池さんで唯一真剣に読みまくる編集人三好春樹の「ブリコラージュ」
以前、池さんも表紙を飾った月刊誌。
12月号、福岡の第2宅老所よりあいの村瀬さんのインタビュー記事。
多くの看取りをしてきた村瀬さんが、こう言っている。
「再生幻想があるんです。家族も介護力を失っているので、一人でも機能不全に陥った家族が出ると、もたなくなる。排除するのでなければ再生を願うしかないから、医療に頼る。医療が介入すると穏やかには死ねなくなります。高齢であれば、再生へ向かわされた人よりも、最後まで自分の力で生きる支援をされた人の方が、楽に死ねている。僕らはただ、穏やかに死んでほしいと思うのです。・・・」
「僕らは、死のお手伝いをしているわけではありません。チューブの力ではなく、自分の力で生きるための支援をしているのです。十分身体にさわらず、自分の力を使わなかった家族ほど、死の恐怖を本人に投影させてパニックを起こし、最後は病院へ連れて行こうと言いだします。一方、それまでの経過がうまくいった家族は、晴れやかに看取りができるのです。そんな看取りを、僕らは家族と一緒にやってきました。そういう人しか、ここでは亡くなっていません。」
多くの家族は、心配や不安にかられて、最後の時を医療に頼ってしまう。
みよちゃんと(家族のように)生きてきて、今、はっきりとわかる。
みよちゃんの最後の状況を考えてみても、治療しようと思えば入院・検査・治療という選択肢がなかったわけではない。
でも、ご家族も私たちも、その選択をしなかった。
それは、ただみよちゃんという人に再生を願うのではなく、みよちゃんという人のままで生き切ってくれることを皆が願ったからだ。
「生きてほしい」と最後の時まで祈りながらも、
「生きるためだけに生きるのではなく」
「みよちゃんとして、生ききる」ことを、皆が願った。
そして、皆が心穏やかに「別れる」ことができたのだ。
村瀬さんの記事は、私の胸の奥深くにあったものを言葉で表してくれた。
ブリコラージュは、偶然にも12月号で村瀬さんのインタビュー、1月2月号で芹沢俊介×三好春樹の「介護と家族と死と」の特集だった。
まだまだ悩み多き「アラ50」にとって、偶然にも与えられたこの記事。
「生きること」や「死」「看取ること」「支えること」「家族とは」
そして「事業所とは」「私たちのこれからは」・・・
まだまだ、まだまだ、考えることは有り余るほどあるけれど、
そんな中にあっても、
じいちゃんが、今日もご飯をいっぱい食べてくれたことが、
今日一番の嬉しい出来事。
今日一日、生きてくれたことが、
今の私の一番の喜び。