池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

言葉

2018-02-23 23:41:53 | デイサービス池さん

食後のテーブル。

最近来始めたじい様とちょっと耳の遠いばあ様と、昭和生まれのおばあさんの3人と私。

じい様はシャイだから、職員以外の人には自分から話しかけない。

向かい合って座るじい様とばあ様は、大正生まれの同い年。

食事が終わり、生まれた山の話になった。(じい様とばあ様は、山の出身)

じい様の生まれた山は、かつてヒイちゃんと何度も行った山。

山の話をしているうちに、じい様だんだん調子が出てきた。

あれこれあれこれ聞くうちに私もだんだん嬉しくなって、「ばあ様も黒瀬の出よ」と話をすると、

じい様は突然思い出したように、「ほんならあそこの橋を渡ったところに精米所があったのを知っとる?」と、めちゃくちゃローカルな話をばあ様に聞きはじめ、

ばあ様は、そんなことは聞くこともないという感じで、「知っとるよ!」と答えた。

じい様は結構嬉しかったようで、「ほんならそこのだれそれを知っとる?」と、またまたローカル過ぎる話をばあ様にしたら、

ばあ様は、当たり前だというように「知っとるよ!」と答えた。

ワオー!

と喜んだのは、じい様と私。

じい様はますます調子がよくなり、「~~~で~~~で、あ~で、こ~で~」といろんな地名を上げながら話をしてくれた。

かつて湯波のじいちゃんやヒイちゃんや伊藤さんや、いろんな人から聞いたことのある地名が次々出てくるもので、嬉しくて嬉しくて、「それから、それから」とあれこれ聞いていたら、

「ごう」という地名がじい様の口から出てきた。

「ごう」という地名は、かつてみちおさんから聞いた地名。

みちおさんがかつて、「ごうという所に坂道があって、それはそれはものすごく急な坂だった。郵便を配達する時、坂道を上がると身体が燃えるほど熱くなるから『ごうの燃え坂』と言われるくらいの坂だった。」という話をしてくれていたから、

「ごうの坂道はものすごく急で、燃え坂と言われた話を聞いたことがあるよ。」とじい様に言うと、じい様は更に嬉しそうな顔で「うんうん」と頷いて、またまたばあ様に聞いた。

「ごうを知っとる?」

その時、ばあ様は当たり前のような顔をしてこう言った。

「知っとるよ!」

「えっ?本当に?」と聞く私に、ばあ様が言った。

「毎日上がりよったもん!」

ワオー!!

毎日? なんで? 

「坂の上に高等小学校があったのに・・・・・」

「学校じゃけん、毎日上がらんといかんかろ」

ワオー~~~~~!

燃え坂の上に・・・学校が・・・

ワオー~~~~~!!!

「学校?」と確認する私に、じい様も一緒に言った。

「今はもうなくなっとるけど。昔の学校はそこらあたりにあった。」

「急な坂道だったんだろう?」と聞く私に、

「そりゃあ、急よ!このくらいあったもん!」と手の平で角度を表現するばあ様の右手は、ほぼ直角だし!

ワ~~~オ~~~!

みちおさんが大変だったと話してくれたあの燃え坂を、

身体の小さいばあ様が、毎日毎日通学し、

その時、このじい様も一緒にいたのかもしれない。

そんなことを考えると、背中がぞくぞくしてきた。

と、そのとき、それまでじっと皆の話を聞いていた昭和生まれのおばあさんが話に参入してきた。

「だから、お元気なのね」「私はそんなに歩いてないから、ダメなの!」と言われてみると、

「やっぱり、基礎体力が違うよね~」とちょっと違うところで納得してしまい、

じい様が帰る時間になったので、次は山の地図を探しておきますと約束して、

「それではまた」と言った私にじい様が一言。

「まだ、、、帰らんでもええけど・・・」

・・・・・わぉぉぉぉ。

 

かつてここで過ごしたいろんな人が、語ってくれたいろんな話。

いろんな人が繋がっていく喜び。

話がどんどん広がっていく感動。

心が弾む時間だった。

地名にも、ごうにも、

そして最後の一言にも。

もの静かなじい様が、初めて語った心の言葉。

 

「まだ、、、帰らんでもええけど」

 

心に響いたことば。

上弦の夜。

心の奥底に、かみしめておきたいと思う大切な言葉。

 

 

 

 

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池さんの家

2018-02-21 22:46:56 | デイサービス池さん

ふんにゃが~はんにゃが~と久しぶりのリンちゃんの声。

静かに眠るリンちゃんに怖さを感じ、

ご飯がうまく呑み込めないことに怖さを感じ、

目を閉じた時間が長くなることに怖さを感じ、

「ありがとう」とお礼を言うリンちゃんに怖さを感じ、

リンちゃんのあらゆることに感じる怖さの方が増えていた日々。

でも、今日のように、目がパチッと開き、

いろんなことがよく見えて、

しっかり意識が働いて、

ご飯もしっかり食べることができ、

ずっと開かなかった左手の親指と人差し指でタオルをつかみ、

ケンちゃんが来てくれん~と大きな声で騒ぎ立てるリンちゃんにもう一度会えて、

なんだか嬉しくなった夜。

静かに寝てよ!と思うよりも、

うるさいリンちゃんが、なぜか愛おしく感じる夜。

リンちゃんのふんにゃが~が聞こえ始めた時間、

「ここはどこですか?」と大きな声で騒がれて、

「かあちゃん・かあちゃん・リンちゃんですよ~」と叫ばれて、

「ケンちゃん・ケンちゃん・どこへいったん?」としつこく呼ばれても、

もうリンちゃん、うるさいよ!と思うよりも、

私の心の中は、

うれしくて、でも、

やっぱり怖くて仕方がない。

調子が良いのか悪いのか、

分からないからこそ、

怖くてたまらない。

 

嬉しさや怖さや、諦めや悲しみは、常に心の中にあり、

それでもリンちゃんと向かい合う時間の重みを心に刻み、

今日のリンちゃんの変化がずっと続いてほしいと願いつつ、

大頭の夜を過ごす。

 

大頭のこの家であったいろいろな出来事が、

なぜか心によみがえってくる。 

この家ができてから、

もう4年半の月日が過ぎた。

健一さんの望んだ安心して暮らせる家ができて、

リンちゃんが暮らし、

長い時間が過ぎた。

 

 

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春の気配に

2018-02-17 23:22:52 | デイサービス池さん

雪の1週間が過ぎ、風が吹き、そして昨日は気温が10度を超える朝を迎えた。

本日も心なしか暖かい日の光にジャンバーを脱いで車に乗る。

孫たちの誕生記念に植えた玄関前の枝垂れ梅が、一日で膨らんだ。

春は名のみの 冬の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声もたてず
時にあらじと 声もたてず

立春が過ぎ、暦の上ではもう春。

まだまだ春は名のみだけど、

少しづつ季節は移り変わっている。

確かに時間が過ぎている。

そう思うと、前に向かって歩いているようで、一歩一歩進んでいるようで、心が和む。

緩やかな前進に心を委ねつつ、平静を保ちながら、今という時間を生きる。

毎日違う一日を、同じ気持ちで生きるために、心を砕く。

あっという間に老いてゆき、変わってゆく人を見ていると、心が揺らぐ時もあり、迷ってしまう時もある。

それでも多くの人たちがその命を賭して教えてくれた数々の出来事や、心の中に蓄えてきた想いの中から進むべき道を探す時、

光は自ずと目の前に現れてくる。

光を信じて歩いてゆこう。

という、やけに素直な気分で過ごせそうな気がする如月の夜。

じいちゃんの食欲とリンちゃんの細くなった身体、「看護師さ~ん」の響き渡る声、朝から泣く人暴れる人、壊れた車とこぼれる笑顔、遊びに行きたい人と一日寝ていたい人、寝ている人を起こしに行く人から飛び出していく人、次々にやってくる新人たちとはしゃぐ子ども、てんこ盛りのてんぷらに大鍋一杯のすいとん。

なにがなんだか訳がわからない毎日。

雑踏の中に命の輝く瞬間が見え、静寂の中に生きる苦しみが見える。

限りなく魅力的な空間で、また新しい週も生きていきたいと思います。

 

 

 

 

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私的解釈 of 「じっきんこびきん」

2018-02-14 23:38:09 | デイサービス池さん

「ピタゴラス」のばあちゃんが天寿を全うしました。

御年102歳。

御家族に愛おしまれ、大切にされ続けたばあちゃんでした。

亡くなる前日、会いに行った時も「ありがとう」といつものようにお礼を言ってくれました。

「池さんものがたり」にも、たびたび登場するばあちゃんでした。

いろんなエピソードを私たちに届けてくれました。

「ボケてもばあちゃんは堂々と生きてください。私のおしめを替えてくれたように私はばあちゃんのおしめを替えます」という息子さん。

奥深い山で暮らしてきたばあちゃんを、例えボケようと弱ろうと、限りなく大きな存在として大切に想い続けた息子さん一家。

出会えたことを心から感謝したいと思います。

 

天命を全うしたばあちゃんの枕もとで話をしている時でした。

いろんな話をしてくれたよね~。

ピタゴラス、よう覚えとってすごかったよね。

紀元節の歌も聞いたよ。

池さんではいろんな話をしよったんじゃね。

「じっきんこびきん」も聞いたよ。幹太が生まれた時ばあちゃんが膝に乗せた幹太に歌ってくれたんよ。

そう言った私に息子さんが聞きました。

「あの意味は知っとる?」

私はあ~でこ~でと説明しましたが、息子さんは言いました。

「違うんです。私が考える意味は違うんです」と話し始めてくれました。


じっきん こびきん
山どは戻る
子は泣きしこる
団子は煮える
小米すって
すりかませ
「池さんものがたり」121ページ

私的解釈:(ばあちゃんの話から想像した解釈)

昔ばあちゃんが住んでいた上黒川という土地は山奥で、山から木を伐り出す木挽きさんが働く木挽き場があったそうな。
その木挽き場から毎日聞こえる木挽きの音。じっきん・こびきん。
山仕事をしていた人たちのことを山どさんと呼んだそうな。
じっきん・こびきんと一日聞こえた木挽きの音が鎮まる頃、山から山どさんが帰る夕方、赤ん坊はお腹を空かせてぐずり出す。夕餉の団子はそろそろ煮えてきた。
早く小米を擦ってご飯にしよう。

そしてこの日息子さんから聞いた息子さん的解釈は、もっともっと深い意味を含んでいました。

山どはばあちゃん自身です。
子守をしているのは子どもの母ではなくて姑なんです。
この歌は哀歌です。
子どもを姑に預けて、生きるために山へ向かわなければならなかった切ない母の気持ちが詰まった悲しい歌なのですと。
男の人に交じって山での力仕事をしなければならなかったばあちゃんは、舅や姑に気兼ねしながら生きてきたんです。
泣く子を姑に預け、負い目を感じながらも家のために山へ向かわなければならなかった。
一日、山で働いた母が疲れて家に戻ってくると、子どもはお腹を空かせて泣いている。
そんな悲しい思いをうたった子守歌なんです。


私的解釈はあくまで私的解釈で、

常にその人の心の内が反映されるから、

私は私とばあちゃんの関係から子守歌を読み解いて解釈するし、

息子さんはばあちゃんの実際の暮らしを知っているからこそ、その歌の中に込められたいろんな思いや感情も反映させた解釈を行うわけで、

なるほど~~~と、私はばあちゃんの山での暮らしを想像しつつ、感動に震えながら、皆でいろ~んな話を長々として、

やっぱり・・・

ばあちゃんは凄いという結論に至った次第。

ただただ自分に与えられた人生を淡々と必死に一生懸命生き切ったばあちゃんの本当の凄さは、

私たちはそのすべてを知るはずもないけれど、

ただ息子さんだけはそのばあちゃんの姿を見て育っているわけだから、

こうしてばあちゃんの人生を語り、

「今まで苦労して私を育ててくれたのだから、ボケても堂々と胸を張って生きてください」と言える息子を育てたばあちゃんの生き様こそが、

ばあちゃんの生きた証だと思えるわけで。

じっきんこびきんの私的解釈の考察よりも、

とりあえずばあちゃんの生き様の検証を行うほうが、

いいのかよくないのか、そもそも必要なのか、

訳が分からなくなるほど久しぶりの大頭の夜です。

あ~、ばあちゃん、

ばあちゃんと話すの楽しかったな~。

「ありがとう・ありがとう」といつもお礼を言ってくれたし、「えらいね~」とか「美人じゃね~」とか、いつも人を褒めてくれたけど、

ばあちゃんが泊まった夜、一晩中味噌汁を作ったこと(P219)は決して忘れませんよ。

私自身がちっぽけな人間なのだとはっきりと教えてくれた(P224)夜のことも絶対に忘れません。

なんか池さんの一つの時代が終わったような、

そんな気がしています。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人を想うこととは

2018-02-05 23:09:52 | デイサービス池さん

またまた超強力な寒波到来です。

冷え込んでいます。

今朝は真っ白に積もった雪の中、恐る恐るの出発。池さんから出た所の国道は、ノロノロ運転の車で渋滞中。

心配しながらでしたが、朝日が周囲を照らすころには何とか雪も止み一安心。

ばあさんの「雪かい?よ~降っとる!どうならい!」の言葉に、「今日は目が見えとるんじゃね!」とこれまた安心しながらの送迎。

「ほやけんど、こななところに家があったんかいな。いつの間に建ったんじゃろ?」と言う視線の先が、卵の無人販売の壊れかけたハウスだったりするけれど、何だか今朝は許せるような・・・ばあさんの独りよがりのホニャホニャも、ちょっと大きな心で許せるような気がする時間。

寒さでかじかんだ心を、ばあさんの勘違いトークで癒された気がする雪の朝。

 

さてさて、今日のテーマです。

「人を想うこと」

人を想うこととは、一体どんなことなのか。

どうすれば人を想うことができるのか。

頭でわかっているようで、なかなかどうして結構難しいことなのです。

「自分の立場」から「聞いてみたり」「きっとこういうことだろう」と「自分の頭で考えてみたり」・・・

悩みは尽きないような気がしてくるけれど、

考えても考えても、考えるほどわからなくなってくる気がするかもしれないけれど、

大丈夫。

分からない時はわからないままでいいんです。

焦ってみても、簡単に答えがでるほど人の心は単純じゃあないのですから。

年をとればとるほど、ボケればボケるほど、より複雑になるのが人だと思いませんか。

だから、焦らず時間をかけて、まず「人を知る」ことから始めてみましょう。

その人を知りたいと思う時間を一緒に過ごすことが、

その人を想うことに繋がっていくのだと思っています。

一緒に過ごす時間が長くなれば、自然にその人のことを想えるようになると思います。

あ~昨日より調子がいいな、何があったのかな、

今日は足が軽いな、腰が伸びてるからかな、

今日は眠そうだな、昨日寝られなかったのかな、

あ~機嫌わるいな、お腹がすいたのかな、

いろんな気づきが、その人への想いに繋がるのだと思うと、

やっぱり人を知る時間が必要になるのではないかな。

焦らず、ゆっくり、まず人との関係を作りましょう。

そうすれば、必ず人のことを想える自分に出会えますよ。

大丈夫。

合言葉は、「ゆっくり、焦らず、のんびりと」

きっと心は繋がりますよ。

そうしていろんな人と強い絆を結んできたのが池さんなのですからね。

心配しないで、時間をかけてのんびりやってください。

池さんの時間を楽しんで、の~んびりとね。

大丈夫。

 

 

 

 

 

 

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大雪の日には

2018-02-01 23:57:59 | デイサービス池さん

2月1日。

大雪お見舞い申し上げます。

話題の「スーパーブルーブラッドムーン」の翌日、小松町は大雪でした。

夜中から続いた積雪で、大頭の庭も真っ白です。

明日の朝、冷え込んで凍らなければよいのですが。

 

さてさて、先日の新聞の続きのお話。1月28日の新聞より

1面を飾った見出しは、市区町村移行 軽度介護「100自治体が運営難」

要支援1、2を対象にした訪問介護と通所介護は、国から市区町村へ移行したけれど、報酬の低さによる人手不足と大手事業者の撤退などにより運営難になっているらしい。

でしょう!

昨年4月の制度改正で、要支援の人たちの訪問介護と通所介護は国から市区町村の事業となったけれど、移行された市区町村の側からしたら「私たちの負担増えるやん!」て感じ。

その上、「軽度の人は、住民のボランティアにやってもらおうや!」って感じでいろんな人に声かけてみたけれど、実際に介護保険を使わなければならない人たちは、介護が必要な人たちであるわけだから、やはりある程度のスキルは必要になるわけで、そりゃあ無理だわなボランティアでは・・・最初から。

しかも、地域のつながりなんて、もうほとんど残ってないし。

全国自治体に軽度介護サービスについてアンケートを行ったところ、300自治体が運営に不安を感じ、100自治体が運営難という現実を、机上でそろばんをはじいているお役人たちは、どう受け止めるのだろう。

県内の市の回答。「事業費の抑制に頭が痛い。国の支出は抑えられるが地方が増えることを見越した制度で、介護保険の崩壊を意味している」と回答したそうだ。

介護最大手が経営する介護拠点は、人材が不足する中で利益を上げるためには、撤退を含め重度の介護保険サービスにシフトをチェンジしていく必要があるとのことだが、すでにここで国が推進する「軽度の人の自立支援」とは相反している。

担当省は「利用者に影響が出ないよう事業者を調整する必要がある」とのことだけど、事業者が事業に参入するのは利益があってこそ、撤退するという事業者をどう調整していくのか不安が残る。

国が行おうとしている介護保険の将来像がまったく見えてこない。

事業費を抑制しようとその場限りの法改正だけを行っていては、軽度介護を実際に担う市区町村の現実とますますずれていくだろう。

長期のビジョンもあやふやで、法改正ばかりを繰り返している今の介護保険制度は、もうとっくに崩壊しているのかもしれないと思いつつ、

介護保険の崩壊を意味すると言う現場の人の言葉こそが、真実を映し出しているなあと・・・そんな気がする。

 

何度法改正が行われようと、どうシフトをチェンジされようと、どんなに介護保険の行く末が不透明だとしても、動じず揺れずにいたいなと・・・なんか、介護保険がどうなっても関係ないような気がしてきた。

いやいやそんなこともないような、事業所つぶれてもいかんしな・・・とかなんとか思いながら、今宵も仕事に励むことに致しましょう。

冬が嫌いなわけではないのですが、

ちょっと暖かいお日様の光が恋しくなってきました。

2月は梅も咲きますよ。

待ち遠しいです。

 

 

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