食後のテーブル。
最近来始めたじい様とちょっと耳の遠いばあ様と、昭和生まれのおばあさんの3人と私。
じい様はシャイだから、職員以外の人には自分から話しかけない。
向かい合って座るじい様とばあ様は、大正生まれの同い年。
食事が終わり、生まれた山の話になった。(じい様とばあ様は、山の出身)
じい様の生まれた山は、かつてヒイちゃんと何度も行った山。
山の話をしているうちに、じい様だんだん調子が出てきた。
あれこれあれこれ聞くうちに私もだんだん嬉しくなって、「ばあ様も黒瀬の出よ」と話をすると、
じい様は突然思い出したように、「ほんならあそこの橋を渡ったところに精米所があったのを知っとる?」と、めちゃくちゃローカルな話をばあ様に聞きはじめ、
ばあ様は、そんなことは聞くこともないという感じで、「知っとるよ!」と答えた。
じい様は結構嬉しかったようで、「ほんならそこのだれそれを知っとる?」と、またまたローカル過ぎる話をばあ様にしたら、
ばあ様は、当たり前だというように「知っとるよ!」と答えた。
ワオー!
と喜んだのは、じい様と私。
じい様はますます調子がよくなり、「~~~で~~~で、あ~で、こ~で~」といろんな地名を上げながら話をしてくれた。
かつて湯波のじいちゃんやヒイちゃんや伊藤さんや、いろんな人から聞いたことのある地名が次々出てくるもので、嬉しくて嬉しくて、「それから、それから」とあれこれ聞いていたら、
「ごう」という地名がじい様の口から出てきた。
「ごう」という地名は、かつてみちおさんから聞いた地名。
みちおさんがかつて、「ごうという所に坂道があって、それはそれはものすごく急な坂だった。郵便を配達する時、坂道を上がると身体が燃えるほど熱くなるから『ごうの燃え坂』と言われるくらいの坂だった。」という話をしてくれていたから、
「ごうの坂道はものすごく急で、燃え坂と言われた話を聞いたことがあるよ。」とじい様に言うと、じい様は更に嬉しそうな顔で「うんうん」と頷いて、またまたばあ様に聞いた。
「ごうを知っとる?」
その時、ばあ様は当たり前のような顔をしてこう言った。
「知っとるよ!」
「えっ?本当に?」と聞く私に、ばあ様が言った。
「毎日上がりよったもん!」
ワオー!!
毎日? なんで?
「坂の上に高等小学校があったのに・・・・・」
「学校じゃけん、毎日上がらんといかんかろ」
ワオー~~~~~!
燃え坂の上に・・・学校が・・・
ワオー~~~~~!!!
「学校?」と確認する私に、じい様も一緒に言った。
「今はもうなくなっとるけど。昔の学校はそこらあたりにあった。」
「急な坂道だったんだろう?」と聞く私に、
「そりゃあ、急よ!このくらいあったもん!」と手の平で角度を表現するばあ様の右手は、ほぼ直角だし!
ワ~~~オ~~~!
みちおさんが大変だったと話してくれたあの燃え坂を、
身体の小さいばあ様が、毎日毎日通学し、
その時、このじい様も一緒にいたのかもしれない。
そんなことを考えると、背中がぞくぞくしてきた。
と、そのとき、それまでじっと皆の話を聞いていた昭和生まれのおばあさんが話に参入してきた。
「だから、お元気なのね」「私はそんなに歩いてないから、ダメなの!」と言われてみると、
「やっぱり、基礎体力が違うよね~」とちょっと違うところで納得してしまい、
じい様が帰る時間になったので、次は山の地図を探しておきますと約束して、
「それではまた」と言った私にじい様が一言。
「まだ、、、帰らんでもええけど・・・」
・・・・・わぉぉぉぉ。
かつてここで過ごしたいろんな人が、語ってくれたいろんな話。
いろんな人が繋がっていく喜び。
話がどんどん広がっていく感動。
心が弾む時間だった。
地名にも、ごうにも、
そして最後の一言にも。
もの静かなじい様が、初めて語った心の言葉。
「まだ、、、帰らんでもええけど」
心に響いたことば。
上弦の夜。
心の奥底に、かみしめておきたいと思う大切な言葉。