池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

課題満載

2020-01-27 22:15:04 | デイサービス池さん

与えられる試練は、いつも最高のタイミングでやってくる。

池さんを始めてから、いつも感じてきた「タイミング」。

1か月前ならこうはできなかっただろう。

半年前には想像すらできなかっただろう。

1年前なら、課題の意味さえ分からなかっただろう。

そう思われる試練が、「今なら」と思うタイミングで訪れる。

必ず、いつも、絶妙の時に。

そして、泣きながら苦しみながらその壁と向かい合っていくうちに、トンネルの先の出口が見えてきたりするものなのだ。

壁は常に存在する。

暗闇に続くトンネルも存在する。

壁の意味に気づき、恐れることなくトンネルの入り口に向かう時、経験という力は厚みを増し、身に着けるべきスキルは、より強く育てられていくのだと思う。

 

なので・・・こんな時は、やっぱりジブリ風で。

今回は、ムスカ大佐でいきましょうか。

「見たまえ、この巨大な飛行石を。これこそ、池さんの力の根源なのだ。」

「このまま進め、光は常に雲の渦の中心を指している。」

「立てっ!鬼ごっこは終わりだ!」

「聞こえないのか。このまま進むんだ。必ず入り口はある。」

「もう少し、時間がいります。」

「航海は極めて順調ですよ。」

 

ってなわけで、みんな!

よろしゅうに!

課題は満載。

春が来るまで、もう一息。

 

 

 

 

 

 

 

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大寒

2020-01-20 22:10:41 | デイサービス池さん

本日、大寒なり。

冷え冷えとする一日。

例年よりは暖かかったそうだが、いえいえ十分冷える。

太陽の光も凍えそうに感じた今日。

 

17日、25年前の記憶を辿り、厳しい寒さの中で多くの魂に祈りを捧げる方たちの映像に心が締め付けられた。

近しい人で犠牲になった人もいて、転居を余儀なくされた人もいて、生き方を変えざるを得なかった人もいて、けれども私自身は平穏なままで生きてきた25年の月日に、言葉さえも見つからない。

ただ、人の心のエネルギーとは、なんと雄々しいものだろうと思うのみ。

何一つできないままで、ただひたすら、想いを馳せるだけの自分自身に、なんとも情けない気がするけれど、それでもどこかで、涙と共に生きてきた人たちへ、今日も想いを馳せるだけ。

大寒なり。

寒さの中で、もう盛りを過ぎたロウバイが春の香りを漂わせ、紅梅の蕾が膨らみ、早いところは咲き始めている。

池さんの玄関前の紅白の梅の蕾も膨らんでいる。

 

ばあさんたちは、「寒い寒い」と文句を言いながら、笑って今日も生きている。

鼻水を垂らしながら、元気に学校へ向かう子どもたち。

過ぎてゆく時間を想いながら、大寒を越える。

 

平和を求めながら争いごとは収まらず、利益にまみれた自国ファーストの政治にも、今だ終息しない他国の森林火災の炎にも・・・

地球の行く末にも心を揺さぶられながら・・・

今日も一日、生きた。

つつがなく。

穏やかに。

感謝。

 

 

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寒さに

2020-01-16 19:00:03 | デイサービス池さん

寒さが身に沁みます。

っていうか、結構寒さには強いと今まで思っていたけれど、去年・今年と寒さが堪えます。

年をとったからでしょうか?

いえいえ、年をとると感覚が鈍るから、あまり寒さも感じなくなると思うけれど。

そういえば、ばあちゃんたちも、汗かいていても寒い寒いと連発するので、やっぱり年をとると寒さを感じやすくなるのでしょうか。

とにもかくにも、足が冷える。

手が冷たい。

なので、頭の回転も止まってしまったように、凍り付いているような気がする今日この頃。

石鎚の山が雪帽子をかぶり、亀ケ森・笹ヶ峰も雪景色、西の山にも雪がちらほら。

子どもたちが幼い頃、雪が積もるたびに、顔を真っ赤にして、手が冷たいと泣きながら雪だるまを作って遊んでいたことを思い出します。

イヌだけでなく、子どもたちも元気に雪遊びをしていました。

大きくなると、土曜日の夜、久万スキー場へナイターでスキーに行ったことも思い出します。

中学校での少年式は、石鎚山のスキー場に行きました。

当たり前に冬は雪景色を見ていたようにも思うのですが。

あんなに雪が降ることがなくなったように思うのは、やはり温暖化の影響でしょうか。

温暖化だと知りながら、地球は危ないと思いながら、そんなこととは関係なく、寒い寒いと言いながら、寒いのは年のせいだと理由をつけながら、温暖化した地球の上で、当たり前に暖かく暮らしながら文句言っている私。

あ~これじゃいかんと言いながら、タイツの上に分厚い靴下をはいて、モコモコパジャマに毛糸のベストを着こみ、鼻水垂らす60代。

罪悪感にひしがれながら、地球の変化を身に染みて感じる冬の日です。

 

 

 

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お見事でした!

2020-01-11 19:25:15 | デイサービス池さん

100歳の最高齢のおばあさんがついに人生を終えました。

9月25日に意識がなくなって一時は私たちも家族も諦めていたおばあさん。

ご飯も食べれなくなったので、せめて最後は綺麗にしてあげたいねと、10日目から池さんにもう一回つれていくことにした。そうしたら驚くことに元気になったおばあさん。

こうなったら何とか11月1日の満100歳の誕生日まで命が繋がってほしいと皆が思っていたら、無事に誕生日通過して、総勢30人もの親族との集合写真にも納まったおばあさん。

奇跡じゃね~と話していたら、17日のお祭りではお神酒まで飲んだりして、本当にびっくりぽんのおばあさん。

ここまできたらお正月が迎えられたらね~とか話していたら、年末を超調子よく過ごし、自分でお箸持ってご飯食べたりするものだから、100歳で身体も意識も回復できるなんて信じられないね~とかなんとか話していた。

お正月明けたら調子悪くなって、でも3日も4日も池さんに来て、7日に最後のお風呂に入って、8日に少し熱が出て、でも池さんにやってきて、9日に高熱が出て、そのままストンと亡くなった。

100歳。

90歳から池さんに来ていたおばあさん。

おばあさんは段々年をとるけれど家族は忙しく、おばあさんは毎日池さんにやってきた。

100歳のお誕生日を迎え、お正月を家で過ごし、お風呂は池さんに来て、最期のご飯はお嫁さんが食べさせてあげたウイダーとカステラ。

少しの熱だったら池さんに連れて行ったのだけれど、9日の日は高熱だったので私と大ちゃんは、おばあさんにクーリングだけして、水分の補給の仕方などをお嫁さんに伝え、主治医に連絡して往診を依頼して帰った。

仕事に出かけていた息子さんがお昼ご飯を食べに家に帰って、食べ終わってしばらくしてから最後の息。

ストンと終わった。

自分のベットで。

連絡があってすぐに駆け付けたけれど、あっさりと旅立って行った。

偶然にも主治医が往診に来る予定の時間。

 

前日が最後のデイサービス。

送迎時、おばあさんを迎えるかのように虹がかかった日。

池さんのスタッフは、全員でおばあさんを見送った。

心の中でありがとうと言いながら。

一番心配してくれていたおばあさんも一緒に見送った。

最後かもしれないと心の中で思いながら。

池さんの皆で見送った。

本当にあの虹の下の送迎が最後になった。

 

一族のドンのような存在だったおばあさん。

自分にも他人にも、きっと厳しく生きてきたのだろうと思うおばあさん。

100歳のお葬式。

親族や関係者で溢れかえるほどの、大きな大きな告別式だった。

11月1日に生まれ、1月11日がお葬式。

何でも1番が好きだったおばあさんらしい見事な最期。

100年という時間を、おそらく想像もできないほどの時代の流れを生き抜いたおばあさんの最期。

おばあさんの意思がはっきりと反映されたおばあさんの最期。

お見事!

遥かに年上のおばあさんには失礼だけど、

お見事です。

 

「どんなに覚悟ができていても、100歳だったとしても、やっぱりいなくなるのは寂しいね~。」と涙と流されたご家族の想いこそが、この一族の中に確かに生きてきたおばあさんの足跡。

虹の橋を渡って大空のどこかで、これから先、家族のことを厳しい目で見守っていたりなんかするのだろうなと、おばあさんの顔を思い浮かべる。

「困ったもんじゃ!」とか何とかブツブツ言いながら、空から見てるんだろうな。

 

10年の間には本当にいろんなことがあった。

最期の時間をここで生きてくれたことを、感謝。

スタッフに多くの学びを与えてくれたことを、感謝。

池さんに残していってくれたたくさんのことを、きっとスタッフ全員が心に刻んでいるはず。

貴重な時間と、経験と、覚悟を、感謝。

 

ありがとうございました。

そして、

今夜は満月。

 

 

 

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それぞれのお正月

2020-01-06 21:26:08 | デイサービス池さん

あっという間に終わったようなお正月休み。

本日から、新しい1週間が始まりました。

朝から何度も「あけましておめでとうございます」という声が響きます。

1年に1回の一番大きなハレの日、「お正月」

新しくなったカーテンやスッキリした壁の装飾が、今から始まる時間を楽しみに待っているようなワクワクするような池さんの新しい朝でした。

 

お正月を挟んで、1週間。

私たちにとってはあっという間のお正月休み。

でも、わずか1週間という時間が、ばあちゃんたちにとって、命がけの時間となっていたことを改めて感じます。しかも、どうしても家での入浴ができない人は、自主事業で入浴を年末、年始と2回行いましたので、実際には3日か4日ほど。

 

そのわずかな時間で、意識レベルが低下してしまったばあちゃん。

反応も少なく、ボーっと目を開けて呼びかけても反応がありません。

一体何があったのかと思うほどです。

家でずっと、寝てばかりいたからでしょうか。

刺激がなくて寝続けてしまったようで、今日はご飯も食べることができませんでした。

まったく目を覚まさないのです。

 

家で、あまりご飯を食べていなかったようで、(いつもなら好き嫌いが多いのに)お皿を抱えてご飯を食べたばあちゃんもいます。

チョコレートみたいなものばかり食べていたようで、よほどお腹が空いていたのでしょうか。

カロリーと満腹感とは関係ないのでしょうね。

 

ご飯は食べていても「な~んもしゃべらんかった」と、おしゃべりし続けて帰った人もいます。

 

同じ時間のようで、人によって・家によって・いろんな時間をみんなが生きていたのだな~と思います。

それぞれのお正月。

2020年。

今からまた、新しい時間を一緒に生きてゆきたいと心から思います。

 

 

 

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初春

2020-01-02 18:03:58 | デイサービス池さん

新年に暦が変わった元旦の朝は、穏やかで暖かい光に包まれた朝でした。

皆様、今年もどうぞよろしくお願いします。

 

振り返ってみると波乱だらけの令和元年。

お正月を挟んで体調を悪くしたなかで始まった平成最後の年でした。

3月に美香たち家族が引っ越して静かになった4月。

5月初め、令和が始まったと同時に母の入院と骨折。

8月に退院した母との生活が始まって、あっという間に年の暮れ。

一年ごとに時間の経つのが早く感じられてはいたけれど、それにしても早すぎる感で一杯です。

 

「光陰矢の如し」

とはいうけれど、ただ時間が早いというだけでなくて、泥沼の中のような思考と葛藤にまみれ続けた1年という時間は、ただただ放たれた矢が突き刺さるかの如く鋭く過ぎた時間のように思います。

1年間、決して辛くて暗い時間ではなく、かといって希望に満ちたというわけでもないけれど、これからの私の人生を作っていく上での、大きな分岐点だったのかもしれないと、今改めて思っています。

激しい情熱や強い願望を抱えて、何かを成し遂げ続けるという人生のある時期を過ぎて、少し離れた所から自らの生き方を振り返り、更にこれから先の人生に向けて、今までとは違う生き方や考え方を身に着け、少しだけシフトを緩やかにチェンジしてゆくための、移行の時間だったのかもしれません。

考えすぎてしまう上に、素直な心を持ち合わせていない私のことですから、これほど大きな出来事がないと、自分の人生のペースをスローダウンすることなどきっとできなかっただろう自戒の意味で妙に納得したりしています。

命のありかや、生き方や、家族、人生について、考えて考えて考えて、そしてやっぱり最後は、「わがはからいにあらず」=「大いなる力に導かれているに違いない」の心境です。

そして今年のおみくじは、「末小吉」(こんなに微妙な吉があるなんて知らなかったけど)
限りなく苦労ができて心を使うなり・よろこびは縄のごとく半分ずつ巡りくる・・・そして一言、このみくじに当たる人は、中年過ぎまでよろず思わしからず、老年になりてようよう安堵すべし・・・云々。

もうすぐ老年、としたら安堵できるのだろうかしら。

とりあえず、全てを淡々と受け止めて、老年に備えるとします。

「老年」という言葉に、可笑しいような、残念なような、はたまた嬉しいような、複雑怪奇な気分の私ですが、齢63歳になるのだから、もう十分老年の部類になるのかもしれません。

だとしたら、これから訪れる老年という時代を潔く生きてゆくために、もうひと踏ん張り自分の道を探していきたいと思います。

どうか、穏やかな一年になりますようにと、阿弥陀様に手を合わせる初春の朝。

お正月に手にした本の帯の言葉

「はからい(分別や理屈)を捨て、自らの弱く愚かな本性に向かい合うべし。」

自分自身に向かい合ってこそ見えてくる光。

しっかり歩いてゆきたいと思います。

 

母の力で、敷地のあちこちにお花が飾られました。池さん前にも春をまつ小さな母専用の畑ができました。玄関の前も鉢植えが並んでいます。

準備の整った家で、また皆が訪れてくれるのを待ちたいと思います。

池さんグループ、今年もパワー全開で肩寄せ合って生きてゆきます。

皆様、昨年同様よろしくお願い致します。

 

 

 

 

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