池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

記念日

2010-06-30 22:00:59 | デイサービス池さん
平成21年6月29日

じいちゃんとみよちゃんが、大頭に住み始めた日。

1周年!!!!!

長いようで、短かった気がする1年間。

今までより深く2人と向き合ってきた1年間。

後半は、じいちゃんの命そのものと向き合い続けた私たち。

少し前、

きっと1年目の記念日は、一緒には迎えられないだろうと思っていた。

再三の命の危機を乗り越え、強靭な体力の持ち主のじいちゃんは、今日も大頭で暮らしている。

池さんが、「より大きくなるための1年間」だった。特別な感慨が私たちにはある。

・・・

というわけで、イベント大好きな池さんは、

赤飯炊いて、弁当をつくり、「大頭の池さん1周年記念パーティー」と相成った次第。

ま、

大頭が何か、何が1年なのかもさっぱりわからない顔のじいちゃんばあちゃんと、「おめでとう!!」ってなわけで、なんだか賑やかにお祝いしちゃいました。

大きな借金を背負って、より大きく・より深くなるために頑張ってきた1年間。

本当に今、

大頭の池さんがなかったら、今の自分はないな、と確信できます。

働くことも、夜勤を続けることも、

目の前にいる3人の人たちと、とことん向き合うために、決して昼間は看ることができない3人の素顔を看るために、こうして今ここにいるのだと、

心から思います。

池さんを深く大きくしてくれて、本当にありがとう。

3人には、

心から感謝しています。

そして、

少しでも長く、ここで、こうして一緒にいられたら、

しあわせです
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アジサイ週間

2010-06-23 21:21:54 | デイサービス池さん
梅雨のこの時期、あちこちのアジサイ見物に出かけている池さん。

近くのアジサイロードを満喫し、あちこちの家の庭先に咲くアジサイを、まるで自分の家の庭のように見て歩く。

今日は、鞍瀬という所へ出かけて、道の両脇いっぱいに咲いているアジサイをキャーキャー言いながら見てきた。

調子の悪いじいちゃんも、「来年見れるかどうかわからんもんね」と、目が覚めている時間を見計らって、車に乗せてアジサイ見物に連れていく。

残された時間が少ないほど、「どうしても今見ておかないと・・・」という気持ちになって、全く急がしいったらありゃしない!

「調子悪い人は、休んでください」なんてだ~れも考えもしない!

「今行かないと!」という気持ちに皆がなれるのが、池さんのいいところ!

私の義父母もいつも言っていた。

「桜が咲いた。来年見ることができるとは限らないから、花見に連れて行ってくれ」と。

そして、義父は寝たきりになってからも、毎年花見を楽しんだものだ。11年間も!

年をとると、そんな気持ちになるのだろう。来年生きているかどうかわからない。生きている間に、今のうちに見ておきたいと。

そんな気持ちを大事にしたい。

しんどかろうが、弱っていようが、タイミングさえ合えば全員を連れていく。

行ける限り、連れていく!

だって、明日死ぬかもしれないのだから!

「あ~きれいなアジサイを見ることができてよかった!」といって、一日を終えて欲しい。

そして、明日目が覚めることができたら、

また、「さ~今日もアジサイを見に行こう!来年見えるとは限らないのだから!」と言って、何度でも、何度でも、皆と出かけたい・・・と思う。

夏まで、まだ日がある。

今日楽しめることを、

思う存分

今日のうちに、後悔しないように、

楽しみたい!
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じいちゃんの危機

2010-06-19 22:39:52 | デイサービス池さん
一時は大きな危機に見舞われたものの、無事に復活を果たし、元気に動き回っていたじいちゃん。

肺の状態は心臓にも影響を及ぼし始め、他の疾患も極限状態にまでなってきている。

大頭で宅老所を作ると決めた時は、じいちゃんとみよちゃんを最後まで背負うと覚悟を決めた。

そして、前回の命の危機の時に、家族と話し合い、私たちと家族は大きな決断をした。

「最後の時まで、二人を離れ離れにしない」

どんな状態になろうと治療のための入院や救急病院への搬送はしたくない、という家族の深い思い。

実際に以前相談に行った病院で、本人が手術と入院治療という医療行為が理解できるのであれば、即手術という方法も選択できる、という外科の医師の言葉があった。認知症の深いじいちゃんを治療するためには、安定剤や鎮静剤の投薬は欠かせないだろう。入院治療は、大きな賭けのようなもの。緊急時の救急搬送は、じいちゃんの残された時間を当然治療と言う方向へと向かわせ、2人で過ごす時間を失うことになってしまう。

家族の大きな決断は、2人を知っているからこそ・2人の人生を知っているからこその決断。

家族にとってこの決意は、他人が簡単にわかるはずなどない大きな痛みを伴う決断。その思いを前にした時、私たちは一緒に涙を流して心に誓った。

じいちゃんをじいちゃんらしく・みよちゃんをみよちゃんらしく看取りたい。いつも2人が一緒に過ごせて、手をつないで寝られる空間を、どんなことがあっても守りたい。

家族が望むように「2人が一緒にいられること」がすべての状況に優先する。

病気がたびたび命を脅かすようになろうとも、池さんの中で行える最小限の医療行為(知り合いのお医者様がいつでも往診してくれて、点滴などの医療は行ってくれている)は行うけれど、積極的な治療は行わない。

私たちは、覚悟を決めている。

病状がどんなに不安定で、もどかしくても、ただ手を握り、状況を見守ることしかできないのだ。すべてを受け入れ、最後の時まで、ただ黙って一緒にいることしかできない。

見守る私たちに、不安はないかと言えばウソになる。できることなら、そういう状況にはならないでほしいと願う。しかし、現実には残された時間は刻々と過ぎている。

ずっと前に、みよちゃんがこけて入院した時、じいちゃんは毎日病院へ通い、一日中世話を焼き続けた。大きな会社の所長だった昔堅気のじいちゃんとずっと一緒に生きてきたみよちゃん。みよちゃんが歩けなくなってから、2人はずっとシングルベットで一緒に寝ていた。大頭へ来てからも、ずっと2人は一緒に寝ている。一時みよちゃんを認識できない時もあったけど、危機になった今、じいちゃんはみよちゃんに抱きついて寝ている。きっと安心できるのだろう。

病院という選択は、私たちにはない。

ならば、心を強くして、この危機を受け入れるしかない。

じいちゃんは、時々調子がよくなって、家の点検を始めるものの、体力は確実に落ちてきている。

家族の歴史に敬意を払い、家族の思いを支え、家族とともに涙を流し、家族とともに見守りたい。

私たちには、ブレたり迷ったりしている暇はない。

一日一日を一瞬一瞬を、

今まで以上に大切に、見守り続けたいと思う。










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ジャガイモ池さん

2010-06-16 21:43:43 | デイサービス池さん
葉物は端境期。

収穫できるのは、じゃがいもと玉ねぎ。

さて、この材料で、あなたはいくつの献立を考えられますか?

・・・ってな感じの今日この頃。

300円の食費を4年半維持して、お代わりし放題・おやつ食べ放題を続けていくために、並々ならぬ努力をしているわけで・・・

えっ?

関係ない?

そりゃそうだ!

肉じゃが・ポテトサラダ・フライドポテト・コロッケ・かき揚げ・・・

昨日は、なんと「イモ入りすいとん鍋」まで登場!!!

副菜にする野菜も今は、限られてしまう苦しさったら!

ああ~早く夏野菜が収穫できますように・・・!

現在、池さんは皆、イモイモしい顔になっとります



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在宅を支える自主事業

2010-06-14 21:51:59 | デイサービス池さん
フミちゃんの場合。

要介護2 独居

衣食住のすべてに援助の必要なフミちゃんが独居を続けられるのは、介護保険があるからではない!

池さんで「パーソナル事業」と呼んでいる自主事業で、介護保険外の人たちの在宅を支えているから。

池さんを作った時に、「介護保険」に乗らないけれども必要な人たちを支えていくことができたらと思い、この自主事業を併用することにした。

フミちゃんの場合、

薬の管理とともに、食事の管理も必要になる。食べたことを忘れるし、食べることを忘れてしまうから。

だからどうしても毎日ヘルパーの援助が、フミちゃんには必要になる。

フミちゃんは要介護2。1ヵ月毎日ヘルパー(家事・身体)を使えば、残りの単位数でデイサービスに週4日通うことは不可能に近い。でもフミちゃんは、デイに来るのだけが楽しみな人。

で、単位オーバー分は、池さんのパーソナルを使ってデイに来ている。

フミちゃんの一日。

朝ヘルパーさんがやってきて、フミちゃんを起こし着替えをさせて、朝ご飯を作って食べさせ(食べるのは自分で食べることができる)、薬を飲んで、池さんの送迎車に乗る。一日池さんで過ごし(昼ご飯は池さんで食べるから)、帰りに夕食のお弁当やおかずを池さんで用意して、それを持って帰る。(ただし一人で持って帰ると、すぐにそのまま食べずに冷凍室へ入れてしまうから、れいこさんがテーブルに夕食をセットする必要がある)毎日、その繰り返し。

土日は、デイは休みなので、夕食を用意して届け、その時に夜の薬を飲ませて帰る。必要な日用品の買いだしもすべて池さんで行っている。

こうして、フミちゃんは念願の独居を満喫。

息子さんを亡くし、お嫁さんはとてもよくしてくれるのだけど、離れて暮らしているし、実の娘ではないから気兼ねだというフミちゃん。娘さんは松山にいるので、そう毎日フミちゃんのところへ通えるわけではない。

「できる限り一人で暮らしたい」というフミちゃんの思いと、「お母さんが一人暮らしを望む限り、一人で暮らしてほしい」というお嫁さんの希望をかなえるためには、今の介護保険では、単位数が少なすぎる。

たとえ、オーバー分を実費請求したとしても、フミちゃんの望むような暮らしを続けることはできないだろう。

介護保険とは、柔軟な制度でなはいのだ。あくまで「枠組み」をきめるものでしかない。
実際に「生活」を続けていくためには、予測できない出来事に柔軟に対応できるやり方が欠かせないと思う。

だから、私たちは介護保険を使わないという選択肢を持つことにしたのだ。

フミちゃんが、介護保険でデイを利用するのは月のうち半分程度でしかない。

毎日「明日も池さんに来るんかいね~?」「一人で家におってもつまらんから、ここへ来るのが楽しみよ!」と言って帰るフミちゃんは、車の中で、家に着くまでに何十回もカギを探し続け、「明日も来るんかいね?」と聞き続ける。

そして、フミちゃんが好きないつものお寿司を届けると、「ちょうどお寿司が食べたいと思ったところだった。よかったよかった。お金はいくらですか?」と聞く。

ヘルパーさんが作ってくれたご飯も、時間が経つと忘れてしまい、昼ごろには冷凍室の仲間になってしまう。

足が立つ限り・歩ける限り・こうしてフミちゃんは元気に独居を続けていく。

自主事業が支えるフミちゃんの在宅生活。

制度を使わない道もあるという私たちの選択。
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ヒイちゃんの変化

2010-06-12 22:59:16 | デイサービス池さん
発熱後、混乱を繰り返すヒイちゃんがいた。

昼間はそれほどでもない。食欲は落ちたものの、たくさんの人に紛れて、わからないなりにそれなりに振る舞うヒイちゃんがいた。

しかし、夜になると、不安は怒りに代わる。聞いて聞いて聞いて・・・「わからん・忘れた」を繰り返したある日の夜。私が夜勤の夜。

明け方の4時、突然ヒイちゃんの怒りが爆発した。

朝早くに台所へ出てきたヒイちゃん。いつものように、「ここはどこ?」「大頭よ」「息子は?」「仕事に行ったよ」・・・聞いて聞いて聞いて・・・いつものように私は繰り返す。

突然、叫び暴れ始めたヒイちゃん。

「わからん!」「わからん!」「聞こえん!聞こえん!」「何にも聞こえん!」「もう首吊って死んでやる!」「どうせ、生きとってもなんもわからんから、死んでやる!」「昔はこうなったら、みんな自分で死によった!」

そう言って、「首を吊る釘がない。紐がない。」と言って、大頭の部屋中を歩き回るヒイちゃんがいた。

「首が吊れんなら、舌をかむ」と言って、入れ歯をガタガタいわせて、自分で舌をかもうとする。

少し落ち着いて、ベットに行くものの、歯をガタガタ鳴らせて、体を震わせ・・・しばらくウトウトすると、また始まる「死にたい。死んでやる」

暗闇は、不安を誘う。おそらく一晩中考えていたのだろう。

考えても考えても、思いだそうとしても思いだせない歯がゆさが自分への「棘」のように老いたその心に突き刺さる。

何かを言おうと思うが、私はその瞬間言葉を探せないでいた。ヒイちゃんの胸の中を想うと、私は言葉を失ってしまう。

その場限りの言葉など、何の役にも立たないであろうと思えるほど、ヒイちゃんの不安は大きい。

何を忘れたのか・何を覚えていたのか・・・それさえ分からなくなった自分への大きな怒り。

一生懸命不自由な山で生き、戦争中に子どもを育て、苦労して苦労して生きてきたであろうヒイちゃんの人生が頭をよぎり、私はヒイちゃんを落ち着かせることさえできずに、ただただ一緒に涙を流す。

台所と自分の部屋とを行ったり来たりしながら、何度も暗闇で立ちすくんでいるヒイちゃん。

私は部屋の電気をつけ、しばらく居間へ移動して様子を見る。

何時間たったのだろう。おそらく1時間くらいだったと思うが、私には長い長い時間に思われた。

キョロキョロしながら、ヒイちゃんは台所へ出てきた。

「?」「何があったのだろう」「?」という顔。

よかった。

「熱いお茶でも入れよね」と私。

嬉しそうにヒイちゃんが笑って、一緒にお茶を飲んだ。

「顔でも洗う?」と聞くと、素直にうなずくヒイちゃん。

顔を洗い、気分が変わったのか、何も言わずに、自分のベットでもうひと眠りしたヒイちゃん。

荒れ狂う大波のように、ヒイちゃんを襲った怒りの夜。

私はずっと考えていた。

一体、何がどうなったのかと。

朝出勤してから、大ちゃんにだけこのことを伝えた。

そして、その日の夜は大ちゃんの夜勤の日。

大頭へ帰ると、ヒイちゃんの息子さんがやってきていた。ヒイちゃんが息子さんを見た時の顔を、大ちゃんは「今まで見たことがない顔やった」と表現した。

「暗闇の中で、探していた人にやっと会えた」「自分の探していたのはこの人だった」「会いたかったのはこの人よ」そんな安心感にあふれた顔だった・・・と大ちゃんは言った。

息子さんは、ヒイちゃんのことをとても気にかけているので、仕事が早い時はいつも会いに来てくれている。でも、ヒイちゃんにとっては、次に会えるまで(聞きたいことを聞けるまで)おそらく長い長い時間だったのだろう。

ヒイちゃんが息子さんにいろんなことを聞く。

「おかあは?」「姉妹は?」「あの人は?この人は?」もう亡くなっている人のことを次々に聞く。そのたび、息子さんは「もう死んだ」と答えたらしい。

ヒイちゃんは「そうか、もう死んだんか」

最後に「心配せんでもええ。私はここにおったらええんよね。ここにおると、この人が(大ちゃん)よくしてくれるけんの。」と息子さんに話した。

そして・・・

ヒイちゃんは変わった。

ふっきれたように、元気を取り戻した。

あの日、あの瞬間、「もうだめか」と自分自身が壊れかけた瞬間に、息子さんに会えたことで、

自分の中で、自分を不安にさせていたいろんな人の消息を聞いたことで、

すべてが納得できたのか・・・すべてを悟ったのか・・・ここ(大頭)にいることを納得できたのか・・・あきらめたのか・・・腑に落ちたのか・・・

とにかく、ヒイちゃんは変わった。

笑顔でいつものようにおじゃらけて、

好きなお酒を飲む。

2日間の出来事。

たった2日間だけど、ヒイちゃんと私、大ちゃんにとっては、大きな2日間だった。

大ちゃんと話した。

「なんだったんやろう?」

でも、確かに、

ヒイちゃんの心の中に、大きな変化があった2日間の夜だった。

それ以来、

ヒイちゃんは、とても落ち着いて過ごしている。

お酒を飲んで船をこぎ、「布団で寝よや」と言うと、「ここはどこ?」「大頭よ」「はいはい」

ヒイちゃんの本当の心の中は、誰にもわからない。

ただ、

一緒に、笑ったり・泣いたり・戸惑い・ためらい・立ち止り・不安におののき・・・そんなことしか私たちにはできない。

私たちは、無力。

記憶がなくなっていくという襲い来る不安と戦い、消化し、あきらめ、生き続けているのは、まぎれもなくヒイちゃんという92歳の一人の人。

介護者である私たちは、無力なのだ。

ただ、ただ、共にいることしかできない。

私たちは無力。

それを、

思い知らされた2日間だった。






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子どもたち

2010-06-09 22:21:17 | デイサービス池さん
今、池さんには、毎日4人の子どもたちがやってくる。

やっちゃんの子どもの涼ちゃんとももちゃん。

みかちゃんの子どもの幹太と絃太。

2歳グループは、朝7時半にやってくるさっちおさんを先生と呼んで、8時から「ガー」と呼ぶ小さなシャベルカーの車に乗って、池さんの庭を走り回る。

利用者さんが到着するころには、もう泥だらけになって、池さんの畑を掘り返して汗だくになって遊びまわる。

「おはよう」と小さな子どもたちが声をかけると、皆は笑顔になっていく。

スタッフがどんなに頑張っても勝てない子どもたちの無邪気な表情や仕草は、皆の関心の的。

どの人も、子どもたちを見る目はやさしい。

10時のおやつをさっちおさんと庭で食べ、11時半には一足早いお昼ご飯を、その日の気分でいろんな場所で食べることにしている。テラスの日もあるし、玄関先にゴザをひいてたべることもあるし、2階で食べることもある。

ご飯が終わると、こもり役は社長に交代。さっちおさんは昼までの勤務なので、午後はお昼寝までの時間を社長と過ごす。

お昼寝が終わるころ、3時のおやつ。

じいちゃんやばあちゃんとおやつを食べたり、またまたガーに乗って遊んだり、夕方の送迎が始まると、「さよなら」とかわいく手を振って、皆を見送る。

そして、保育園から帰ってきたしんちゃんや学校帰りのケンケンが時々加わって夕方れいこさんが帰るまでの時間を、またまた賑やかに過ごすのが日課。

時々、うるさすぎて、じいちゃんに「うるさ~い!」と叱られたりするけど、子どもたちの笑顔は皆の宝物。

毎日本当によく遊ぶ。

時には、あんまり泥だらけになりすぎて、皆のお風呂が終わってかられいこさんに入浴させてもらうこともある。

さっちおさんと水汲みに行ったり、お米を精米に行ったり、畑の手入れに行くこともあって、退屈することはない二人の子どもたち。

いろんな人がいる空間で、いろんな人とともに大きくなっていく。保育園にいくよりも、ある意味複雑な環境で毎日暮らす子どもたちは、いろいろな価値観やいろんな場面を体験しながら大きくなっていく。

今3か月のももちゃんも、毎日いろんな人に抱っこしてもらって育つ。絃太はまだ生後3週間だから、いつも池さんにいるわけではないけれど、でもいずれここでいろんな人に囲まれて育つだろう。

じいちゃんも大事そうに赤ちゃんを抱く。つたこさんも子守唄をうたう。赤ちゃんを抱く皆は、誇らしげで嬉しそうで、幸せそうな顔になる。

子どもたちとともに過ごす大切な時間。

池さんの元気の源は、子どもたちとともにある。

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介護度変更

2010-06-07 21:12:42 | デイサービス池さん
ケアマネの調査。

「認定の変更があるので、現状はいかがですか?」

私は答える。現在の状況について。

「衣服の着脱については、全く自分ではできません。入浴も一人ではできません。タオルで体を拭くこと・顔を洗うという行為も、説明してもできません。トイレは排尿後排便後の始末ができず、常に介助が必要です。・・・」

「感情はどうですか?」

「不安定になる時が多く、全く表情のない日と、反対に躁状態にある日とがあります」

「レベル的に見て、いかがですか?」

「一か月前と比べると、完全に低下しているように思われます」

「そうですか・・・」

そして、1ヶ月後にでた介護度は、

今までの要介護3から、2へと変わっていた!

一体、何が、どう変わったのか・・・

今もって、

私たちには、

理解できない!

介護度とは、

一体、

何なのか・・・!!!
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寄り添うこと

2010-06-05 21:36:08 | デイサービス池さん
寄り添うことの難しさに、

いつもいつも、戸惑い、悩み、苦しむ。

つい先日まで、おちゃめで面白キャラだったヒイちゃんが、発熱とともに急激にレベル低下。

内耳炎とともに起床時にめまいを起こすことが多く、耳の聞こえも以前より悪くなった。

急激な身体的変化は、ヒイちゃんに不安を抱かせることになり、「わからないこと」が増えたことへ戸惑いや不安が、今大きな波のようにヒイちゃんに襲いかかっている。

「ここはどこ?」という今までの疑問さえ、今はヒイちゃんの口から出てはこない。それ以前に「何がいったいどうなったのか?」それさえ分からないただただ不安に押しつぶされそうな弱弱しいヒイちゃんが今、目の前にいる。

訪ねてきた大好きな息子さんもわからない。毎日一緒にいるヒイちゃんの好きな大ちゃんもわからないことがあるヒイちゃん。

時折意識がはっきりと帰り、息子さんや山の家のことを心配する優しい以前のヒイちゃんに戻ることもあるが、ボンヤリと、ただボンヤリとしたり寝ていることが多くなった。

起床時のめまいは、ヒイちゃんの心を更に不安にさせる。薬である程度和らいだものの、しかし時折襲ってくるめまいに、空中を泳ぐような仕草で耐えている小さな体は、言葉にできないほど弱弱しく思える。

「わからないこと」を悟られまいとして、わざと聞こえないふりをしたり、寝ているふりをして、なんとかヒイちゃんは今、自分を保っている。

息子さんのことを思い出せないでいる自分自身に対して、おそらくもっとも自分の大切にしていた大きなものを失ったような喪失感の中で生きているのだろうと思う。言葉にはならないけれど、なにかが確実に変わって(失っていく)ことへの不安。

以前は「忘れること」を理解していたヒイちゃんが、「忘れてはいけないことさえ忘れてしまう自分」へ、恐怖を感じているのではないだろうか。

夕食の時、ヒイちゃんが言った。

「もう、どうにもならん。こうなってしまったら、どうにもこうにもならんの~」と。

「仕方ないね~。代わりに私が覚えといてあげるから、心配せんでもええよ。」

「覚えといて、代わりに言うておくれよ。もう何にもわからんけんの。」

「息をするのだけは、覚えといてよ。それだけでええよ。」

「おおきに。」と、珍しく何度も言わなくても会話ができて、ヒイちゃんは私に向かって手を合わせてくれた。

「手なんか合わせんでも、ええよ。」

「よろしくおねがいします。ありがとう。」

つねに、聞こえないわけではない。大半は、聞こえないふりをしているだけなのだろう。

じいちゃんとは明らかに違うヒイちゃんの老い方。

それぞれの人生や生き様と重なって、私たちはその時その時、迷い悩む。

「これで本当にいいのだろうか」と。

ベストな道など、初めからない。少しでも、よりベターな道や方法を探し、手探りで進むしかない。

ヒイちゃんに寄り添い、ヒイちゃんと共に生きるために、今、どうするのがよいのか・・・

どう声をかけるのがよいのか・・・

不安と絶望、喪失感の中で生きるヒイちゃんに、もう一度「生きていたい」と思ってもらうために・・・

いったい何ができるのか・・・

迷い・苦しむ日々が今、始まった。





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