池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

亜熱帯?

2008-07-27 17:46:29 | デイサービス池さん
毎日、朝8時にお天気メールが届く。

最近は、それを見るたび落ち込んでしまう。

「また今日も、晴れ!」

もともと、私は暑いのは苦手。寒い冬は、コタツを抱えてりゃ、なんとかなる。

でも、暑いのは身の置き所がないような気がする。汗と日焼け、どっちも嫌いだ。

地球温暖化の影響なのか、最近の気温は尋常ではない!

昔、私が小さかった頃には、こんなんじゃなかったように思うけど。

池さんも今年は特大の「よしず」と「すだれ」を買い込み、少しでもクーラーの効き目を良くしようと日よけ対策をしてるけど、それでも、庭の花や野菜はかわいそうなくらい直射日光を浴びている。

まあ、私はこうしてやっと生き延びてる感じなんだけど、池さんの年寄りの元気なこと!

「暑いね~!」なんて言いながらも、みんな毎日元気に通ってくる。

私が90歳になったら、「今日は一日、涼しいとこで寝てようっと」とか考えそうに思うんだけど、とにかく皆、休みもせずにやってくる!

そして、毎日パワー全開!

わがまま放題!

「こうして座っとっても暑いから、どっか行きましょうや!」「え~?このくそ暑いのに!マジ?」と思うのはどうやら私だけみたいで、「行こう、行こう」となって、結局大汗かいて車椅子を運ぶはめになる!!!

涼しいスーパーで、冷たいソフトクリームを食べて嬉しそうにしとるばあちゃんたちを横目に、暑い車にエンジンをかけて冷やしたり、大きな買い物袋を抱えて、いつもあたふたせんといかんのは私たち。

ま、元気でおってもらわんといかんけど、池さんつぶれんように・・・

神様・仏様・・・

どうか、私が倒れんうちにちょっとだけ涼しくしておくれでないかい?

そうでないと、私、焼き鳥になっちまう~~~!!!

とにかく、ひたすら、

ひたすら、涼しくなるのを待ちわびるわ・た・し!
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ヒイチャンのこと

2008-07-21 22:33:03 | デイサービス池さん
6月から池さんの新しいメンバーになったヒイチャン。
 
人生のほとんどを、石鎚の山のふもとの村で暮らしてきた人。

車や電化製品の整った今の時代と違い、当時の山の暮らしは、さぞかし大変だったに違いない。

近くの町まで出かける時は、ヒイチャンのお母さんは、ヒイチャンにあたらしいぞうりを用意してくれ、一日がかりで山を降りて、買い物に行ったそうな。

幼い頃の話をヒイチャンはよくしてくれる。

尋常小学校の頃、遠足の日。

まだ暗いうちに山を出て、ふもとの氷見の町まで歩いてでかけ、帰る頃にはもうとっぷりと日は暮れる。峠を越えて、大保木の細野の村へ帰る頃、先生はちょうちんに火をつけて、子ども達の家まで送ってくれたらしい。

ヒイチャンの住む細野よりまだ山奥の村に住む子ども達を、ちょうちん片手に送り届ける先生。

でも、そうした遠出は、当時の子供達にとって本当に楽しかったと、ヒイチャンは話してくれた。

同じ大保木に住んだ伊藤さんも、当時の遠足のことを話してくれたことがある。

夜明け前に大保木を出て、4時間かかって山を降り、今の禎瑞(ていずい)あたりまで、アサリを掘りに出かけたらしい。

袋いっぱいアサリを掘り、重たい袋を抱えて、また何時間もかかって大保木へと帰ったことがあった。当時の山の生活で、アサリ掘りという遠足は、今だにはっきりと思い出すほど楽しくて思い出深い行事だったと・・・。

ヒイチャンのお父さんは、「歌い手」だった。

近所でお祝い事があると、いつも呼ばれてめでたい歌を歌っていたらしい。

ヒイチャンもその血を受け継いでいるらしく、池さんにいる時も、時々唄いだす。
「おだいばば、よほほ~~」

きっと、村の盆踊りや祝言の時には、皆の前で歌うお父さんを、誇らしげに思い一緒に歌っていたのだろう。

ヒイチャンは、いつも話してくれる。

「舅姑に本当によく仕えたものよ。不便な山の暮らしだったけど、愚痴も言わずに、言われるままに辛抱して暮らしてきたんよ。口答えなんかせず、なんでもハイハイ言うてきた。山で野菜を作り、子どもを産み育ててきた。そういうことは当たり前のことやと思うて生きてきた。」

今の便利な時代に生きる私には、想像もできないほど、過酷な暮らしだっただろうと思う。

病気をして、山を離れ、息子さんの家で暮らし始めたヒイチャンは、いつも山にいる錯覚をしている。

「帰る時間よ~」というと、「ここは大保木かいね。近いけん、ボチボチ歩いて帰ろうわい」というヒイチャン。私たちも最初のうち「ここは小松よ」とか「南川よ」「息子さんの家に帰るんよ」とかヒイチャンに話していたけど、ヒイチャンは山へ帰りたい気持ちが本当に強くて、息子さんの家には行きたくないと、いつも悲しそうにするから、最近は「帰ろう」とは言わずに「ちゃ~んと連れて行ってあげるけん、心配いらんよ~」とだけ言うことにした。

小さくてチョコチョコ歩き、いつも笑顔のヒイチャン。

「お茶おかわりする?」と聞くと、「もっと~~もっと~~。いっぱいいる~~~」といつもおどけて見せるヒイチャン。

「お菓子食べる?」と聞くと、「いる、いる、こんなんじゃなしに、もっと大きなのがいる~~~」と駄々っ子のように言うヒイチャン。

いつも私たちとの会話を楽しみ、いつもおじゃらけるヒイチャン。

ここでのんびり遊ばしてもらうのが一番楽しいと、いつも言ってくれるヒイチャン。

皆といる時は賑やかなヒイチャンだけど、ただ毎日、ヒイチャンは送迎中の車の中でだけ、涙を見せて悲しそうな表情をする。「もうボケてな~んもわからんようになってきた。悲しいわい」と寂しそうに泣く。

私も大ちゃんも、その時、言葉を失ってしまう。

体を壊し、急に大好きだった山を離れ、違う環境で生きることを求められたヒイチャンが、どれほど心細く不安な毎日を送っているか。

ボケてしまったわけではないけど、だんだんわからんことが増えてくる毎日。

考えても考えても、思い出せないことが多くなる日常。

山の話をする時のヒイチャンの生き生きとした表情を見るにつけ、たとえどんなにいい家族に囲まれていたとしても、ヒイチャンにとって山と違う場所で生きることが、どれほど悲しいことなのかを思い知らされる。

いつもヒイチャンに笑っていてほしい。好きな歌を口ずさみ、時々盆踊りを踊りながら、山を思い出し、山の畑を思い出し、楽しく暮らしてほしいと願わずにはいられない。

そのために、ヒイチャンが笑顔になるために、

池さんの庭に育つとうもろこしや茄子や枝豆も、み~んなヒイチャンが収穫してくれるの待ってるし~、

明日も頑張って、いっぱいおじゃらけてみせますよ~!

だから、明日こそ、

泣かずに池さんにくれたら嬉しい。

ずっとヒイチャンと一緒にいたいから・・・ね。









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せっちゃんワールド!!

2008-07-16 21:37:36 | デイサービス池さん
急に家族が出かけることになって、どこもショート開いてなくて、なんとかお願いと頼まれて、3泊4日で池さんにやってきた「せっちゃん」

土曜から火曜という日程に、「また今週も休みなし~?」みたいな感じもちょっとしたけど、息子さん夫婦と以前からご縁があったもので、そういう人って断れないんよね~。困っていたのもよくわかったし。

で、土曜の朝9時。

向こうの方から、よぼよぼと歩いてくるせっちゃん発見。・・・というより、息子さんが先にこられて挨拶した後、その先を見たら、なんか弱弱しく歩いとった、せっちゃん。

急いで近寄って、手をつなぐ。(介護職の宿命・・・第1印象が大事!)

「いらっしゃい 暑いのに、よう来てくれたね~~

「お世話になりますねぇ。よろしくお願いしますぅ」

いやいや、話よりかわいいばあちゃん。大丈夫そうや!と内心安心する私。(今日のようにデイへ来て、慣れた人と違って、いきなりのお泊りを受ける場合、結構気を使うわけ。だって誰だって、知らん所へいきなり連れて行かれたら、お互いそりゃ気も使うよね~)

で、部屋に入って、「ありゃ、こりゃ、綺麗な・・・」

で、で、それから、それから、いきなり、いきなり、

せっちゃんワールド 全開!!!

「ここは、どこかいね?」
「小松よ」
「ありゃ~、そりゃ知らん!」
「ほんで、どうやって帰ったらええ?」
「ひろ坊が迎えに来てくれるけん」
「ほうかね。そりゃよかった。ありがとう。」
「ほんで、ここはどこ?」
「小松よ」
「ありゃ~、そりゃ知らん!」
「ほんで、どうやって帰ったらええ?」
「ひろ坊が迎えに来てくれるけん」
「ほうかね。そりゃよかった。ありがとう。」
「ほんで、ここはどこ?」
     〃
     〃
     〃

延々、延々・・・・

こっち向いて、あっち向いたら、繰り返す!

「こんにちわ」
「こんにちわ」
「ここは、どこ?」
「どうやって帰ったらええ?」

言ってる私たちの方まで、おかしくなって、時々笑ってしまうくらい、とにかく繰り返すせっちゃん。一言も違わず繰り返す会話。

なんとか、気をそらそうと他の話をしたり、買い物行ったりもしてみた。天気も良かったので、大島までドライブもしてみた。でも、スーパーでも、しまなみの橋を渡りながらでも、とにかくしゃべる!しゃべり続けるせっちゃん。

幹太を連れたみかちゃんが、部屋にやってくるたびに繰り返す。

「こんにちわ」
「こんにちわ」
「ありゃ、かわいい」
「ありがとう」
「こりゃ重い!重いけど、綺麗な顔をしとる!ね、これ、見てごらん!」
「重かろう」

しばらくして、またみかちゃんを見ると繰り返す。

「こんにちわ」
「こんにちわ」
「ありゃ、かわいい」
「ありがとう」
「こりゃ重い!重いけど、綺麗な顔をしとる!ね、これ、見てごらん!」
「重かろう」

一言も違わん会話。ある意味すごい!いや、凄すぎ!!!

あとで、思った!

三好さんが、一晩に80回以上のナースコールに完全に応えぬいた夜勤の人の話を本に書いとったけど、私もその人みたいに正の字を書いてみたらよかった・・・と後悔したくらいの数。

まあ、大目に見て5分に1回として、1時間に12回か・・・いや絶対それ以上だった。
3分に1回として、20回。8時間で160回。1日で480回。4日で1920回。計算あっとる?

夜は、寝るやろ~?と一瞬思ったあなた、あ・ま・い!!

寝ん!

寝んと聞く!!!

「私はどうやって帰るんかいね~」・・・・・

どんなに言い続けても、すぐ忘れるせっちゃん相手に、納得なんかさせられる訳はない。というより、納得なんかしてもらわんでもええかな・・・せっちゃんが安心しさえすれば・・・

4日間、だれひとり「うるさい」と言わず、何度も何度も、せっちゃんが安心するように会話を続けた私たちって、ある意味凄い!?

限りなく、同じ会話を繰り返すせっちゃんのエネルギーには、本当に脱帽!

多分家では、これほどこだわることはないと思うけど、やっぱり知らん所で心配やもんね。

さすがの、ますみさんも、ただただ笑うしかなく、いつも月曜は眠り姫のみよちゃんも、おかしくて寝る暇もないくらいで、目がパッチリ。ひいちゃんは、耳が遠いからちょうどいい感じ?

せっちゃんの天性の明るさと、「それを聞いて安心した。ありがとう。ありがとう」と、感謝してくれる言葉の響きと、抱きつきたくなるくらいのとびっきりの素敵な笑顔に、とにかく圧倒されっぱなしの4日間。

・・・火曜日、昼ごはんの時間。

「なんか、静かやね~?」「あっそうか、せっちゃん帰ったんや~!」

と、み~んなが寂しく感じたもんね。

お嫁さんが迎えに来た時、せっちゃんはこういった。

「本当に皆、良くしてくれて本当に楽しかった。」

ああ、せっちゃん

突然池さんにやってきて、嵐のように、皆の心に気持ちいい思い出を残してくれたせっちゃん

4日間、眠れんかったけど、私は本当に楽しかったよ。

たぶん皆も同じ。

だから絶対に、また来てね。

せっちゃんとの話、本当に楽しかったんだからね。

待ってるよ~~~せっちゃん







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普通に暮らす!

2008-07-07 23:42:52 | デイサービス池さん
池さんは、とにかくこだわりが多い!

なんにこだわるかって・・・とにかくいろんなことに!

中でも最初からこだわっているのが、「施設にならんように」ということ。

「施設」って、普通の世間じゃないんよね。

特別の、一般社会から隔離された場所なんよね。

その隔離された(簡単に言えば、同じような状態の年寄りばかりが集められて、社会と別の所で暮らしてる)場所で、ごくたまに「ボランティアで歌を唄いに来ましたよ~」みたいな人たちが、優しそうな顔してやってくる・・・そんなことが、社会と繋がりをもつことなんかじゃないし。



私たちは、「人が当たり前にいる場所」にしたいと、こだわってる。

皆がボチボチ集まって、池さんが賑やかになった頃、庭から重さんがやってくる。

「お~い、元気か? いやいや暑いな~。これ皆で食べてくださいや~」

見れば、スモモが箱いっぱい!

早速、フミちゃんがテラスに出て、「ありがとうございます。ちょっと一つ」と言いながら、スモモにかじりつく。私も私も・・・と、ひいちゃんもかじり、大ちゃんもかじる。料理係りのひわちゃんもかじり、れいこさんも、「これ、よう熟れとる」とかじる。

コーヒーでも飲んで帰って、と重さんにコーヒーを入れて、皆でスモモ食べながら、おしゃべり。

よっくんも、カボチャや玉葱・じゃがいもを畑から取ってきてくれて、「アツ~!」と言いながら、涼んでいく。

オ~ちゃんも、「新聞できたよ」となにやら持ってきてくれ、しゃべって行く。

営業マンの戸田さんは、「ご飯食べさせてくださ~い」とやってきて、「今日はおみやげないん?手ぶら?」と皆にいじくられながら、ご飯を食べて行く。

涼ちゃんを連れたやっちゃんが、やってくる。

病院へ行って来ると娘さんと出かけたみよちゃんが、「大ちゃんにおみやげ買ってきたよ~」と、ビール持って帰ってくる。

・・・・・

毎日の暮らし。

当たり前の日常。

普通に家で暮らしていたら、こんなことは当たり前のこと。

でも、介護施設ってところは、面会とボランティア以外に、そこにいる人たちに会いに来る人はいない。

だから特別の場所になってしまう。

・・・・・・

私たちは、「家」を作りたいと思う。

普通の社会がある家を。

「一日」という大切な時間を、心からくつろいで、自由に暮らしてもらいたい。

長い長い人生を歩いてきて、最後の最後で、今まで生きてきた社会とは全く別の空間に押し込められるなんて、私は絶対に嫌だもん。

来る人には、「暑いけん、ちょっと、池さんに寄って、お茶でも飲んでいこうか」と思ってもらえたら最高。

迎えるジイチャンバアチャンは、「あれ~暑いのによう来たね~早う、お茶でも入れてあげてや。」と、自分の孫や親戚が来た時のように、人と関わることを楽しんでくれたら最高。

普通の関わり・普通の暮らし・・・

私たちのこだわり。





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大保木(おおふき)物語

2008-07-06 15:15:19 | デイサービス池さん
西条市の山の黒瀬ダムから更に上の一帯に、大保木という土地がある。
昔、おそらく平家の落人たちが住み着いたのだろうと言われている山深い所。

実は、偶然にもこの大保木と池さんには、背筋の寒くなるような(感動するような)深い深い繋がりがあったというお話。(ちょっと長いよ!)

このブログの最初の方から登場している湯浪のジイチャン。私が選挙の挨拶に行ってからのお付き合い。「よそから来た若いおなごなのに、筋の通ったことを言うやっちゃ!」と気に入ってくれて、選挙の日は一番乗りで投票所へ行ってくれた。落選し本当に落ち込んで家にこもっていた時、「あんたは信念を通して、まっとうに戦った。あんたの背中を子どもらは見とる。堂々と胸を張って生きたらええ。」と大雨の中、タケノコをどっさり持って、私を励ましに来てくれたジイチャン。

このジイチャンが、大保木出身。

時々うちへ遊びに来るけど、昔の大保木の地名にまつわる話をしてくれていた。
平家の落人が住み着いた西の川と東の川のいわれ。

池さんに通う紳士の伊藤さん。
伊藤さんは大保木で生まれ、育った。伊藤さんは、池さんに来るようになってどんどん元気になって、今回要介護をはずれていまった。でも、「他のデイサービスなんて考えられない。」と伊藤さん自身とご家族の強い希望で、実費負担してまで、今も池さんに来てくれている大切な人。伊藤さんは、大保木で育ったけど、ずっと東京で大きな企業に勤めていた。そして退職して、また大保木に帰ったけど、その後脳梗塞を起こして、今はケアハウスから池さんに通っている。

「じっきんこびきん」の竹村ばあちゃん。  
ばあちゃんも、大保木の上黒川出身。伊藤さんの生まれた地区より更に山に入った所。今はもう山道もないだろうというくらいの奥深い山で生まれ暮らしていた。

そして、6月から池さんに通い始めたひいちゃん。
ひいちゃんは、ついこの前まで大保木で暮らしていた。生まれたのは、大保木の細野という地区。瓶ヶ森の峰のちょっとだけ下。昔は、ふもとの村へ買い物に行くにも、半日かかるところだったそうな。本当に山奥。ひいちゃんの双子の妹さんは、黒川へ嫁入りしていて、竹村ばあちゃんと仲良しだった!

大保木の話をしていたら、よしこさんの旦那様が大保木中学校の先生をしていたことがわかり、「あれ~~~、○○先生の奥さんですか~~?」と伊藤さんが知り合いだったことがわかった。伊藤さんがまだ大保木にいた頃、中学校の先生は伊藤さんちの近くの宿舎に住んでいたそうな。

フミちゃんも「私の姉も、大保木小学校で教えていたことがあるんです。」まさに、奇遇!

なんか、不思議な縁。

たまたま、大保木に縁のある人たちが池さんにいた、というだけではない。

うまく、言葉にできないけど、なんか「大保木に守られている」ような気がする私たち。

辛い時助けてくれた人・池さんを本当に必要としてくれた人・池さんが大きくなるために、学ぶチャンスを与えてくれた人・年寄りと過ごすことの楽しさを教えてくれた人・向き合うことの大切さや難しさを教えてくれた人・・・そして、お金がないときに利用者となってくれた人。

大保木に関係する人たちに、池さんが育てられたといっても過言ではない。

これって、独りよがりなんかも知れんけど、本当に、私たち家族は背筋にビンビンくるような、因縁みたいなものを感じている。

みかちゃんが図書館に通い地図をコピーしたら、なんと、ひいちゃんと伊藤さんが近所だったことがわかった。地図では離れているけど、お隣同士。おまけにいつも野菜をもってきてくれるよっくんのじいちゃんも大保木出身で、いつもタケノコをとりに行く山は、なんと伊藤さんちの裏山だった。

PCで調べてみたら、「大保木カルタ」というのがあるらしいことがわかり、問い合わせると一部作成されておらず、市の教育委員会が保管していることがわかり、コピーをもらってきた。

昔の逸話や、言い伝えが綴られたカルタ。

そのカルタを見ながら、ひいちゃんが唄い・踊る。「おだいばば、よほほ~~

先週の火曜日、湯浪のジイチャンを池さんに招待した。ジイチャンは最近ちょっとしたことで体調を壊し、寝込んでいたので、大保木の話で元気が出ればと思い、昼食に誘った。

オシャレをして、池さんにやってきたジイチャンは、ひいちゃんを見たとたん叫んだ。「ひいねぇ」・・・ありゃ~、ジイチャンとひいちゃんは親戚だった!

ジイチャンは午前中、興奮してしゃべり続け、(ひわちゃんがフ~フ~言いながら作ってくれた綺麗なお寿司を食べる時間も惜しいようにしゃべっていた!)、その日来ていたみよちゃんの旦那さんとも戦争の話までして、興奮したまま帰って行った。

「久しぶりに沢山でご飯を食べたら、本当にうまかった!」と喜んで。



節目・節目で、大保木の人たちに助けられて「今」がある。

大保木の人だけではなく、皆に助けられて池さんの「今」がある。

介護サービスを行うだけの、どこにでもある事業所ではない。

「池さん」は、人と人をつなぎ、人と人が向き合う場所。

だからこそ、ここで生まれた話は、全てが物語になる。

全てが「池さん物語」

これから先も、どんどんいろんな物語を、この場所で紡いでいきたいと思う。









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