本日の新聞記事より
大正時代、日本人女性が書いた半生記がアメリカでベストセラーになったそうだ。
杉本鉞子さんという人の「武士の娘」という本。
越前長岡藩の元家老の家に育ち、25歳で渡米した女性。
本に書かれた武家の美風や品格がアメリカの人たちの心をつかみ、日本理解を助けたとされているらしい。
それは例えばこんな場面か。
鉞子の母が、嫁ぐ娘に毎日鏡を見るように説く。「心にわがままやおごりがあれば、それは顔に表れるものです。」
・・・・・
という記事。
NHKのドラマの影響もあって、今流行の「武士の娘」という言葉に目がとまったけれど、娘へ送る言葉として「鏡を見なさい」という言葉は、確かに胸に響く。
鏡に向かって自分の顔を正面から見た時、どんなふうに感じるか。
自らの顔を目をそらさずしっかりと見ることができるのだろうか、自らの心にきちんと向き合うことができるだろうか、ごまかしていないか、適当にやっていないか、おごっていないか、裏表があったのではないか、うそをついていないか・・・いろんな問いかけが自らの心に浮かんでは消える。
リフレクション、「内省」という言葉があるけれど、確かにこういう気持ちで鏡を見る習慣は大切なことなのかもしれない。
と思った今日の新聞記事。
その上、更に本日の新聞に「藤田家族」の藤田さんの記事が見開きで掲載されていた。
先日の有機農研の会を池さん本店でしてくれた時、本当に久しぶりにお会いして嬉しくなったけれど、またまたでっかい記事で登場してて嬉しくなった。
タイトルは「食と平成」ー「普通のご飯」が一番難しい時代ーとあった。
流通過程が複雑になりすぎて「食の道筋」が見えない時代。
グルメの先にたどり着いたのは、飽食と貧困、過食に拒食、食料の6割を輸入しながら年間646万トンを廃棄する社会の現実。
そんな社会の中で、生産者と消費者の関係を大切にしたいという藤田さん。
その先には、多少手間でも豊かな生活があるんじゃないかと信じて。
藤田さんは就農14年目。
簡単なようで難しい「普通の暮らし」を積み重ねる生活者だと記事は結んであった。
まさに同感。
インスタのために食べ物を探したり、お金や時間を使ったり、食事は画一的コンビニメニュー、なぜならどこも同じ味で安心だとか・・・
「普通のご飯」と「普通の暮らし」こそが大切だといろんな人が気づけば、ひょっとして流通や販売や料理法やいろんなことが変わっていくかもしれないと思いつつ。
グルメはグルメでしかなく、流行は流行でしかなく、大切なことは、きっと毎日の小さな手仕事や食事に隠されているのになあと思う。
一番難しいと書かれている「普通のご飯」は(この前のブログにも書いたけど)、顔の見える人が大切に心を込めて作ったお野菜を、食べる人のことを想いながら手間を惜しまずに料理して、大切な人たちと同じ食卓で頂きますと感謝して頂くのが「普通のご飯」
地産地消・知産知消なり。
もうすぐ改元。
平成という時代は、明らかに社会自体が大きく変化を遂げた時代。
時代と共に変化してゆくものもあるだろうけれど、反対に変わってはいけないものも確かにあるはずで、でも変わるしかないのだろうかと、そういう時代になってしまったのだろうかと、心の中で考える。
世の中と世界が、間違った方向に進んでなければよいのだけれど・・・と思いつつ。