池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

淡々と・・・

2011-06-29 00:22:26 | デイサービス池さん
毎日、いろんなことがある。

生きていれば、いろんな悩みもあるだろう。

頑張って仕事をしていれば、迷うこともあるだろう。

悩み・迷い・苦しみながら、一生懸命に生きる。

介護とは、人と向き合う仕事。

そして、半端なく真剣に向き合うことを常に求めてきた。

だからこそ、今がある。

利用者が入れ代わり、難しい人と向き合う時、どうすればいいかわからなくなった時、自信が持てない時、

とにかく淡々と、粛々と一生懸命心を込めて、丁寧に丁寧に、一日を過ごしてほしい。

心を込めて向き合う時、必ず光が見えてくる。

投げやりにならず、驕ることなく、謙虚に一生懸命に毎日を送ること。



「棟方志功」の言葉より

これからのわたくしの仕事というものは、

他愛のないものというのでしょうか、

そういうものになりたいのです。

力とか、欲とか、そういうものがはいらない世界、

本当に他愛のない世界から生まれていく仕事、

願うことではなく、願われる仕事、

そんな欲でない欲を持ちたいものです。


私は芸術家としての棟方志功というよりも、(思想家)哲学者としての一面を持つ彼に惹かれる。


介護職は、「答え」のない仕事。

「答え」は常に、目の前の人の「心の中」にしかない。

ただ当たり前の日常の中から、他愛ない世界から生まれ、ただ淡々とそこにある仕事なのかもしれない。

だとしたら、驕ることなく、ただ「願われる人」になりたいと思う。

「欲」ではない欲を持ちたいと思う。


ただ、ひたすら一生懸命生きていきたいと思う。




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夏支度

2011-06-23 21:25:14 | デイサービス池さん
急に暑くなったから、あれこれと忙しい。

扇風機とサーキュレーターを出して、部屋の空気を動かす。

暑さが増すと、血圧が低下しやすくなり、危険が増える。

心地よいソファーから風の当たる椅子へ移動する。

日差しが強くなると、ブラインドを閉めて直接日差しが当らないようにする。

部屋の温度管理と、湿度に気を使う季節。

だからといって、エアコンで室温を常に一定にして、涼しい中でだけ過ごせばよいというわけではない。

暑い時は暑いなりに、暑さを身体で感じることも必要だと思う。

汗をかき、ウチワを使い、場所を考えながら(座る位置を考えながら)暮らすことは、人としての(生き物としての)感覚を生かすことにもなる。

昔と今とは、地球の温度も暮らし方も異なる。

今の時代は今の時代なりのやり方で、5感を使って生きていきたい。

よく冷えたスーパー巡りに性をだし、かき氷を食べ、そうめんをすする季節。

明日は、すだれとよしずを使って日差しをしのぐ予定。

麦茶をたっぷり用意して、やっぱり午後はドライブに出かける。

夏の必需品はいろいろあるけど、

とりあえず今日は、そうめん流しならぬ、卓上で遊べる、くるくる回るそうめん機なるものを購入してきた。

いろんなアイデアで、これから始まる暑い夏を、楽しみながら過ごしていきたいと思う。

・・・とはいえ、

実は私は夏が苦手・・・湿度の高い夏は、特に今頃の中途半端な季節の暑さは・・・個人的には大っきらいなワタクシです。

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体内リズムとお天気

2011-06-21 20:52:14 | デイサービス池さん
暑い!

全く本当に暑い!

梅雨が明けたわけではないのに、暑い!

湿度85パーセント!?

その上、人数が増えるたびに湿度が上がり、部屋干しが続くTシャツは汗で匂うし、全くどうもこうもなりませんという感じの今日。

お天気と身体は常に連動しているわけで・・・

カラッとしたいい天気の日は、活動的になるし、雨が降るとなんとなく眠くなるし・・・

梅雨のこの時期、皆の体調を考えながら、一日をつくるのは結構気を使うわけで・・・

???

というか、全く、この蒸し暑い中、大汗かきながら出かけたがる人たち・・・

今日は、西条の魚屋に出かけた人たち。(明日がお休みのこの店は、火曜日は2割引きだとか・・・)

ぎゃ~ぎゃ~言いながら、ももちゃんまで一緒に出かけたわけだけど、

暑い!暑い!と連発しながら、それでも遊びに行く人たちは、

お天気が体内リズムに影響を及ぼす前に、

自力で体内リズムを調節できる元気者たちなのかも・・・?

いえいえ、暑かろうが寒かろうが、

「遊びに行こう」という気持ちこそが、まさに身体の活性化に繋がるという・・・元気印の歩く見本・・・なのかも?

さらにこれから暑さが増す季節。

暑かろうが、雨が降ろうが、

出かけたいモードを、遊びたいモードを、なにより大切にして、

今年の夏も元気に乗り越えたいと・・・切に願う最近頭と身体の弱い大ママです。

???年???

なんかそんな声が聞こえた様な聞こえないような・・・?
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さようならフクエさん

2011-06-16 20:27:28 | デイサービス池さん
週1回の利用。

要介護1。

池さんで要介護1の人は二人だけ。

フクエさんは耳が遠い。

一人暮らしをしていたけれど、体調を崩してから、ある施設に入所していた。

耳は遠いけれども、頭はクリアな人。

でも、耳が遠いということは、施設では大きなハンディになるらしく、「認知症の人と同じ扱いをされた」とフクエさんのプライドは大きく傷つき、施設を出て再び一人暮らしを始めた。

そして池さんにやってきた。

全ての会話を、私たちはフクエさんに伝えるように配慮した。

フクエさんに関係のあるなしに関わらず、いつもスタッフが横にいて、会話がフクエさんに聞こえるように、配慮してきた。

皆の話すことが聞こえないために、置き去りにされたという悲しみを味わってほしくはなかったから。

そして、いつもとびっきりの笑顔で笑ってくれ、お出かけや買い物を楽しみ、子どもたちにおやつを買ってくるのも、フクエさんの楽しみだった・・・

フクエさんのくる日のメニューは、独り暮らしをしていていつも作れない煮物やお好み焼きや鍋物などを用意するように心がけてきた。

そして月日がたち、フクエさんは、体調を悪くすることが多くなり、独り暮らしを続けることに疲れてきた。


来週、ケアハウスに入所が決まり、今日が利用最終日。

いつものように、「何が食べたいか」を聞くと、この前食べた「すいとん」が美味しかった、「豆ごはん」も食べたいというので、池さんで採れたグリンピースで豆ご飯を炊き、お野菜たっぷりのすいとんをつくり、サバを焼き、五目豆を炊くことにした。

フクエさんは「ここで食べたら、何でもおいしい」と心から喜んでくれた。

雨の中アジサイを見に行き、お別れ会のケーキを食べ、皆に握手をして何度も何度もお別れを言って、泣きながら去って行った。


いろんな別れがある。

今回は、フクエさんが、自ら選択した道。

どうか、新しい場所が、フクエさんにとって、心地よい場所であるように。

いつものように、フクエさんが笑っていられるように。

おいしかったと言って、ご飯がたべられるように。

この場所を選んでよかったと、思えるように。


フクエさん。

私たち皆、

心から祈っています。



どうか、お元気でお過ごしください。

いろいろな思い出を、大切な出会いを、ありがとうございました。

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つながり

2011-06-12 20:47:21 | デイサービス池さん
いろいろな人たちと繋がっている。

利用者。

そしてその家族。

でも、池さんに来れなくなっても(利用者ではなくなっても)繋がっている家族がいる。

金曜日から西条にこられている伊藤さんのご家族。

娘さんご夫婦。

旦那様はドイツの方。

伊藤さんは、ケアハウスを出て、病院が併設している特養に入所された。

いろいろな経過はあったけれど、今、伊藤さんはそこでの生活にも慣れて、元気を取り戻した。

「また、いつか池さんに行きたい」という想いが、つねに伊藤さんの中にある。

けれども現実には、特養に入った以上、池さんに通うことはできない。

関東の地に離れて暮らさなければならないご家族の現実と、「もう一度池さんに行かせてあげたい」という想いの狭間で、娘さんはとても悩まれたと思う。

現実は(結果は)皆の「想い」とは違うけれど、それも受け入れるしかしかたがないのかもしれない。

伊藤さんは、池さんで過ごした月日を思い出として、心のよりどころとして、残された日々を生きることを選択してくれた。

これから先、伊藤さんと私たちの関係は、ただ人と人として、繋がっていくのだと思う。



土曜日の夜、私たちは再会した。

利用者のご家族としてではなく、

ただ、池さんを通じて知り合った「人」として。

縁あって繋がった「人」として。

伊藤さんが生まれた大保木の昔話と、伊藤さんが育った山の話に花を咲かせた。



東京で育った娘さんと、ドイツ生まれの旦那様が、

今まで縁の薄かったこの四国の土地を、新たに懐かしい土地として気持ちの中に置いていてくれる。

四国のこの土地へ来ることを、楽しみにしてくれている。

家族と繋がることは、決して直接的に利用者と事業所としてだけではないということに、改めて気付かされた。

たとえ利用者ではなくなっても、池さんという場所を通じて、縁あって知り合った人と人が、繋がっていくこと。

どこかで人の心のよりどころとなり、大切に思いだしてくれたら、とても嬉しい。



いろいろな繋がりがある。

現実的な縁が切れたとしても、心の中で・心の中のよりどころになれたら、

私は、とてもうれしい。

全てが大切な縁。

縁は紡いでいくものだが、こちらが望んでも紡ぐことができない縁もある。

否、そうではない。

縁も自然の流れのままに、

運命と言う流れの中で、

つくられていくものなのかもしれない。





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細心の配慮

2011-06-10 01:39:21 | デイサービス池さん
天気の移り変わりと共に、気温も湿度も変化の大きいこの時期。

年寄りは、体調の変化と共に、精神状態にも、大きな変化がある。

落ち着かない日があり、やけにテンションの高い日があり、皆が元気のない日があり
皆が眠い日がある・・・

私たち介護者の仕事は、その日の利用者の様子を見極めることから始まる。

落ち着かない人は、どうすれば安心できるか。

テンションが高すぎる人は、どうすればいつもと同じテンションに持っていけるか。

食欲のない人には、どうすれば食べてもらえるか。

元気のない人には、どうしたら元気を出してもらえるか。

眠い人は、いつ寝るか。


それは送迎時に、その人に会った「一瞬」を大事にすることから始まる。

会った瞬間に感じ取ることから始まる。


様子を見て、表情を見て、昨夜の様子を想像しなければならない。

夜の状態は、必ず朝に繋がっている。

いつも同じ声かけではいけない。

その日の目の前の人を、「一瞬で探れる」「一瞬で感じ取れる」レベルの高いスタッフであってほしいと思う。

その日の一番最初の声かけは、本当に大切な言葉となる。

それからの一日も、決して「いつもと同じ」ではないはず。いつもと同じ利用者も、決していつもと同じ状態ではない。

季節や気候や、気温や気圧や、夜間の睡眠状態・・・あらゆるものに影響を受ける「人」
なのだから。

昼間の過ごし方は、その人の夜の状態と確実に繋がっている。

昼間眠そうだから寝させるのがいいわけではなく、テンションが高いから動きまわればよい、というわけではない。

昼間の時間帯を、帰る前の時間帯をどう過ごすかは、帰ってから穏やかなのか、眠る時に落ち着いているのか、そして夜ぐっすり眠れるかに繋がっている。

在宅で過ごすことを支援する私たちは、昼間だけを見ればよいというわけではないのだ。

帰ってからの状態、夜の状態まで想像して関われるスタッフであってほしいと思う。




かけがえのない一日を、あらゆることを想像して深く関わることができる質の高いスタッフであって欲しいと思う。

池さんのスタッフは、

その日、今日会えた人と、大切な一日を、心から愛おしいと思うスタッフであって欲しいと、いつも願っている。

「わずか一日」ではなく、

「今日しかない一日」として、

大切に大切にできるスタッフであって欲しいと思っている。



目の前の人といる一日を大切に思うことは、

必ず自分自身の一日を大切に思える人になれると思っているから。

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心と筋肉

2011-06-07 21:13:00 | デイサービス池さん
ずっと以前に痛めた右の肩。

シートベルトを引くことさえできなくなり、ついに病院嫌いの私がお世話になっているいつもの先生の所へ行くことにした。

「2か月間、手を使わなければ治ります」

ま、そりゃそうだろうけど・・・

「現実的には不可能でしょ」と、にこやかに言われてがっくり!

で、覚悟を決めて、近くにできた鍼灸の先生の所へ行くことにした。

末の娘のまだ下の年代。

学校を卒業して開業したばかりの若い先生。

慢性化した痛みだったので、整形外科よりはハリ治療などの方がいいと思って訪れた場所。

そして、2か月。

右手は痛むことなく動かせるようになり、まだ少し可動域は制限されているが、ほぼ日常生活には差し支えないくらい回復した。

この若い先生。

完全に文系の知能しか持たない私に、いつも納得できるように身体の仕組みを説明してくれる。

「なぜ、この筋肉が硬いのか」「どの動きがよくないのか」「どう動かせば、負担がかからないのか」その理由をいつも、この文系の私にもわかるように説明してくれる。

今日は、心にあるストレスと筋肉との関係について教えてもらった。

今、私が抱えている心の負担が、無意識に身体をどう動かしているのか・・・その結果、どの筋肉の緊張が起こり、どう痛みに繋がっているか・・・

ストレスが大きくなると発症していた左手の湿疹も、精神状態と左手の関係が、どういう繋がりで起きているのか・・・

なんとまあ、頭が文系のこの私でさえ理解できるように、わかりやすく説明してくれたわけ。

そうして考えを巡らせてみると、

ばあちゃんたちの心の状態と悪くなる身体の因果関係まで納得できるように思えてくる。

心と身体。

常に繋がっている。

私だけでなく、だれでも心にストレスを抱えると、自然に身体は硬く緊張し、それが様々な場所の可動域を狭め、無意識のうちに動きがぎこちなく硬くこわばってくる。

緊張し硬くなっている身体を無理やり動かそうとしても、心は余計にストレスを感じて筋肉をより硬くしてしまう。(全ては無意識のうちに行われているので、とてもわかりにくいし表面には出てこないから。)

だとしたら、心がストレスを感じないようにゆったりと穏やかに暮らすことが、最大のリハビリに繋がることも明らかなこと。

身体の緊張の原因を探り、穏やかに安心できる状況に「心」が置かれた時に初めて、身体の緊張も解け、外界からの刺激も緩やかに、ゆとりを持って受け止めることができるように感じる。

自分自身の身体の「痛みの意味」がはっきりと理解できて、私は今、自分の感じていたストレスを、単なるストレスとしてではなく、解決するべき課題として、客観的に考えることができるような気がしている。

自分自身に覆いかぶさるような得体のしれないもののように感じていた悩みが、

前に進むための新たな課題として、はっきりとその形が見えたような、

そんな気がしている。

文系の私には、目からうろこの「心と筋肉」の話。



あっ、ちなみに来月の池さん人材バンクで、この先生を紹介する予定です!

筋肉に悩んでいるあなた、興味のある方は、ぜひご覧くださいね
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人と人

2011-06-05 19:55:05 | デイサービス池さん
今月の池さん新聞の別冊「こりゃ~ど~でや」で始まった特集は、「池さん人材バンク」なる企画。

私たちと繋がる人。

困った時に助けてくれる人・いつもは会わないけど大切な人・そして支えあえる人・信じあえる人・・・

生きていくうえで、私たちは常に誰かに助けられ、人と共に生きている。

それはデイサービスという枠組みを遥かに超えて、

「出会い」というかけがえのない人生の軌跡の中で、紡がれていく大切なもの。

「損得」だけではなく、「利用」するものでもなく、

人と人の出会いは、ただ淡々と常に目の前にある。

心が追いつめられているときは、ただ目の前にある「人とのかけがえのない出会い」に気づくことができず、その時の自分に利益かどうかだけで判断してしまうこともある。

落ち着いて心穏やかに、自分の周りを見つめる時、

自分は決して一人ではなく、多くの人に支えられていることに気づき、

素直に誰かに助けを求めることができるのではないだろうか。

私たちを取り巻く多くの人たち。

困った時は、その人たちに助けを求めながら、

素直に「人」を、「出会い」を、大切にできる私たちでありたいと思う。

必ず、「人はそこにいる」はずなのだから。

池さんに繋がる人たちが、いつか誰かの支えになることを、いつか誰かを支えることができることを、

心から願っている。

新しい企画が、

人と人をつなげるきっかけになることを願っている。







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想い

2011-06-02 20:59:30 | デイサービス池さん
6月が始まった。

もう今年も半分近く。

今年前半の月日。

次々に体調の悪くなる方・入院する方が続き、なんと5月は一度に3人が入院となった。

その上、長期でお休みされる方などもいて、でもその方々が元気になってもう一度ここへ帰られることを考えると、新規の利用者を受け入れるわけにはいかない・・・

私たちは悲しいことにソロバンを片手に、溜息の出るような毎日を送ってきた。

新しい月。

元気になって二人が帰ってきてくれた。

私たちはいつも思う。

「高齢の人と共に生きている限り、いつ会えなくなる時がくるかもしれない」

たとえ今元気だとしても、これから先、何十年も一緒にいられるわけではない。

それなら、限られた時を、

限られた時間を、

決して後悔しないように、共に生きるしかないのだ。

今と言う時を、決して後悔しないように・・・

たかが小さな事業所。

けれど、毎日を意味あるものとして、かけがえのない人生を歩んできた人に敬意を払いながら、

私たちは、日々歩いてゆきたいと、

心から思う。

介護者として、人の一日をつくる作業に携わるものとして、

私たちの信じる介護に胸を張っていたいと思う。

大切に。丁寧に。

決して大きな信念を曲げることなく。

目の前にいる人に、常に大きな尊敬の気持ちを持って。



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