池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

55歳通過!

2012-08-26 22:29:59 | デイサービス池さん

いやはや、24日で55歳地点を無事通過しました!皆様どうもありがとう!

元気印のワタクシが、7月は10日間も寝込んでしまいました。

年齢の重みを感じながら、ワタクシなんとか元気に暮らしています。

ずっと長い間、ひたすら突っ走ってきたように思います。

今回の病気のおかげで、ちょっとだけ立ち止まることができました。

休んでいる間支えてくれた皆のおかげだと感謝しています。ありがとう!

肩に力を入れて頑張るのではなく、年を重ねるほどに「しなやか」に「たおやかに」生きていきたいと思えるようになりました。

生きていくことに、想いをかなえることに、「かたくなに」ならずに生きたいと。

でも、常に「しっかり」前を向いて生きていきたいと。

次の世代の人をしっかり育てていきたいと。

そして何よりも、年齢を重ねるほどに暮らしの全てを、今まで以上に「シンプルに」生きたいものだと思います。

「すっきりと美しく綺麗に」生きていきたいと。(・・・あっ、これ、顔じゃなくて生き方のことね

 

遅れていた実家のお墓参りを済ませ、家中を片付け、家中の掃除を終えて・・・

あっ、伸び放題だった髪もバッサリ切りました。

 

クリアな気持ちで、また新しい一年を、

私自身の歴史を刻んでいきたいと思っています。

 

いつだったか、ヒイちゃんが教えてくれました。

「年は取るもんじゃないんぞ。年はもらうもんぞ。」

「よい年」がもらえるように・・・

55歳という1年を、よい1年となるように、しっかり生きてゆきたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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地球のゆくえ

2012-08-21 21:01:23 | デイサービス池さん

今だ続く地震に猛烈な夏の暑さ、そしてピンポイントで襲いかかる豪雨・・・

今まで採れていた野菜が育たなくなり、魚がその生息地を変えてゆく。

池さんでは、雨が降らずにゴーヤが不作。トウモロコシはほぼ全滅。いつもはうるさいほど生えるシソなども例年に比べて少ない。

今年はサンマが不漁だとか。

魚も温暖化に伴って、その生息地を変えていく。

夏の暑さも尋常ではなく、お風呂の温度を軽く越えているのだから・・・。

 

この先、地球はどうなるのだろう?

温暖化は、流氷さえ溶かしてしまう。

人間は、この変化してゆく地球で生き残れるのだろうか?

 

夜空に光り続ける星たちは、いにしえの時から変わってはいないのに。

足元の地球は、おそらく悲鳴を上げているに違いない。

  

地球が、神が、怒っている。

そんな気がしてくる今日この頃。

 

それでもお盆を越して、少しだけ涼しくなった夏の夜。

日々の暮らしのあわただしさの中で、夜風と虫の声が秋の訪れを告げているような大頭の夜。永遠に終わらないかの様に思えた夏が、それでも少しだけ秋の気配を感じる今宵。

久しぶりにエアコンを切って、ヒイちゃんとまあちゃんは眠りについた。

 

そして夏の暑さだけでなく、更年期にも喘ぐワタクシは、エアコンを切った部屋で、汗を拭き拭き地球の将来に思いをはせているわけです。ハイ!

あ”~~~

地球の将来は一体どうなるのでしょう?

そして・・・ワタクシの将来は、一体どうなるのでしょう・・・?

あ”~~~どうか絶望だけに終わることのないように・・・神様仏様

 

 

 

 

 

 

 

 

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ヨッシーの変身

2012-08-15 22:58:30 | デイサービス池さん

ヨッシーという人がいる。

大正12年生まれの彼女。

結婚してすぐ、ご主人とは戦争のために離れ離れの生活を送った。

ヨッシーは、嫁ぎ先の両親や親族の人の世話をずっと続ける暮らしをしてきた。

若い時から黙々と働き続け、次々と身内を世話し看取り、自分のことなど何一つ楽しむ余裕などなくただひたすら生きてきた。遊ぶことなど考える暇もなく生きてきた。

ヨッシーは農作業に精を出し、皆に尽くし、立派に子どもを育てて、そして年をとった。

ご主人を失ってから、ヨッシーは元気がなくなっていた。

そして1年前、ヨッシーは病に見舞われた。

意識が戻った時、命を繋ぐためにヨッシーのお腹にはストーマーが増設されていた。

ヨッシーは命を取り留めたが、それ以来家に閉じこもってしまった。耳も遠いので、近所の人とも交流しなくなった。

冬。ヨッシーは一日の大半を火鉢の前で過ごし、家族のいない日中は沢山のネコだけが相手。

「もっと明るく元気に、毎日を生きて欲しい」と強く願うご家族の希望で、ヨッシーは池さんにやってきた。

当時、池さんは介護予防の受け入れを行っていなかったが、自主事業を利用すると自己負担が多くなるので、急いで私たちは介護予防の申請手続きを行った。ヨッシーが利用できるようにと。

 

そして、ヨッシーは池さんの利用者となった。

ヨッシーがデイを利用することに何一つ問題はなかったのだが、唯一の課題はパウチの種類に思えた。

当時ヨッシーが使用していたパウチは、開放型だった。(パウチの下部が開くようになっているもので、便が溜まると下から捨てるようになっているタイプ)

便を捨てた後の便臭が、常にヨッシーにはあったのだ。

狭い空間で、いろんな人が一緒に過ごすために、どうしてもこの問題を解決する必要があった。

ご家族と相談を重ね、池さんの主治医に助言を受けながら、私たちは何タイプかの密閉型(便が溜まるとパウチごと交換するタイプ)を試して、ヨッシーに合うタイプのパウチを見つけることができた。

「こんなになると思わなかった。気が付いたらこんな身体になってしまっていた。」と言って、いつもストーマー増設の話をしていたヨッシーが、全くその話題に触れなくなった頃、新しいパウチに慣れて臭いの問題も解決できた頃・・・ヨッシーは変身し始めた。

自分のためにお化粧などすることがなかったヨッシーは、ファンデーションを塗ってデイに来るようになった。

自分の着る洋服など長い間買ったこともなかったヨッシーが、服を買うためにお嫁さんと共に「ユニクロ」に出かけるようになった。

そしてお嫁さんが履いている靴を見て「私にも買って来て」と頼むようになった。

 

私たちは、ヨッシーに老年を謳歌して欲しいと願う。

池さんにいる間は、できる限り笑って過ごして欲しいと願う。

今まで働くことしか知らなかったヨッシーは、「遊ぶということは、なかなかしんどいもんじゃな!」と笑いながら、ドライブを楽しむ。

 

大きく変身を遂げた、ヨッシーばあさん。

ヨッシーの声はでかい。「アッハッハッハ・・・・」とヨッシーが笑うと、池さん中に大きなヨッシーの笑い声がこだまする。

笑っている理由がわからなくても、ヨッシーの笑い声につられて誰もが笑う。

今では、池さんになくてはならない人、ヨッシー。

笑い声と共に、とてつもなく大きな人柄が、皆の心を癒してくれる。

破格に大きいその心に、誰もが引きつけられてゆく。

ヨッシーと言う人間の器のでかさに、いつも圧倒される。

生きてきたヨッシーの人生の歴史に、感動を覚える。

 

火鉢を抱えてネコを膝に、どこへも行かずに過ごしていたヨッシーは今、ユニクロの服を着て、流行のサンダルを履き、口紅をつけて、ピンクの花柄の帽子をかぶってやってくる。

「今日はどこへ行く?」と聞くスタッフに、「どこへでもお供しますよ!ハッハッハ!!!」と豪快に笑いながらやってくる。

ヨッシーは、ボケた人も泣く人も文句ばかり言う人にも、ためらうことなく臆することなく話しかける。耳が遠いことなど気にせず、誰にでも親しく話しかける。

 

誰かのために生きてきたヨッシーは、今自分のために時間を生きている。

 

やっと自分のために生きるようになったヨッシーを、ご家族は笑顔で迎える。

見事に変身したヨッシーを、「今日もしっかり遊ばせてやってください」というのが、ご家族の願い。

 

ご家族の希望通り、私たちは毎日ヨッシーを、山へ海へスーパーへと連れ出すのだ。

そしてヨッシーは言う。

「ハッハッハッハ!あ~今日も遊ぶのにいよいよ、忙しかった」・・・と。

 

 

 

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アスリートたちの心

2012-08-13 20:25:55 | デイサービス池さん

オリンピックが閉幕した。

ロンドンまで行くことなどできない私は、つねに受け身の立場だから、テレビで放送される部分しか見ることはできなくて、本当はメダルが取れなくても、見たいと思った競技が多くあって・・・でもまあそれは仕方ないかとあきらめなければならないわけで・・・

テレビで放送された(注目された)競技だけでも、本当にいろんな思い出深い名場面に出会えた。言いつくされた言葉だけれど、「感動をありがとう!」みたいな気持になってくるわけで・・・

 

今回のオリンピック。競技の勝敗よりも私は、アスリートたちの精神力に頭が下がる思いがした。

期待されて取材されて、それでも驕ることなく結果を出す精神力。

負けを経験し、より多くの練習を重ねて雪辱を果たす精神力。

拮抗した場面でも、迷うことなく勝ちをイメージできる精神力。

4年間という長い歳月を、自らが選んだ道にただひたすら取り組むことができる精神力。

この恐るべき精神力を備えたものだけが、真のアスリートとして足跡を刻むことができるに違いない。

決して運だけでも、力だけでもない。まして勝敗だけでもない。

メダルを手にした人だけが、立派なわけでもない。

ただひたすら競技に臨む人たちに、心からの敬意を表したいと思う。

 

そして・・・願わくば、私自身もアスリートとまではいかなくても、決して曲がらない信念を支えることができる強くてしなやかな精神力を身につけることができれば・・・

いまだに迷い悩む自分自身の弱さを想い、

この年になっても、いえなったからこそ願う、オリンピック閉会式の夜。

 

 

 

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3ヵ月の思い出

2012-08-09 22:43:50 | デイサービス池さん

5月、私たちはTさんと出会った。

比較的元気な人が多い大きなデイの利用者だったけれど、(たぶんこれから先のことを考えて)池さんを利用することになった人。

最初、娘さんと共に見学に来られたTさんは、ゆっくりゆっくりと納得いくまで聞き続ける人で、そのたび娘さんは少し硬い表情で、でも決して怒らずに根気よくきちんと説明を繰り返す・・・これだとお互い毎日が大変だろうなと思ってしまう印象の人だった。

4月末、私たちはデイ利用の契約のために初回の訪問に出かけた。

Tさんは、こだわりがとても強く納得できないことは頑として受け入れない。しかも、忘れたり勘違いを繰り返すから、一つのことを理解するためにとても時間がかかってしまう。家族はそれを納得させ説得しようとするものだから、時間をかければかけるほど、余計に混乱が大きくなってしまう。結局この日、私たちは契約書も渡せず、利用の説明すらできず、ただTさんと家族のやり取りを聞くだけに終わってしまった。

どんな人も初回の利用は、スタッフ全員が緊張感を持って迎える。どんな人なのか・どう関わればいいのか・話し方・座る位置・食べ方・入浴の誘い方・時間の過ごし方・・・タイミングや表情を読み取りながら手探りで関わるポイントをつかんでゆく。笑顔になる瞬間・落ち着かなくなる瞬間・・・いろんな時を見極めてゆく。

Tさんもそうだった。私たちは、緊張のうちに一日を終えた。

そして送りの時、Tさんは笑顔で帰っていった。家族の人が「父のこんな笑顔を見たのは、本当に久しぶりです。」と言って笑って喜んでくれたが、その時私には、おそらくこの家族また、介護生活の中で、笑顔で会話をすることも長い間なかったのではないか、と思えたのだ。

Tさんと出会ってしばらくして、私たちはTさんを誘ってドライブに出かけたり釣りにも出かけることができるようになっていた。

何かに囚われることもほとんどなくなり、スタッフの名前を一生懸命覚えようとするTさんのために、胸に名前を大きく書いてスタッフは仕事をした。他の利用者とも話しこむ場面もあり、特にバスの運転手をしていた頃の話は、本当に面白かったし、カブトガニを皆で見に出かけた後は、何度も「エビ・エビ」と言って、皆で大笑いした。

 

Tさんは認知症治療薬を使っていた。

この新しいタイプの治療薬は、服用するのではなく貼るタイプ。

もちろんこの薬を使っていても、Tさんの様々な障害(見当識や記憶障害など)が好転するわけではなかったので、おそらく良くならないことを理由に薬の量が増えてしまったのだ。

利用し始めて2ヵ月になる頃、薬の量が増えた頃から、Tさんは大きな変化を見せ始めた。食欲不振になり急激に痩せはじめ、足元がふらついて転倒をするようになった。何度もベットから落ちたり、ボーっとして焦点の合わない感じの表情をすることが増えてきた。発熱もあり、嚥下も悪くなり、そして診察の結果、「薬の副作用かもしれないから、一度薬をやめて見ましょう」ということで、この認知症治療薬をやめることになった。

それからあっという間の日々だった。あっという間にTさんは亡くなった。

 

最後のデイの日。

一段と痩せた身体。言葉もはっきりしない。表情も硬い。いつもとまったく違うTさんがいた。

それでも横に座ると「ママさん」と言っていつものように、Tさんは丁寧に挨拶をしてくれた。目線が合うと、声にならない声で「ありがとうございました」と、いつものようにお礼を言ってくれた。

ほとんど自力で歩くのが困難な状態だったけど、それでも後方から支えてゆっくり部屋を歩くTさんの姿が目に焼き付いている。

 

たった3ヵ月だった。

出会った時、主たる介護者の娘さんは、自身の身内にも重病の方を抱えながらも、離れた場所に住む父親の介護を続けていた。

後で聞いたところによると、「ずっと長い間、父をあまり好きではなかった」そうだ。その娘さんが、「池さんに出会えて、父を好きになれた。」と言ってくれた。「だんだんわからなくなっていく父に、どう接したらいいかずっとわからなかったけれど、ボケていくことをしかたないことだと思った時、全てを受け入れることができた時、父を心からかわいい(愛おしい)と思うことができた」と。「池さんに出会って、私自身が変わることができた」と。

 

今考えると、Tさんとの3ヵ月はまさにターミナルの日々だったように思う。死を前にして、Tさんが心地よく最後の時を過ごすために、家族が家族として心から愛おしんでTさんを見送るために、家族の中の確執をすべて消し去るために、Tさんが選んでここへ来てくれたのではないか、そんな気がしてくる。

入院中、「退院したら、大頭を(宅老所)利用させてもらえないか」とケアマネから打診があった。「ご家族の希望があれば、退院が決まったら相談に応じたい」という返事のまま、私たちは葬儀に出席することになってしまったのだ。

 

Tさん。

もし最後の時をゆっくり穏やかに楽しむために、あなたが池さんを選んでくれたのだとしたら・・・もう一度、笑顔を取り戻すために選んでくれたのだとしたら・・・

私たちは、3ヵ月の日々を、あなたは確かに喜んでくれたと思っている。

なぜなら、長いTさんの人生の思い出の中で、ご家族が最後の葬儀のビデオに選んでくれたのは、出会ってたった3ヵ月の池さんの写真の数々。毎日ノートに貼っていた「池さん日記」の写真だったのだから。

笑顔のTさんがそこにいたことを、ご家族が大切に思っていてくれたことこそが、Tさんがここへきてくれた意味だと、私たちは考えている。

長い人生の中で、きっといろんなことがあったと思う。

本当は、もっともっと深く濃くTさんという人を知りたかった。

 

わずかな時間しか共に過ごせなかったけれど・・・わずか3ヵ月だったけれど、やはり大きなことをTさんという人に、教えてもらったように思う。

 

「決して明日があると思うことなく、今日という一日を一生懸命向き合うことの大切さ」

私たちのデイの在り方を、改めて考える機会を与えてくれ、命を託してくれる人たちの心の支えになれるように想いを込めて過ごすことを教えてくれた。

 

Tさんの最後が教えてくれたことを、決して無駄にしない様に・・・

 

 

 

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立秋のつれづれ

2012-08-07 21:00:06 | デイサービス池さん

暦では立秋らしい・・・が、この暑さは一体どうしたというのだろう?

明らかに地球温暖化の影響か、地軸が歪んできているのか、私たち人間が、この地球を変えてしまったのだろうか?

大頭に植えた桜もアジサイも畑の作物も、日照りのせいで葉が変色しつつある。

いくら水をかけても追いつかず、焼け石に水とはこういう光景をいうのかもしれないと思う。

デイはもちろんエアコンを稼働しているが、年寄りたちは暑いさなかに「どこ行く。そこ行く。あそこ行く。」と、元気印この上なし!

ボケて暑さがわからないわけではないだろうに、あきれるくらい出かけるのが好きな人たち。暑いの苦手なワタクシは、オリンピックなど見ながら、涼しい部屋でのんびり過ごしたいと思うけれども・・・年寄りは誰一人「今日は暑いから部屋で過ごす」という人はいない!暑くても、というより暑いさなかに、ドライブやスーパー巡りに精を出す。これじゃ、長生きするわけだと妙に納得したりして・・・

 

8月は、いろんなことを思い出す月。

縁ある人たちとの様々な時を思い出す月。

いろいろな思い出や出来事に心を巡らしながら、ちょっとだけ立ち止まってみたくなるような月。

 

・・・とはいえ、大汗かきながらでは、考え事する余裕すらなくなってしまうような気もするわけで。

 

「立秋とは 暦ばかりの 夏の夜」

「猛暑 酷暑 どっこいしょ!!!」

 

皆様もどうぞ、お元気で

 

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再び・・・

2012-08-01 20:43:36 | デイサービス池さん

いやいや・・・ご無沙汰しました。

ワタクシ、2週間ぶりの大頭です。

恥ずかしながら・・・ワタクシ寝込んでいました!

10日間の自宅休養。

鉄の女を自認するワタクシが、なんとウイルス性の腸炎とやらにかかってしまいまして、3日間高熱と激しい下痢に襲われて、その後の体力の回復も遅く、めまいやらむくみやら口内炎やら、ここぞとばかりにいろんな症状にみまわれて布団の上で、のたうちまわっておりました。

池さんを始めてから、7年間で発熱はたったの2回。しかも3日程度しか寝込まなかったのに、こんなに長い間動けなかったのは、記憶にあるだけで22年ぶりのことです。(どんだけ元気者だったことか!)

まさに青天のへきれき!

藪から棒!

猿も木から落ちる?!

河童の川流れ?

雨降って地固まる?

棚からぼたもち???(ちょっと違うか?)

 

まあ、いずれにしても、今回急にこんな風に寝込んでしまって、仕事に行けない日が続いたことで、いろんなことを考えました。

大ちゃんやスタッフ皆が、ワタクシの欠勤の穴を埋めるために本当に頑張ってくれたことは感謝です。皆の気持ちが強く結びついたと感じています。 

そして、今までずっと池さんという渦の中にどっぷりつかっていたワタクシにとっても、少し離れた場所から池さんを考えることができたこと、貴重な経験だったと思っています。

少しだけ「池さん」という場所の将来について、これからの自分自身とこの場所の関係について、考えることができました。

 

そして・・・やっと口内炎も治り、普通食が食べれるようになった今日、ワタクシは久しぶりに大頭に泊まります。久しぶりのヒイちゃんやまさこさんとの夜。

なんか新鮮で、穏やかで、優しくなれる気がする今宵です。

 

 

 

 

 

 

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