池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

暑すぎます!

2013-07-31 21:33:07 | デイサービス池さん

本日池さんの玄関前の気温、40度越え

コンクリートの照り返しが強くて、外へ出ただけでめまいがしてくる。

外気温が40度もあると、部屋のクーラーの効きも悪くなる。

いつもはエアコンを27度に設定し、サーキュレーターと扇風機でしのいでいるが、今日はとにかく暑かった。部屋の温度はまったく下がらない。

25度に下げても、とにかくムンムンして動くたびに汗が出る。

外気が暑すぎるとしても、なんでこんなに熱気が漂うのだろう???と思って家を点検してみると・・・

たまちゃんのお守りをしていたちいちゃんが2階の窓を開け放っているじゃあ~りませんか!

2階から入ってくる熱気は、階段を通ってフロアを襲っていた。

怒りを鎮めて優しく言う。「なんで窓を開けとるん?」

ちいちゃん「だって、暑いもん

ま、そりゃそうだ。暑いに違いない。

「でもね、せっかくクーラーかけとるから、窓を閉めんと涼しくならんよ」

「そうなんだ

どうりでいくら冷やしても、どこからか熱風が吹き込んでくる感じがしたのね。

 

ちいちゃんには障害があって、日常生活の中で、できないことや分からないことがたくさん存在する。

それをわかっていたつもりだったけど、今日の酷い暑さの中で窓を全開にして、汗をふきふきたまちゃんのお守りを一生懸命してくれているちいちゃんを前に、こめかみのマークを必死で隠しながら、ニコニコして窓を閉めるワタクシ。

 

自分に余裕がないと、普段わかっていることもまったくできなくなる。自分の足りないところを、暑さのせいにしながら言い訳している自分がちょっと情けなくなる。

年のせいでもなく、暑さのせいでもなく、時間に追われる自分自身の心の問題。

 

悩みは尽きない7月最終日。

暑さのピークはまだまだです。

 

 

 

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募集してます!

2013-07-28 20:55:19 | デイサービス池さん

介護の現場が書かれている本を読んだ。(ちなみに私は他の介護施設での職務経験はない)

 

・・・「その施設の1ユニットは10名で、2ユニット20名をグループとして介護にあたっている。利用者20名に対して、昼間は基本的に早番職員2名と遅番職員2名がいる。特養とショートの組み合わさったグループでは、10名の特養利用者について職員2名、定員10名のショートも2名の職員がケアにあたる。16時以降は、20名に対して遅番職員2名と夜勤職員1名。ただしショートは、1名。20時から翌朝7時までは夜勤職員1名で20人を見守る。これがどれだけ過酷な状況か・・・」

 

以下、そのハードな毎日の記録が書いてあるこの本を見ながら、絶望的な印象を感じた。

おそらく平均的な施設なのだと思う。人員基準や法律の壁をきちんと守りつつ、おそらく良い設備の整った近代的な立派な施設として存在し、地域の人たちや老後への安心を付託されるであろう施設なのだろう。

 

けれども、こんな風に時間に追われ仕事に追われる介護の現場にいる職員は、本当に目の前にいる年寄りの気持ちを想像したり一緒に泣いたり、幻想につきあったりする時間はないだろうと思う。

昔を懐かしむ気持ちに寄り添ったり、死にゆく時間をいとおしく眺めたり、苦しい息を一緒に感じたりする余裕は、おそらくないに違いない。

介護やケアの質をうんぬんという以前に、ただ毎日の業務をこなすことだけがその施設の職員の日常なのだそうだ。

なんども言うが、これは決して珍しい施設ではない。ごく平均的な施設。

 

・・・だとしたら、

池さんの介護はやっぱり、レベル高いのかも知れないと思うわけで。

(おむつ交換の時間を競うのではなく、どこまで気持ちが読み取れるかという意味において。)

自己満足かもしれないけれど、ケアの質は相当濃くて深い。

(一人の人間として向き合うことができるよう、職員には困難でも課題を与える。)

 

とにかく濃い池さんで働いてみたいと思う人・・・この指とまってくださいな!

てゆうか・・・

介護職募集してますので

他の資格職も募集してますので・・・

よろしく

 

今なら、楽しい絶叫混乱幻覚幻想の世界への招待状がもれなくついてまぁす

さあ、一緒に不思議な世界へ行ってみませんか?

池さん一同、待ってます

 

 

 

 

 

 

 

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さよこさんのこと

2013-07-24 21:49:13 | デイサービス池さん

4月から大頭の住人になったさよこさん。

施設に5年暮らしていた。

次第に老いて行く日々の中で、家族は思った。

「好きなものを食べさせてあげたい。好きなように暮らさせてあげたい。人間らしく、さよこさんらしく。」

そして、4月から、さよこさんは大頭の住人になった。

 

花が咲き、一年中でもっとも美しくて過ごしやすい春を、池さんの皆と毎日出かけて遊び、楽しんだあと、さよこさんは何度かの脳梗塞を起こした。

最初は右半身。

もともと車椅子を利用していたが、右手は不自由になった。

しばらくして左半身がまひ。

噛むという行為が不自由になったので、高カロリーのプリンやゼリーなどで命をつなぐ。

 

家族はいつもさよこさんに会いに、やってくる。

好きな食べ物や、畑で育てた新鮮な野菜をもって。

私たちはさよこさんが食べれるように、いろいろと努力する。

 

さよこさんが、池さんに住むようになって、こうした状態になったことをどう思っているか、わかるはずもないけれど、さよこさんを大切に思う家族が、「このままでいい」と言ってくれることは、私たちにとっての支えにもなっている。

施設にいたら、即入院になっただろうし、病院にいたら、好きなものも食べさせてあげることはできないだろうし、何より治療の対象者としてのさよこさんでしかないだろうから、日常の様々な制約を受け、終わりのない病院生活になったにちがいない。

 

「年をとっているのだから、こういう状態に陥ることは、覚悟の上。それよりも、人間らしく自由に生きることを選択する。自然のままに命を生きてほしい。」という家族の強い想いを前にした時、私たちも家族と同様の覚悟を決めることができると思っている。

 

さよこさんは今、落ち着きを取り戻しつつある。

一時、危なく感じる時もあったけれど、それなりに落ち着いてきた。

食事の内容から考えると、必要なカロリーがとれているとは思えないが、それでも笑ったり怒ったり、大声で叫んだりしながら、さよこさんは「今を生きている」

握り寿司をしたら、かつおのおすしを2貫もたべた。

老いをどう生きるかは、「本人が望む」というよりも、愛する家族が「どう生きて欲しいか」ということなのかもしれないと思う。

みよちゃんの家族が望んだように、さよこさんの家族が願うように、

「命のあるべき姿を、命のあるべきように」

 

老いの命の在り方を、

改めて考える今日この頃。

 

とてつもなく暑い夏を、

とにかくハードな毎日を、

私自身が今、生きています。

 

皆様も、どうぞご自愛くださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

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ケンイチさんのこと

2013-07-21 21:48:19 | デイサービス池さん

3月だった。

ケンイチさん夫婦と私たちは出会った。

 

ケンイチさんは、夫婦二人で暮らしていた。子どもはいない。仲の良い夫婦だった。

ケンイチさんは重度の難聴。奥さんは認知症。

二人とも年をとり、二人だけで暮らすことは困難になっていた。

ヘルパーなどを利用しながらなんとか暮らしていたけれど、それも困難になって二人は近くのケアハウスへと移り住んでいた。

多くの人が暮らすケアハウスの生活は、ケンイチさんにとって心休まる場所ではなかった。

 

少しずつケンイチさんは混乱するようになり、夜中に物音がすると事務所へ訴えたり、大声で怒鳴ったりすることが増えていった。

ケアハウスという場所は、ケアをしてもらえる場所ではない。ケアが必要になれば、ほとんどの場合、退去を迫られる。理由は、他の住人から苦情が寄せられるからだ。

夫婦は行き場を失った。

 

ずっと関わってきたケアマネは、いろいろな場所を探した。

仲の良い夫婦をバラバラにすることなく、安心して暮らせる場所を探した。

けれども、認知症の妻とほとんど聴力のない夫が一緒に暮らせる場所は見つからない。

 

そして、池さんに。

「どこにも受け入れ場所は見つからない。何とかお願いします。夫婦をバラバラにしたくない。本当に仲のよい夫婦です。一緒に看てもらえませんか?」

受け入れたくても、大頭は一杯で部屋もない。

行き場のない老夫婦に退去をせまるやり方にも腹が立ったし、二人を離れ離れにしたくないというケアマネの心情にも心を動かされ、私たちは悩む時間さえない状況の中で、即座に決心するしかなかった。

二人を引き取るために、新しい宅老所を建築するということを。

 

宅老所が完成次第必ず引き取るということを条件に、それまでの期間ケアハウスから退去させないということを了承してもらい、新しい宅老所の建築に取り掛かった。

馴染みの関係をつくるために、デイも週3日の利用が始まった。

時間がなかった。

銀行からの借り入れや住宅会社との交渉など、やるべきことは山のようにあった。

約束の9月までに。

 

難聴のせいで孤立していたケアハウスの生活。

デイに通うようになって、ケンイチさんは落ち着いてきた。

私たちは一生懸命ケンイチさんと会話しようと努めた。

最初は筆談だったが、時間がたつにつれて、不思議なことに会話が成立するようになった。ケンイチさんの言葉も聞き取れるようになったし、ケンイチさん自身も、私たちの言葉を聞きとることができるようになっていった。心と心が通じあうように。

それから3ヵ月。

春のあいだじゅう、花を見に行ったり、山へ出かけてタケノコをとったりワラビをとったり、二人は池さんを楽しんだ。

ケンイチさんはいつも奥さんを気遣い、「しんどくないか?」「寒くないか?」と優しく案じた。

建築中の家を見ては、「立派じゃ!たいしたもんじゃ!楽しみじゃ!」と笑ってくれた。

池さんのスタッフと自宅へ行って、自転車や鉢植えや、くわなど少しづつ持って帰り、大頭へと引っ越す日を本当に楽しみにしてくれていた。

週3回、二人は仲好くやってきて、仲好くケアハウスに帰っていった。

 

7月はじめ、ケンイチさんが転倒し頭に怪我をしてやってきた。

体調も戻らないまま、翌週再び転倒。

容態は急変し、ケンイチさんは亡くなった。

残された奥さんは、今ショートステイをつないで、なんとか暮らしている。

 

出会ってからわずか3カ月あまり。

でもケンイチさんとの出会いは、私たちに新しい宅老所の建築という大きな転機を与えてくれた。

二人が楽しく暮らせるようにと、夫婦部屋を南に、ケンイチさんのために部屋の前は畑になるように、時々家にも帰ったらいいねと、いろんなことを考えて過ごした3月からの日々。

 

池さんにとって、この転機は限りなく大きい。

ケンイチさんが亡くなっても、残された奥さんが笑って暮らせるように、予定通りスケジュールをこなしていくつもりだ。

 

宅老所の完成の時は、きっとケンイチさんもどこかで見てくれるだろう。

「ありゃ~、こりゃすごいわ~!」「すごい!すごい!」と言って手をたたいてくれるに違いない。

ツルツルの頭を撫でながら、

「わあ~!!!」と歓声を上げてくれるに違いない。

「ばあちゃん、よかったねえ!」と、奥さんに微笑みかけてくれるに違いない。

そんな気がする。

ケンイチさんが持ってきた自転車が、今も池さんの前に止めてある。

ケンイチさんが庭から持って来て植えたヒマワリには、種ができ始めた。

たくさんの鉢植えも、暑さの中元気に池さんの玄関前にある。

 

ケンイチさんのこと。

奥さんのことを、本当に大切に思っていた。

 

奥さんが安心して暮らせるように、

池さんという場所を見つけることが、

ケンイチさんの人生の最後の仕事だったのかもしれない。

 

ケンイチさんのこと。

優しくて、大きな、「人」だった。

おちゃめで、魅力的な「人」だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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7月になって

2013-07-17 20:52:17 | デイサービス池さん

4月にサヨコさんが来て、6月にフミちゃんが帰って来て、池さんも大頭も変化した。

そして、7月。

半月が過ぎて、私たちは今再び、葛藤と悲しみと戦いながら日々を生きている。

 

新しい宅老所を建てようと決心するきっかけになった夫婦のケンイチさんが亡くなった。

サヨコさんは何度か脳梗塞を起こし、まだ危機の中にいる。

みえこさんは転倒し骨折、自宅での生活を支えるための方法を家族と共に模索している。

ヨッシーも心臓の具合が悪くて、デイに来ても寝たり起きたり。足も立たなくなり車椅子になった。

フミちゃんは、一時体調が安定していたけれど、今発熱のためにベットにいることが多くなった。

 

半月の日々の中で、次々に大きく変化していく日常。

7月に入ってからの変化は、かつて経験したことがないほどのめまぐるしさで、私たちを襲う。

 

7月に入って。

時間もゆとりもない生活の中で、

心がくじけそうになるのを、

なんとか集中力で持ちこたえ、

スタッフ全員で心を一つにして、

「老い」や「死」と向き合い続けている。

今日もゲラゲラと笑いながら。

 

 

 

 

 

 

 

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日々

2013-07-10 21:37:59 | デイサービス池さん

一生懸命、生きていく。

後悔しないようにと思い描きながら。

命と向き合う毎日の中には、

苦しさや切なさが、

日々山のように存在し、

時折、息苦しく、私を襲う。

うめき声にも似た、おなかの底から絞り出すような喘ぎ声を押し殺しながら、

重苦しくて悲しい時間を過ごしながら、

一方で、フワフワしたようなどこか高揚した心を抱えながら、

ただひたすら、

私自身の命を刻む。

ただひたすら、

一生懸命に。

 

 

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時間

2013-07-07 20:56:13 | デイサービス池さん

「ゾウの時間とネズミの時間」というのをご存じ?

 

ゾウは呼吸も心拍もすごくゆっくりで、寿命も長いのに、体重の軽いネズミは「呼吸」も「心拍」もゾウより早く、寿命もゾウよりずっと短いらしい。
小さい動物ほど、全ての時間が早く流れ、大きい動物ほど、全ての時間がゆっくり流れる。
でも、ゾウもネズミも一生のうちに行う「呼吸」や「心拍」の数は、「同じ」なんだそうだ。

 

ばあさんたちの脈拍を測ると、すごく早い人がいる。

まるで、「残りの命を早く生き切ろうとしているかのように」私には思える。

ゆっくりとした脈拍の人は、「のんびり残りの命を楽しもうとしている」みたい。

 

人の命の時間が同じだとしたら・・・

自分の残りの時間がどのくらいあるのか、ということは脈拍や心拍数から推測できるのだろうか?

というか、ワタクシは結構心拍数早い人間なもので・・・ネズミのような(小動物の中で例えたら、願わくばネズミでなくてかわいいウサギくらいにはなりたいものだけれど)一生を送るのだろうか?

 

あ~。

今夜も答えの出ない疑問が頭の中を迷路にしてしまう。

 

どうやら七夕の夜は、彦星様と巡り合うロマンチックな夜ではなくて、ばあさんたちの寝言に付きあうような、よ・か・ん!!

長生きしている自由なばあさんたちの「脈拍」は、例え見かけは弱弱しくても、その命を刻み続けるという意味で、ゾウというより恐竜のような「脈拍」に違いない・・・と思ったりするわけで。

かわいらしいばあさんたちとの夜。

大頭の夜は、ばあさんたちが恐竜に見える時もあるし、ウサギに見える時もあるし、いろんな時を感じながら、人間らしく過ごす夜です。

 

 


 

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老いを想う

2013-07-03 20:30:03 | デイサービス池さん

いろんな人がいて、いろいろな老いがある。

義父母を介護していた時は、「年寄りのモデル」として二人を見ていたけれど、この仕事を始めてから、つくづくいろんな人がいるものだなあと感じる。

生まれや育ちや環境や、若い時の仕事や立場や、そして家族。

もちろんまったく違う人なのだから、違って当然なのだけど、「人が違えば老い方も違う」という当たり前のことになんだか感激してしまう今日この頃。

 

どういう人生を生きてきたのか、老いとどうそれらが結びついていくのか、全てを不思議な気持ちで見ている自分がいる。

 

人間としての器の大きさが、老いてゆく過程での生き方の違いに結びついていくとしたら、

やっぱり大きな人間になるべく努力をしていくべきなのか。

 

はたまた努力と関係なく老いの道があるなら、器を大きくしようとする努力は無駄なものなのか。

 

つまるところ、こんなふうに年をとりたいという願望と、実際に老いることとは無縁なものなのか。

どう生きてどう死ぬかは、自分自身の願いと関係なく、神様だけが知っているものなのか。

 

どうどうめぐりのまるで梅雨空のような、出口のない思考回路。

 

疲れ果てた思考の隣には、今夜もばあさんたちの自由でわがままな叫び声がある。

本日も、梅雨なり。

大頭の夜は始まったばかり。

 

 

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