池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

連休明け

2007-07-19 22:37:53 | デイサービス池さん
3連休明けの週。

なんと見事に、みんな連休の結果を身体じゅうに抱えてやってきた。

お家の事情で、池さん4連休だったみよちゃんは、水曜日、眠そうな目でやってきた。足取りも悪くて、とにかく眠そう!

4日間を施設で過ごしたみよちゃん。

誰ともしゃべらなかったから、声も出てない。
車椅子に乗りっぱなしだったから、足の運びは悪い。
おまけに、することがなくて寝てばっかりいたから、昼間から眠くて目が開かない。

ご飯食べてる時も目をつぶったまま。口をもぐもぐさせるだけ。たぶん、おかゆに刻み食だったから、噛まなくても飲み込めたのね。

お出かけもせずに、ただただ寝てる!

そのまま一日中、ご飯の時以外寝っぱなしで、今日になってやっといつもの元気なみよちゃんに戻った。

声もよく出だして、よく笑って、足も軽くなったから、お出かけもバッチリ!

まさこさんも、「家でな~んもすることなかったんよ」と、「久しぶりに歩くと腰が痛い」といって、なんだかヨボヨボしてる。

「皆で食べるご飯は美味しい」と、食欲も戻ってきた。

ツタちゃんも身体が超固くなってるし、ぐっさんはトイレの場所も忘れちゃった!

毎日、なにげなく暮らしてる池さんの生活だけど、こうして日にちを置いて皆を見てみると、池さんにいる間、どれだけ毎日動き、食べ、笑って、身体じゅうを使っているかが良くわかる。

反対に刺激の無い生活が、どれだけ人の「意欲や機能」を奪うことになるのかも。

できる限り、毎日の暮らしを、「普通に続けて」いけるようにしたいというのが、池さんのやりかた。

特別にリハビリなんかしなくても、私たちが過ごしている普段の生活こそが、最大のリハビリだと私たちは思っている。

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本当の食事

2007-07-16 16:54:33 | デイサービス池さん
池さんは小さいから、栄養士は置いていない。

毎日の食事は、みかちゃんと私が一般的な普通の台所で、家族の食事を作るのと同じように作っている。

思い返してみると、「食べる」ということは、私にとっては人生の中で最初に出会った試練だったように思う。

私は小学生の頃、給食の大嫌いな子どもだった。

当時、担任の先生はとても怖くて、給食を残すことなんか許してはくれなかったから、給食を時間内に食べることができない私は、いつも涙目で5時間目も6時間目も目の前にお皿を置いたまま、のどを通らない給食を食べ続けなければならなかった。

今考えると、よく不登校にならなかったと思う。

好き嫌いがあったわけではない。
ただ、私のお腹に入る量と給食の量が違いすぎただけ。

毎日の辛い学校生活の中で、次第に生きる知恵を身につけた私は、給食が始まると同時に、大きなパンを半分ちぎって、制服のポケットにしまい、昼休みにトイレへ捨てる(当時はトイレは汲み取り式だったのが幸いだった)ことで、なんとか時間内に給食を食べ終えて、みんなと同じように5時間目を迎えることができるようになったのだ。

そんな辛い思い出の中で、唯一救われる給食の思い出が、給食室の思い出だ。

3時間目の頃になると、給食室からいい匂いが流れてくる。その匂いは、もちろんこれから始まる辛い時間を連想させるのだけど、それにもまして、少食だった私にも人並みの「食欲」というものを呼び起こさせるものだった。その上、給食のおばさんはいつも優しかった。毎日みんなが勉強している午後に、一人遅れて食器を返しに行く私に、「今日も遅かったね。頑張ったね。」と声をかけてくれた。

今食事を一緒につくっているみかちゃんも、幼い頃は食の細い子どもだった。

幼稚園もお弁当があるから行きたくないと、不登園になった経歴の持ち主だ。

小さな小さなタッパーに、小さな小さなおにぎり2個とイチゴが2粒。そんなお弁当さえ嫌がる子どもだった。

でも、いつの間にか、しっかりと食べ、食事についてしっかり考えることができる子どもに成長し、食事を楽しめるようになった。

今、池さんでは、数字で表される栄養価よりも、「食べて美味しい」と思える食事を作ることにこだわっている。

野菜中心の献立。季節の新鮮な野菜だけを使う。すべての野菜が作り手がわかるものにこだわっている。毎週月曜日に有機野菜を作っている西条の藤田さんという農家の方が、1週間分の野菜を届けてくれる。

そのほかにも、近所の方が家庭菜園で育てた無農薬の野菜をくれたり、じゅりちゃんの家から届く新鮮なキュウリが、食卓を飾る。

お肉も国産にこだわると、高いものは買えないから、鶏肉中心になるけど、これはしかたない。ひき肉を使う時は、市販のものは混ぜ物が多いから、自分でミキサーにかけて作っている。

つまり、冷凍ものや半調理品は全くと言って使わない。調味料もほとんどが昆布とイリコのお出しのみ。化学調味料も粉末だしも使わない。

もともと季節の野菜には、その季節にふさわしい栄養価がたっぷり含まれているものだ。

栄養たっぷりの食材を、古くからあるやり方で、普通に丁寧に調理しさえすれば、栄養が損なわれることなく料理ができる。

そうして出来上がった献立を、「おいしいねえ」と言いながら、たくさんの人と一緒に、ワイワイ賑やかに食べれば、食べた献立は、体の中で立派な栄養になる。

どんなに栄養が完璧な食事でも、1人ぼっちで食べる食事や、(私の給食体験のように)無理やり食べさせられる食事では、栄養になんかならないと思うのだ。

管理栄養士が、きちんとした献立を1ヶ月も前から完璧にたて、その献立にしたがって季節のものではない高価な食材を、刻んだりつぶしたりしてお皿に乗せ、介護士の人に、スプーンで口に押し込まれるような食事を、食事だとは思っていない。

ピカピカ光る丸ナスやトゲトゲのあるキュウリを、何にしたら美味しいか考えて、「今日は暑いから、油で揚げてお出しに漬け込んで、よ~く冷やして食べようか」と一緒に献立を考え、「皮は固そうだから剥いたほうがいいね」、お鍋のグツグツいう音や、部屋中にいい匂いが漂って、ちょっと味見をしたりしながら、盛り付けは「このお皿がきれいね」、そして「頂きま~す」という池さんの毎日の食事。

2時間半かけてつくった昼ごはんは、いつもたった10分で全員完食!
無理やり食べさされることもなく、刻まなくても柔らかい食材、出来立ての暖かいご飯、そして、なにより皆で食べる賑やかな食事。

「あ~おいしかったねえ」みんな、満腹になった素敵な笑顔!そしてしばらく休憩。

小さい施設だからできることなのだと思う。

でも、食事とは、もともと、こういうものではないだろうか?
「食べる」とは、こういうものではないだろうか?

介護施設で、当たり前のように出される食事に、ほんのちょっと「本当の食事ってなんだろう?」と考えてもらいたいと思う。













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福祉体験

2007-07-11 00:00:37 | デイサービス池さん
中学生の福祉体験の前半が終了した。

今年度は1年生から3年生まで、8人の生徒を受け入れている。

どの子も、元気でかわいらしい子ども達。

車椅子の操作、アイマスクをしての歩行、そしてお年寄りとのゲームや七夕飾りの製作など、いろんなことを1学期体験してきた。

私たちがいつも子ども達に話すのは、「介護の意味」について。

池さんの理念に通じる大切な心について。

お年寄りと接すること時には、決して上下関係があってはならない。

介護する側、される側。どちらも「人」

例えば、敬老の日。

よくあるパターンのように、お花を持って普段は行かない施設へ行って、折り紙を折ったり歌を歌ってあげて、「長生きしてください。」と優しい言葉をかける。

こういうことを福祉だと思わないでほしいと、子ども達に話してきた。

決してお年よりは折り紙好きでもなく、歌を聴いて喜ぶ人ばかりではないのだ。

たくさんのお年寄りを、いろいろな人生を歩んできたお年寄りを、ひとからげにして、たぶん喜んでくれるにちがいないと思うのは、元気な人の思い上がりに他ならない。

それぞれの人生に耳を傾ける大切さ。今何を望んでいるのかを見抜く力。そして、同じ目線で話を聞いてくれる暖かい心。

1人でも、そうしたことが大切なのだと気付いて欲しくて、この体験学習に力を入れている。

お年寄りも、障がいを持っている人も、決して特別の人ではない。

いろいろな「人」と接することで、多くのことを学ぶことができるのだ。

体験学習をする子どもたちが、「生きる」ことについて考えてほしいと心から思う。

子ども達は、前半の学習を終えて、笑顔が増えてきた。

最初はぎこちない笑顔だったけど、笑顔が素敵になってきた。

お年寄りと同じ時間を過ごすことは、決して体験学習の一環として「してあげる」ことではなく、同じ時を「共に過ごす」こと。

大切なことに目が向けられる人間に、人と心を通わせることができる人間になって欲しいと思う。



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みよちゃんのサービス提供者会議

2007-07-10 23:08:04 | デイサービス池さん
今日、みよちゃんへの介護サービスを提供する人たちが集まる会議が開かれた。

みよちゃんのご家族の方、ケアマネ、土日をみよちゃんが過ごす施設の方、介護用品を提供する会社の方、そして、池さんからは大ちゃんと私。

ケアマネの申し入れで、池さんで行うことになった。

いつも私たちが考えているように、みよちゃんに直接聞きたいことはみよちゃんに聞いてもらってから、その後、担当者だけで話し合うように提案させてもらい、ケアマネは快く了承してくれた。(このサービス提供者会議のあり方への不満は、以前のブログに記入、2007年4月24日)

そして、施設から来る予定の職員は、到着が遅れたため、その他の人で、先に始めることになった。

お家での様子について、家族から報告があったが、いつも連絡を欠かさない私たちとしては問題なし。

そして、池さんでの様子の報告。

起床・就寝の生活リズムも問題なく、食事もたらふく食べるみよちゃん。出かけたい時には「どっか行こう!」と積極的に出かけるし、どこかへ行く時の足の運びは完璧。排泄についても、最近は布パンツを着用しており、夜間の失禁は全くなく、水分摂取もお茶はムセるので手作りジュースや紅茶など変化をつけて飲めるように工夫しており、量的にも問題なしと報告。(特に夜間については、家族も驚くほどの機能向上ぶり)

そして、家族の方はこういった。

「昨年の末の骨折による3ヶ月の入院生活。あの時は、このまま寝たきりかボケてしまうと思っていたのに、こうして体調がよくなって、元気になったことを池さんのお陰と感謝している。このままのペースを続けていきたい。」と。

うれしかった。

去年、病院で夜間の混乱やベットから脱走するみよちゃんの話を聞いて、大ちゃんと私は、みよちゃんを池さんに連れて帰りたいと思った。

もし、私たちが看る事ができれば、みよちゃんはこれ以上悪くなることはないだろうと。

そして、2人で悩みぬいた末に、平日のお泊りを受け入れることを決心した。(ブログ記入、2007年2月1日)

あれから5ヶ月。

平日1日おきのみよちゃんとのお泊りは、確かにきついけど、こうして確実に生き生きと暮らしているみよちゃんが目の前にいる、ということが私たちの頑張りの支えになっている。

そして、「みよちゃんの好きな暮らしを続けてあげたい」と心から想う家族がいて、その家族の方からの最大の評価をもらい、その想いを正当に評価してくれるケアマネがいて、本当にうれしかった。

・・・・・そして、話が相当感動的に盛り上がっているところへ・・・・・遅れて到着した施設の職員の方。

「そちらではいかがですか?」のケアマネの問いかけに、

「え~、食事量は10割摂取。全かゆに刻み食です。時々むせることがあるので、飲み物にはすべてトロミをつけています。食べていらっしゃらない時は一部介助です。トイレもバーにつかまって、立位問題なし。夜間はトイレ以外は寝ておられます。日中は車椅子を使用し、自走です。以上。」

・・・・・唖然!!!

今までの私たちの話とのレベル違いすぎ。

なんで、おかゆ?刻み食?車椅子?
まさに、「ハ~???」の世界。

まるで、みよちゃんが2人いるみたいな気がした。

2人のみよちゃんは、全く違うみよちゃん。

同じ「人」のはずなのに、

こんなに食いしんぼで、意欲的で活動的で、頭のいいみよちゃんなのに。

悲しくなってしまった。

これが、今の施設の現状。ちょっとの工夫とちょっとの心がけで、本来のみよちゃんになるように改善できる点があることを大ちゃんが指摘したものの・・・

「60人を看てますから、しかたないんです。」の職員の冷たい返事に、涙が出そうになった。

今の一般的な施設に違いないこの介護施設。決して問題があるわけではないのだ。

問題があるとしたら、

そうした介護が通常の介護だと思い込んでいる経営者や職員。

私たちの目指す介護は、

そうした介護とは180度違う「人」をみる介護。

夜、いつものようにみよちゃんとの夕食を終えて、くつろいでいる時間、今日あったいろいろなことを思い出してみる。

「人」

「生きている人」

「命ある人」

みよちゃんが、

いつか、

人生を終える時に、

「池さんに出会えてよかった。楽しかったよ。」といってもらえるように、

私自身が後悔しないように、

心を込めて、

明日も、

付き合っていきたいと思う。








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朝ちゃん

2007-07-03 22:11:53 | デイサービス池さん
朝ちゃんは、池さんオープンしてから、すぐに利用してくれるようになった、いわば池さんの古株。

前いた施設では、うつで対人関係不良で、食欲不振で難聴で・・・と本当にたくさんの問題を抱えていた。(本当は全然違って、誰1人本当の朝ちゃんを見抜けなかっただけなんだけど。)

池さんがオープンして、朝ちゃんは池さんに来るようになった。

実績のなかった池さんに来てくれるようになったきっかけは、ごくごく偶然のような感じで、ご主人の仕事に合わせて、柔軟に利用時間の対応ができるということだった。

でも、朝ちゃんは、池さんに来はじめてから、どんどん元気になっていった。

麻痺の残った左半身は動かなかったけれど、作りたてのご飯をいっぱい食べて、一日中いっぱいおしゃべりして、いろんなところへ行くことで手や足の筋力もついてきて、いっぱい笑って過ごしていた。

最初にケアマネがたくさんの書類に書き込んでいた現状なんか、くそ食らえ・・・てな感じで、本当に元気になっていった朝ちゃん。

スタッフにお手紙も書いてくれた。
「動かない手や足のかわりになってくれてありがとう。生きていてよかった。」と。

それから1年。

朝ちゃんは元気になったことで、生きることに前向きになってきた。
もっとリハビリをしたい。もう一度歩けるようになりたい。

・・・そして、ケアマネは朝ちゃんをリハビリのできるデイサービスへ行かせることにした。

池さんに来るのは、1ヶ月に2度。

そして、半年。

目に見えて朝ちゃんの状態は悪くなった。

たとえリハビリをしていても、誰とも話さない日中。
しっかりおしゃべりをしないということが、朝ちゃんを話せなくしてしまい、しっかり食べない生活が朝ちゃんの体力を奪ってしまい、楽しみのない生活が朝ちゃんの生きる意欲を奪ってしまった。

2週間ぶりにきた朝ちゃんは、ただ車椅子に座り、ボーっと視線を合わせることもなく座っている。

皆が笑い上戸の朝ちゃんを一生懸命に笑わそうとしても、ただ見つめているだけの朝ちゃん。

家では食事も進まないと言っていたけど、採れたて夏野菜の炒め物と朝ちゃんの好きな炊き込みご飯、お味噌汁は、いつものようにぜ~んぶ食べて、おいしかったと言って喜んでくれた。そして、デザートのぶどうも平らげた朝ちゃん。

お昼ごはんをしっかり食べてからは、ちょっとだけ元気になって、ちょっとだけおしゃべりもして、大ちゃんの手品を見てちょっとだけ笑ってくれた。

たぶん、

こうして、

そのうち、

朝ちゃんは寝たきりの生活になっていくのだと思う。

私たちにはどうすることのもできないそれぞれのお家の都合もある。

しかし、

サービス提供者会議への文句も、この前書いたように思うけれど、

どうして、「生きる」ということにもっと目を向けてくれないのかと思うと、腹立たしくなる。

なぜ「希望を持って生きる」ということを介護の目標にしてもらえないのだろうか?

なぜ、リハビリすることが最大の目標になってしまうのか?

80を越えた朝ちゃんを、平行バーにくくりつけてみたところで何になる。

本当はおしゃべりな朝ちゃんに、言語訓練をさせる必要がどこにある。

足が動かなくても、片手が不自由でも、動く片方の手と支える誰かの手があれば、何でもできる。

今、介護の現場に必要なのは、

介護される人の立場にたって、本当に必要な「介護」のあり方を、考えることができる人材。

マニュアルでも学歴でも、経験でもない。

その人が、どう人生を送るか、どう毎日を送るかを、自分の事として考えることができる人。

朝ちゃんの未来が、

私たちの手の届かないところにあるようで、

悲しい火曜日。




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