池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

手打ちうどんを食べた後・・・

2009-10-31 20:35:38 | デイサービス池さん
金曜日。

さっちおさんが朝からうどんを打ち、大ママ頑張って美味しいお出汁をつくり、うどんの嫌いなまさ子さんも「これは美味しい。今年最後のうどんじゃ~!」と喜び、さやかちゃんが揚げた名人リクエストの芋天も食べ・・・たらふく・満腹になった夕方。

大ママ、「今日の昼ごはん、最高やったね~~~」と言った時、

みよちゃんが「茄子のみぞれ和え?」と聞いた!

「えっ???」「何???」

名人に聞いてみた。「今日の昼ごはん、何やった?」

名人「?」

ますみさんに聞いてみた。「飴?」

ヒイちゃんに聞いてみた。「さあ?」

じいちゃんに聞いたら「・・・」

よしこさんに聞いてみた。「あの子はどこに行きましたか?」「・・・」

ま、

ま、

いいでしょう

だ~れも、覚えてないけど、

だ~れも、気にしてもないけど、

確かに、

あの時、

みんな、

「美味しい・美味しい」と言って、

お代わりして、

食べましたから

・・・それで、

それだけで、

いいんです

大汗かいて、うどんをつくってくれたさっちおさん。

昼休みに手伝いに来てくれたよっくん。

ドンマイ!

ヘトヘトになって、

頑張ったスタッフ。

ドンマイ!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食の危機

2009-10-29 22:11:42 | デイサービス池さん
お泊り当番の今日。

大頭に帰って、じいちゃんとみよちゃんとご飯を食べながら、テレビを見ていたら、NHKの番組で「崩壊する日本人の食」についての番組をしていた。

その中で、若い女の子の一日の食生活。

朝、バナナ。昼と夜は、お菓子! だけ・・・とりあえず何かお腹に入れれば、それでいい。

50歳の男性(大学の先生らしいが)、「食はもはや、生命を支える基本条件ではない」と言って、カップ麺+サプリメントだけの生活をしている・・・代わりに一日に必要な栄養素は60錠のサプリらしい!

心療内科の先生曰く、若い人で鬱や対人関係に障害を持つ人を調べると、家族揃っての団欒がない、食事を皆でとる習慣ができていない人が多いとか・・・。皆で食事をとるということを習慣づけていくと、対人関係が改善されるらしい・・・。

その後、「なぜ人は食べるのか」というところで、電話が入り、最後まで見れなかったのが、とても残念だ。

「食」

「人」が生きる上で、もっとも重要なことだと思う。

食べるものがなかった時代には、想像もできないような現実が、今日本を襲っている。ある意味、恐怖。とりあえずお腹を満たすものがあれば、それを口に入れ、足りない栄養をサプリで補うなどと言うことは、ここに来る年寄りが聞いたら、目を丸くして驚くだろう。

子どもを育てている間、忙しくても手間暇かけておやつをつくり、わざわざお弁当のいる保育園に子供たちを通わせた。「食べることを大切にする」「みんなで美味しく頂く」「頂く命に感謝して手を合わせる」ということは、当たり前のことだと思っていた。

番組の中の団欒を知らない若者の言葉。「いつもお金が置いてあった。それで食べたい物を買って食べていた。みんなで食事をする習慣がなかった。」

食事をとる環境が心に与える影響の大きさを、改めて感じる。

若者だけではない。

年よりも同じだと思う。

食事の時間にホールに集められ、テーブルの前のご飯をただ黙ってもくもくと食べる。自分で食べられない人は、介助者が付添い、ただ口に運ばれる。

サプリメントではないにしても、ある意味同じ状況。栄養学的に完璧なメニューをただ口に入れるだけ。

お腹はいっぱいになるかもしれないけど、何か違う。

「食事」は、皆で「おいしいね~」と言いながら、同じ時間を共有しながら口に運ぶもの。

誰かと一緒に食べるから美味しいし、人と繋がるから意味があるのだと思う。

ここをつくってから、特に感じることだけど、地元でとれる季節の食材を使って(大半がもらいものだけど)毎日献立を考えるのは、私自身にとっても楽しい事だし、できたご飯を(たとえ豪華でないにしても)皆でワイワイ言いながらゆっくり時間をかけて(たいてい昼ごはんは1時間)頂くのは、身体と心の栄養になると確信している。

よそであまり食べない人も、ここではガツガツ食べる人達につられて、たくさん食べてくれる。そしてどんどん元気になっていく。

「食べる」ということの大切さを、「皆で食べる」ということの大切さを日々感じている。

ここでは、皆が同時に同じ食事を食べる。スタッフの仕事は、自分自身が食べることを楽しむこと。ここでの食事ケアは、スタッフ自身が勢いよく食べること。楽しく美味しく食べる人と一緒に食べると、自然に美味しく食べられるから。

「お年寄りの、食事をとる環境が心に与える影響」を考えたいと思うなら、池さんへどうぞお越しくださいと胸を張って言える。

これ以上「食」が崩壊しないよう、祈りたい気分。

ちなみに、最近食事担当の私が休みだった今日、どういうわけか皆ハッスルして、じいちゃんが玉ねぎを切り、通夫さんが炒め、伊藤さんがルーを投入して、さっちおさんリードで、男組み制作の「男前カレー」が完成したらしい。

女組は、ヒイちゃんとますみさんがきゅうりを切り、ジャガイモを茹でて、やっちゃんリードで、「べっぴんサラダ」が完成。

水菜の胡麻和えも、ゴマすり隊が活躍して見事完成。

大鍋いっぱいカレーも、皆の胃袋に元気に入った。

これで、美味しく食べられない訳がない!!! 

元気にならない訳がない!!!

明日は、さっちおさんの手打ちうどん。

今日の午後、皆でうどんを踏んで今、池さんの冷蔵庫にはいっぱいのうどんが明日の出番を待って眠っている。

さ~明日は、外で薪を炊いでっかい釜でうどんを茹でて、いっぱい食べますよ~

と、名人に言ったら「芋天も作れ!」と言われたから、

さ~明日は、「芋天つきの釜揚げうどん」ですよ~~~!釜玉オッケー。カレーうどんもオッケー。

食べたい人は来てね。飛び入り大歓迎

これが「私たちが最も大切にする食事」です。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

振り回されるスタッフ

2009-10-21 22:05:30 | デイサービス池さん
三好春樹の着る言葉のTシャツにある「最後の母」としての介護職のところ。

介護職の強みとは何か。
それは、老人に振り回されることだ。
とりあえず、振り回されることができるということである。
振り回される、というと何だか消極的で、没主体的なケアの感じがする。しかしそれは、ナースコールを抜いたりしなかったということだ。睡眠薬を盛ったりしなかったということなのだ。
振り回されるとは、じつは老人が主体になることなのだ。しかも呆け老人が呆け老人のままで。
・・・
良い介護とは、何かをすることではなくて老人の受け止め手になるということのなのだ。
・・・
痴呆老人が徘徊したり、奇声を発しているのは意味のないことなのだろうか。
介護とはそれらをなくしてしまうことではない。そうした形で表わさざるをえない痴呆老人の葛藤を受け止めることなのだ。
・・・

という言葉が書かれている。

三好さんの言う「あたり前の介護」を行っている私たちは、まさに痴呆老人に振り回され続ける毎日を送る。

ヒイちゃんが外へ出ればそのまま散歩へ出かけ、台所あたりをうろうろするつたこさんには急いでお皿を洗いすすいでもらったり、島へ帰るというみよちゃんにはじいちゃんを呼んで叱ってもらい、よしこさんが落ち着かなくなったら洗濯物をとりに走り、みちおさんが「さて!」と言いだすと雨でもお出かけタイムだったり・・・

のんびりしているように見えて、結構こき使われている。

スタッフは、いつもこの人たちに振り回され、「こんないい天気の時は、じっとしとらんとどっか行きましょ!!」とスケジュールを決められ、毎日ヘトヘトになりながら仕事をこなす。いえ正確には、こなしているように見えて実は、みんなに追い立てられ一日を送っているのが正直なところかもしれない。

今日も、週に一度来るパン屋さんの前に行列ができて、「おみやげ・・・5個ください」「私は味付けパンを3個」と袋いっぱい買いまくり、いつまでたっても誰一人車の前から離れず、おかげで大ママなかなか車にも近づけず「もう~~!みんな邪魔!どけ~~~~~!!」とか思っていたら、じいちゃんがいつのまにゲットしたのか大ちゃんの手帳をうやうやしく差し出し、お兄ちゃんどうしていいか分からずオロオロ・・・「あの~どうしましょう?」と気弱そうにたずねてる。

夕方のじいちゃんも、人格変わったみたいにゼロゼロいいながら、ひたすら歩きまわる。いろんなことが気にかかるんやろな~。

季節の変わり目は、特にみんなが落ち着かない。

なんかわからないけど、じっとしてない。

じっとしとけない何かがあるんだろうな~といつも思う。

振り回され続けるスタッフ。

制止せず・指示せず・拘束せず・

常にスタッフ自身が心に刻みつけておかないと、夕方ヘトヘトになりだした頃、どこからか聞こえるスタッフの心の声。

「も~~~お願い!!!」

でも、そんなスタッフの心の声に耳も貸さず、

自由勝手に元気に歩き回る人たち。思いもよらない面白い事をする人たち。

リハビリなんてくそくらえ!

こうして歩いてると、絶対足腰弱りはしません! 頭も、ある意味フル回転!

どんな状況にあっても、ゆったり構えて、じっくり向き合う・・・な~んてかっこいい事いってみても、しょせん毎日振り回され続けているスタッフ達。

でも、それでいいのですよ。

主体は、いつもこの人たちなのですから。

老人は老人のままで・呆け老人は呆け老人のままで。

思うがままに、よい受けとめ手を目指しましょう。

呆け老人、万歳






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

在宅で看る

2009-10-19 22:10:21 | デイサービス池さん
「家にいる」ということを大切にしたいと思っている。

結果的に、家で看ることができなくなり、施設へ入ることも選択肢の一つだと思う。

施設もすべてが「非」ではないと思っているから。

いろいろな状況にあることは、ある意味仕方のない事として受け入れる覚悟はできてはいるが、

様々な施設がある中で、

池さんでは、「家で暮らす」ということを、できる限り応援したいと考えている。

どんなに良い場所(施設)であったとしても、やっぱり住み慣れた自分の家が、一番心安らぐ場所だと思うから。

いろいろな家族がいる。

それは、一人ひとりの生き様というか、

他人にはわからない深く深く重い歴史でもある。

私たちは、

今、目の前にいる一人の人と、とことん向き合い、ここで大切な一日を送る。

他人が入る余地のない、深く重い歴史を背負った人と家族。

葛藤を繰り返しながら、介護という現実と向き合う人たちは、その人自身の生き様を含め、答えのない日々を生きる。

かつての私がそうであったように、笑顔と苦しみと反省と自己嫌悪を繰り返しながら、出口のない毎日を送る。

ここに来る人たちと、常に共にいる介護者でありたいと思う。

葛藤を抱える家族と、いつも共にいる介護者でありたいと思う。

今日という「一日」を、笑って送ることに命をかける介護者でありたいと思う。

私たちは、信念を持って「今」を大切に、「一瞬」を大切に、

介護を続けていきたいと心から思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お祭り週間のはじまり

2009-10-11 21:28:56 | デイサービス池さん
昔から、西条の人は、「盆正月は帰らんでも、祭りは帰る」というくらいの祭り好き。

あの西条生まれの「千の風」の秋川さんも、毎年祭りに合わせてスケジュールを組むというくらいここの祭りは、誰もかれも盛り上がる。

私の3人の子どもたちも、祭りが大好き。

長女美香ちゃんは祭り生まれ。太鼓の音色が響く中で生まれた。

大ちゃんは、歩けない頃から太鼓をたたき、中学校になると、祭りが始まるとボストンバックに荷物を詰めて、3日間はプチ家出状態。だんじりが集まる所へ行って、私は生存を確認していた。

末っ子の映美ちゃんも、だんじりの後をついて回るピョンコ隊(太鼓の音に合わせてピョンピョン跳ねる少女の集まり)で、祭りの間は家出状態だった。

で、

もちろん、池さんも、祭りの期間中は、だんじりを追いかけて西へ東へと移動するわけ。(ここの祭りは、地区によって日にちが少しづつずれているから、毎日どこかで祭りをしている)

去年も、超忙しい祭り週間だった。

さて、今年は・・・?

昨日は、東予のお祭りで、私は幹太と祭り見物。

初めて見るだんじりと、ワクワクするような太鼓の音色に、幹太も大興奮!

なけなしの小遣いで買ってやったアンパンマンのお面と風船に、「わ~!すごい~!」とかわいい顔で感激する幹太に、ニヤニヤするオババ。

まあ、こうして祭り好きの血が受け継がれて行くんだろうな~と、なんか感動しながら、今日は石根地区の祭り。

れい子さんとこの神輿が、大頭の池さんに来てくれて、じいちゃんが「お花」と呼ばれる心付けをうやうやしく渡す。

やっぱり、じいちゃんがこうして大頭の池さんの住人として、紅白のお包みを渡すっていいな~って思う。じいちゃんもすごく嬉しそうやった。

神さんを拝んで、今日のお祭りはひとまず終了。

さて、週が明けると、いよいよ西条と小松の祭りのはじまり。

またまた、

太鼓の音に合わせて、だんじりを追いかける毎日が、始まりますよ~~~!!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心から・・・

2009-10-05 22:38:08 | デイサービス池さん
土曜日から、ちょっとした出来事が池さんを襲いました。詳しくは書きたくありませんが・・・(気持ちが重たすぎる!)

いろんなことがあったし、いろんなことを乗り越えてきたけど、今回は正直参りました。

自分が頑張って済むことや、努力すればいいことなら、どんなことでも耐えれるけど、そういう問題ではないので、いったいどうしたらいいものか・・・と。

いろいろな経緯を大ちゃんと、大頭で相談していたので、いつものようにみよちゃんの耳がダンボになってしまいました。いつもならウトウトする時間も、私たちの話に聞き耳たてて、ニヤニヤしながら私たちの方を見てるみよちゃん。

まあなんとか、できる限りの解決方法を試みて、一応けじめがついたような感じで今日一日を過ごし、でも、心の中はどんより重い気持ちに押しつぶされそうになって、でも夜勤の私は、とりあえず夕食の準備をすることに。

じいちゃんが珍しく食器運びを手伝ってくれて、食卓についてから、今日一日のことを聞きたがり屋のみよちゃんに話し始めました。

・・・・・

みよちゃんの言ってくれた言葉を忘れる事ができません。

「私でよかったら、いつでも聞くよ」
「辛いね~」
「がんばりよるのも、間違ってないのも、私が一番よ~わかっとるよ」
「ここにおるのは、ええ人ばっかりよ」

みよちゃんの言葉は、本当にうれしかった。そして、

「泣きたかったら、泣いたらええんよ!」と言ってくれたとたんに、私は泣いてしまっていました。

泣きたいと思ったわけではないけど、心の中まで優しく入ってくるみよちゃんの言葉に、思わず涙がこぼれました。

それまで、何にも言わずにボ~ッとしていたじいちゃんが、突然言いました。

「お前らが頑張らんで、誰が頑張るんぞ!ここを誰がやっとんぞ!胸張ってやれ!」

驚きました。本当に!

わからないことが多くなってきたじいちゃんだけど、じいちゃんの、なんとか励ましてやりたいという気持ちが、すごく伝わってきました。

今日、私は、みよちゃんとじいちゃんに、谷底から救い出してもらいました。

私は、介護をしている側の人間ではなく、

今日、みよちゃんとじいちゃんの前で、ただの一人の弱い人間でした。

支えてくれてありがとう。

心から、

心から、感謝します。

これからも、迷ったり弱ったりした時は、また私を支えてくださいね。

みよちゃん、これからも、どうぞよろしくね。

その代わりと言っては、なんだけど・・・

トイレに連れて行く時、「重い!!!ちょっと痩せてや!」なんて、もう絶対に言いませんから!

せっかくあげたまんじゅうを、すぐに落としてしまっても「もう~~~」なんて怖い顔をせずに、新しいのをあげますから!

飲んだコーヒーを、笑って、そこらじゅうに噴き出しても、明日から黙って拭いてあげますから!

ね、ね、みよちゃん






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする