池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

命が選び取る

2020-04-27 22:35:45 | デイサービス池さん

日曜日、クロちゃんが死にました。

家ネコではなかったけれど、本店で暮らし、池さんらしく命を終えたクロはやっぱり池さんファミリーの一員なのだと自慢に思います。

 

4月の3日から調子が悪くなり、何も口にせずに13日。

腕の中に抱き上げても、枕の向きを変えても、どうしても息苦しさが止まらない。

もう最後か、もうダメかと何度も思いながら、毎晩、夜遅く本店の電気を消した。

「生きていれば、また明日」と思いながら。

時間ができるとクロを抱き上げて背中をさすってやった。

元気だった頃は抱っこを嫌がっていたのに、クロもじっと抱かれて大人しい。

もともと寒がりだったから、いつもストーブにくっついて寝ころんでいたので、朝になるといつものストーブの前の場所に移動し、夜はエアコンをつけてヒーターの近くで暖を取って眠れるようにした。

14日目から少し安定したように見え、水とちゅ~るを少しだけ口にしたけれど、呼吸はずっと荒いままだった。

なのに、20日経った4月22日。

朝、急に呼吸が楽になった。すやすや眠るようになったクロ。

今までの苦しさが全くなくなり、穏やかな感じになった。

クロの様子はとても穏やかだったけど、私にはわかっていた。クロの最後が近づいたと。

クロはゆっくりとベット代わりの箱を出て、水を自分で飲んだ。

それからストーブの前に、いつものように座る。

抱っこしてちゅ~るを口に近づけたら、ペロペロと舐める。

そして穏やかな呼吸で一日眠る。

夕方、タオルでくるみ外へ連れて行ってやると、グリーンの目をしっかり見開いてあちこちを見ている。

たまたま美香の家族が皆で来て、お別れもできた。

夜は冷えるので、しばらく抱っこしてやると腕の中でスヤスヤ眠り始める。

そしてヒーターの前の箱に寝かせるとじっとして眠る。

23日は風が強かったけれど、お天気がとてもよかった。

ちゅ~るを少し食べ、自分で水を飲み、おしっこもいつものようにちゃんとしている。

昼前、クロはよろよろと箱を出て、いつも外へ出たいときに座る場所に座った。

ドアを開けて外へ出してやると、いつも日向ぼっこする場所までふらふらと行き、座りこんだ。

そしていつものように外を見てしばらく過ごす。

いつもしていたように。

いつもと同じように。

 

24日。

お天気がいい。

タオルで身体を包んで、池さんに出かける。

クロが生まれた所。

池さん。

家ネコではなかったけど、クロにとってここは家。

しっかり目を開けて、あちこち見ている。

今は学校も休みで子どもたちの声はしないけれど、学校帰りの子どもたちが本店の中のクロに時折声をかけてくれていた。

静かで優しい時間。

クロを抱いて過ごす時間。

 

25日の土曜日。

本店は休みなので、私は池さんと本店とを行き来しながらクロの様子を見ていた。

クロもじっと静かに眠り、時々水を飲む。

ほとんど歩くことはできなかったけれど、クロはちゃんといつものトイレまで行っておしっこをした。

 

土曜日の夜、最後に見たのは日付が変わる少し前。

抱き上げた時、はっきりと意識できた。

「もう最後だと」

命の重さを全く感じない。

目は開いている。

じっと私を見ている。

何か伝えようとしているクロの、命の重さがないのがわかる。

明日までは無理だとわかる。

「もう頑張らなくてもいいよ。よしこさんやひいちゃんがいる所へ行きなさい。」

 

私は夢を見たことを思い出す。

4月22日の夜中。

腕の中でクロがスヤスヤ息をしていて、だんだんその呼吸が弱くなっていく。

そして息が止まった。時計を見たら、3時22分。

そして、目が覚めた。

不思議な夢。

普段夢をあまり見ない私が、今でもはっきり覚えている不思議な夢。

 

25日の夜中、私はクロにお別れをして、いつものように本店の電気を消した。

4月3日の日からずっと、夜いつもこれで最後だろうかと思ってきたけれど、今日はほんとうの別れに違いないとはっきり思いながら、私は電気のスイッチを消した。

今夜は「おやすみ。」ではなく「さよなら。」

26日朝、本店に行った私が目にしたのは、歩けないのに頑張って最期に行っただろうトイレのおしっこの後と、毎朝、クロが座って私を待っていた場所の近くで横になったまま冷たくなったクロの姿。

「今日も待っていてくれたんね。」

いつものように抱き上げて布団に寝かせてあげた。

身体はもう固くなっていた。

きっと深夜に逝ったのだろう。

独りぼっちで。

いつもと同じように独りぼっちの夜。

 

次の日は日曜日。

ゆっくりクロと一緒に過ごせる。

4月3日から24日間を生きた。

苦しい息の中でも、全てを受け入れて生き切った。

抗わず、限りなく自然に、クロは生きた。

最後の5日間で皆とお別れをして、お天気の良い日曜日を選び、クロのために買ったストーブの灯油がなくなった日を、ばあちゃんが本店に植えたドイツアヤメが初めて咲いた日を、ちゃんと選んでクロは逝った。

 

限りなく自然に近い形で終わらせてやりたいと思っていた。

自らが選び、池さんという場所へ帰ってきてくれたクロではあるが、家ネコにはならず、かといって野良で生きるネコでもなく、縄張りを争って生きる強さもなく、人に媚びて生きるしたたかさも持たず、ただひたすら淡々と生活に必要な場所や人を選び、自分の命を託す人を選び、そして小さな空間で生きたクロだからこそ、その生きざまに見合う最期を迎えさせてやりたいと思った。

人が優位に立つ癒しや慰めの対象ではなく、人に愛玩されるペットとしてでなく、クロはクロとして、主張のある生き方をしたネコとして、立派に終わらせてやりたいと思っていた。

確かにそう願ってはいたが、クロが病の中で生きた最初の20日間という時間は、私にとって辛くて苦しいものだった。

クロらしい最期をと願いながら、治療という文字が頭をよぎる。

決心していても深い迷いの中にあった私が、迷いを断ち切れたのは、あの夜見た夢だった。

必ず自分で死を選び取り、必ず静かに終えることができるに違いないと、その瞬間に信じることができた。

このままがいいのだと思いきることができた。

 

死を前にして、人はだれも揺れる。

人ではない、ネコの死に際してでさえこれほど心を揺らす。

池さんで確かに多くの人を看取ったけれど、いつもこうして「これでいいのだろうか」という揺らぎの時間が存在した。

苦しみの時間を過ぎなければ、穏やかな時間には至らない。

悩みの時間を生きなければ、納得できる答えなど見つかりはしない。

老いも死も、深くて重いものなのだ。

それほど、人は複雑な生き物なのだ。

 

クロという小さな命を見つめ続けた卯月。

ペットというわけではなく、かといって野良猫ではなく、つかず離れずの関係の中で、適度な距離間の中でそれでも限りなく信頼関係にあり、ゆるやかに、一緒に生きることができた命。

この距離を保つことができたからこそ、私は今もクロとの時間を愛おしく思えるのだと思う。

そして、この小さな命の最後のありようは、ここで生きた人たちにも似て、「いつもと同じ暮らし」を強く思い起こさせてくれた。

「いつもの生活」をしみじみと感じさせてくれた命のありかは、濃い関係の人を見送った時よりもはるかに深い想いを私の心に刻み付けてくれたように思う。

 

 

「命がみえない」

と藤原新也が言ったけど、今、私は確かに小さきものの命のコアを見届けたような気がしている。

「死というものは、なしくずしにヒトに訪れるものではなく、死が訪れたその最後のときの何時かの瞬間を、ヒトは決断し、選び取るのです。」

小さなネコでさえ、命の終わりに際してでさえ弱音を吐かず、ただ受け入れ、そして確かに選び取った。

その生命力と決断力に感服しつつ。

ひるがえって人間はどうかと問われれば、天変地異のたびに、平常心をかき乱され、揺れる心に絶え絶えになりながら、なしくずしに生きるしかないのかもしれないと思いつつ。

 

 

ネコのクロ。

ゆるやかにしなやかに静かに生きたネコ。

池さんという場所で生きることを選んでくれた小さなネコ。

クロが生きた最後の5日間は、クロが選んだ瞬間の繋がり。

そのことに想いを馳せて、クロという小さなネコに敬意を払いたいと思う。

池さんで生きた小さな黒いネコのお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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介護施設ですから

2020-04-19 18:43:56 | デイサービス池さん

こう見えて、池さんは介護施設なわけで。

介護が一応専門なわけで。

なので、ワタクシ只今、クロちゃんというネコを介護中です!

 

クロちゃん

2011年頃、池さん周辺に野良猫がたくさん繁殖した時期があった。

雨が降る日に、2匹の生まれたての子猫を母猫が池さんの庭に連れてきて、そのまま育児放棄。

仕方ないから保護して2匹は飼い猫になり、その1匹が家で飼っているナウちゃんというネコ。

その次の年に、ここなら大丈夫と思ったのか、母猫は池さんの裏口あたりで4匹の子猫を生んだ。

今度は母猫がしばらくの間お乳を与えていたけれど、やっぱりそのうち母猫はいなくなり子猫だけになった。

子猫たちは次第にどこかへ行っていなくなり、結局「クロちゃん」というネコだけが池さんの周囲で暮らしていた。

真っ黒だけど、口の周りと靴下履いたみたいに足が白いネコ。目はグリーン。

とても大人しくて人懐こくって、にゃ~にゃ~とうるさく鳴くこともなく、裏口に置いた箱の中でおりこうさんで暮らしていたので、ノミ取りの薬や避妊手術もちゃんとして、外猫として池さんの周囲で結構自由に生きていた。

いつ頃からか、家のナウちゃんが縄張り意識が強くなり、クロちゃんを追いかけまわすようになったけど、クロちゃんは売られた喧嘩も知らん顔で、追いかけられたら姿を消して、またしばらくするとやって来て池さんで暮らすみたいな感じでゆるりと自由に生きていた。

池さんに本店がオープンして、私が朝本店に行くようになると、いつもどこからかやってきて、一緒に本店についていくようになった。

本店の中でもいつもおりこうさんで、フードをあげたら美味しそうに食べて、しばらく外をブラブラしたらすぐに帰ってくるみたいな感じでゆるりと過ごしていたけど、ある時でっかい汚れたもの凄くいや~な顔のオスの野良猫が近所に出没するようになって、ナウちゃんも怖くて逃げ回っていたけど、クロちゃんもその猫に見つかって追いかけまわされてしまい、結局帰って来なくなってしまった。

散々探したけどどこにも見当たらず、もともと縄張り意識のない喧嘩嫌いのネコだったから、こういうネコはいつか縄張りを追われて放浪するんだろうなと諦めるしかなかった。

 

半年ほど時間が経って、ある日の午後、汚れて骨と皮だけになった痩せたネコが池さんのテラスに座っていた。

最初はわからなかったけど、「クロちゃん?」と言うと、小さい声で「にゃ!」と鳴いた。

「クロちゃんが帰ってきた!」

急いでご飯やイリコをやるとガツガツと食べて、安心したように座り込んだ。

弱くて争いごとも嫌いだし、今までどんな風にして生き延びていたのか想像もできなかったけど、とにかくここへ帰ってきてくれたクロちゃん。

さぞかし怖い想いをしたのだろう、クロちゃんはそれ以来外へ出ることを怖がり、本店で過ごすようになった。

お天気のいい日に、少しだけ裏口から出て、2~3分遊んだら、すぐに表のドアの前に座って「早く中へ入れて~!」みたいにじっと座っている。

クロちゃんは本店の留守番役に納まった。

そして丸々と太った。

半年の激やせを補うかのように良く肥えて、可愛いネコに育った。

朝本店に仕事に行くまで、じっと入り口のガラスの前に座っておりこうさんで待っている。

仕事をしている間、冬はストーブの前にデレ~ッと転がって、幸せそうにゴロゴロと喉を鳴らしている。

調理台の上のモノをいたずらすることもなく、本当に賢いネコ。

人見知りだから知らない人がやってくると怖くて陰に隠れてしまう。

狭い空間だけど、安心できる場所で、クロちゃんはゆるゆると暮らしていた。

 

クロちゃんは4月の3日から急に調子が悪くなった。

呼吸が苦しそうで、舌もチアノーゼが起きたように白くなっている。

3日の夜、あまり苦しそうなので、夜一人にするのが可哀そうで自宅へ連れて帰った。

でもクロちゃんは落ち着かない。身体中でヒ~ヒ~と息をしながら、布団を引いた籠から這い出してきて暗いところを探そうとする。

何度も布団に戻しても、やっぱり落ち着かない。

 

大ちゃんやお父さんに相談すると、「いつもの所が安心できるならその方がいい。いつも通りでいいんじゃないか。」と。

最後の夜かもしれないと思いながらも、クロちゃんにとっては本店が一番安心できる場所なのだからそれでいいと自分に言い聞かせて、私はクロちゃんを本店のいつもの発砲スチロールの箱に寝かせた。

朝になって冷たくなっているんじゃないだろうかと心配しながら本店に行くと、苦しそうだけれどクロちゃんは息をしている。

「苦しいね~」と言いながら抱いてやる。

家ネコならずっと一緒にいてやれるけど、クロちゃんは独りぼっちの方が、ここのほうが安心なのだと思うと涙がこぼれる。

水も飲まず、もちろんご飯も食べない。足も立たなくなったけど、引きずるように身体を動かして時々ちゃんとトイレに行った。

寒いからと思ってヒーターの前に箱を置くと、自分でズルズル這い出して暗い所へ移動する。なので、やっぱり自分が気に入った場所で、安心できるところがクロちゃんにとっては一番いいのだと自分に言い聞かせるしかない。

12日間。クロちゃんは何も口にせずにただ寝ているだけだった。

もうダメだろうと思ったけど、13日後に水を飲んだ。

そして、ナウのお気に入りのちゅ~るを指につけて口に持っていくと半分くらい一気に舐めた。

それから少しづつ回復しはじめた。

喘鳴もあり日差はあるものの、現在は低いラインで安定しているような気がする。

 

食事はちゅ~るを一日1本程度。

一日に何度かに分けて、私はちゅ~るを食べさせる。

気分が良ければ今までと同じように、水は自分の手に付けて舐めるようにして飲む。

少しだけどおしっこも出ている。

ウンチはちっちゃいのが少しだけ出る。

 

なので、只今、クロちゃん介護中!

こう見えて、実はここは介護施設につき!

温度管理・食事・水分・・・介護のスキルはある!

で結局、クロちゃんはクロちゃんらしく、その命を全うするために何がどう必要か・・・ということについて、日夜考えているワタクシ。

 

それにしても生き物の生命力に感服する。

「命」は、本当はとても強いものではないかとクロちゃんを通して感じるのだ。

動物は、自らの命やその行く末を淡々と受け止める。

泣き叫んで抗うわけでもなく、死にたくないとじたばたするでもなく、かといってもういいやと諦めてしまうでもない。

淡々と命を生きる小さなものに、本当に大きなことを教えてもらう。

自然に自らの終わりを受け入れることは、人間の世界においては(医療の世界においては)やはりとてつもなく難しいことのような気がするだけに、動物が命を受け止める潔さに、改めて感動してしまう。

 

冷え込む日は夜も暖かくしてあげたいが、それでもクロちゃんは自分が思う場所で自分が楽な姿勢で、今夜も夜を過ごす。

毎日「おやすみ」と様子を見に行き、「明日の朝まで生きてほしいよ」と思いながら、クロちゃんはいつもと同じようにじっと椅子の上に座っている。

「明日の朝、また来るからね」と言いながら、私は本店の電気を消す。

朝になると、「おはよう」と、生きているのを確認する。

クロちゃんはきっといつものように、安心できる場所で眠るのだろう。

朝が来ると、生きていれば、いつものように目を開けるだろう。

独りぼっちだけれど、誰にも媚びず、誰にも邪魔されない自分だけの安心できる場所で。

いつまで生きられるかわからないけれど、たぶんクロちゃんはそれでいいのだと思う。

消えそうな命を生きるクロちゃん。

今夜も、明日の朝まで、

おやすみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人間関係に想う

2020-04-15 21:44:50 | デイサービス池さん

だれもが一人では生きてゆけないわけ。

もっとも身近な人間関係が「家族」

おそらく物心がついた時、初めて経験するもっとも近しい人間関係は「親子」や「兄弟姉妹」

少し範囲を広げて、「親戚」「近所」

成長するにつれて、「友達」や「同級生」「先生」などに範囲が広がっていく。

さらに、「恋人」や「職場同僚」「上司」などなど。

それから、「配偶者」との関係に伴って、「義理の両親」や「その親戚たち」

子どもが生まれたら、「子ども」との関係、「子どもの友達」や「その親たち」・・・

どこまでいっても、人間は一人では社会生活を送れない、いつも誰かとの人間関係に悩みながら生きている。

1人ぼっちだと、つまり自分だけだから人間関係はないわけで悩みもないはず。

でも2人になればもちろん悩みが発生して、3人になれば更に複雑な関係が生じる。

当たり前のことだけれど、こうして増え続ける人間関係は幸せや喜びを感じる時もあるけれど、胃が痛くなるようなストレスを感じることもあるわけね。

人が社会で生きていく限り、常に人間関係に由来する悩みは存在するに違いないというお話。

あの人がとか、この人がとか考えて、何でこんなに苦しいのかとか、私が悪いからこうやって悩んでいるのだろうかとか考える必要はないわけで、長年連れ添った配偶者も生まれてからずっと付き合っている親でさえ、まあいろんな場面があって、いろんな葛藤が常にあるのだと思えば、たいていのことは「まあ、しょうがないか」とあきらめることができるのではないだろうかという取るに足らないちっぽけな考察。

人間関係が辛いとかしんどいとかいう人がいるけれど、そもそも、自分だけで生きているのでない以上、人との関係は複雑で難しいのは当たり前と思って、そこから出発すればいいと思う次第。

 

健康も、望み通りの生活も、安心できる社会のありかも、正直仮想現実の社会の出来事かもしれなくて、本当の社会は、私たちが生きている本当の社会は、決して安定しているわけではなく、かといって不安定で無秩序なわけでもなく、様々な問題を抱えつつも、多くの人が誠意をもって生きている社会であると信じていたい。

複雑な人間関係の中で生きるしかないのが人間だとしたら、だからこそ、少しでも暖かくて優しい人との結びつきを大切に紡ぎたいと思う今日この頃。

社会の裏側を全部見せてくれるウイルス騒動。

建前と本音が交錯し、隠し続けた現実が具現化し、見えなくてよいものが見える春の宵。

一日も早く、穏やかな日常が訪れるよう願うばかりです。

 

 

 

 

 

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不安定との向き合い方

2020-04-05 22:37:55 | デイサービス池さん

コロナという目に見えないものに怯える昨今。

今の所感染が発生していない西条市で暮らす私たちも、マスクや手洗い・消毒などできる限り注意を払いつつ、学校が休校になったため子どもたちのことなど考えつつ静かに暮らしている。

もし、近場で発生すれば介護施設は閉鎖せざるを得なくなるだろう。

かといって、見えないウイルスを恐れすぎて恐怖の中で暮らせばいいかと言えば、最近そうでもない気がしている。

 

コロナウイルスのせいで、成長一辺倒だった社会は一時停止してしまった。

これが進歩だと思い込んでいた世の中が、この生き方が正解だと信じていた自分が揺らいできた。

安心だと信じ込んでいた社会は、ふと気がつくとそうでもなくて、結構危ない場所であったと気がついた。

仕事・会議・研修・飲み会・学校・部活・習い事・・・時間に追われて生きていかざるを得ない人たちが、ステイホームと言われて、どうすればよいのかわからなくなった。

自粛と言われても、退屈だからと若者は遊ぶ。

言い訳しながら歩き回る。

真実を確かめずデマやフェイクに簡単に踊らされ、集団の一部という感覚に安心してしまう。

 

ステイホームを嘆いても、トイレットペーパーを買いあさっても、退屈だからと不満を口にしても、ウイルス問題を解決できるはずもない。

社会の優先順位を、急ぎすぎた社会を、本当は問題を抱えていた社会を、政治の在り方を、自らの生き方を、生活の仕方を、家計のやりくりを、学校のカリキュラムを、部活の忙しさを、教師の多忙さを、会社の会議の不合理さを、仕事の選び方を・・・それぞれが考え直すきっかけにできないものだろうか。

感染することを怯えるだけでなく、この時間を、ステイホームの時間を、何か大切な時間に変えられないものだろうか。

 

酔客にまみれた雑踏のない静かな桜は美しい。

部活が休みで、子どもたちは普段できない手伝いをする。

窮屈で時間のなかった生活から、家族で一緒の生活を経験する。

都会で暮らす娘は仕事ができなくなり、学校が休みになった子どもたちと一緒に過ごす時間を手に入れる。

予想を超えた出来事に見舞われるということは、いつの時も近くに存在している。

災害かもしれないし、事故かもしれないし、病気かもしれないし、ウイルスかもしれない。

不安に押しつぶされるのではなく、最善の方法と解決への道を考えてゆくことができないのだろうか。

 

そんなことを考えていたら、作家の五味さんのメッセージを目にした。

今回のことは、働き方も生き方も、学校も国会も、いろんなことの本質が露呈された。普段から感じている不安がコロナというきっかけで表面化したと考えたら。

不安定だからこそ、よく考える。

安心と安全を前提にするから、不安をマイナスに感じるし、人間を機械のように見てしまう。

今みたいな時期にこそ、自分で考える頭と、敏感で時折きちんとサボれる身体が必要だと思う。

「そもそも、コロナ前は安定してた? 居心地が良かった?」

 

不安の中でこそ、よく考えてという言葉は、まさに同感。

方法はあるような気がする。

慣例と常識の変化に怯えたりせず、コロナに翻弄される今だからこそ、これから先の社会のありかを考えることが求められているような気がしてならない。

正しいと信じていた社会の行く末を、もう一度見直すべき大切な時間が与えられたと思いたい。

 

もうずっと昔。

子どもの頃はガーゼのマスクが当たり前だった。

清潔を求めすぎ使い捨てのマスクが主流だったが、今回のことで手作りのマスクが復活した。

我が家も娘や知り合いから手作りのマスクを貰ったので、さっそく使用してみる。

ガーゼのマスクは、肌に心地よい。

こんなことからでも、生活のありかを見直すことができるはず。

わがままに際限なく人間中心の社会を作り続けたことへの、人間への警告でもあるかのようなウイルスの脅威。

 

静かに美しく咲く花に、今日も想いを馳せる。

4月4日は24節気の中の「清明」

万物が春の陽光を浴びてキラキラと輝き、色とりどりの花が咲き、一年で最も華やかな時期。ツバメが訪れる季節。

お互いを思いやり感染を広げない努力を続けつつ、時間を大事に使って静かに美しい春を生きたいと思う今日この頃。

 

 

 

 

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視線

2020-04-02 22:38:46 | デイサービス池さん

世界中がウイルスの脅威にさらされて、こんな田舎でもマスク不足に悩む今日この頃。

人が見ていようが見てなくても、桜の花はいつもの年と同じように咲いています。

何かを期待するわけでもなく、何を望むわけでもなく、多くの花たちはただ無心に花をつけ、いつも私たちを和ませてくれています。

季節外れの雪景色の山々を背景に、見事に花を咲かせている桜たち。

慢心する人間になど気にも留めることなく、自らの役目を果たすかのように粛々と静かに咲き誇る花たち。

 

賑やかな花見はできなくても、いつもの人たちといつもの送迎車で、見事に咲いた桜を見ることができるので、何の不自由も感じていません。

桜DNAは、心のどこかでうずうずとしないこともないけれど、こんな静かなお花見もいいなあと思う今日この頃です。

この地域は、いろんな所に桜の木が植えてあります。

大頭の池さんの桜の木も、ずいぶん大きくなりました。

井上夫婦がいて、みちおさんがいて、そして今大頭の庭も桜が満開です。

自然界は、時として人間社会にとって脅威にもなるけれど、人もまた自然の一部だという思いで謙虚に生きたいと思います。

目に見えないウイルスに怯えながらも、自然のなせる業に心を癒されながら、今日も一日、つつがなく暮らせたことを感謝して生きたいと思うのです。

 

 

疾患の影響でいつも荒々しくてご飯も食べられなくなり、少しだけ静かになってほしいと家族の希望で薬の調整を始めた人。

薬を飲み始めてからいつもボ~ッとしていて、確かに静かになった。

視力も狭まり、表情もなくなり、でも静かになってご飯は食べられるようになった。

ご飯は食べられるようになったけれど、薬は少しづつ増えてゆく。

朝のお迎えの車の中でも眠り続けることが増えてきた。

薬は微妙なバランスで調整され続けているけれど、調整の着地点が家族の中で曖昧になってきた。

そして午後。

朝の薬が切れかけた頃、その人はふと自分を取り戻す。

視線が合う。

会話が繋がる。

声を出して笑う。

そして人のいる方へと歩いてくる。

「どうした?」と聞くと、「何もないよ。ありがとう」と言ってくれる。

全てが繋がるわけではないけれど、

その人はその人らしく会話をする。

穏やかな笑顔で。

 

着地点をいつも探してケアを組み立ててゆく。

全てが改善するわけではなく、全部が解決するはずはない。

どこかで、折り合いをつけるべき時がくる。

着地点を見いだせずに、もっと・もっと・もっと・・・と思い続けていると、大切な時間が削られてゆくようで、この大切な微笑みを見失ってしまうようで悲しくなる。

この笑顔を残しておきたくて、私たちはカメラを探す。

いつかきっと訪れる季節(時)を、私たちは想像することができるから。

視線が合うだけで、これほど心が躍る私たち。

皆が代わるがわる確かめる。

そんな私たちを、その人が笑う。

「もう、何しよん。」

こんな瞬間が、かけがえのない時間だと気づくことができたなら・・・

たわいもないこんな会話ができることを、愛しいと思ってもらうことができたら、きっとその人は幸せだろうと、心から思うのだけれど・・・。

夕方のこの時間。

最近私が楽しみに思う時間。

桜が咲いているのを、その目で見てほしいなと思う卯月のはじめ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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