とにかく暑い!
どうにもこうにも暑い!
どこにいても暑い!
みなさまお変わりございませんか?
そして、夏本番を待ちかねていたように、自己アピールに余念のないセミたち登場。
池さんの庭の木に、鈴なりにとまっているセミの様子に、これも毎年の恒例で「佃煮にして食べたらどんなかな~?」とかいろいろ言いながら、「こわ~い!」とか「おしっこかけた~!」とか、キャ~キャ~言いながら、夏を楽しむワタクシたち。
毎日、「今、何度あるか?」と言いながら車の止まっている玄関前の温度を確認しては、「キャ~!45度!」と大騒ぎ、暑い時はやっぱり冷たいものと言って、近くのお店にかき氷を買いに行ったりして、今年も幸せな夏を生きている。
いろんなことはあるけれど、こうしてエアコンの効いた室内で過ごせることを感謝したくなるほど、毎年夏の気温は高い。
愛媛新聞の記事にこんなのがあった。
「国連事務総長が警告」
世界気象機関の発表によると、今月の世界の平均気温は観測史上最も高くなる見通しとなったそうだ。
国連のグテレス事務総長は記者会見で、
「気球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が到来した」と警告したそうだ。
この記事を読んだとたん、衝撃過ぎてめまいがした。
確かにもう温暖な気温なんかではない。
地球上の多くの国で暑さで干ばつが進み、氷河が溶け、水位が上がり、災害級の事態が発生している。
沢山の人たちが食べ物を失い、生活を失い、避難するしかない状況で生きている。
暑さは局地的ではなく、地球規模に及ぶ。
グテレス氏が指摘したように、あきらかに「人類の責任」に違いない。
異常気象は、まさに異常なわけではなく、ニューノーマル(新常態)になりつつあると。
洪水や干ばつを繰り返し、最も打撃を受けるのは常に途上国の人たちや子どもたちであることを忘れてはならない。
幼い子どもたちの、やせ細った身体を見るたびに、胸は痛む。
人間の傲慢と慢心が、大切な足元を見ることなく、欲望や目先の安定を優先してきた結果なのだろう。
人間同士が争っている場合ではない、お互いを傷つけあっている場合ではない、と思うのだけれど、どうにも止まらない人間同士の争いごと。
心を痛めて、想いを寄せて、生きていくしかできないけれど、小さな自分にできることはそのくらいしかないのだろうと、思ったりする。
アイスクリーム食べてる場合ではないけれど、他者のおかれた境遇に心を寄せる気持ちを失うことなく、
やっぱり毎日この国でこの地域で安心して暮らせることを心から感謝しながら生きていたいと思うのだ。
かつて日本の国は、万物に神が宿ると信じていた。
たった一人の神ではなく、
全てのものに神が宿ると信じていた。
木にも、水にも、山にも、風にも、田にも、川にも、全てのものに畏敬の念を抱き、怖れ、敬い、大切に想ってきた。
そんな風に、生きることができたら、きっとこの地域も、地球も、穏やかに安定して続いていくことができたのかもしれない。
あまりにも、人は便利さや手早さや社会の成長を求めすぎた結果のこの暑さだとしたら、我慢するしかないのかもしれない。
もう遅いのだろうか。
何ができるのだろう。
せめて、地球上の人たちが、他者を想うだけでも、かわりはしないだろうか。
便利さや欲望を、少しだけ小さくしてみることはできないだろうか。
子どもたちや孫たちが生きる世界が、平穏であることを祈りたい。
地球が、沸く!
地球が、壊れていく!