池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

就職先は?

2013-02-27 19:52:22 | デイサービス池さん

池さんで唯一学生だった今井氏が、高校をもうすぐ卒業する。

最近の話題は、卒業式のことやその後のことなど、いつものように結構ネタを提供してくれている今井氏。

 

タツエさんが言った。

「卒業するんか!・・・そんなら、ちゃんと就職先を探せよ!」

 

オイオイ!ここは仕事場と違うんかい!

ここは今井の家か!

 

という突っ込みは却下ね!

 

時々ますみさんに、言われるわけで・・・

「あんたら、毎日ちゃらちゃらしゃべって、仕事もせんでええ身分じゃ~!!!」

 

いえ、これ仕事ですから・・・

あなたと今ここにいることが、私の仕事ですから・・・

 

とまあ、

本日も平和で、勘違いの多い池さんでした

 

3月号の「こりゃど~でや」に、今井氏が卒業記念寄稿しております。みなさまお楽しみに~~~

 

 

 

 

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洋服

2013-02-25 20:52:06 | デイサービス池さん

どの人も、デイサービスを利用することになる前は普通に暮らしていた。・・・と思う。もちろん病院にいた人もいるだろうけれど、病院に行く前は普通に暮らしていただろう。

つまり、「その人の生活」を送っていただろうと思う。

一人一人に、その人にしかない生活があるわけで、どう暮らしてきたか・どんな服で毎日暮らしていたかは、その人の生活のぺ―スや生活スタイルに由来すると思っている。

 

でも、その人がデイサービスを利用するようになると、今までの生活のことを考えずにデイサービスで介護しやすいようにこう言われるらしい。

「ズボンで来てくださいね。」と。

 

池さんに来ている年寄りも、皆ズボンをはいてくる。

でも、ご家族によく聞いてみると、「以前行っていたデイで、ズボンをはくように言われました。」ということが結構多いのだ。

元気な時にずっとスカートで暮らしていた人が、なぜデイを利用するようになるとズボンを履かなければならないのだろうか、と不思議に思うわけで。

スカートで困ることなど、ほとんどの場合ないわけで。

 

私は、ずっとスカートで暮らしてきたのなら、年をとってもスカートでいいと思う。一体どこに問題があるというのだろうか。

 

ふみえバアバもずっとロングスカートだった。まあちゃんも自分で縫ったスカートを今でも履いている。

 

まあちゃんのご家族が、「ずっと自分で縫ったスカートを大切に履いていました。」と言われたので、「ではそれを持って来てください」と私たちはお願いした。

今までの生活の中で、履いたこともないズボンを履く必要など、どこにもないと思うからだ。

 

ズボンを履く必要があるとすれば、それは介護する側の利便性でしかないだろう。

 

そんな一つ一つのことが・・・「もしかしたら、介護者側の思いこみや押し付けなのかもしれない」と疑問に思ってみることから、いろんなことが始まっていくような気がしている。

 

私は・・・

ちょっと粋に着物なんか着てソファーに座り、「もうめんどくさいもん着て!」とブツブツ言われて、「へっへっへ!ざまあみろ!」と言えるような、超めんどいばあさんになるために、着物の着付けを勉強しようかと思ったりしているわけで・・・

もちろん、その頃には着物の着方をすっかり忘れているだろうから、帯がぐるぐる巻きになって「助けて~助けて~」と毎日まあちゃんのように叫ぶかもしれないけれど・・・

 

将来私を介護する予定の皆様。

今から私と一緒に・・・

一緒に着付けを勉強しませんこと~~~

 

ちょっぴり春めいてきた大頭の夜です。

まあちゃんは今夜も、「私はど~なるん?だれか~!教えて~!」と叫んでます。

「死んだら、どうなるん?」と大声で聞くので、

「死んだら、丁寧に埋めてあげますよ。」と言うと、

「ありがとう。よかった。お願いしますよ。」と納得して、

布団に入りました。

お月さまの綺麗な夜です。

 

 

 

 

 

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聞く

2013-02-23 21:16:25 | デイサービス池さん

今夜は「聞く」

「聞こえる」のではなく、「聞く」

自然に聞こえるのではなく、はっきりと意識を持って「聞く」こと。

 

たくさんの人が同じ場所にいると、自然といろんな音や言葉が耳に入ってくる。

まあちゃんのように耳がいいと、部屋の端で話している会話が気になって、おそらく日常の様々な音はまあちゃんにとって雑音にしかならない。いつも「何?」「誰?」と会話に入って来て、結局混乱の原因になってしまうことになる。

 

私たちはいろんな声や音を、身体全部で聞きとるようにスタッフに求める。

向かい合った人の声はもちろん、隣の部屋で寝ている人の寝言・小さな呼ぶ声・一人ごと・ブツブツいう幻想の中の声・壁に向かって話す声・一人何役ものドラマチックな声・息をするのも難しい人の消えそうな小さな声・大きな笑い声・暴れる人の大声・・・

毎日、いろんな声の中で、私たちは暮らしている。

 

どの声も、神経を研ぎ澄まして私たちは・・・「聞く」

 

聞こえる声を聞くのではない。

聞き取れない声も、聞こうと努力する。

 

それは、「聞こえるから聞く」のではなくて、

話す人たちにとって、「聞いて欲しい言葉に違いない」と思うから、一生懸命きくのだ。

どの言葉も、話す人にとっては大切な言葉に違いない。

 

だからこそ、決して聞き逃したりすることのないよう、どんな時も神経を研ぎ澄ます。

もちろん聞き逃す時ももちろんある。

だからこそ、スタッフ同士の連携が大切になる。

 

その場にいる人の声に耳を澄まして、老人の心のありかを探ろうとする時、自然にいろんな心の声が聞こえてくるように思うのだ。

 

聞きたいと思う。

老いてゆく人たちの心の声を。

揺れ動き、不安におびえる心の声を。

耳と心を澄まして。

 

大頭の夜。

ヒイちゃんのチクノウの鼻のズ―ズーという音にまじって聞こえてくる小さな「う~」という声。

身体の向きが悪いのか、寝苦しいのか、寝言なのか・・・

今夜もいろんなことを思いながら、ヒイちゃんの様子をうかがいながら、

ヒイちゃんと一緒の夜を過ごす。

 

明日は日曜日。

少し暖かくなってきた気がする週末の夜。

 

 

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しゃべる

2013-02-20 20:48:38 | デイサービス池さん

「話す」ではない。「しゃべる」だ。

 

「しゃべる」ことは、とても大切なことと考えている。

しゃべることで口も動いて、唾液も出るし、のどが渇くからお茶も飲めるし、お腹もすくからご飯も食べれるし、いいことだらけ!何よりお金がかからない!(これ池さんでは、結構大切なポイントね。)

 

とにかくしゃべる。何でもしゃべる。いつもしゃべる。

ほとんど一日、どの人もよくしゃべる。

黙って静かにご飯を食べたりしない。お行儀など気にしない。

皆でテーブルを囲み、「これ美味しいよ。もっといる?お代わりする?・・・」とひっきりなしに誰かがしゃべる。

じっとしている時も、口だけはおしゃべりしている。

 

他の施設は知らないが、たぶん大きな施設のほとんどは、年寄りとこんなにしゃべらないだろう。

おそらく年寄りは、孤独で無口だろうと思う。

 

ここでは、皆がおしゃべり。

もちろんしゃべることができない人もいる。でも私たちは、他の人と変わらず一緒におしゃべりを楽しむ。しゃべれないからと言って、一人ぼっちなんかには決してしない。

 

ヒイちゃんとのおしゃべり。

夜、着替えをする時、いろんなことをおしゃべりしながら着替えをする。

 

ヒイちゃん、今日は寒かったね~。

雪が降ったかい?

山は真っ白じゃ。

ありゃ!そんなに降ったかい?

もう、どこもここも真っ白よ!

そうかい、そうかい、もうしばらく山へは行けんの~。

行けんよ!車が走れんよ。

そうかい、そうかい、やっぱり春がええの~。

そうじゃね~。春になったら桜が咲くね~。

そうじゃ、そうじゃ、桜が咲いたら花見じゃ!

そう、そう、握り飯持って行こうやね~。

握り飯はうまいけんの~。

酒も持って行かんとね~。

酒はうまいぞい!

やっぱり、花見は酒よね~!

酒がないと花見じゃないわいの~!

酒、飲もうやね。

飲まにゃあね!

花見、行こうね。

行かにゃあね!

 

ここで、ヒイちゃんの着替えが無事に終了する。

そしてヒイちゃんは嬉しそうに、花見モードで布団に入る。

 

湯たんぽ入れとるけんね。お休み。ゆっくり寝てんよ。

ああ、おやすみ。

 

ヒイちゃんは、花見を待ち遠しく思いながら、今日も床につく。

つまり、冬の間、私は毎日同じ会話を繰り返す。

雪が降ろうと降るまいと、寒かろうが暖かろうが、ほとんど私は同じ会話を毎晩繰り返す。

ヒイちゃんは毎晩、ほとんど同じ返事を返し、毎晩同じように目をキラキラさせて嬉しそうに床につく。

 

ヒイちゃんが、お天気や季節のことを、正確に理解するかしないかということは、どうでもいい。

ヒイちゃんが、話したことを忘れようと私は一向にかまわない。

 

毎晩花見を楽しみに床につく、ヒイちゃんの嬉しそうな顔を見るのを、私は心から大切に思っている。

「明日・桜が咲いたら」という希望をヒイちゃんが抱くことを、私は大切にしたいと考えている。

「生きている」ことをヒイちゃん自身が、感じ喜んでくれている他ならないからだ。

「明日」という日に、ヒイちゃんが希望を持って生きていることに他ならないからだ。

 

ヒイちゃんとの夜のおしゃべり。

毎晩繰り返す同じおしゃべり。

「明日も生きる」希望に繋がると感じる暖かくて楽しいおしゃべり。

 

今夜も大頭は冷えました。

山は本当に真っ白です。

 

 

 

 

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治癒力

2013-02-18 20:58:45 | デイサービス池さん

池さんの社長、私の夫は45歳の時に脳出血を発症した。大きな仕事のストレスが重なり、出張先の東京で倒れた。

その後、15か所以上にも及ぶ多発性脳梗塞・肺塞栓・硝子体出血・心房細動・ステント留置手術・大腸ポリープなどを経験し、現在に至っている。結構ヘビーな病気のデパート並み!

 

実はこのたびも2回目の鼻空内出血のため、安静を主治医に申し渡されている。

1回目の時は今治沖の島に赴任中で、多量の吐血のために救急艇で搬送され救急入院し、止血まで何日も要した。

今回も前回と同様、鼻の動脈からの出血が3日たっても止まらず、結局耳鼻科で治療を受けて何とか止血できた。

 

初診の耳鼻科の先生はこう言った。「やっぱり、薬を飲んでますね。こういう方多いんですよ。血液をサラサラにする薬を飲んでいる方は、自分で止血することができないんですよね。身体がそうなってしまっている。これが本当にいいことなんですかねぇ・・・。」

 

本来、人間の身体には怪我や病気に対して自分で回復する治癒力が備わっているはず。けれども長期間、医療(薬)によってコントロールされてしまうと、その本来の治癒力が失われてしまうことになる。

 

夫は、まさに長期間の高血圧性の疾患のための薬を服用し続けたせいで、出血が起こった時の止血する機能が働かなくなってしまっているのだ。

 

一つの疾患を治そうとして、別の病気を発症させる原因を作ってしまう。

 

・・・そしてまた一人、

家で死にたい。病院で最後を迎えるのは絶対に嫌だ。と言っていた高齢の老人が、

「医師が探し出した疾患の治療のために」病院に入院したまま帰らない人となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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心が揺れる時

2013-02-14 20:34:52 | デイサービス池さん

心が重たくなる。

 

私たちがこんなに思っているのに・・・と思うことは、自己満足の一方的な押し付けでしかない。

なぜこういう判断を下してしまうのか・・・と疑問に思っても、所詮家族の問題なのかもしれない。

きっとこう思ってくれるだろう・・・と、本当はそうなるはずのないことを、心は知っている。

私たちが割り切るしかないと思ったとしても、「どうにかならないか」という想いが心を締め付けて息が苦しくなる。

 

「なんとかしたいという想い」と、「どうにもできない現実」を、常に心に突きつけられる。

 

心が揺れている。

 

無理やり納得しなければいけないことだと言って、心が勝手に暴れ出す。

 

暴れる心を、抑えられずにいる。

 

小さな心は、揺れながら現実と向かい合う。 

 

揺れる心を抱きしめて、重い心を引きずって、命の現実と向かい合う。

 

老いて痩せた背中に今日も、手をあてる。

 

 

 

 

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「死を共同体へ取り戻す」とは

2013-02-12 20:23:26 | デイサービス池さん

丁寧なお手紙を頂きました。ありがとうございます。池さんのDVDの中の「死を共同体へ取り戻すこととはどういうことですか」(ちょと説明すると、たくさんある池さんのDVDの中で、私たちのスタンスを表現したDVDの中に使った言葉です。)

かつて老いも死も暮らしの中に普通にありました。人が生まれ・生き・老い・死ぬことは人の「命の過程」として当たり前に受け入れられてきたように思うのです。

科学や文化が進化してゆく過程の中で、かつて人々が生きた昔のような「小さくて濃い社会」は失われつつあります。人々の生活が忙しくなると共に、近所の付き合いも希薄になってゆきました。この小さな町でさえも。

時代の流れと共に、人の生き方や考え方が変化してゆくのは仕方のないことかもしれません。昔のように、人と人の関係が濃い社会へと帰れるはずもないでしょう。

けれど人は、昔と変わらず生きています。そして、医療は進歩し続けています。どの人へも平等に高度な医療が行われる時代。十分人生を生き、老いと共に自然に人生の終わりを迎えたいと願う人にも。例え高度な医療を望まないとしても・・・。

高度な医療の前では、人の「人生」はないように思います。高度な医療の前にいるのは、ただ治療の対象者の「ヒト」でしかないと。治療の現場には、「生活者としての人」はいないのです。

満足死を提唱する疋田医師が言いました。「終末期のスピリチュアルケアはどんなに偉い医者にもできません。なぜなら患者個人を知らないからです。患者の生活史を知らずにお手伝いできるはずがありません。それができるのは家族です。」

人にはそれぞれ「エピソード(物語)」が必ずあります。かけがえのないその人だけの物語。どんな人だったか・どんな人生を生きたのか・家族はどんな人たちか・どんな声か・どんな笑顔か・服の好み・食べ物は何が好きか・・・

それを知っている人々が共同体の人たちです。「その人」に近い場所で生きている人たち。 生活者としての「その人」を知っている人たち。

こう考えてゆくと、「共同体へ死を取り戻す」ということの意味は、「生活者として生きたその人の死を、その人を取り巻く周囲の人たちの元へ取り戻す」と考えることができると思います。

「何号室の患者」として死を迎えるのではなく、「一人の人」として最後の時を迎えてほしいと思います。誰もが決して避けることができない死を前にして、その人の生を想い・死にゆく過程を見ながら・手や足をさすったり・想い出話をしながら・最後の時は好きなものを食べさせてあげたいし・お酒が好きなら最後に口に含ませてあげたい・「そういえばお酒好きだったもんね」と笑いながら・・・・・

・・・つまり、その人が生きたエピソード(物語)を語ることができる人たちの元へと死を取り戻したい・・・というのが私たちの思うことなのです。

「最後まで、人として命を生き切って欲しい」そのために、どこで最後を迎えるか・・・そのことを考えて欲しいと思っています。

病院に行かなければならないとしたら、どういう治療を行ってほしいか・最後の時はどうして欲しいか・・・考えておく必要もあるでしょう。

もし家で最後を迎えるとしても、どういう最後を迎えたいかをしっかり考えておかないと、いよいよ最後という時に家族が迷うことになるでしょう。

もし、家でも今の病院でもムリだと思うなら、家に代わる場所を探して欲しいと思います。安心して最後を看取って貰える信頼できる場所を。

その人が歩んだ人生を知る人だけが、死にゆく人を本当に支えることができると思っています。共同体の人とは、そんな人たち。

そんなメッセージが込めてあることを知ってほしいと思います。

「どんな最後を迎えたいか」・・・死を積極的に語ることは決してタブーな問題ではありません。自らの人生の最後を、自ら考えて決めてゆくことは、本当は大事なことなのだと思うのです。老いというステージの中で、自分の人生をどう生きるかと考えることは、その「生」の延長線上にある「死」を自分自身の手で作っていくことに他ならないと。

PS.池さんのDVDを見てくださって、ご自分の人生やご家族の将来のことを真剣に考えて下さって、本当にありがたく思います。ただ賑やかなデイというイメージが先行することに、ジレンマや苦しさを感じた日々もありましたが、こうして私たちのメッセージが遠く離れた土地で生きるSさんに、届いたことを感謝します。どうぞこれからも良き命を生きてくださることをお祈りしています。

 

 

 

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週末

2013-02-10 21:17:03 | デイサービス池さん

日曜は、正確には週末と言うのかどうかわからないが、「とにかくやっと週末を迎えた」そんなこんな今日この頃。

次々にくるお休みの連絡に胸は痛むし、いろんなことが目白押し。

心に重たいことばかりで、正直ヘトヘトな気がする。

なんでこんなに苦しいのかよ~~~ (おっとちがった!確か、かわいいのかよ~だ)

まあちゃんが叫ぶ。

助けて~助けて~~~。わからんで~。もうわからんで~。はたち過ぎたらもうな~んもわからんで~!

あんた、まだ「はたち」なのかよ!!!

私の方が叫びたいし、と思って一緒に叫んでみる。

助けて~!助けて~!

まあちゃんと一緒に大げさに叫んでいると、ヒイちゃんが冷たい目でこっちを見る。

???

私と目が合うと、すかさず言われた。

おまえら、気でも狂うたか?

うん!と言うと

病院へ行け!とバッサリやられた。

あ~~~ヒイちゃん冷たいわあ。

しかたがない。

まあちゃんと二人、おとなしく寝ますか。

まあちゃん、年なんぼ?

そんなこと覚えとるわけがない!

さっき、はたち言うたがね。

バカ!パー!

あ~~~まあちゃんにまで・・・。

本日の教訓。介護している側は決して強い立場なのではなく、介護されているばあさんにバカと言われることもある、実はほとんどの場合において弱い小さな存在なのである。

 

 

 

 

 

 

 

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ヒイちゃんのおしめ

2013-02-05 20:31:28 | デイサービス池さん

ある日、ヒイちゃんの息子さんが、車に一杯のおしめ(大人用紙おむつ)を持ってやってきた。

「これ使ってくれますか?」

「もちろん、頂きます!」どんなものでも頂けるものなら、何でも貰うのが池さんの原則。その時使わないものでも、何かにいつか使えると思ってる。そんな貰いものが大頭の倉庫には山のようにあるわけで。付け加えておくと、ヒイちゃんはおしめは使っていない。

息子さんが言った。

「昨日、山の家(ヒイちゃんが住んでいた家)へ行って片付けていたら、昔じいさんが使っていた時のおしめが大量に押し入れに入っていました」と。

じいさんとは、ヒイちゃんの旦那さん。

旦那さんが病気で寝込み亡くなるまでの間、ヒイちゃんはこのおしめを旦那さんのために使っていた。

それほど昔ではない。

平成11年だったかな。ヒイちゃんの旦那さんが亡くなったのは。

ほんの少し前まで、ヒイちゃんは山で暮らし、寝込んだ旦那さんの世話をしていた。

旦那さんを見送り、双子の妹が急に亡くなり、ショックでヒイちゃんはボケ始めた。

けれども、それまでは確かに元気に山で生きていたのだ。

 

大きな2つの段ボールに入った大量のおしめ。

ヒイちゃんは、どんな思いで旦那さんのお世話をしていたのだろう。

小柄なヒイちゃんは、どんなふうに旦那さんにおしめをしてあげていたのだろう。

山で暮らしていたヒイちゃんは、おそらくヘルパーや介護保険のサービスなど使ってはいなかっただろう。

一人で、お世話をしていたに違いない。

 

ほんの何年か前のヒイちゃんの暮らしを想い、私はなんとも言えない感慨深い気持ちになる。

ヒイちゃんはおしめは使っていないが、中に入っていたフラットタイプのシートは、今ヒイちゃんが寝る時のラバーシーツ代わりに使っている。

 

息子さんが持ってきてくれたおしめ(シート)を手にするたびに、私は、

山で生きたヒイちゃんという人の歴史を心に感じ、私の知らないヒイちゃんを思い、

今、私の目の前で老いと共に生きるヒイちゃんという人に、

深い想いを感じるのだ。

大きくて深く、濃く、暖かい想いを。

 

私たちが毎日見るのは、老いてボケて一人で生きられなくなった人達。

でもどの人にも、溌剌とした若い時代があり、家族のために生きた時代があり、笑ったり泣いたりした時間があったということを、私たちは絶対に忘れてはならない。

深く濃く豊かな人生が、どの人にもあったということを心に刻んで、日々向き合っていかなければならないと思うのだ。

 

ヒイちゃんが旦那さんのために買った「おしめ」

月日の流れと人の歴史と、そして様々な想いを含んだかけがえのない「おしめ」

 

 

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ヒイちゃんの食事

2013-02-03 21:10:34 | デイサービス池さん

小春日和・・・という陽気の日曜。

日向はポカポカと温かく、庭の梅や桜の小さな蕾も膨らみかけている。

「春がきた」と間違えている木々たちに、「騙されてはいけませんよ。春はまだまだ。」と教えてあげたい気分になる日曜日。

 

ヒイちゃんは、最近よく食べる。一時、酒しか口にしない時もあったけど、今は酒は飲まずに固形物に夢中。食欲がなくて酒しか口にしない時、ヒイちゃんは朝から酒を飲んでカロリーをかろうじてキープしていた状態だったが、今はそんな心配もなく、ご飯もうどんもパンもお菓子もよく食べるので安心。

今日も嬉しそうに、うどんにクッキーを浸しながら、赤飯のおにぎりとうどん、うどんの汁を吸ったクッキーのメニューを、目をキラキラさせて食べた。

ふにゃふにゃになったクッキーがどんな味なのか、確かめてみたくもないけれど、嬉しそうに箸でつまんで食べているヒイちゃんを見ていると、年寄りにとって栄養だとか食品の種類だとか、そんなものはあまり関係ないと確信する。

何品目食べないとだめだとか、野菜を摂らないと健康でないとか、吸収率だの摂取率だのそんなことではなく、要は食べたい物・食べれるものをいかに食べるか、美味しく食べるかということではないかと思うのだ。

あと何年生きるかわからない年になったら、私も好きなものを食べて暮らしたい。栄養を管理されたりすることなく、暮らしたい。

年寄りの身体は、それでも十分生きていけるようにできている。というより、「野菜を食べないと栄養が偏るから、ちゃんと食べなさいと長生きできませんよ」と100歳の年寄りに言ってみても、もう十分長生きしているし・・・と思ってしまう。

栄養の整った食事を提供され、食べれなくなったら刻みつぶし、ドロドロにして、それでも食べなくなったら鼻から食事を送り込む。そうして生きていかなければならない人から見たら、ヒイちゃんの食事なんて、まったく栄養とは無関係で驚くだろう。

 

ヒイちゃんの口から時折、ペロッと何かが出ている。黄色いベロのようなものが、出たり入ったりしている。

なんだろう?

と思ってよくみると、ハッピーターンというお菓子。

ヒイちゃん用の棚から自分で出して口に入れたものの、歯がないヒイちゃんは噛むことができずに、お菓子は口から出たり入ったりを繰り返している。

噛めなくても、きっとこうして舐めているだけで美味しいのだろう。

ヒイちゃんは嬉しそうに、口から出るお菓子を舐め続けている。長い間舐められてちょっと小さくなったハッピーターンは、ベチョベチョのまま結局またお菓子の袋にしまわれることになるのだが・・・。

ヒイちゃんの好きなプリンを持って行く。しばらくして見ると、ヒイちゃんはスプーンをしまって、なんと小さくなったハッピーターンでプリンを食べている。

笑えてくる。それって、ちょうどいいかも? 

「ええもんで食べとるねえ。」と私が言うと、「そうだろ!いるかい?やろか?」と言ってくれた。でも気持ちだけ頂いて、今回は遠慮させてもらったけど。

 

ヒイちゃんが食べたいように食べたい物を、食べたいだけ用意してあげたい。

いつものようにチクノウの鼻をフガフガならせ、目をキラキラさせて、残りの日々を生きて欲しいと思うから。

 

 

 

 

 

 

 

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