池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

その人の人生

2016-01-31 01:52:59 | デイサービス池さん

「どんな人生を送ってきたのだろう。若い頃、どんなふうに生きていたのだろう。」と思うことがたびたびある。

 

1人のおばあさんがいる。

身体が不自由なおばあさんは、自分のことを「こんな不具者」と小さくなって生きている。

デイを利用し始めた頃は、遠慮して遠慮して、大きな声で笑うこともなく、いつもひっそりとほほ笑むだけだった。

いつもバカな冗談ばかり言っているスタッフを前に、「こんなことを言っても誰も怒らんのん?」と不思議そうな顔で聞いたおばあさん。

「だ~れも怒ったりせんよ」と答えると、「ええねえ。みんな仲良くて」とやっぱりほほ笑むだけだったおばあさん。

しばらく時間が過ぎた頃、おばあさんがある日大きな声で、「ウハッ!ウハッ!ウハッ!」と大きな声で笑った。ハッハッハでもなく、ガッハッハでもなく・・・ウハッウハッウハッと。

私はその笑いの壺をしっかり理解したので、次の利用日から、同じようにやってみた。

おばあさんは、そのたびいつも大きな声で笑ってくれた。ウハッウハッウハッと。

「こんなことを言うてもかまわんのん?」と聞くおばあさん。

おばあさんは若い頃、農作業中に機械で事故にあったため身体が不自由になった。

小さな身体には大きな傷跡がはっきりと残っている。

お風呂に入るのもトイレに行くのも、全てに手助けが必要な上に、おばあさんは年をとり自分の事を自分でできなくなってしまったのだ。

おばあさんは、ひっそりと生きている。自らのことを不具者と呼び、自らで自らを傷つけながら。

不自由な身体は、どれほどの大きな事故だったかを今でも物語っている。そして昔の医療のすさまじさをはっきりと示しているのだ。

どんな暮らしをしてきたのだろう。リハビリなどなかった時代。

どんな生活をしてきたのだろう。不自由な身体で。

だから、私はいつもお風呂で念入りに背中を流し、不自由な右手をゆっくりと(洗身タオルではなく)手で洗ってあげる。

「もうええ。もうええ。申し訳ないけん。もうやめて」と必ずおばあさんは私に言う。

でも「背中を洗いたいんよ。洗わしてね。」と私は必ずおばあさんに言う。

「こんな私に優しくしてくれてありがとう」とおばあさんはいつも涙を浮かべてくれる。

「ここはほんとにええとこじゃねえ。皆が仲良しで、ええ人ばっかりじゃねえ。」とおばあさんは言ってくれる。

だから私は、おばあさんの笑いの壺に突っ込みを入れて、おばあさんに笑ってもらうのだ。

おばあさんは今日も一杯笑ってくれた。

ウハッウハッウハッと。

ひきつるような笑い声で。

 

おばあさんを家に送っていく。

気分転換に、近くの神社の早咲きの梅を見てから送っていく。

おばあさんの部屋の戸には、こんなでっかい紙が貼ってある。「戸をしめる」

おばあさんは度々戸を閉め忘れるらしい。

身体が不自由でズボンが上げにくいので、おばあさんは冬なのに下着とパンツだけで過ごすことが多い。

おばあさんは、いつも一人でご飯を食べる。自分の部屋で椅子にも座らず立ったままで。

お茶の用意をしに台所へ行って、おばあさんの部屋にコップを持って入った時・・・私の目に映ったのは、おばあさんが立ったままで、手づかみでご飯を食べている姿だった。

私は見てはいけないものを見てしまったような、心をナイフで刺されるような気持ちになった。

何も言えなかった。何も。

「さようなら。またね。」と、ひきつった顔で言うのがやっとだった。

 

心が重い。

心が痛い。

周囲を気にせずに、大きな声で笑うことができるおばあさんが、息をひそめるように部屋で暮らしている事実は、余りにも心に重い。

どうやって生きてきたのだろう。

どうやって暮らしてきたのだろう。

想像しても想像しようとしても、私にはおばあさんの暮らしが想像できない。

涙を拭きながら、

それでも、おばあさんの人生を想っている私がいる。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドライブスル―

2016-01-26 22:30:28 | デイサービス池さん

ずっと10年間、「食」にこだわり続けてきた。

それはやっぱり人の基本的な所を支えているのは「食」だと確信してきたから。

だから、池さんで作るご飯は、いつも季節の野菜をメインにしたものばかり。

冬の時期はいつも大根やカブが食材には入っているし、夏は茄子やきゅうりが中心の献立になる。大鍋のおかゆや雑炊も、欠かせない冬の献立。

池さん本店でも、季節の野菜を中心に、お惣菜を考えている。

持ち帰りのお弁当は、忙しいご家族が年寄りのご飯にストレスを感じなくてもいいように、デイの帰りに持って帰るように用意している。

採算ベースに乗るにはまだまだだけれど、手間暇かけた献立をお弁当にして持ち帰ってもらい介護生活を送る家族の手助けになりたいと心から思っている。

もちろん、部活のお弁当や個人のお弁当にも応じていて、地域のいろんなシーンで池さんの食が日の目を見ることを願っているわけで。

付け加えるなら、宴会も受け付け中。他のお客と一緒ではないので子ども連れにも安心で、楽しめること間違いなし。

 

で、ばあさんのお弁当買い物風景。

デイの送りが始まると、池さんの車に乗ったばあさんは、池さん本店に横付けする。

お弁当を持ったスタッフは、ドライブスル―でお弁当をばあさんに渡す。

ばあさんは財布の中のお金をスタッフに支払い(お金の受け渡しが難しい人は、1ヵ月まとめてご家族から頂いている)

、無事買い物完了。

本店のスタッフは、お見送り。

 

たったこれだけのことだけれど、独りで買い物にいくことができないばあさんにとって、デイに行って買い物をすることができることは、きっと楽しみになるに違いない。

(ちなみに、池さんでは買い物がイベントとして存在することはない。買い物は必要な時にするもので、買い物の日を作って、大きなバスに乗って買い物に出かけたりすることはナンセンスだと思っている)

お弁当はただのお弁当ではなく、ばあさんにとって大きな意味を持つお弁当なのだ。

ご家族は、ばあさんの持って帰ったお弁当を広げて、とりあえずばあさんの食事を終わらせる。

ばあさんはお腹いっぱいになったら、あとはゆっくり眠くなるまでテレビでも見て過ごせばよい。

介護する家族は、それからゆっくりご飯を用意すればいいのだ。

 

在宅を支えるために考える。

生活者として生きることをとことん考える。

人として生き切ることを考え抜く。

そうやって池さんは育ってきた。

これまでも、これから先も、ずっと。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

励ましてくれる人

2016-01-22 22:41:24 | デイサービス池さん

水曜日。

ある会を池さん本店で行った。(ちなみに本店は宴会も受け付けてます)

ワタクシもメンバーの一人なので、売上に協力するため(?)頑張ってビールを飲むわけで

で、いろんな話をしていたら、経営の話になり(経営者ばかりの会なので)、どこもいろいろ大変だということになったのですが・・・

「しんどい時ほど、ぶれたらいかん!」と言ってくれた人がいたわけで。

「どれほどもうだめかと思っても、一本筋を通してやっていたら、きっと上に上がれる時が来る」と。

「そんなときこそ、目先の利益を求めたりせずに一生懸命に、芯をもってやらんといかん」と。

「目先の利益は一時的なものでしかないから、芯を曲げたら後できっと後悔する」

「大事にしてきたことを、忘れんように、見失わんように」と。

「絶対にぶれたらいかん」と。

励ましは心に染みた。

弱っていたワタクシの心にゆっくりと吸い込まれていく。

その人に経営の苦しさを告げたわけではなく、ただいろんな話をしていたにすぎないのに、そんな話の中から、さりげなく励ましの言葉をかけてくれた人たちがいた。目の前に。

ぶれたらいけないことは心ではわかっているものの、時折迷う気持ちが沸々と湧きあがってきて不安に押しつぶされそうになるワタクシ。

10年たっても、何も変わらずやっぱり迷いはなくなりません。

それでも、周囲を見渡すと、池さんを応援してくれている人はいっぱい。

理解してくれる人がいる、励ましてくれる人がいる、応援してくれる人がいる、訪れてくれる人がいる、池さんを想ってくれている人がいる・・・いろんな人の想いに応えてゆきたいと、その人たちのためにぶれずに頑張っていきたいと思う金曜日の夜。

たくさんの人たちの想いを、希望にかえることができますように。

ワタクシ自身の生きる希望に。

大頭の家のテレビでは魔女の宅急便をしています。人生の中で迷いの中で生きる小さなキキのように、迷いと共にあっても、芯を持って生きたいと思う夜勤の夜です。

PS.居酒屋池さんからのおしらせ
毎月一回、池さん本店は居酒屋になります。月に一度だけの居酒屋です。今回は明日23日土曜日。お料理代1500円。飲み物代は別です。いろんな人と、新しい縁を紡いでいけたらと思っています。よろしかったらどうぞご参加くださいませ。池さんスタッフや大ちゃんともお話できますよ。もちろん美人のワタクシとも。介護の事だけでなく、いろんなことを話せる場です。ゆるやかで楽しい場にしたいと思っています。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時間の感覚

2016-01-18 21:42:24 | デイサービス池さん

低気圧が大きく勢いを伸ばし、風の強い夜です。

みぞれのような雨が降っていて、時折ガタガタと家じゅうが揺れるほど、風が吹いています。

ネコのさかなが珍しいことに、おとなしく部屋で寝ています。

 

時間の長さの感覚について少し。

さてさて1月は半分過ぎただけだと、本日やっと気がついた次第。

もう何か月もたったかと思えるほどの毎日です。

12月17日にまさこさんを看取り、今日までの1カ月の間に、3人もの人を見送りました。

気持ちを立て直す暇もないほどの、早すぎる時間の流れです。

毎日の時間は早いのだけど、感覚として遅いのです。

自分の時間の感覚が鈍っているように思えてきます。

感覚を元に戻したいと思うけれど、どうやらそんな暇はなさそうなので、このまま感覚をずらしたままで元気に生きてゆきたいと思います。

でも、どうか・・・なにとぞ・・・もうこれ以上はご勘弁を。

これ以上続くと、身体と気持ちが保てません。

 

今宵の寝言は・・・かつてなかったくらい大声で家じゅうに響きわたっています。

「あの故郷へ帰ろかな~~~帰ろうかな~~~」(ワンフレーズ繰り返しエンドレス)

と聞こえてきます。

今夜もリンちゃん、元気です。

リンちゃんになりたと思える夜です。

暴風雨の中の夜勤です。

皆様どうか、お風邪など召しませんように。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さむっ!

2016-01-13 21:48:35 | デイサービス池さん

急に冬がやってきたかのような寒い日でした。

皆様お変わりありませんか?

こう寒いと風邪引く暇もないわけで、とにかく皆で集まって、ひたすらおしくらまんじゅうしているのがよいのかどうだか・・・わかりませんが、とにもかくにも、池さんのばあさんたちは皆、風邪も引かず、元気に毎日やってきております。

凶のおみくじを今年の心の戒めにPCに貼って、本日も元気に夜勤に励むワタクシの耳に聞こえてくるのは、「シ—シ—シの歌」。もちろん歌手はいつものリンちゃん。

「シ—シ—シ・・・シ—シ—シ—・・・あ~あ~シ—シ—シ—・・・」シ—シ—シ—とリンちゃんがひたすら歌い続ける午後9時。

 

今日のおはなしです。

本日もいつものように、カバンを忘れ、財布を忘れ、時間を忘れ、まあボチボチといつものようにやっておりましたら、帰りの送迎車の中で、一人のばあさんが「あんた、若いのにどうならい。気の毒に・・・」と同情してくれるものですから、「あ~本当に、この忘れんぼの頭を誰かの頭と付け替えてほしいわあ」と申しましたら、そのばあさん、「私の頭と変えたげようか?」と言いました。

いくら忘れんぼだとは言え、ボケたばあさんの頭と変えられては困りますので、「いいえ、結構です。」と丁寧にお断りしました。

ばあさんはニヤニヤ笑いながら、「こんな頭じゃいらんわね」と言いましたので、「はい、そうです。」ともう一度丁寧にお断りしました。

そうこうするうちに送迎車は、ばあさんの家につきました。

迎えに出て来たお嫁さんにこの話をしましたら、「ほんまじゃね。」と言ってゲラゲラと笑いました。

3人でしばらく大笑いしてから「さようなら」と言って車に乗りましたら、ばあさんは「頭はないけど口はある」と言ってもう一度大笑いしましたので、私もお嫁さんも一緒に大きな声で笑いました。

それからもう一度、「さようなら」と言って手を振りました。

「明日もよろしくお願いします」とお嫁さんが言いました。

「了解です」と私は言いました。

とっても楽しいひと時でした。

 

そんなこんな今日1日。

今夜の夜勤は冷えます。

 星のきれいな夜です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変化の時

2016-01-09 20:32:22 | デイサービス池さん

12月17日にまさこさんを見送った。

そして、1月3日にとしこさんを見送った。

大切な人たちと別れるたびに、心が張り裂けそうになり、気力を失いかける。

死に慣れることなどできるはずもない。

無感動になどなれるはずもない。

辛い心と、重い体を引きずるようにして、また新しい一日を過ごしていく。

目の前には大切な人たちがいる。

いつもそのことを忘れてはならないと心に言い聞かせて、新しい日に向かう。

そんな年末年始。

 

逝った人たちとその家族が、「こうして(眠ったまま)逝けて、本当に幸せだったと思う」と涙を流してくれる。

「こんなふうに、(安らかに)人が死ぬことができると思わなかった」と感謝の言葉を伝えてくれる。

どの人も例外なくいずれは迎える死。

だれもが避けることができない死という現実をどう受け止めいくのか、それこそが今をどう生きるのかに繋がっていると、多くの人たちに伝えていきたいと思う今年の始め。

神社でひいたおみくじは、凶。

「門裏心肝掛」(もんりにしんがんかかる)
 わがこころの さきへ 通ぜぬことを もだえくるしむなり

「縞素是重重」(こうそこれじゅうじゅうなり)
きぬにて包みたるかたち 心長く 誠をつくして ついに通ず

望みも叶いにくく、なんとか・・・と願う今日の心も、なかなか天には通じない毎日だけれど、でも誠実に望み生きてゆけば、きっと願いは叶うと信じて生きてゆきたいと思う夜です。

それに・・・確かにワタクシ、もうもだえくるしんでおります(

心の底から、正真正銘、苦しい日々です(

つつしみ深く・・・生きてゆきます(

だから・・・どうか天の神様、見捨てないで助けてくださいね(

お・ね・が・い

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しい年に

2016-01-03 22:28:49 | デイサービス池さん

明けましておめでとうございます。

365日休みなしの宅老所では、今年もヒイちゃんたちと共に、新年を迎えることができました。

お酒を飲み顔を赤く染めたヒイちゃんや、寝言でお経を唱えるリンちゃんや、年始でも関係なく透析に通う名人と共に、穏やかで静かな時間を過ごしました。

日本人は、お正月という時間の区切りを習慣としてきました。

どんなに苦しくても、どんなに絶望していても、1月1日という時間の区切りを持つことで、新たな気持ちで新しい年を生きてゆくのだという希望を含んだ暦を持つ民であるのだと改めて感じています。

神社へ祈りをささげ、年賀状を送り、願いを込めたお節料理を頂き、年神様から年を頂く。

日本人という民が昔から続けてきたお正月の行事は、時代や時がどんなに移り変わろうと、ずっと未来まで引き継がれていくべき、大切な日本の心だと感じています。

どうか、未来を生きる子どもたちが、このお正月の意味を深く知ることができるようにと願ってやみません。

大切なことを、きちんと伝えることができる大人でありたいと思います。

 

そして、明日からはまた、いつもの日常が帰ってきます。

笑顔と共に大切な命を、慈しむことができる池さんであり続けたいと思います。

多くの葛藤を心に秘めて、それでもまた一歩づつ、小さな歩みを刻んでゆきたいと思っています。

試練は、想像を遥かに超えて、いつも私たちに襲いかかってきます。

それでも、この道を歩くしかないのだと覚悟を決めて、しっかり試練を受け止めたいと思っています。

 

みなさま、これからもどうぞよろしくお願いします。

池さんものがたり、まだまだ続きます。

心に残るエピソードを生み出し続けていきたいと思っています。

 

PS、新年に池さんを訪れてくださった方へ。せっかく勇気を出してきてくださったのに、ワタクシ大頭にいたものですからお会いできなくて申し訳ありませんでした。恥ずかしがらずに是非また遊びにお越しくださいね。カンパ、ありがとうございました。お気持ち大切に頂きました。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする