池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

秋の匂いに

2019-09-26 18:28:04 | デイサービス池さん

五感をくすぐる「匂い」

人の匂い、家の匂い、台所の匂い、お風呂の石鹸の匂い、煮物の匂い・・・

生活のあらゆるシーンで、毎日いろんな匂いに日々包まれているけれど、

私は四季を感じる空気の匂いが好きです。

春のもわ~ッと地面から立ち上るような空気の匂い、夏の早朝の風の匂い。

一番好きなのは、秋のちょっと冷たくなった空気に感じる匂い。

走っている車の窓をあけて、思いっきり秋の匂いを身体に取り込みたくなるような日。

家の前の中学校ではにぎやかに子どもたちの声が聞こえています。

 

日々の出来事に心を揺さぶられながら生きてゆくと、時として自分の心のありかが見えなくなったり、暗闇に落ちたりしがちで、情けなくなったりするものだけど、周りをとりまいているいろんな匂いの中で生きる自分を見つける時、大きな自然の中に存在する自分を見つける時、根拠はないけれど安心したり、気持ちが落ち着いたりするものだと、この年になって改めて感じる今日この頃です。

晴れた日の稲刈り後の田んぼの匂いは、私にとって好きな匂いの一つ。

台所から立ち上る匂いも秋らしく衣替えをして、池さん今日のメニューは「おでん」でした。

季節を感じながら自然を感じながら、生きてゆける幸せをかみしめて、大切に今宵も時間を過ごしたいと思います。

 

 

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「記憶」の話

2019-09-19 19:01:13 | デイサービス池さん

忘れることが多くなってイヤになってしまう今日この頃。

川柳じゃないけど、「探し物 見つけたけれど また忘れ」の心境。

こんな時は、自分の脳の状態が気になったりしてますが。

 

記憶についてちょっとしたお話です。

「記憶」というものは、脳の中のいろんな場所にきちんと整理されて保存されているようです。

誰もお願いしなくてもきちんと整理して蓄えてくれているわけですから、すごいですよね。

 

「記憶」には、短期記憶と長期記憶の2種類があります。

短期記憶は側頭葉の海馬に蓄えられます。

ご飯を食べたとか、誰と会ったとか、仕事の予定や今日の出来事など。

 

長期記憶は「エピソード記憶」と「意味記憶」の二つに分けられます。

前者は過去の出来事の記憶で、料理の匂いで故郷を思い出すとか、転居の記憶、幼い頃の出来事など。

後者は知識の記憶で、学校で習うことやしきたりや習慣、道具の使い方とか。

この二つの記憶は、大脳の新皮質というところに蓄積されます。

 

他に、小脳に蓄えられる記憶もあります。

「手続き記憶」と言われるもので、反復することで身体が覚えている記憶です。

継続していなくても、一度身体が覚えたら時間が経ってもできるもの、スポーツや楽器の演奏など。

 

こうしてみると、脳って本当に偉いです。

脳の中の、どこがどう変化するかで、いろんなことが全然違ってくるのですから。

ご飯食べたかどうかを忘れても、昔取った杵柄で、畑仕事ができたり、子守歌を歌えたりするじいちゃんやばあちゃんを毎日見ているし。

朝か夜かがわからなくても、教育勅語をすらすら言えるばあちゃんを知っているし、たいてい皆、エピソード記憶はしっかり残っているし。しかも、良かったことより意地悪されたこととか、嫌なことを結構しっかり記憶していたりするし。

脳というのは、本当にすごくて、こんな複雑な仕事を丁寧にやってくれていると思うと、脳に感謝しなくてはいけないかなと思ったりするわけです。

 

記憶とは本当に不思議な仕組みだと思うのですが・・・。

1つだけ気になるのは、短期記憶を司る側頭葉の「海馬」というところは、記憶容量が少ないという難点があるのです。

新しい記憶が入ってくると、以前の記憶はどんどん消えていくそうです。

さて、どうしましょう。

私の側頭葉の海馬の容量は、更にどんどん少なくなっているような気がして心配になります。

 

最近出会った川柳に「病棟を出れば 海馬に さみだるる」(大切な人のお見舞いに行って、病室を出た時、昔の記憶が、まるで五月雨のように次々とよみがえってきた)というのがあって、私の母の病室の出来事が重なって、私は大いに感動して、ノートに書いて保存したのだけれど、「記憶」のことを考えた時に、海馬からさみだれのように溢れた記憶は、古い記憶なわけだから、短期記憶の海馬ではなくエピソード記憶を蓄積する大脳ではないかな・・・つまり、正確に言うなら

「病棟を出れば 大脳新皮質に さみだるる」が正確な川柳ではないのかと思ったりしつつ、やっぱり海馬の方が語呂はいいよね~とか思ったり、つまらないことを考える時だけ、やたら活性化する私の脳。

そんなことより、今日じゅりちゃんに約束した「お芋」・・・やっぱり渡すの忘れていたし、ついでにみかちゃんのハムも忘れていたし・・・どうにもこうにもならない私の脳。

「みんな、ごめんよ~」と先に謝っとこう!

どうか、笑って許してくださいませね。

 

 

 

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我が家のブーム

2019-09-17 19:13:31 | デイサービス池さん

母を交えた新しい生活が始まって1ヶ月あまり。

夫と私と、ばあちゃんと。

3人で話題を共有したくて、ちょっぴり俳句をかじっていたばあちゃんに敬意を表してプレバト系でいこうかと思ったけど、季語がネックで私と夫はギブアップ。

俳句はちょっと手ごわいので、みかちゃんが考えてくれたのが川柳。

いろんな川柳の本を図書館で借りてきてくれて、今我が家は川柳ブーム。

といっても、もっぱら作るより人が作ったのを読んで笑う系。つまり頭使わず笑うだけね。

でもこれが結構楽しい。

サラリーマンとか介護とか、いろんなのがあって面白い。

特に今のブームが老人系。

思わず「そうそう」となるので、ちょっと紹介。

 

誕生日 ローソク吹いて 立ちくらみ

万歩計 半分以上 探し物

恋かなと 思っていたら 不整脈

紙とペン 探している間に 句を忘れ

探し物 やっと探して 置き忘れ

カード増え 暗証番号 裏に書き

最近は 顔の寝癖が 消えないの

景色より トイレが気になる 観光地

 

本当にうまいこと言うんもんだと感心することしきり。

簡単そうでやっぱり言葉を知らないと作れないから、作った人はすごいな~と尊敬。

年々「あ~」と思うことがいっぱいあって、忘れることも多くなって自信なくしそうになっても、こんなふうに笑い飛ばしていけたらな~と思ったりするんですけどね。

池さんのばあちゃんやじいちゃんたちを見ていると、いっつもいろんなことを笑い飛ばしてて、笑い飛ばしすぎて何がどうなのかもわからんようになってしまってて、でもまあそれはそれでいいかなと思ったり。

しばらくの間、我が家は川柳ブームでお腹の皮を鍛えたいと思います。

 

 

 

 

 

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皆様へ

2019-09-13 18:21:32 | デイサービス池さん

皆様、ご無沙汰しました。

4ヶ月ぶりの更新です。

全く動かないこのページを毎日100人以上の方たちが変わることなくチャックして頂いたこと、本当に感謝です。

ありがとうございました。

 

「令和」という新しい時代が始まった時。

5月7日に、倉敷で一人暮らしをしていた母を突然襲った「破傷風」

「池さん新聞」を読んでいただいた方にはお知らせしていましたが、救命治療から4ヶ月を倉敷の病院で過ごし、この度9月12日の受診を終え、ほぼ治療が終了しました。

同じ日5月7日に右足を骨折したワタクシも、同日9月12日に治療終了となりました。

 

同じ日に、同じように発症し、同じ日に治療終了。本当に、どう考えても、不思議としか言いようのない二つの出来事によって、池さんや私自身を取り巻く様々なことが大きな変化を続けた4か月間でした。

4ヶ月という時間を、心から想い支えてくれた家族やスタッフに感謝しています。ありがとう。

 

母と共に過ごした病院での4ヶ月という時間の中で、沢山のことを考えました。

生きてゆく時間の中には、想像もできないことが実際に起こるのだと思いました。

真実や正義は受け手の心のありかによって左右され、決して画一のものではないのだと知りました。

人の想いや愛情も形がないゆえに、不透明で曖昧なものだと思いました。

常に人は複雑な想いの中で生きているのだと考えました。

人は決してひとりではなく、人のたくさんの想いの中で生きているのだと改めて感じました。

そして、たとえどんな出来事であっても、人生の中のどの出来事も、必ず意味があるのだと思いました。

その意味に気づいた時に、人は大きくなれるのだと実感しました。

 

いろんなことを、とことん突き詰めて考え抜いた4か月間。

私にとってとても、大切な時間となりました。

 

私ももう62歳。

年相応に生きる中で、これから先も、年相応の力や知恵を身に着けて生きてゆきたいと思います。

池さんのこのブログも、今までのように現場実況中継というよりは、このページを見てくださる人たちに、人生を生きてゆく上で大切なちょっとした出来事や、ちょっとしたヒントや、ちょっとしたメッセージを、「池さん」を通して皆様に伝えていくことができたらいいかなと思い、4か月ぶりに再開することにしました。

どうかよければおつきあいください。

そして、毎日の小さな出来事から、小さな気づきを得てもらうことができたら嬉しいです。

それではまた。

 

今日は十五夜。

池さんでは、朝からお団子丸めてススキを飾ってます。

テーブルの上に置くと、通りすがりのばあちゃんが手を合わせます。

お団子に向かって手を合わせます。

お月見団子に手を合わせるべきなのかどうか不明ですが、なぜだか自然に手を合わせるそのしぐさが、心に沁みます。

そうして、昔の人はいろんなものに手を合わせてきたのだと改めて思います。

見えないものに向かって、謙虚に「拝む」という行為を続けてきたのだろうと思うと、心がほっこりします。

あまりにも自然なその行為が、心を打ちます。

 

季節の行事にはこうした意味があるのだと思います。

こういう「行為」を、大切に想える池さんでありたいと思います。

伝えてゆきたい行為や伝統というのは、この「心」なのです。

池さんが大切に思うのは「この心」なのです。

今日は、十五夜です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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