100歳の最高齢のおばあさんがついに人生を終えました。
9月25日に意識がなくなって一時は私たちも家族も諦めていたおばあさん。
ご飯も食べれなくなったので、せめて最後は綺麗にしてあげたいねと、10日目から池さんにもう一回つれていくことにした。そうしたら驚くことに元気になったおばあさん。
こうなったら何とか11月1日の満100歳の誕生日まで命が繋がってほしいと皆が思っていたら、無事に誕生日通過して、総勢30人もの親族との集合写真にも納まったおばあさん。
奇跡じゃね~と話していたら、17日のお祭りではお神酒まで飲んだりして、本当にびっくりぽんのおばあさん。
ここまできたらお正月が迎えられたらね~とか話していたら、年末を超調子よく過ごし、自分でお箸持ってご飯食べたりするものだから、100歳で身体も意識も回復できるなんて信じられないね~とかなんとか話していた。
お正月明けたら調子悪くなって、でも3日も4日も池さんに来て、7日に最後のお風呂に入って、8日に少し熱が出て、でも池さんにやってきて、9日に高熱が出て、そのままストンと亡くなった。
100歳。
90歳から池さんに来ていたおばあさん。
おばあさんは段々年をとるけれど家族は忙しく、おばあさんは毎日池さんにやってきた。
100歳のお誕生日を迎え、お正月を家で過ごし、お風呂は池さんに来て、最期のご飯はお嫁さんが食べさせてあげたウイダーとカステラ。
少しの熱だったら池さんに連れて行ったのだけれど、9日の日は高熱だったので私と大ちゃんは、おばあさんにクーリングだけして、水分の補給の仕方などをお嫁さんに伝え、主治医に連絡して往診を依頼して帰った。
仕事に出かけていた息子さんがお昼ご飯を食べに家に帰って、食べ終わってしばらくしてから最後の息。
ストンと終わった。
自分のベットで。
連絡があってすぐに駆け付けたけれど、あっさりと旅立って行った。
偶然にも主治医が往診に来る予定の時間。
前日が最後のデイサービス。
送迎時、おばあさんを迎えるかのように虹がかかった日。
池さんのスタッフは、全員でおばあさんを見送った。
心の中でありがとうと言いながら。
一番心配してくれていたおばあさんも一緒に見送った。
最後かもしれないと心の中で思いながら。
池さんの皆で見送った。
本当にあの虹の下の送迎が最後になった。
一族のドンのような存在だったおばあさん。
自分にも他人にも、きっと厳しく生きてきたのだろうと思うおばあさん。
100歳のお葬式。
親族や関係者で溢れかえるほどの、大きな大きな告別式だった。
11月1日に生まれ、1月11日がお葬式。
何でも1番が好きだったおばあさんらしい見事な最期。
100年という時間を、おそらく想像もできないほどの時代の流れを生き抜いたおばあさんの最期。
おばあさんの意思がはっきりと反映されたおばあさんの最期。
お見事!
遥かに年上のおばあさんには失礼だけど、
お見事です。
「どんなに覚悟ができていても、100歳だったとしても、やっぱりいなくなるのは寂しいね~。」と涙と流されたご家族の想いこそが、この一族の中に確かに生きてきたおばあさんの足跡。
虹の橋を渡って大空のどこかで、これから先、家族のことを厳しい目で見守っていたりなんかするのだろうなと、おばあさんの顔を思い浮かべる。
「困ったもんじゃ!」とか何とかブツブツ言いながら、空から見てるんだろうな。
10年の間には本当にいろんなことがあった。
最期の時間をここで生きてくれたことを、感謝。
スタッフに多くの学びを与えてくれたことを、感謝。
池さんに残していってくれたたくさんのことを、きっとスタッフ全員が心に刻んでいるはず。
貴重な時間と、経験と、覚悟を、感謝。
ありがとうございました。
そして、
今夜は満月。