池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

思い出

2013-08-29 21:35:50 | デイサービス池さん

今週今夜の夜勤で最後(の予定)

9月1日に新しい「池さんの家」に引っ越すので、この大頭の家での夜勤は、今夜で最後(の予定)。つまり常にいろいろな出来事があるので、その日になるまで日程などあってないような毎日を送っているわけで・・・

 

21年に井上夫婦のために購入した「大頭の家」です。

今考えても、よくあの時この家に出会ったものだと思います。偶然に見つけた中古住宅。敷地面積400坪。ホタルのいる川沿い。国道横。山近し。でっかい倉庫付き。

みよちゃんとじいちゃんのためだけに購入したので、長い間夫婦だけの家でした。大ちゃんと二人で長い間交代の夜勤をしていました。

老いてゆくじいちゃんとみよちゃんと暮らしながら、二人が最後まで「生き切る」ことを願って、私たちは向き合い続けました。そして二人とも、この家で最後の時まで「生きる」ことができました。

 

たった4年の日々。

でも本当にたくさんの想いや願いが、この家には詰まっています。私たちの涙や悩みとともに、一杯の笑顔や楽しい思い出も。

今となっては、そのどれもが懐かしくて暖かい思い出です。

 

そして9月1日から、私たちは新しい「池さんの家」で、また新しい毎日を生きることになります。新しい家で、きっといろんな思い出が作られていくでしょう。

 

この家での最後の夜です。

あまりにも一日忙しかったために、ちょっと疲れてイライラしていた私。デイから大頭への移動の車の中で、まあちゃんが聞きます。

「ちょっと~!ちょっと~!あんた、ごぼうはどうするん?」

「ごぼう?」

「そう、ごぼうを買いたいんよね~!」

「なんで?」とちょっとつっけんどんに答えた私に、一緒に乗っていたさよさんが言います。

「ごぼうは美味しいよ!」

「美味しいよね~!」とまあちゃん。

「美味しいから買いましょう!」と更にさよさんが言います。

「ねえ~買いに行って~!」とまあちゃん。

なんだかわからんけど、どうやら二人の会話はかみあっている(ちょっと不思議だけど)。

まあちゃんとさよさんは、機嫌良くごぼうを買う話をしながら大頭へ到着。(これは本当にめったにないことなのです!)

そのとたん、二人の頭からごぼうは消えて、いつもの風景。

「わたしどうなるん?」のまあちゃんと、「せんせ~!」のさよさん。

 

4年前はこんなふうな毎日になるなんて思いもしなかったけど、でもこうやって4年の月日を過ごしてきたということなのかもしれないと思います。

時間の流れの中で、私たちはいつもその時その時を一生懸命生きてきました。決して長い展望や計画があったわけではなくて、ただ目の前にいる人にとって何がいいのかを考え続けた結果が、今の池さんの形なのだと思っています。

経営者としてはきっと不出来なのだと思います。いつも私たちは貧乏ですから。

 

でも、どうしても譲れない夢や理想があります。介護の現場で生きてゆくと決めた時から、ずっとかたくなに守り続けてきた形が。

 

これからどうなるか想像もつきませんが、とりあえずこの家での最後の夜を心に刻みたいと思います。

 

いろんな思い出の詰まったこの家で、いろんな出来事を振り返りながら・・・

 

 

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8月25日に

2013-08-25 21:00:38 | デイサービス池さん

ショックが大きかった誕生日の日から一夜明けて。

 

とうとうこの日がやってきました。

新しい宅老所の引き渡しの日。

 

4月以降、本当にあわただしく過ごした日々。

なんとかここまでこぎつけました。

 

午後からの家族と応援し隊員むけのオープンハウスに向けて、準備をする私たち。

 

一番最初に新しい家に入れたのは、

井上夫婦の写真と思い出の品を飾ってある棚でした。

やっぱり、二人がいないと池さんのストーリーは始まりません。

 

たくさんの家族や知人がお祝いに来てくれました。

あっちゃんたちの太鼓の音が新しい家に響き渡りました。

 

みんな、本当にどうもありがとう。

応援してくれる人たちがいるから、頑張れます。

 

新しい物語が、いよいよ始まろうとしています。

池さん物語第3章が、今日からスタートです!

 

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8月24日あ~~~っ!

2013-08-25 20:27:21 | デイサービス池さん

昨日のお話をしましょう!

 

8月24日はワタクシの誕生日

朝起きて、夫に「おめでとう」と言われて、「ありがとう」と答え・・・

そこまでは良かったのです!

 

「何歳?」と聞かれて、

普通にワタクシ答えました。

「57歳!」と。

 

夫は言いました。

「そんなはずはないぞ!わしが65歳だから、おまえは56になるんだろうが!」と。

 

ヒエ~~~~~~~~~~~~

 

しかも・・・しかも・・・「今57だと思ってたし!」「今日58になるんだと思っていたし!」

「ちがうの???」

「間違っていたの???」

 

あ~~~ずっと、57歳だと思って過ごしていた自分。

どうやら、

どうやら、ワタクシは55歳だったそうで・・・

 

知らずに57歳の気分で過ごした日々は、ど~うなるの???

退職まで指折り数えた日々は、一体ど~うなるの???

 

あ~~~!

 

 

池さんのソファーに座る日もマジカに迫っているようです

 

こんなワタクシですが、どうぞ見捨てないで~~~!

 

誕生日の朝。

ショックが大きくて、立ち直れそうになかった気がする朝でした

 

おそまつ。

 

 

 

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チーム

2013-08-21 21:00:16 | デイサービス池さん

誰にも、得意なことと得意ではないことが存在する。

人と話すのが得意な人もいれば、会話が苦手という人もいる。

細かい作業が得意な人もいるし、大雑把で何も気にならない人もいる。

よく気がつく人もいるし、人のことに全く興味のない人もいる。

どれがいいとか悪いとかの問題ではなく、ただいろんな人がいるのがこの世の中。

 

業務内容というものがほとんど存在しない池さんの介護の現場では、いろんな特質のスタッフが、自分のできることをしっかり行っていくしかない。

与えられた仕事や言われた仕事というよりは、全員が息を合わせて自分にできることをやっていくしかない。

空気がよどんでしまった時、バタついてどうにもならなくなった時、「自分にできること」を考えて一生懸命にやっていくしかない。

 

それは、「スタッフがチームとして」のあるべき姿だと考えている。

 

自分の足りなさを確認すること、

自分以外のスタッフを信頼すること、

自分の力を出し切ること、

そうすることで、「チームとして」、よりよい仕事ができてゆく。

 

逃げたりすねたりごまかしたりするのではなく、

今の自分の力を出し切ること。

 

それは必ず、

自分自身が悔いのない一日を生きることにも、

繋がっていく。

 

池さんという「場の力」を信じて、

縁あって「チーム」になったスタッフ全員が、

一生懸命に悔いの残らない一日を、

生きて欲しいと思っている。

 

他者のために・他者と共に・生きることは、

自分自身のために生きることに・他ならない。

 

 

 

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言葉へのいざない・・・3

2013-08-18 21:03:28 | デイサービス池さん

「谷川俊太郎」問う言葉答える言葉より

 

どんなに他人のためを思っても、それが結局自分のためであるということを承知の上で、自分を超えたものに自分を働かせてゆきたいと考えているけれど、そういう考えを支えているのはもしかすると、不死ではないぼくの肉体によってのみ存在を許されているぼくの魂というものかもしれない。

何もかもはぎとっていったい自分に何が残るのか、恐ろしいけれども、僕がしている仕事も、家族や友人との交わりも、自分の貧しさに自分で気づくことを一番の根底にしなければならないってことは、はっきりしていると思うんだ。その貧しさの自覚が多分、自分とは何か、自分は何故ここにいるのかという疑問に対する、もっとも人間らしい答え方に通ずる。

 

「どんなに小さなものについても 語り尽くすことはできない」

 

ただ、ただ、

全身で、

言葉を感じていたい。

愛おしく感じる言葉たち。

 

静かな大頭の夜です。

 

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夫と医療

2013-08-14 21:05:06 | デイサービス池さん

在職中45歳で脳出血を患い、その後多発性脳梗塞や肺塞栓、心不全、心房細動、まだまだ一杯病名はついているが、結構大きな病と一緒に暮らしている夫。

今月の診察で主治医が代わり、どうやら腎臓の機能低下も指摘されたらしい。「気をつけないと透析しなければならないです!」と。

なにしろ、服薬している薬はなんと一日30錠!(ニトロを含む)

具合が悪くなるたびに薬の種類は増え続ける。

毎月の診察は欠かさず出かけている。

毎月の検査もまじめに受けている。

 

なのに・・・全く減らない薬の量は一体何なのか?

しかも、透析だと?!

 

医療現場は、常に正義。

患者は、主治医にただ身を任せるしかないのだろうか?

 

腎機能の低下の原因は、長年飲み続けた多量の薬のせいではないだろうか。

薬を減らしてほしいと申し出ても、「これを飲まないと、あなたの命は保証しませんよ!」と言う主治医の言葉を信じて、まじめに薬を飲み続けた結果・・・なのだ!

 

専門的な知識を、もちろん私は持ち合わせてはいない。

が、しかし、これだけの科学的な薬品を常用していて、「身体に負担がないはずがない」ということは理解できる。

 

病気になったら薬を処方する・・・年と共に、検査と共に、薬は増え続ける・・・増え続けた薬によって、更に身体は悲鳴を上げる・・・そして、検査の結果、更に薬は増えてゆく。

若くして発病し、夫のように重い疾患を重ねて持つ患者にとって、「医師は命の綱」であり「心の支え」なのだ。「先生の言うことは常に正しい」と、信じなければ生きてゆけない現実がある。

ならば、医師は長年服薬を続けるリスクや、薬の作用について、もっと真剣に患者の疑問や不安に答える義務があるのではないかと思う。

 

大きな疾患を患い生死の間を何度もさまよったがゆえに、主治医の言いつけを守り、きちんと薬を飲み続けたまじめな患者が、主治医が交代したとたん、いとも簡単に「透析が近い病状」だと言われる。

 

医療は常に正義か。

 

そういえば、私の父も長い間病院通いをした挙句、癌が見つかった時にはすでに手遅れだった。

なんというか、医療の現場の不思議。

 

専門的な知識をもっているがゆえに・・・医療は正義?

患者は、弱者?

 

 

 

 

 

 

 

 

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おもしろい話

2013-08-11 20:39:44 | デイサービス池さん

毎日毎日、面白い話はてんこ盛り満載中!

 

その1。

同じ送迎車でやってきたAさんとBさん。

Aさん「あれ?今日はBさんは休みかいね?」

Bさん「Bはわたしです!休みはAさんでしょ!」

Aさん「Aはわたしです!」

Bさん「ほんなら休みは?」

Aさん「そうそう。休みはCさんでしょう!!」

Bさん「そうそう。Cさんでした!」

 

その2。トイレにて

Dさん「オシッコの係の人を呼んでください」

スタッフ「係を呼んでどうするんですか?」

Dさん「オシッコの仕方を教えてもらおうと思って」

スタッフ「ここはトイレだから、オシッコはそこへしていいですよ」

Dさん「どうやったらオシッコがでるのかわから~ん!」

 

笑えるような笑えないような、でもこうして人は老いてゆくのでしょう。

オシッコの仕方を忘れようと、いろんなことを忘れようと、ま、ご飯が食べれて暮らしていければそれはそれでいいのだと思ったりして・・・

 

じいさんたちのエロ話やばあさんたちのボケ話を、笑って聞くことができる心のゆとりを、忘れずに持っていたいと思う現在超ハードな毎日を生きるワタクシです。

大頭の家の完成も、もうすぐです。

 

 

「机の上の書類の山も、今だ手つかず、じっと手を見る」

 

おそまつ

 

 

 

 

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場所

2013-08-07 21:03:50 | デイサービス池さん

私たちはいつも思ってきた。

「ここを必要とする人にとって、良い空気の場所でありたいと」

 

それは単に利用者としてというだけでなく、スタッフにとっても、その他の人たちにとっても、もちろん私自身にとっても。

8年間、そう願い続けて今がある。

 

毎日ここへ来たいと言ってくれる利用者がいる。

ここで働きたいと言ってくれるスタッフがいる。

ふらりと遊びに来てくれる家族がいる。

野菜を届けてくれる近所の人たちがいる。

近くを通ったからといって寄ってくれる人たちがいる。

 

どの人も、ここを必要としてくれている人たち。

ここを想ってくれている人たち。

 

子育てをしている時にも、ずっと願っていた。

「子どもの友達が、いっぱい遊びに来てくれる家でありたい」と。

その気持ちは、年をとった今もかわらない。

 

人が集まる家でありたい。

人が想ってくれる場所でありたい。

人に想われる「池さん」でありたい。

 

そして「池さん」も、来てくれる人を、ここを必要としてくれる人のための「心落ち着く場所」としてこれからも揺らぐことなく頑張っていきたいと。

まあ、そうは言っても、いつもバタバタとうるさくて、狭くて、散らかしっぱなしの足の踏み場もない場所なのではありますが・・・

 

見学お申し込みの皆さま、

本当にたいしたことありません。

狭くてうるさくて、ばあさんたちがいつも叫んでいる空間です。

 

ただの「家」です!

 

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家族へ向けて

2013-08-04 21:35:06 | デイサービス池さん

年寄りも家族も様々。いろんな人たちがいる。

 

生きたように老い、生きたようにしか終わることのできないのが「人」。

介護される年寄りを抱える家族にとって、終わりの見えない介護を続けていかねばならない苦しみや葛藤は、(かつて私自身が経験したことで)それなりに感じることができる。

 

悩み苦しみ、葛藤を繰り返しながら家族が出す答えは、その時点で正しいのかどうかわからないけれど、常に最良の答えだと信じている。

 

出した答えに迷いがあったとしても、だれがそのことを責めることができるだろう。

家族は、常に葛藤を繰り返す。

どれほど考え抜いたとしても、いつも迷いやためらいは付きまとう。

どんなに考えても、いつも後悔は付きまとう。

人が人を介護するということは、そういうものなのだ。

 

後悔や悔いのない介護などありえない。

 

家族にとっての生活や、自分自身の人生を大切にすることは決して間違ったことではない。

全てを我慢し犠牲にしてまで、介護者として生きるということが、正しいとは私は思わない。

 

葛藤を繰り返しながら、どこかで着地点を見つけて、

折り合いをつけて生きることが、大切なことだと私は思っている。

そうやってお互いを見つめながら生きてゆけばいいのだと思っている。

 

またいつか、笑って向かい合える日がくるかもしれない。

もしその時に私たちが必要なら、私たちは力を尽くして、家族を支えてゆくつもりだ。

私たちはただ、年寄りを喜ばせるためにだけ存在しているのではない。

私たちは、年寄りを介護するというだけでなく、年寄りの周囲にいる家族を支えるために「ここにある」。

常に家族のそばにいる。

それが「池さん」という場所。

 

暑い夏はまだまだ続く。

家族自身が、家族自身の時間を、

迷いなく生きてくれることを私は祈っている。

いつも近くで見守っている。

 

 

 

 

 

 

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