池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

寝言

2016-08-31 02:35:03 | デイサービス池さん

深夜2時半。

でっかい声がする。

リンちゃんの寝言で目が覚める。

 

リン:あ~~~#$%$%&’’~~~

ワタクシ:なんじゃ?

リン:とんちちちっち、とんちちちっち・・・(祭りの太鼓のリズム)

ワタクシ:祭りかいっ!!

リン:とんちちちっち、とんちちちっち・・・

ワタクシ:うるさっ!!

リン:とんとんちちちっ、とんとんちちちっ・・・

ワタクシ:リズムが変わった!

リン:あのふるさとへ~かえろかな~かえろうかな~~~

ワタクシ:歌かい!

リン:高いが~高いが~

ワタクシ:何が?

リン:寝るが~寝るが~

ワタクシ:寝んかい!

リン:寝れんぞ~寝れんぞ~

ワタクシ:さっさと寝んかい!

リン:でるぞ~でるぞ~

ワタクシ:何が?

リン:しいこがでるぞ~、しいこがでるぞ~

ワタクシ:オシッコかい!

リン:おこせ~、おこせ~、はよおこせ~

 

「起きんかい!」と思いながらリンちゃんの部屋へ行くワタクシ。

うるさいと思いながらも優しく「オシッコ?」と聞く私に、リンちゃんは言いきった。

「そんなことは言うとらん!!!!!」

・・・

おかげで目が覚めてしまったワタクシを横目に、リンちゃん夢の続き。

とんちちちっち・・・

リンちゃん・・・幸せやろな・・・

今日もリンちゃんに大敗。

まぎらわしい寝言にやられた8月最後の夜。

いや、朝でした

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

医療への思い

2016-08-30 23:11:10 | デイサービス池さん

夫の調子が悪く、久しぶりに付き添いで病院へ行った。

診察を受けることもなく、とりあえず検査をと、ありきたりの血液検査と心電図、エコーの検査を受け、診察を待つ。

医師は大学病院から週一度来ている若い先生。

病状を聞くわけでもなく、聴診器をあてるわけでもなく、いきなり診断を告げる。

エコーの画像を説明し、血液検査の結果を長々と説明し、定期の診察と同様の診断を下す。その上、いつでもいい他の検査を受けるように勧められる。

明らかにいつもと違う症状があるにもかかわらず、聞こうともしない。

「いつもの痛みとは明らかに違う」という家族の感覚に耳を貸そうともしない医師に、若干苛立った私は、夫の昨夜からの病状をしつこく訴えた。

「なら、もう一度、違う血液検査をしてみますか?レントゲンもとってみましょう。」と、再び検査を行う。

そして原因が判明した。

入院。やっと治療が開始された。

一日かかって。

もし医師の診断を鵜呑みにしていたら、もし最初の診断で納得していたら、本当の病変に気付かず手遅れになっていたかもしれない。

その時、誰が責任を負うのだろうか。

そう思うと、恐ろしくなる。

医療の知識のない一般社会の人たちは、おそらく医師の診断に疑問を持つことなくその判断を正解として受け入れている。

けれど、常に医師の判断が正しいとは限らない。

かつてヨッシーが、その命が消えかかっている時でさえ不要な検査を繰り返し行われたように、治療という大義の前に、治療するために拘束され全身の筋肉が拘縮し人として生き切ることができなかった湯浪のじいちゃんのように、常に医療サイドの判断が正しいとは限らないということを、私たちは知るべきだと改めて思う。

納得できるまで説明を求め、なぜその判断なのか知る努力を惜しまないでいたい。

命はそれほど軽いものではないはず。

病状も聞かず、身体にも触れず、ほとんど顔を見ることもなく、パソコンの画面を前に、モニターや検査結果だけで安易な診断を下してしまう一部の医療の現場に愕然としつつ、一日を終えた。

医療費が膨らみ、国の財政を圧迫すると言いつつも、患者本位ではない薬と安易な検査漬けの病院という現場の矛盾に今更ながら憤りを覚えた一日。

 

昔は台風などなかった北の地方の大きな被害に心が痛む夜。

自然の脅威と、人が作った社会の行く末に、心がざわつく風の夜。

地球の未来と現代社会の未来は、どちらもどこかの歯車が狂いつつあるような気の滅入る夜。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月最終週に

2016-08-28 22:05:42 | デイサービス池さん

24日に無事、50代最後の誕生日を無事通過したワタクシです。

ヒイちゃんがかつて、「年は取るもんじゃない。貰うもんぞい。」と言ってくれましたが、元気に年を重ねていけることを感謝できる自分でいたいといつも思います。

一年が無事に過ぎるということは、若い時には当たり前にしか思わないけれど、目の前の年寄りを見ていると、365日という時間がどれだけ長く重いものであるかと感じます。

平凡にいつものように毎日を過ごせるということは、きっと年をとるほどに難しいことになるのでしょうね。

誕生日のワタクシ。

朝一番で到着したますみさんのウンチの手伝いをして、「今日は運がついたわ~」と思いながら、いつものように一日働き、夕方池さんへ行っても誰もな~んも言ってくれないもんで、少々淋しくなりながらYさんを誘って近くのお寺へお参りし、自分でミカンを皆に買って喜んでもらい、夜の大頭での仕事の最後が便秘症のりんちゃんのウンチの手伝い。

まあ、そんなこんな超平凡な一日。

これからの一年間を、今まで以上に大切に生きていきたいと心に誓ったワタクシですが、それにしても時間の経つのが早すぎて時間を大切にする前に年をとってしまうということになりそうな予感がしております。

8月も最終週。

夏休みも終わります。

たまちゃんも学校に戻り、またいつもの池さんが戻ってきます。

夏の間にあった出来事を、またゆっくりと皆様にご紹介していきたいと思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池さんBBQ

2016-08-21 21:01:02 | デイサービス池さん

子どもたちが夏休みのため、今月の池さん会は急きょBBQ大会と相成りまして。

最終の土曜日を予定してくださっていた方、本当に申し訳ありませんでした。

スタッフの家族や友達やなんかで、大頭の宅老所は超過密の一日でした。いつものように松山からのお客様や秋田からお越し下さった園さんや、そんなこんなで大賑わい。ありがとうございました。

夏の暑いさなかのBBQは、やっぱり夏らしくてよいものです。

いつものように子どもたちは最後は水遊びでびしょ濡れ。大頭をオープンした時に中心にいたケンケンやしんちゃんたちは大きくなり、クーラーボックスの中で裸で遊んでいた幹太が小さい組みのお守りをしている様子に、月日の経過をやっぱりつくづく感じるワタクシです。新しいスタッフの家族が賑やかに集い、世代の移り変わりも感じています。

それでも8年前と同じようにヒイちゃんが焼いた魚を美味しそうに食べる姿に、りんちゃんが美味しくなさそうに肉をほおばる姿に、なぜだか胸が熱くなるのです。

月日が流れても、介護保険がどこへ向かおうと、現実がどんなに厳しくても、こうして食べて生きていく人たちがいて、そのヒイちゃん達と一緒に生きてゆきたいと思う私たちがいて、育つ子どもたちがいて、いろんな人と繋がっていて、こうしていられることこそが、それでいいのだと、誰かに言われているような気がして、胸が熱くなるのです。

理屈ではなく、理想でもなく、ただこうして皆が集まってくれることが幸せなことだと。

考えてみると、それこそが池さんそのものなのかもしれません。

暑い夏の一日。

池さんは今日も元気です。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お変わりありませんか?

2016-08-17 22:35:24 | デイサービス池さん

10日ぶりの大頭です。

先週は福岡に住む孫が来ていたため、お泊まりなしの1週間。

孫は小学校3年生。

初めての飛行機での一人旅。

今年は1週間しか滞在しなかったので、しっかりばあばの役目の孫のお守りをさせてもらいました。

福岡の都心のマンションで都会育ちの孫ですが、お腹にいた頃から池さんの皆の声を聞きながら育ったせいか、この田舎の空気が大好きな子。

せみを捕ったり、カエルやおたまじゃくしを追いかけたり、川で泳いだり、毎日汗まみれで泥んこになって遊び放題。

食欲も増し、朝の目覚めも早く、超健康的に過ごして「もっと遊びたい」と泣きながら帰って行きました。

幼い心の中に、この田舎の風景と共に、いろんな人が当たり前に一緒に生きている空気を焼きつけてくれたら嬉しいです。

ママのお腹の中にいた時、ばあちゃんたちが元気に産まれるようにお腹をさすってくれたこと、産まれた時は皆で喜んだこと、いつもばあちゃんたちが抱っこしてあやしてくれたこと・・・。

池さんの本の中にある写真には、彼女が育っていく過程が刻まれています。

ここで育ったどの子も愛おしい。

生きてゆく中でいろんなことや様々な試練があると思うけど、無駄な事など一つもありません。

どうか健やかにたおやかに生きていってほしいと心から願っています。

8月も半ば過ぎ。

あっという間に時間が過ぎて、あっという間に今という時は過去になってしまうのです。

時間の尊さを知るということは、未来を生きるために大切なこと。

さて、明日も一生懸命生きていたいと思います。

という私も、時間の大切さに気付けるようになったということは、きっとそれだけ年をとったということなのでしょう。

もうだいぶ前に人生の半ばを超えた今も、反省や後悔や煩悩に貴重な時間を費やしてしまうやっぱり小さな自分です。

久しぶりの大頭の夜は、蒸し暑くて苦手な空気の夜です。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さなお客様

2016-08-06 22:22:32 | デイサービス池さん

小学校1年生の女の子。

彼女はいくつもの大きな病気を抱えているけれど、小さなかわいい女の子。

お姉ちゃんの手術のために、池さんで1週間のお泊まりだった。

私たちは彼女が初めての場所で泊まることにストレスを感じて欲しくなかったので、生活のリズムをつくることから始めた。朝の起床、ご飯、児童クラブへの移動、夕方帰ってからの遊びや、夕御飯、お風呂、寝る支度などなど。

そのどれもが、家で過ごすなら当たり前のことで何でもないことだけれど、慣れない場所で過ごすためには体調の管理と共に、こうした生活のリズムは大切なことになる。

彼女はこうした池さんでの生活の時間をすぐに受け入れて、毎日しっかり遊び、よく笑い、しっかり食べて、夜も良質の睡眠をとることができた。

夕方大頭へ帰るとすぐにネコのさかなを抱きかかえて遊ぶ。小さな身体でさかなを一生懸命抱き、あちこち連れて歩く。ネコのさかなも嫌ではないのか、ずっと抱えられているのに、怒るでもなくじっとしている。

小さな彼女とネコのさかな。見ていて心が暖かくなる光景。

挨拶が苦手だった彼女。でも池さんにいるうちに、みんなにきちんとご挨拶ができるようになった。夕方大頭へ帰ると大きな声で「ただいま~」と戸を開ける。

あまり食べないと聞いていたけれど、ご飯もしっかり食べた。児童クラブへはお弁当を持って行ったけど先生が驚くくらい、お弁当は全部綺麗に食べてくれた。ミニトマトが大好きで、両方のほっぺたの中にトマトを入れたままで、器用におかずを口に入れる。

ばあちゃんたちや身体の不自由な人を見ても、いつも自然に受け止めることができ、ヒイちゃんのテーブルに置いたトロミのついたお茶を、自分からヒイちゃんの口へ運んだ。ヒイちゃんも自然に口を開けて、彼女の手からお茶を飲む。

小さな彼女との一週間。

その小さな身体に見合わない呼吸器や酸素ボンベ、大量の薬。

その幼い心には重いであろう自分の身体状態への理解。

それでも彼女は素直にしっかりと現実を受け止めている。

私たちはそんな小さな彼女に、敬意を払いながら一緒に眠る。

1週間ぶりに、ママのお迎え。

いろんな感情が一気に彼女を襲う。

泣きながらママに抱きつく彼女。

ママに会えた喜びや、大好きなネコのさかなと別れなければならない辛さや、ここで遊んだ楽しかった時間の終わりや家に帰る嬉しさや・・・喜びや悲しみが入り混じったようなおそらく複雑な感情が一気に溢れだす。

どんな時もママが一番。家に帰れるのだから嬉しいだろう。

それでいいと思いながら、胸が詰まる。小さな彼女との別れに胸が詰まる。

家に帰れるのだからとよかったよかったと自分に言い聞かせながら、私はひきつりそうな作り笑顔で、車に乗る彼女を見た。

その時、彼女が私を見て言った。

「かみ!」

かみ・・・紙。

ママの車が到着する少し前、彼女が書いた「紙」。

池さん全員の名前を彼女が書いた「紙」。

スタッフ皆の名前と、3匹のネコたちの名前。

そして真ん中に「いけさん」と書いた彼女の「紙」。

「あるよ。」と言って私は彼女のカバンから紙を取り出し、彼女に渡した。

彼女は嬉しそうに紙を持って、弱弱しく手を振った。

涙がこぼれそうになりながら、私たちも手を振った。

 

たった1週間の彼女との時間。

小さな彼女の残したものは、暖かくて穏やかで愛おしい時間だった。

今夜彼女のいない大頭では、ネコのさかなが彼女を探すようにニャーニャー鳴きながら、あちこちの部屋を行ったり来たりしていた。

小さな手を思い出し、小さな身体を思い出し、幼い子どもの大きな存在感に、心が動かされる。

 

その小さな姿は、池さんにやってくるばあちゃんたちとも重なってくる。

決して来たいから来ているわけではないだろう。

老いゆえに・ボケゆえに、デイに通わなければ日常が成り立たなくなっているから、ばあちゃんたちはここへ来る。

願って来るわけではないけれど、でもここへ来なければならないのだとしたら、せめてここでの時間が楽しい時間であるように、ここでの食事がおいしいように、ここでのお風呂が気持ちのよいものであるように、ここでの夜が穏やかに眠れるようにと、私たちは考え続ける。

だれもが家で過ごしたいだろう。だれもが家族と一緒にいたいだろう。

だからこそ、ここでの時間を穏やかな時間にするために、よりよい時間にするために、いつも全力を尽くしたいと思うのだ。

 

小さな彼女も、ばあちゃんたちも同じ。

そして、ここで過ごすことが楽しかったと言ってもらえたら、帰る時にまた来るねといってもらえたら、家が一番だけれど池さんでの時間もまんざらではないと言ってもらえたら、小さな彼女がもしまたここへ来ることがあったとしても、「池さんに行くのならいいよ」と思ってもらえたら、それでいいのだと思っている。

介護保険でのケアも、自主事業の部分での泊まりや預かりも、決してなんら変わりはないのだと、池さんの想いはどちらも同じなのだと、改めて感じた小さな彼女との1週間。

池さんという場所がここを必要とするどの人にとっても、かけがえのない大きくて暖かく大切な場所であり続けたいと思う。

 

久しぶりにネコのさかながいつもの自分の布団で眠る夜。

小さな彼女のいない機械の音のない静かな夜。

原爆投下後71年目の大切な夜。

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月

2016-08-01 22:16:18 | デイサービス池さん

何といっても、暑いしか言葉がでませんが、皆様お変わりありませんか?

ここらあたりは雨が降らず、庭の木も畑の草も色が変わってしまいそうなほど。

この暑さでも元気なのはトマトです。これは雨が少なくても大丈夫なので、しっかりと甘い実をつけているようです。

あちこちから夏の野菜の頂き物が届き、感謝しながら毎日毎日、キュウリやトマトを美味しく頂いております池さんです。

夏休みを迎えたおかげで、池さんはただ今、いろんな変化が起きております。

まず子どもが多い。

いつもお休みには来るたまちゃんに加えて、やっちゃんの子どものももちゃん、時々幹太・絃太、そして池さんデビューしたばかりの平太の3兄弟。本店のメンバーなおちゃんの子どもに、本日からしばらくお泊まりのるいちゃん。来週からはイラスト担当の我が家の末娘えみちゃんの子どものひよりちゃんが福岡からやってきます。

子どもたちのエネルギーに押しつぶされないよう、しっかり足を踏ん張っていたいと思います。

そして、スタッフも新しいメンバーが研修中です。

とりあえず、ばあちゃんたちに顔を覚えてもらうことからはじめています。自然な形で池さんに馴染んでくれることを願っています。

縁あってここを選んでくれたのだから、池さんという場所で一緒に生きてゆきたいと思っています。

最後に、利用してくれるメンバーも個性溢れる人たちが増えました。おいおい時間をかけてご紹介していきたいと思います。

池さんの古株たち、ヒイちゃん、ますみさん、名人も暑いけどなんとか安定しています。気を抜けない状態ではありますが、夏を無事に超えて欲しいと願うばかりです。

これでもかこれでもかと苦しいことは山のようにあって、いつになっても目の前は壁ばかり。いつも壁にぶつかってばかりですが、やっぱり前を向いて壁を越えられるように、頑張りたいと思っています。

夏の暑さに負けそうになりながら、でもくじけずに生きたいと思う今日この頃です。
皆様もどうかお気をつけてお過ごしくださいね。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする