今日は春のような気温のぽかぽかの天気でした。
やっちゃんやゆうちゃんは半袖に短パン、そりゃまあまあ、若いけんね。
さつきちゃんも半袖、(?)そりゃまあ、ワタシよりは若いけんね。
そういうワタシは、いつもの裏フリース小学校4年のげんちゃんお下がりのズボンに、ヒートテックの長袖に池さんTシャツ。京子さんの編んでくれた毛糸の帽子。そりゃまあ、年やけんね。
全然暑くないよと見栄はりながら、でもやっぱりなんでこの時期に23度?の心境。
気温が高すぎて干し柿作れんし、麦茶必要だし、車はクーラーいるし・・・
ウイルスは相変わらずせめてくるし、もう月末近づいているし・・・
あ~でも文句ばっかり言ってると幸せ逃げそうだから、気分を変えて、この小春日和の一日、感謝の気持ちをもって過ごそうと思うわけです。
これまで池さんと繋がってくださっているご家族に感謝の気持ちを伝えます。
池さんで最期の時間を過ごした方たち。
そのご家族から、今でもたくさんの気持ちを私たちは頂いています。
季節のお野菜、果物、魚、肉、海苔や調味料、そして何よりずっと変わらずに応援してくれる暖かくて強い気持ち。
最期を過ごしたわけではなくて、最期の時が自宅だったり病院だったりする方もいるけれど、ずっと気持ちが繋がっているご家族もたくさんいて、感謝の気持ちが途絶えることはないのです。
いつまでも繋がっていたいと思うその気持ちこそが、池さんだと思っています。
介護保険はサービスを提供する事業所とサービスを利用する利用者が、契約という関係によって結ばれる制度。
介護保険という制度は、年寄りが老いて支援が必要な時期を、年寄りが生きている間に利用する制度でしかありません。当然サービスを利用している利用者がいなくなれば消失する関係。
けれど、私たちはその契約という枠組みをはるかに超えて、契約などという薄っぺらな紙切れでは表現できない関係を大切にして、この池さんを15年間続けてきました。
全ての人がというわけではないけれど、利用者として出会った関係ではあっても、もっと深い所で結びあうことができた人たちが、ご家族がいます。
時には家族と共に涙を流しながら、時には家族と喧嘩しながら、時には抱き合いながら、池さんと家族の真ん中にいる「人」を共に見つめて、時間を過ごしてきました。
だからこそ、こうして年寄りがいなくなった後も、契約が消失した後も、人と人として、大切な関係を続けて頂いているのだと思うのです。
年寄りを抱える家族と、介護事業を営む小さな事業所の池さん。
ただ契約によってのみ存在する関係ではなく、もっと深くて大きくて強い何かが存在すると思っています。
迷い、悩み、揺れるし、家族と共に、涙を流す。
いろんな想いを抱えながら、悩みながら過ごした時間のあと、気がつけば目の前の老人は、いつも間にか私たちスタッフにとっても大切な存在になっていくと思っています。
利用者と介護者としてという一方向の関係ではなく、人と人として、ちゃんと向き合うことができるようになる。
「人間として」対等な存在になっていく。
利用者の家族とサービスを提供する事業所の職員としてではなく、人と人として、お付き合いをさせてもらうことができる。
そんな気持ちを持っています。
じいちゃんがいなくなってさみしいよ。と言ってくれる人。
たくさんできたから、皆で食べてね。と言ってくれる人。
あの人どうなった?と聞いてくれる人。
池さん、大丈夫?と心配してくれる人。
15年おめでとう、と言ってくれる人。
顔を見て安心したよ、と言ってくれる人。
どの人も、どの人とも、こうして池さんという名前と場所を通じて、繋がっていられることこそが幸せです。
そんな人たちが、いっぱいいてくれることが幸せ。
15年目の区切りの時は過ぎたけれど、感謝の気持ちは日に日に大きくなってゆきます。