満月。

一年で一番月が大きく見える夜。

ただし、午前3時半がピークらしいけど、きっと私は寝ていることでしょう。

大好きなお月様に心だけ寄り添って眠ることにしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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