皆様、ご無沙汰しました。
4ヶ月ぶりの更新です。
全く動かないこのページを毎日100人以上の方たちが変わることなくチャックして頂いたこと、本当に感謝です。
ありがとうございました。
「令和」という新しい時代が始まった時。
5月7日に、倉敷で一人暮らしをしていた母を突然襲った「破傷風」
「池さん新聞」を読んでいただいた方にはお知らせしていましたが、救命治療から4ヶ月を倉敷の病院で過ごし、この度9月12日の受診を終え、ほぼ治療が終了しました。
同じ日5月7日に右足を骨折したワタクシも、同日9月12日に治療終了となりました。
同じ日に、同じように発症し、同じ日に治療終了。本当に、どう考えても、不思議としか言いようのない二つの出来事によって、池さんや私自身を取り巻く様々なことが大きな変化を続けた4か月間でした。
4ヶ月という時間を、心から想い支えてくれた家族やスタッフに感謝しています。ありがとう。
母と共に過ごした病院での4ヶ月という時間の中で、沢山のことを考えました。
生きてゆく時間の中には、想像もできないことが実際に起こるのだと思いました。
真実や正義は受け手の心のありかによって左右され、決して画一のものではないのだと知りました。
人の想いや愛情も形がないゆえに、不透明で曖昧なものだと思いました。
常に人は複雑な想いの中で生きているのだと考えました。
人は決してひとりではなく、人のたくさんの想いの中で生きているのだと改めて感じました。
そして、たとえどんな出来事であっても、人生の中のどの出来事も、必ず意味があるのだと思いました。
その意味に気づいた時に、人は大きくなれるのだと実感しました。
いろんなことを、とことん突き詰めて考え抜いた4か月間。
私にとってとても、大切な時間となりました。
私ももう62歳。
年相応に生きる中で、これから先も、年相応の力や知恵を身に着けて生きてゆきたいと思います。
池さんのこのブログも、今までのように現場実況中継というよりは、このページを見てくださる人たちに、人生を生きてゆく上で大切なちょっとした出来事や、ちょっとしたヒントや、ちょっとしたメッセージを、「池さん」を通して皆様に伝えていくことができたらいいかなと思い、4か月ぶりに再開することにしました。
どうかよければおつきあいください。
そして、毎日の小さな出来事から、小さな気づきを得てもらうことができたら嬉しいです。
それではまた。
今日は十五夜。
池さんでは、朝からお団子丸めてススキを飾ってます。
テーブルの上に置くと、通りすがりのばあちゃんが手を合わせます。
お団子に向かって手を合わせます。
お月見団子に手を合わせるべきなのかどうか不明ですが、なぜだか自然に手を合わせるそのしぐさが、心に沁みます。
そうして、昔の人はいろんなものに手を合わせてきたのだと改めて思います。
見えないものに向かって、謙虚に「拝む」という行為を続けてきたのだろうと思うと、心がほっこりします。
あまりにも自然なその行為が、心を打ちます。
季節の行事にはこうした意味があるのだと思います。
こういう「行為」を、大切に想える池さんでありたいと思います。
伝えてゆきたい行為や伝統というのは、この「心」なのです。
池さんが大切に思うのは「この心」なのです。
今日は、十五夜です。