池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

残りの時間

2016-07-27 23:39:55 | デイサービス池さん

癌の末期の人が新しくメンバーに加わった。

癌センターのベットの上で混乱を繰り返すようになり、その人を大切に想うご家族によって自宅へと帰ることになった人。

「お父さんは立派に生きたお父さんのままで、残りの時間を生きて欲しい」と願う家族。

それは簡単な選択ではなく、一時的な感傷によるものでもなく、例え短くても、自由に自宅で生きて欲しいという「覚悟」に他ならない。

少しでも穏やかにその人らしく過ごしてほしいという「希望」なのだ。

お父さんらしく生きて欲しいという「願い」以外の何物でもない。

ご家族の強い「願い」と、優しい「希望」と、今から迎えなければならない出来事をしっかり受け止めようとする「覚悟」は、私たちにも「私たちの立場での覚悟」を抱かせてくれる。

いつまで来ることができるだろう。

いつまでお風呂に入れるだろう。

複雑で揺れ動く気持ちを抱えて、それでもなお、その人が喜んでくれて「ここへ来てよかった」と言ってくれて、「せっかく用意してくれたのだから、少しでも食べるよ」と言ってほとんど飲み込むことができないであろう食事をムリして食べてくれるのを見て、「無理せんでもええよ」と言いながら、それでも少しでも食べてくれたことを嬉しく思う。

命の大きさを感じつつ、そんな状況でも周囲を想いやることのできるその人の、器の大きさに心を打たれつつ、それ以上どうすることもできない自らに虚しさや切なさを感じつつ、それでも笑って話してくれることに感動する。

息をすることさえ難しくなっているにも関わらず、一生懸命話してくれるその人の話に耳を傾ける。

起きあがるたびに血圧が下がり、薄れていく意識の中にあっても、「また来るよ」と言ってくれる人に心から敬意を払う。

医療の限界を知り、人間らしく最後の時間を生きることを選択し、「その人の暮らし」へと帰ってきた人を、私たちは真摯な想いを持って迎えていきたい。

人の命に襟を正して向き合いたい。

最後の時間を、その人とその人を大切に想うご家族と共に、生きてゆきたい。

最後の時間が、どうか豊かで悔いのない時間になりますように。

そのために今からの時間、全力を尽くしてゆきたいと思う。

残りの時間が、どうか少しでも長く濃い時間となりますように。

願いを込めて。

ご家族と共に祈りを込めて。

明日もどうか生きることができますように。

 

 

 

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実社会と仮想社会

2016-07-25 23:06:20 | デイサービス池さん

今月初め亡くなった永六輔さんの事を書いた文を目にしました。

2013年に加藤登紀子さんへ送った詩。

「淋しさには耐えられる 悲しみにも耐えてみよう 苦しさにも耐えてみて 耐えて耐えて

耐えられないのは虚しさ 虚しさ 空しさ 虚しさが耐えられるのは ともだち あなた 戦う心」

加藤さんは「この歌は、永さんがつらさを感じている人たちに寄り添っていると受け止めることができる。いつか2番をつけて完成させ、大切に歌っていきたい」と話したと結んでありました。

 

永さんがこの詩に込めた想いとは一体何だろうと考えて、自分に置き換えてみます。

私自身も、淋しさや悲しみや苦しさには時間がかかっても、きっと耐えることができるだろうと思うのです。

今まで経験してきたいろいろな出来事の中で、淋しさや悲しみは時間が癒してくれたり、きっとどこかで誰かが見ていてくれたり、苦しみの中にあっても、歯を食いしばっていれば出口が見えるであろうことを知っているつもりだから。

でも、やっぱり虚しさという感情は、自分の力ではどうにもならない出来事だったりするわけで。

自分が頑張れば済むことだったり、自分が我慢すればいいというレベルの事柄ではなく、目に前の問題に対して、自分があまりにも無力に感じて空しかったり、切なかったりどうしようもないということは確かに存在するのだと思います。

永さんのこの虚しさを埋めてくれるものが、「ともだち・あなた・戦う心」というのなら、永さん、私も同感です。

どうしようもなく虚しさを感じた時、周囲の大切な理解者(ともだち)が助けてくれたり、大切な人が助けてくれたり、何かに向かって突っ走る力強い気持ちが自分を助けてくれたり・・・きっとそうなのだと思います。

振りかえってみれば、私自身もそうだったと思います。

現実の社会の中で、実際の生活の中で、様々な感情の揺れ動いた中にあって、自分自身を見失わずに来れたのは、きっとこの虚しさに耐えて来れたからなのかもしれません。

その時、いろんな人たちにささえられ、大切な家族と共に考えることができ、理想を実現するために一生懸命戦って来ることができたから、今の池さんという場が存在しているのかもしれません。

それは仮想社会ではなく、どろどろとした紛れもない現実の世界なのです。

目をそむけることなく、背を向けることなく、これからも耐え続けていきたいと思います。

現実の社会だからこそ、人が生きている社会だからこそ、多くの悩みや苦しみや淋しさや悲しみがあるのだと。

そこで生きているからこそ、人と繋がる喜びや、家族に愛される幸せや、何かに向かう気持ちが生まれてくるのだと。

スマホの画面に夢中になって、仮想社会の遊び熱中するあまり、現実の社会を見失ってしまってしまうのではないかと、少々心配したりする老年期を前にしたワタクシです。

今の若い人はとか、都会ではとかいうつもりはないけど、こういう社会の流行が、新聞の一面を飾り、トップニュースになることこそが心配の種ではないかと思うおばさんの想い。

スマホに夢中になっている都会の公園を多くの人が徘徊している時間帯、BSで原爆投下後の広島に救援に向かった特攻隊の人たちの証言を綴った番組を放送していました。

せっかく生き残った命でありながら、さまざまな苦しみや葛藤を抱え、静かに沈黙を続け、自らを語らずに生きてきた人たちの言葉は、胸に刺さるような激しさを伴い、この証言をすることで自らが生きてきた人生を揺り動かすことになるかもしれないと思いながらも、後の世のために語ってくれた人のことを想い、涙を流しつつ番組を見ました。

歴史は現実の世界です。例え間違った道であったとしても、のちの検証で間違いであったとされたとしても、その時代に生きた人にとっては紛れもない現実の社会。

逃げることも反抗することもできず、ただ静かに生きてゆくしかなかった多くの人たちの心を想像する時、今の世の中が、これでいいのだろうかと、先人たちに胸を張れる世の中だろうかと思わずにいられません。

仮想社会で生き、その楽しみのために生きる人を映像で見るにつけ、永さんの言ったように、虚しさに耐えるためには、戦うしかないような気がします。

ならば、何と戦えばよいのでしょうか。

考えてみると・・・それはきっと、「自らの心」なのかもしれません。

虚しさにつながる現実を、「よし」とする現代のわれわれの心なのかもしれません。

社会現象といわれるできごとを、「これでいいのだろうか」と立ち止まってもう一度振りかえることができる賢さをもった人になる戦いです。

ゲームをしたいからと深夜子どもを抱いて、公園を徘徊する若い母親に考えてほしいと思う戦いです。

 

延々と流されるニュースをただそのまま受け入れるのではなく、自分の考えを持って、社会の動きや流行に惑わされることなく判断できる、知恵のある人になりたいと思います。

 

社会の在り方に、ニュースや流行の在り方に、疑問を感じる今日この頃です。

年をとったからなのでしょうか?

どうも、こういうことが気になって仕方ない年頃です。

 

 

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どうすれば・・・

2016-07-21 22:47:15 | デイサービス池さん

知り合いのおばあさんの消息を、久々にお会いした息子さんから伺った。

「もうずっと寝たきりで意識はありません。目は開けることはできますが、私のことも認識できていないようです。表情はありません。」

そうですか、とワタシ。

「食事はできるのですか?」

「医師から早めにイロウにした方がいいだろうと言われ、イロウの手術をしました。なので、生きています。」

そうですか、とワタシ。

「イロウにされたのですか?」

「もう年ですから、しかたがないと思っています。」

そうですか、とワタシ。

 

・・・その時、ワタシは返す言葉を見つけられなかった。

おそらく刺激が少ないから感情が平たんになってしまったのだろう。

その上、ベットから起こすという動作を諦めてしまったから寝たきりになってしまったのだろう。否、寝たきりの状態にさせてしまったのだろう。

なにをもって「早めのイロウ」を医師が勧めたのかわからない。

口から食べさせる努力をどこまで試みたのだろう。
否、おそらく誤嚥性の肺炎を恐れ、イロウを勧めたのだろう。

年を取っていたとしても、私たちならあきらめないだろうと確信を持って言える。
否、年をとっているからこそ、残された限りある時間を少しでも豊かに生きてもらえるように、何ができるか、どうすればいいのかを真剣に考えていくべきではないだろうか。

 

かつてとしこさんは、医師からイロウを勧められ、それでもイロウを受け入れられない家族によって、池さんに帰ってくることができた。

誤嚥性の肺炎を恐れた病院は半月間の入院生活の間、食事を食べる許可を出さなかったが、家族はなんとか食べさせてあげる方法がないかを考えて、私たちに相談してくれた。

家族と共に話し合い、おそらくもう長くは生きられないだろうと覚悟をして家に連れて帰ったけれど、毎日池さんに通い続け、お風呂にも毎日入り、1ヶ月後におせんべいが食べれるまでに回復し、時にはドライブまで楽しみ、その後1年2か月の期間を、最後の時間を、としこさんらしく生き、静かに自然に人生の幕を自らの力で引いた。

 

「残された時間をどう生きるのか」ということについて、どうかもっと意思を持って欲しいと願う。

医師がどう告げようと、「その人がどう生きたいと望んでいるのか」、是非考えてみて欲しいと思う。

医師が全てでもなく、病院が常に正義なわけではない。治療を受けるのも、命を生きるのも、「その人」なのだ。

治療を受けることを望むなら、それはそれでいいと思う。イロウになることを選択することももちろんあるだろう。

ただ、病院や医師のいいなりになるのだけはやめてほしい。年のせいだと諦めないでほしい。

もし、少しでも疑問があったり納得できないなら、少し立ち止まって考える時間を持ってほしいと思う。本当にこの選択でいいのだろうかと。他に方法はないのだろうかと。

 

100歳が目の前のヒイちゃんも、骨折後車椅子ではあるけれど、だからと言って何もできないわけではなく、蓄膿の鼻をフガフガならしながら、毎日お風呂に入って温まり、心を込めて和恵さんが作ってくれる季節の食事をトロミをつけて食べ、口の中を掃除しようとすると歯のない歯茎で噛みついたり、大ちゃんがいじわるすると怒り、時折しゃべり、寝ている時間はもちろん長いけど、寝られない時は布団をパタパタさせて、腕を置くためにワタシがあげたぬいぐるみを投げとばし、今日も「ヒイちゃん、山でも行くかい?」と聞くと「うん」と頷いて、嫌な時ははっきりと嫌な顔をして、ヒイちゃんらしくヒイちゃんの世界の中で生きている。

ヒイちゃんの暮らしの中で、ヒイちゃんは生きている。

他の誰でもなく、ヒイちゃんはヒイちゃんとして生きていくことができる、この事こそが家族とヒイちゃん自身の願いだと、私たちは考えている。

ただ生かされるのでなく、まして患者として残された人生を送るのはあまりにも悲しいような気がする。

残された時間をどう生きるかという点において、かつて病院でチューブだらけで生きていた伊藤さんや湯浪のじいちゃんの時間と、大頭で看取った多くの人たちの時間とは、あまりにもかけ離れすぎたものだと改めて感じている。

世の中の多くの人たちに、少しでも多くの人たちに、いろいろな選択肢は存在するのだと知ってもらいたいと思う。

家族の言葉を借り、周囲の人の言葉を借りて、その人が希望する最後の時間を作れるように、いつも隣にいたいと思う。

そのためならどんな努力も惜しまない私たちでいたいと思う。

生活者として最後まで生き切って欲しいと思うから。人として最後まで生きて欲しいと思うから。

 

 

 

 

 

 

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おけら

2016-07-18 23:27:03 | デイサービス池さん

愛媛新聞の本日の地軸に書いてあった「おけら」

知ってます?

おけら

やなせたかしさんの「手のひらをたいように」の中にある「おけら」

ミミズだって~おけらだって~あめんぼだって~

ずっちゃんに「おけらって知ってる?」と聞くと即座に「はい」という返事が帰ってきた。

虫?と聞くと「う~ん?」

動物?「う~ん?」

で、結局携帯を出してネットで検索。

あ”~

頭がモグラで、身体はシャコのような~、これって?何?

土の中にいるらしいけど、今まで見たことのない形の生き物だった。

ずっちゃんによると、「小さい時に泥団子をつくるとき、土を掘るといた」そうだ。

足がモグラみたいにかわいいし、お腹がふっくらしていてかわいいし、見てみたい。

土の中で「じ~」と鳴くらしい。

電子音のような響きがするらしい。

 

で、やなせさんがこの歌を書いた頃、行き詰まりを感じ絶望の中にあって、自らを励ますためにこの歌を書き、のちのアンパンマンを生む原動力になったに違いないと結んであった。

どんなに小さな生き物でも、ほとんど知られていないような小さな物であっても、そのどの命も愛おしくてかけがえのないものである。振りむいても貰えないような命だとしても、確かに生きている。そして生きているからこそ、喜びや悲しみと共にあるのだとやなせさんが言っているような気がする。

太陽に透かした手のひらの血潮を感じる時、きっと小さき者の命を想い、自らの命を想い、更に生きようと思えてくるに違いない。

絶望と隣り合わせにいたとしても、きっといつか太陽が顔を見せる日がやってくると励まされているような、意味深い歌詞だと改めて知ることができた本日の記事。

 

ちなみにこの歌詞の中に9種類の小さな生き物が登場するのだけど、みなさん知ってます?

ミミズ・オケラ・アメンボ・トンボ・カエル・ミツバチ・スズメ・イナゴ・カゲロウ

今の世の中では、あまり見ることもなくなった生き物たち。どの生き物も小さな命を一生懸命に生きている。自分の存在が生態系にどれほど役にたっているのかどうかも分からなくても、ただ一生懸命自然のままに生きる命たち。

 

おけらという生き物から、いろんなことを考えさせられた休日。

やなせさんからのメッセージと共に、やはり命について考えてみたい気がする夜勤の夜。

太陽に透かした私の手のひらを、力強く血潮が流れていてほしいと願う夜。

ひょっとしたら、血液がどろどろで流れが滞っているかもしれないと不安になりながら、明日になったら手をお日様に透かして見ようと思う夜。

連休明けの明日、皆に逢うのが楽しみです。

2日間暑かったから、明日は早めのお風呂を用意して、皆をさっぱりと綺麗にしてあげたいと思います。

 

 

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星に願いを

2016-07-15 23:40:48 | デイサービス池さん

夏は苦手。

まといつく汗が嫌い。

ギラギラと照りつける太陽や、夏の虫たちも好きになれない。

やる気が半減し、集中力も途絶え、年を重ねたわが身の自分の身体を自ら追い立てながら、

なんとか平静を装いつつ、頑張って生きている・・・そんなワタクシの今日この頃です。

皆様もお変わりありませんか?

 

さて本日のお客様。

池さんをオープンして、私たちが初めての死を経験したタムタム。

その法要のお料理をと、訪ねて来て下さったご家族。

先日のみちおさんのご家族との再会と重なり本当に嬉しいです。

かつて利用して下さった縁を、またこうして何かのきっかけで再び思い出してもらえたことを感謝です。

そして、もう一人。

池さんで看取らせてもらった人の娘さんが、お野菜を届けに来てくださったこと。

今でも、こうして繋がっていただけていること、感謝です。

昨日はずっと応援してくれている方が松山からご飯を食べに来てくれました。

どうもありがとう。いつも感謝してます。

相談事の電話も何件かありました。

困った時の池さんです。

どうか心配せずに、いつでもお電話ください。

どうしたらいいのか迷ったら、どうぞ思い出してください。

私たちが何とかするというよりも、一緒によい方法を考えていけたらいいと思います。

ベストでなくても、よりベターな方法がきっとあるはず。

迷いながら考えた先には、きっと出口が見えるはず。

ここが必要なら、いつでも力になりたいといつも思っています。

いつも近くにいますからね。

 

小さな迷いをいつも抱えて、

不安に潰れそうになりながら、

夏の暑さに目まいを起こしそうになりながら、

始まったばかりの夏を、この先どうやって乗り越えようかと真剣に悩んでおりますワタクシですが、もうすぐ夏休みです。

子どもたちの賑やかな声が、池さんに響き渡る夏がやってきます。

生まれたばかりの平太から、98歳のばあさんまで。

よりどりみどりの人の輪の、色とりどりの人生模様。

さてさて、今年の夏も無事に超えられますように。

願いを込めて、今夜も祈りたいと思います。

どうか皆が元気で夏を過ごせますように。

一人も欠けることなく、秋を迎えられますように。

これ、切実な願いです。

 

 

 

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7月9日

2016-07-11 23:22:40 | デイサービス池さん

みちおさんという人がいた。

6年前のこの日、散歩に出たまま家を見失い発見されるまでに4カ月の月日がかかった。地域の人たちと共に探し続けた日々。

焦燥感や後悔、無力感や絶望を、私たちは嫌というほど味わった。世の中には未完の事実があるということを知った。

当時のご家族の心の中を思うと、月日が経った今でも私の胸は痛む。発見後1ヶ月が過ぎた12月18日がお葬式だった。

この日、やっとみちおさんを家に迎えることができたことを、どれほど嬉しく思ったことか。どれほど待ち望んでいたことか。

見つかるまでの4か月間のおばちゃんの心の内を想い、ご家族の苦しみを想い、ただただ重く、ずしりと重かった空気の中で、やっと晴れ間が見えた様な気がしたことを覚えている。

いろんな想いが心の中を駆け巡り、私たちは決して忘れることのないその日を、毎年毎年訪れるその日を、いつも大きな深い想いを持って迎えていた。

ご家族とはその後、ゆっくりとお会いする機会もなく6年の月日が流れ、でもそれも当然で仕方のないことと思っていた。

けれども突然、「7回忌を行いたいので、池さん本店でお料理をお願いしたい。」とのお話と共に6年ぶりに池さんを訪れて下さったご家族。

久しぶりにお会いしたご家族との時間。みちおさんもおばちゃんもいなくなった今、もうご縁はないものと思っていた。けれどもまたこうして6年の月日を経て、こうしてお話をする時間を頂いたこと、そして池さんのお料理をと言って下さったご家族の気持ちの前に、私は鳥肌のたつような感情に満たされた。今でも、「感謝」という言葉しか見つからない。

ご家族の心中を想い、泣き虫の私は涙をこらえるのが精一杯。だから心を込めてお料理を用意した。今私たちにできることはそれしかないのだから。

みちおさんのことを今また、もう一度思い出し考える機会を与えてくれたこと、嬉しく思います。

例えどんなに苦しい出来事だったとしても、いつもどんな時も、私たちにとっては大切な経験として心の引き出しに大切にしまっておかなければならない出来事が現実として存在するのだということ。

常に計り知れないほど多くのエピソードを誰もが持っていて、その人の大切なものがたりを真摯に受け止め、それを語れる介護者でありたいということ。

そんな想いを新たにした7月9日。

 

その日、知り合いの方が相次いで亡くなった。
どの人も最後の瞬間まで、その人なりの人生を生き、その人なりの死を迎えたに違いない。

例え、それが周囲が納得し覚悟をし見送る準備をしていた穏やかで自然な死であろうと、突然に訪れた一人ぼっちの死だったとしても、だからどちらが良くてどちらが悪いとかの問題ではなく、ましてどちらが幸せとか不幸せとかの問題でもなく・・・

ただその人にとってそれが天寿であるとしたら、どの人の死も決して悔いたり悲しんだりしなくてもよいのかもしれないと、ただ受け入れさえすればそれでよいのかもしれないと・・・

義母の命日は10日。この辺りの日付は訃報も多いけれど反対に誕生も多い。
もしかしたら暦の上のパワーの変わり目なのか、ひょっとしてこの時期は「命」の巡りの季節なのかもしれないなと思ったり。

 

本日のヒイちゃんの寝息は、渇いています。

ゼロゼロではなく、ゴホゴホではなく、ヒューヒューでもなく、ただ時折「エヘン」という咳払いに似た咳をしています。
ヒイちゃんの身体もずっと厳しい状況にはあるけれど、まだもう少し命の巡りの仲間には遠い所で生きて欲しいと思います。

理屈でも介護でもケアでもなく、やっぱりヒイちゃんには生きとってもらわんと・・・。

三日月の夜。
星に願いを込めたいところですが、あいにく雨が振ってて星は見えませんでした。
なので家の中からお願いしたいと思うのですが・・・そんなんでも大丈夫かいな?

選挙の終わった月曜日。
またいつもの日常が帰ってきました。
本日も池さんは蒸し暑かったです。

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七夕様

2016-07-07 23:57:07 | デイサービス池さん

日本の5節句の中の伝統行事。

ここらあたりでは月遅れの8月に行ったりしますが、皆様の所ではいかがですか?

牽牛と織女の伝説と日本の信仰とが結びついたもののようですが、願い事を書いた短冊を邪気を払うといわれる笹に飾りますよね。

池さんでは、クリスマスは大正や昭和初期に育ったばあちゃんたちには縁のない行事なので行いませんが、年寄りたちが大切にしてきたこういう古くからある行事は大切にしてきました。

餅つきや雛祭りや花見やお山開きや七夕、お月見や地方祭りなどなど。

どの人も、それぞれがいろいろな方法で、これらの節句や行事を大切にしてきた人ばかり。

 

本日、七夕。

かつてみちおさんは、奥さんのために短冊にこう書きました。

「ばあちゃんが元気でおれますように」

短冊を書いた2日後にみちおさんは行方不明になり、その4ヶ月後に発見されました。(池さんものがたり参照してください)

おそらく亡くなるまでずっと、そしていつも大切に思っていた奥さんのこと。

みちおさんの短冊には、そんな優しい気持ちが溢れています。

どの人の願い事にも、それぞれのその時の気持ちがいろんな形で表現してあります。

大切な願い事を書いて、笹に結び、そして星に願いをかける。

素敵な伝統行事です。

将来もずっと続いて欲しいと思う日本伝統の節句行事。

 

時代は恐ろしいほどのスピードで変わりつつあります。

会話はラインで。

ラインのグループは友達の印?

写真はシャメで。

アルバムなんてめんどくさい?

水もお茶も購入し、手間を省くことが優先の家庭生活。

勉強は辞書ではなくてネットで検索。

チョークや黒板が教室から消え、タブレットを持って学校へ行く。

仮想社会で一人遊び、コミュニケーション能力なんて育つわけがない。

ロボットが受け付けに座り、運転手のいない車が町を走る。

大量に生産と消費を繰り返し、利益を追求し続ける。

 

そんな変化を続ける社会の中にあって、そんな社会の変化の方向にちょっとだけ疑問をもって、「この方向でいいのだろうか」「このまま進んだ先には、どんな未来があるのだろうか」と考えることができる人であり続けたいと思います。

昔から伝えられてきた大切な「心」や「伝統」というものを、すっかり忘れてしまって行き着いた社会は、一体どんなものになってしまうのでしょう。

効率のみを追及し安易な生き方を選択し続け、ネットでしか人と繋がることができず人との関係に気付くこともせずに育った子どもたちは、一体どんな大人になっていくのでしょう。

 

こういう時代の流れと真逆の生きたかをしてきた今の年寄り世代。

池さんの周囲にいる人たちは、(ばあちゃんたちも含めて)季節や伝統や空気や風を大切に慈しむことができる人たち。

イベントとしての伝統行事ではなく、日常の生活の一部としての行事を大切に思える人たち。

お山開きには山に向かって手を合わせ、神社を拝み、先祖を大切にし、嬉しいことに涙を流し、悲しみも共に感じることができる人たち。

季節を感じ、手間暇かけてスローな生活を楽しむ人たち。

たとえボケていようと、さっき話したことを忘れようと、手足が動かなくても、何かを信じ誰かのために祈ることができる人たち。

 

バーチャルではなく、現実の世界で、

大正・昭和の戦争を挟んだ大きな変革の時代の渦の中を、

不自由だけど、心豊かに、

しっかりと土に根を張って生きてきた人たち。

この地域で逞しく生きてきた人たち。

どの人も、限りないエピソードの持ち主。

 

七夕の夜に、心を込めて祈りたいと思います。

こういう大変な時代を力強く行き抜いてきた人たちへ。

「どの人も与えられた命を最後まで豊かに生きることができますように」と。

ヒイちゃんらしく、名人らしく、りんちゃんらしく、ますみさんらしく、でこちゃんらしく・・・

皆が大切に時を刻めるようにと。

 

そして、私自身もワタクシらしく。

あっ、「こまる!」という声が今どこかから聞こえた様な・・・そんな気がする七夕の夜勤の夜。

最近短いブログばっかりだったけど、長くなってごめんなさいませ。

 

 

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7年の月日

2016-07-02 23:55:39 | デイサービス池さん

7月1日は、大頭の宅老所にみよちゃん夫婦が住み始めた日。

なので、「大頭記念日」ね。

2人が住むためにほんの少しだけ改装した中古住宅は、今は通所にかわりました。

川の側に植えた桜の木は結構大きくなり、国道側に植えたアジサイの花は今も花をつけています。

倉庫はそのまま。シャッターの絵は、今もみよちゃんとじいちゃんと大ちゃんの3人組。

7年目の昨日。

毎年お花を届けてくれる人が、今年もやってきてくれました。

いつも池さんのことを心にとめてくれることに感謝しつつ、ゆったりした時間を過ごしました。

ばあちゃんたちも笑顔です。

7年間。

時の移り変わりと共に変化し続けたこの場所は、それでもやっぱり穏やかな時を刻み続けています。

小さな悩みや葛藤を抱きながらも、変わらない時間を生きる人たちと共に、今日も大切な時を過ごしています。

大頭の家は、今日も緩やかで穏やかです。

みよちゃんやじいちゃんが選んでくれたこの家は、姿を変えて今もここにあります。

 

 

 

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