7月もいろんなことがありました。
いろんな出来事がありすぎて、あっという間の1ヶ月でした。
成長したスタッフたちを見るたびに、頼もしく思えて嬉しくなります。
新しいメンバーが池さんに馴染んできて、距離感が近くなるのを感じると嬉しくなります。
命を終える人を見届けることもできました。
短い時間でした。
でもその濃い時間を考え抜くことで、ご家族と心を繋げることができました。
最期の時間を生ききるために、病院から離れて池さんを選んでくれたのだと思うと、その想いを形にすることができて良かったと思います。
他のどこでもなく池さんを信頼してくれて、池さんの看取りを選んでくれたご家族に感謝です。
お弁当の配食希望もどんどん増えています。
ほんの少しの支援の必要な人が多いということだと思います。
お弁当を届けるたびに、支援が必要だったり、誰かと話をしたくてうずうずしている人がいっぱいで、毎日時間が足りません。
1人で出かけられない人に、買い物を頼まれます。
ウイスキーだったり、たばこだったり、宝くじだったり、おしめとビールという人もいます。
笑ってしまいますが、その人にとってはきっと生きている証なのでしょう。
歩けずに這いずっている人も、おしっこだらけでビショビショの人も、長い間お風呂に入っていなくて大変な状態の人も、お弁当を持っていくと喜んで受け取ってくれます。
普通に、何もないかのように、当たり前に、「ありがとう」とビショビショの下着姿で出てきてくれます。
毎日のそんな光景を聞くたびに、(スタッフは大変でしょうけど)私はなんだかホッとしたりするのです。
衛生的だとか、健康的だとか、栄養がとか、住環境がとか、そんな常識的な尺度なんかくそくらえ的な、生きているだけですごいんだと、この人がこの状態で生きていることが奇跡なんだと、心から思えてくるのです。
家族の支援もほとんどなく、行政の支援の狭間で生きていくしかない一部の人たち。
その人たちの暮らしは、おそらく想像すらできないほどの大変な状況ではあるけれど、それでも生きてゆくしかないのだと改めて思います。
サービスなどでは割り切れない形のない支援を、必要な時に必要なだけ、ちょっとだけ、行っていくことを続けていきたいと思うのです。
毎日が混とんとしています。
スリルとサスペンスの物語満載です。
マニュアルや方法論では語れないいろんな出来事がいっぱいで、そのたびに即座の決断力と判断力が求められます。
柱になる池さんの理念を頭において、自らの対応能力を磨いておかなければなりません。
高校生の実習も受け入れました。
まだ若く希望に満ちた高校生も、そんなカオス状態の池さんの中で、いろんなことを考えたことでしょう。
これから先の人生の何かに繋がったらうれしいです。
いつでもこの場所を、思い出してもらいたいものです。
月日の経つのは本当に早いです。
暑い夏はまだ続きます。
孫たちが生きる時代は、一体どんな社会になっているのか、
不安も満載です。
夏に3年ぶりに帰省する予定だった福岡の末娘家族も、帰省を取りやめました。
安心して暮らせる世の中になることを、平和な世の中になることを、
今宵も、やっぱり、願っています。