池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

ケアハウス

2011-07-31 21:34:25 | デイサービス池さん
ケア(を行う)ハウス・・・(家?)

はたまた、ケア(がついている)ハウス・・・(場所?)

かつてケアハウスに暮らしていた伊藤さんは、「トイレが自立できなくなったらケアハウスの利用はできない」と言われて、結局小規模特養(同じ病院系列)への移動を余儀なくされた。

「ケアハウス」は、ケアが必要になっても住み続けることが可能な施設だと一般的には理解されていると思うけど、実は「ケアが必要になったら出て行かなければならない。ケアの必要ではない人が入る施設」らしい。

先日、知り合いを尋ねてあるケアハウスへと出かけた。

少なくとも、「ハウス」という以上、ある程度の「家」を想像していた私は、玄関を入った段階で胸が苦しくなった。

自動ドアを入ったところは、まさに「病院」だったから。

スリッパに履き替え、階段を上がる。

2階に上がると、まさに「病室」が長い廊下の奥まで続く。

部屋番号を探しながら歩いていく廊下には、誰一人人影が見えない。

オープンフロアーにも、誰もいない。

ただ、長い暗い廊下が続いている。

部屋の中は、まさに病院の個室に簡単なキッチンがそなえられた感じ。

決してその施設が特別なわけではない。

おそらくどこも、それほど大差はないだろう。

ただ・・・

ただ・・・

その「家」で、毎日を送っている人を思う時、

なぜか悲しく切ない気持になる。

自ら望んだ「最後の家」が、この建物のこの部屋で、本当に幸せなのだろうか・・・?
(新しい綺麗な建物という意味ではない)

人気のない建物の、長い廊下を歩きながら、

たとえどんな所であっても、本人が良いというならそれでいいのだけれど・・・と思いながら玄関まで下りた時、自動ドアは・・・開かない。

オートロックだった。

「ケアの必要でない人が入居しているはずのケアハウス」の玄関の自動ドア。

なぜ?・・・と考えてしまった私を見て、

「あ~。そこ閉まってますから、横のボタン、3を4回押してくださ~い」と受付から優しい声が、その時聞こえた。

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リハビリと意欲

2011-07-20 22:25:12 | デイサービス池さん
脳疾患の後遺症により身体的に麻痺が生じた時、誰もがリハビリを行う、と思う。

病気の回復と共に、急性期のリハビリは大きな効果が期待される、と思う。

そして時間がたち症状が安定した時、人は病院から離れ介護の現場へと移行してくる。

今まで普通に日常生活を送っていた人が、ある日突然病気を発症し手足の自由が利かなくなる。

人はその現実をどう受け止め、それから先の人生を、不自由になった身体でどう生きていくのか。

自分自身の身体に大きなストレスを抱えて、なお生きていくということを受け入れなければならない。

さよこさんという人がいる。

左麻痺の後遺症が生じた。

一生懸命頑張ってリハビリを続け、車椅子での生活が可能になった。

デイはリハビリのために、老健に週2回・池さんに週1回、時折家族の休息のためにショートを利用する。

老健のリハビリは、さよこさんの生きるエネルギーになっている。

ただ、リハビリをいくら頑張っても、自宅での生活に生かすことはできない。

家族と別棟で生活するさよこさんにとって、転んだ時のことを考えると、自宅で「歩く」と言うことは全く考えられないのだ。

頑張ってリハビリを続けるさよこさんは、4点杖を卒業し普通の杖歩行が可能になった。

「リハビリの結果」は、日常生活のためにあるべきものだと思うのだが、悲しいことに「リハビリ」は「リハビリの時間」のためのものであって、日常にその成果を生かすことができないのが現実なのかもしれない。

週2回通う施設でも、「リハビリ」の時間は「30メートルを歩く」ことができても、それ以外は常時車椅子。お風呂は「チェアー浴」

ほんの限られた時間以外は、以前のさよこさんのまんま。車椅子に座ったままのさよこさん。

それでも、さよこさんはリハビリを頑張る。

池さんに来るようになってから、おとなしく口数も少なかったさよこさんは、どんどん明るくおしゃべりになっていく。

お風呂は、池さんでは全員一般的な家庭の浴槽に入る。よそでチェアー浴だろうと特浴だろうと皆が普通のお風呂に入る。もちろん入念にシュミレーションを行い、どうすればさよこさんが自分の力で入浴ができるか検討し、最初から一人でお風呂にも入っている。

今では、池さんに来る時は、さよこさんは車椅子を使用しない。

杖を使い、歩いて移動して一日を過ごしている。

ちょっとの距離も自分で歩く。狭いところはテーブルを支えに歩く。

面白いことが大好きでケラケラと大きな声で笑い、出かけることが楽しみなさよこさんがいる。

大好きなジグソーパズルを、もう二つも完成させた。(1000ピースの大作2つは誇らしく池さんの壁に飾ってある)



さよこさんにとって、「生きる希望」ともいえる「リハビリ」

効果や結果と関係なく、「リハビリをしている」というただそれだけで(本人や家族にとっての)安心感を生んでいるという場合もあると思うけれど・・・それはそれで意味があるのかもしれないけれど・・・さよこさんのように、そのことが確かに生きる希望や証になっているのだとしたら、

たとえ一週間のうちのたった一日だけでも、「一人で歩けるようになった」「一人でお風呂に入れた」という確かな手ごたえを感じてもらいたい・・・

そのために私たちは常に細心の注意を払い、常に入念に準備をする。

「一人で歩くこと」は、

さよこさんにとっての希望でもあり、さよこさんの笑顔をみることができる私たちにとっての喜びでもあるのだから。





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花火と風呂とビール

2011-07-18 09:42:06 | デイサービス池さん
西条市内(旧東予市)で、毎年この時期におこなわれる「おかげん祭」

ここらあたりで一番早い花火大会。

昨日、せっかくの日曜でお休みなのに、あまりの暑さでどこにも出かけられなかったので、ヒイちゃんと出かけることにした。(あっと!もう一人。なぜか日曜日もいる今井君!)

「花火大会があるけん、行ってみるかい?」と聞くと、いつもは足が痛いだの眠いだのウダウダ言うくせに「山でもいっつも見よったんじゃ。行ってみよか!」と即座に答えた。

3人で早めに軽く食事をした後、午後7時半出発。

家の近くからでも見えるのだけれど、耳の遠いヒイちゃんに花火の音を聞かせてあげたくて、できるだけ会場近くまで車を進める。

運よく近くの細道に、絶好のポイント発見。

開催と同時に打ち上がったでっかい花火に、ヒイちゃん「ありゃ~!」と歓声を上げて大喜び。

目の前に広がる光景。

お腹の底に響く音。

「聞こえる?」と聞くと、「ああ!」と答え、花火が上がるたびに「ありゃ~きれいな!」と手をたたく。

あっという間に1時間がたち、最後のでっかい花火が打ち上げられた時のヒイちゃんの横顔は、まるで娘のようにキラキラ輝く。

「綺麗なかったの~」繰り返し繰り返し言った後、ヒイちゃんが言った。

「今まで、よう働いた。年をとったらわからんことばっかりで、辛い辛い思いよったけど、こうやって綺麗なもんが見えた。年をとるのは、ええもんじゃ。働きもせずにこうして遊んで暮らせるけんの!毎日遊んでも怒られんけんの!」

帰ってから、風呂に入って大好きなビールと朝採った枝豆をつまみにして、「綺麗なかった」を何度も繰り返して、大満足の最高の笑顔で布団に入った。

夜11時。

「綺麗なもん見て、風呂入って、酒飲んで、もうこれで今晩迎えが来ても、な~んも思い残すことはないぞ!」と、言いながら。

わからないふりをしたり、聞こえないふりをしたり、言い訳ばかりするヒイちゃんに、時々本気で腹を立てながら、

でも、こうして心から喜んでくれる「一瞬」を一緒に過ごすために、今の大頭がある。

宅老所という場所は、ヒイちゃんがヒイちゃんのままでいるために、ヒイちゃんらしく生きるためにある場所だと思う。

自由に暮らし、自由に感じ、自由に生きる。

日曜日の夜更け。

ヒイちゃんの寝息も、いつになく、私の耳に心地よく聞こえた。

・・・

そして朝、目が覚めて、いつものように「ここはどこぞ?」と首をかしげるヒイちゃん。

「昨日は花火綺麗やったね~」と昨夜の余韻を残す私に、ヒイちゃんは言い切った。

「花火?そんなもん、みたかい!わたしゃ、見てない!」

ま、ま、いいでしょ!

今日も平和な大頭です。
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夜勤

2011-07-16 21:48:17 | デイサービス池さん
今週。

月曜日以来の夜勤。

こんなことはいまだかつてない。(あっと、絃太が生まれた時に、幹太のお守りで10日間夜勤を休んだけど)

理由は、さやか氏が一回余分に私の夜勤をこなしてくれたから。(さやか氏ありがとう)

みよちゃんたちがいた時は、夜勤は夜勤ではなく・・・ただ一緒に大頭に帰る・・・という感覚だった。

自分の家に帰るように・・・

でも、二人がいなくなり今、夜勤は「夜勤」としてある。

ヒイちゃんが一人の週末と、まさこさんも加えた平日。

大頭での泊まりは、泊まり勤務。

気持ちの中で明らかに変わった大頭の夜勤。

そして、

久しぶりの大頭の泊まり。

ヒイちゃんと二人、一緒にビールを飲みながら、

過ごす夜。

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本日

2011-07-11 21:03:49 | デイサービス池さん
7月11日。晴れ。

というより、暑い!

朝から、クーラーフル稼働。

でないと、室内の温度は30度を超える。

新しい利用者さんが来て(東京暮らしの長い人)、「だってさ~」「でもさ~」的な標準語が飛び交う中、この方は社長と囲碁対決!

わけがわからないくらい碁石が碁盤の上に並び、とりあえず今日は社長が2勝。

「今度こそ」を願って、新メンバーの方は帰って行った。

重さんが大量のスモモを持ってきてくれて、しばらく皆と雑談して帰る。

新メンバーが来てくれたことをお祝いして、お昼ご飯はちょっと手をかけて鯛飯!

あとはいつものように地産地消の大頭の野菜を煮物にした。

午後は、まったりグループとお出かけグループに分かれて、それぞれ自由に過ごす。


私は、久しぶりに月曜日の大頭の泊まり。

ひいちゃんと一緒に帰ってきて、ヒイちゃんはご飯を食べて、久しぶりにご機嫌でビール片手に歌を歌いだす。

調子が悪い時は、ご飯も食べてくれなかったのに、最近はまたビールも飲めるようになってきた。

私はシャワーで汗を流してから、みよちゃんの匂いの残るかわいらしい形見のパジャマを来て、ヒイちゃんの歌を聞いている。

「ここは静かなの~。ようけ(沢山)人がおったら(いたら)賑やかでええのにの~」と言いながら、ヒイちゃんは歌を歌う。

まさこさんがいる時は、ちょっと気をつかってるヒイちゃん。今日は一人なので、自由に飲んで歌う。


何でもない日常。

池さんにも、大頭にも、ただの日常がある。

常に、ここには、

誰もが暮らす当たり前の日常が、

ある。

・・・・・

介護者として、毎日を作りこんでいくことは確かに必要だけれど、


ただ目の前にある、「普通の一日」も、

大切にしたいと思う。


何でもない一日も、大切な大切な一日に、違いはないと思っている。



「今日も 生きた」

という確信を持って、

「明日」につなげてゆきたいと思う。






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煩悩と人

2011-07-09 23:23:32 | デイサービス池さん
誰もが抱える煩悩。

誰かを羨み、何かを欲しがり・・・欲にとらわれて誰もが生きる。

目の前の年老いた人たちも、いつも何かを願い、何かにとらわれて生きている。

年をとったら、「悟り」を開いて、だれもが神に近付くわけではないのだ。

90歳をこえてもなお、「自分のおやつの大きさが気になり」「自分がしたいことを誰かが邪魔したら怒り」「食べたいおかずを誰かが先に食べたら睨みつけ」「自分が言ってもだれも聞いてくれないとねたみ」「誰よりも自分を大切にしてほしいと願い」「自分が一番に風呂に入りたいと思う」

この小さなデイサービスでさえ、毎日いろいろな小さな戦いが繰り広げられている。

決して、「いつも・誰もが」穏やかで笑っているわけではないのだ。

でも、私はこの年寄りたちと共にいて、いつも安心感をもつ。

「年寄りは、仏様ではない」と確信することができるから。

人は、たとえ年を重ねようと、どれだけ経験を積もうと、

常にドロドロとした感情を持った煩悩に満ちた存在だと確信することができるから。



決して、介護は理想だけではなく、

私たちの思い描く介護とは、こうしたドロドロとしたまぎれもない「人」と共に生きること。



私たちの人生も、決して理想どうりに歩めるものではない。

いつも、迷いやいら立ちや、苦悩に満ちている。

私たちが年を重ねた時にも、やはりいろんな煩悩にとらわれるだろう。

今、目の前にいる人と同じように、

文句や愚痴や、不足を思いながら、生きていくのかもしれない。

介護される人たちは決して弱弱しく年老いた人たちなのではなく、確かに年老いているけれど、煩悩を身体中に抱えた、ある意味強い人たち。



人は、単純ではない。

複雑に交差した感性を持ち、年齢と共に、巧みに生きる技を身に付けた人たち。



それは、とても泥臭くて人間臭くて、わがままで、欲深くて・・・

うんざりするほど、めんどい人たち。



だからこそ、

素敵な人たち。



ただただ、自分の思いを正直に表現する一流の表現者たち。



誰かに気を使うことなどなく、

ただただ、己の感性だけで生きる、素直な人たち。



本当に心ひかれる人たち。



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7月

2011-07-03 21:55:31 | デイサービス池さん
去年の7月。みちおさんを失った。

それから、みよちゃんと別れ、じいちゃんを送った。

大頭の家をつくってから、2年がたった。

大切な人たちを失って、いろんなことを考え続けてきた。

気力を失いそうになりながら、なんとかここまでやってきた。

大ちゃんと一緒に、みちおさんとじいちゃん、みよちゃんの所へお参りにでかけた。

「もう1年たった」という感覚と、「まだ1年しか経っていない」という不思議な感覚。

・・・・・

一日おきに大頭に泊まる。

ヒイちゃんと、週4日泊まるまさこさん。

大頭は、夜だけの宅老所。

昼間デイに使おうか、どうやって利益を出そうか、悩んだけれど、

今、大頭が2周年を迎えて、はっきりと思う。

じいちゃんやみよちゃんのためにだけ買ったこの家。

二人と出会ったように、

「想いを込めて生きる人たちとの出会いの場に、この場所をしたい」と。

・・・・・

みちおさんが亡くなった時、ここに桜を植えようと思った。

大頭に植えられた6本の桜の木。

この桜が大きくなる頃、この「大頭の池さん」という場所が、いろんな人たちの、夢を持って生きる人たちの、心地よい空間になることを願って。

・・・・・

新しく歩み始める「大頭の池さん」

「池さん」とは違う歩みを、刻み始めた今日。

自らの人生を大切にしている夢見る若い人たちと一緒に、新しい一歩を踏み出した。






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