池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

人を育てる

2010-10-28 21:49:44 | デイサービス池さん
ぴすたーりさんへのコメントを兼ねて。

人を育てていくことのむずかしさを常に感じています。

マニュアルがあって、その通りにすればよいという施設介護とは全く違う池さんでは、「言葉で表現する」指導が、とても困難な場合が多々あります。

「その関わり方、ちょっとタイミングが違うよ」という場合、ならばどのタイミングが最もいいのか・・・どう関わるのがいいのか・・・ということを伝える時、どうしても「感性」の問題になってきて、それを感じてくれるスタッフと、その感性を理解しにくいスタッフの違いがあって、「どう説明すればわかってもらえるのか」私たちは常に迷うのです。

池さんの台所のドアには大ちゃんの言葉がでっかく書いてあります。

「雰囲気とタイミングを身体で感じろ!」

いろんな人と真正面から向き合う時、相手の空気や相手の状況を即座に的確に感じ取り、そのタイミングに合わせて関わることがとても大切です。

そのためには、自分の感性を磨くことと同時に、即座に判断出来る判断力と決断力が必要になるのです。

毎日の小さな出来事でさえ、

その時、「どう話しかけるか」「どういう位置で話を聞くか」「どう答えるか」「どの視線で・・・どの目線で」「どのタイミングで手を出すのか」「どちらへ誘導するのか」「何を手助けするのか」「どう行うのか」・・・・・・

全てが毎日同じというわけではありません。

違う空気や違うタイミングに合わせて、その全てを私たちは判断していかなければならないのです。

それが私たちの介護。

目の前の人が本当に必要とする「杖」が、その時一体何なのかを、見極めて関わる力を要求されているのです。

ただ、身体で感じて動いてみる。違うと指摘されたら、違う方法を試してみる。そうして、池さん的な介護の方法を、少しずつ身につけてもらうしかありません。

スタッフ自身が感性を磨き、ぴすたーりさんの言うように、自分自身の山を乗り越えていくこと、自分らしい関わりができるように努力することしか結局のところないのだと改めて思います。

とはいっても、

人は思った以上に複雑ですし、思った以上にいろいろな人がいるわけで・・・

スタッフだけではなく、もちろん目の前の年寄りも!

・・・自分の価値観なんて通用しないし、なかなか思うようにならないから、「人」って面白いのでしょうね。

だからこそ、

人と正面から向き合う「介護」と言う仕事が、面白いのかもしれません。



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楽しみ

2010-10-26 21:12:28 | デイサービス池さん
人として「最後まで生き切る」ことを常に望みたいと思う。

みよちゃんの今日。

みよちゃんは、5年前から池さんの常連さん。

そして大頭の住人でもある。

9月。調子の悪くなってきたみよちゃんを私たちは生まれた家に連れて行った。

いつ状態がもっと悪くなるかもしれないという私たち自身が危機感を抱いた毎日の中で、みよちゃんの生きる希望ともなるであろう「生まれた家に帰る」という楽しみを私たちはかなえたいと思った。

そして、みよちゃんは楽しい時間を過ごし、再び生きてきた。

今また、食事量が急激に減っていく中で、私たちはみよちゃんの希望を探している。

今日、体調も良く目もちゃんと開いた朝、私たちはみよちゃんがかつて通っていた化粧品のお店を訪れることにした。

顔なじみの奥さんは入院中で会うことができなかったが、娘さんと昔話に花を咲かせ、綺麗に眉を整えてもらいお化粧もしてもらって、高級化粧品を2つ、真っ赤な口紅も買って、みよちゃんは帰ってきた。

良いにおいがみよちゃんから漂う。

「私の化粧品とはやっぱり違うね~」という私を見て、ニヤニヤと笑って今日一日みよちゃんは元気に過ごした。

夜、いつもはご飯もほとんど食べないのに、今日はお茶碗一杯のお雑炊にプリンも食べて、嬉しそうに笑いながらお布団に入った。

「みよちゃん、今年中にもう一回島へ行こうね」という私に「・・・おみやげを・・・」というみよちゃん。

「島は魚はあるけど、畑は作ってないから・・・お米を持って行ってあげようか?じゅりちゃんとこの美味しいお米!」

「よろこぶ・・・うれしい・・・」

・・・

みよちゃんが、みよちゃんらしく最後の時を迎えるまで、私たちはずっと見つめていきたい。

みよちゃん自身がみよちゃんのままで、生きることを一番に考えていきたいと思う。

お出かけ好きで、買い物好きで、洋服やお化粧の大好きなみよちゃんが、今までしてきたことをずっと続けていけるように、考えていきたいと思う。

好きなことをすれば、こんなにも元気になる。

好きなものをみれば、きっと食べたくなる。

大好きなじいちゃんと一緒に最後の時まで、みよちゃんのままでいて欲しい。

そのために私たちにできることをいつも考えて、みよちゃんの楽しみを探していきたいと思う。

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人として・・・名人編

2010-10-24 19:00:58 | デイサービス池さん
たびたびこのブログにも登場する名人。
何度もの脳こうそくの危機を乗り越えて、今も元気に池さんに通ってきている。

名人のニックネームの由来は、魚釣り名人だから。

8月にまたまた脳こうそくを起こしてから、トロミ食になり・・・しかし、それ以外は以前とかわらず、現在週3回池さんに通う。

土曜日。「釣りに行きたい」という名人の希望通り、私たちは今治港へ釣りに出かけることにした。

もちろん、名人は名人であるわけだから・・・仕掛けを作ったり投げるのは大ちゃんの仕事。今回釣り同行初体験の今井君はもっと下っ端であるわけだから、名人の指図どおりに餌をまくわけで・・・釣れた魚を外すのも下っ端の仕事。

名人は名人らしく、へらへらと笑いながら、皆をこき使うわけで・・・

左手は内側に硬く曲がり固まってはいるものの、ちゃんとリールを手首で抑えることができるし、右手はちゃんとリールを巻ける!

つまり、良いところだけ持っていくさすがの名人。

で、イワシや小鯛やカワハギなどを釣って・・・意気揚々と下っ端達を従えて帰ってきた。

(私たちは釣りには関心ないから、後から合流してみよちゃんと今治の有名なかまぼこ買って帰ってきたもん!)

名人が・・・人として生きることとは

たまには好きな釣りに大ちゃんと出かけ、
好きな石こくやシノブを買いにオアシス市場へ出かけ、
男連中とエロ話に花を咲かせ、
下っ端の今井君をあれこれと指図してこき使い、
お泊まりの日は大ママに近所の居酒屋の美味しいお好み焼きをおごらせて、
美人を見たら、鼻の下をのばす・・・

それが名人の生きるということ。

リハビリだけに時間を費やすわけでもなく、
「治す」ことだけを考えるのでもなく、

ただ、
人として

名人が「名人らしく生きる」ということを、

私たちは最大限考えていきたいと思う。

それがそれこそが、
名人の「もっと生きたい」「今度はあれをしたい」という「生への希望」に繋がっていくのだと思っている。

57歳の名人が、
病気を抱えているから故に、
はるかに自分よりも年をとった人たちの中に入って一日を過ごすことを余儀なくされてしまったとしても、

それでもなお、
自らの病や状況に対して、
少しも負い目を感じることなく、

ここにきている時間は、
お腹の底から笑って、
「確かに今を生きている」ことを感じて欲しい、喜んで欲しい。


そう、心から思っている。


そのために、
私たちは
ある。

名人と正面から向き合うために、
今日も
私たちは
存在する。

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人として・・・その2

2010-10-21 21:59:28 | デイサービス池さん
私たちの介護現場は、はじめて訪れた人にとっては、「は~?」の世界だと思う。

ただ騒ぎ、ただ遊び、ただ食べる、そして昼寝・・・

でも人の一日を考えた時、

これで十分!

フクエさんが、今日私にこう言った。(補足すると、フクエさんは一人暮らし。近くに息子さん家族が住んでいて、毎日様子を見に来てくれている。週2回他の大きなデイサービスを利用していて、池さんに来るのは週1回。そしてこの時、向かい合う席に名人が座っていた)

フクエさんが、名人の方を向いてこう言った。

「このおじさんは、いっつも楽しそうにニコニコ笑っとる。私は耳が聞こえんけれど、池さんへ来て、いつもこのおじさんが笑っているのを見て、私まで嬉しい気持ちになるんよ」

私は言った。

「フクエさんも、いつもニコニコ笑って、私はフクエさんが笑うのを見て嬉しくなるよ。いつもは笑ってないの?」

フクエさんは、イヤイヤというように手を振って言った。

「家では、いっつもだ~れもおらんから、黙って上を向いて寝とる」

私は聞いた。

「デイに行った時には、皆と話をせんの?」

フクエさんは言った。

「耳が聞こえんから、誰ともしゃべらんよ。用事があったら、職員の人が紙に書いて持ってきてくれる」「ここへ来たら、いつも皆がニコニコ笑っていて、職員の人も大きな声で横で話してくれるから全部わかるし、私もうれしいんよ」

そして、初めて食べるという冬瓜を料理しながら味見させてあげたら、「初物は東向いて笑わんとね」と言って、立ち上がり東の窓にお辞儀をして、笑って食べた。

「お味はどうですか?」と聞いた私に、フクエさんはこう言った。

「おいしい・・・涙がでるよ。泣けてくるほど美味しいよ」

・・・・・

特別なことは何もしない。


ただ、今日も会えて嬉しいと手を取って喜び、熱いお茶を一緒にすすり、季節の食材でつくった熱々の簡素な食事を皆で食べ、お腹一杯になったら昼寝をし、目が覚めたら遊びに出掛け、珍しいお菓子や果物を買ってきて皆で食べ、のどが渇くくらいおしゃべりして、元気だったらまた会おうねと約束して帰っていく。


人として、

当たり前の一日。


決して難しいことではないはず。


老いて残り少ない日々なら、なおさら「一日を大切にしたい」と思う。


そのために、

私たちは、ある。


「認知症を予防するため」にではなく「認知症が進行しないため」にでもなく、「リハビリのため」でもなく、「介護度を進行させないため」でもなく・・・


ただ、「人が人としてある」ために、「人として老いる」ために、「老いを生きる」ために、

私たちがいるのだと思っている。

そんな介護者でありたいと、そんなスタッフであってほしいと、

心から願っている。



業務連絡

悩めるスタッフへ

いつか自分が年をとった時、こうやって毎日過ごしたいと思うように、目の前の人と向かい合ってください・・・それで私たちの仕事は十分なのです。どうしよう・こうしようなどと思わないで。そう思った時、あなたはただの介護者になってしまいます。

ただ一緒にいてあげること・一緒に笑って・一緒に食べて、一緒に泣いてあげてほしいです。それができれば十分。介護者である前に「人として」同じ場所にいてあげてください。

老いていく怖さや、身体が動かない不安を抱える人たちに、正面から向き合ってあげてください。

それで、十分です。それだけで、十分です。

自信をもって、向き合ってみてください。きっと今まで知らなかったことや、人生の重みや深さを目の前の人たちに教えてもらうことができますから。

介護と言う仕事は、素晴らしい仕事なのですよ。


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人として生きるとは?

2010-10-19 22:18:25 | デイサービス池さん
人として生きることは。

人として暮らすことは。

本当に難しいことなのかと思ってしまう今日の出来事。

入院している伊藤さんをお見舞いに行った。

伊藤さんは、肺に確かに疾患を抱えている。が、この疾患に関しては、ご家族が話し合った結果、積極的な治療をしないという方向になった。

そして現在抱えている疾患(・・・なのかどうかも疑問ではあるけれど)に関しても、時間が解決する(入院して治療する)というよりは、以前の普通の生活ペースに戻しさえすれば、きっと状態は今より良くなるに違いないのだ。(・・・と私たちは考えている)

なのに、

療養型の病棟に移ったという話を聞いて、訪れた病室。

個室で、ベットとポータブルトイレのみ。

ベットとポータブルトイレの間には、感知マット(そこに立つとナースステーションに繋がっていて「どうしました?」と聞かれるマット)がひいてあった。

伊藤さんは、昼食の時間だったのでデイルームと呼ばれるフロアーの広いスペースに車椅子に乗って座っていた。

そこは、エレベーターを降りた所のフロアーで、まあ、食堂と言う感じの部屋ではない。

でも、何人かの介助の必要なお年寄りが集められて、伊藤さんもその中にいた。

話をしている間に食事(らしきもの)が来る。

すべてが、ミキサーにかけられている!

主食・白いドロドロ。主采・鼠色のドロドロ。汁・黒いドロドロ。副菜・黄色いドロドロ。

プレートの上には、4種類のドロドロ。

伊藤さんに尋ねた。「いつもこれ?」

伊藤さんは、ちょっと間をおいて言った。「はい。毎日」

そして、伊藤さんは、置いてあったスプーンも使わずに、お皿に口をつけて、ズズズと飲んだ。

私はその時、伊藤さんの入れ歯がないことに気付いた。

入れ歯を外しているから(噛めないから)ミキサー食なのだろうか?

肺の疾患や膀胱の状態が、ミキサー食を必要とする・・・と言うわけではないだろう。

なぜ?

毎日3食、ドロドロ?

噛まなくてもよいものばかりで、何をたべているのかさえわからないものばかりで、一体それを食事と言えるのか?

話すことができ、理解することができ、食べることができる人を、なぜミキサー食にする必要があるのか?

まったくもって、

「人が人として生きる」ということは、どういうことなのか?

疑問が胸にあふれてくる。

伊藤さんの部屋に行った時、思わずベットの横の感知マットに足が触れてしまった。

近くのナースステーションで音楽がなっている。

「伊藤さん、どうしました?」

伊藤さんはポータブルトイレに移動するたびに、いつもこう聞かれているのだろう。

そして帰り際、ナースステーションのカウンターには、胃から直接食事を入れる人用に、何種類ものドロドロを、パッケージに移し替える作業に追われるスタッフが「いつまでたっても片付かん!」とイライラしたようにいう後ろ姿があった。

人として生きるとは(少なくとも今の状態の伊藤さんが)それほど、難しいことなのだろうか?

「病気を治すこと」は、その疾病が長期化すればするほど、

人として生きるということよりも、

療養がすべてに優先される・・・ということなのだろうか?

・・・

秋晴れの日に、気持ちのよい空気を胸一杯に吸い込み、

柔らかいお豆腐でも入れた伊藤さんの大好きな熱々のお味噌汁をたっぷりと用意して、

大好きな山に行って、新米で作ったおにぎりと熱い味噌汁を飲ませてあげることができたなら・・・

きっと、いつものように「ほほ~これはこれは!」と喜んでくれるだろう。

たとえ、病状がどうであろうと・・・

「あ~おいしかった!」と言って、前のようにご飯を食べることができたら・・・

伊藤さんは、きっときっと幸せな気持ちになるのではないか・・・

エレベータに乗った途端・・・

そう思えて・・・

私は泣いていた。

何もできない無力な

自分への

もどかしさに



今日も

打ちのめされた。



私たちは無力。

常にその思いに

打ちのめされ、

深く重いジレンマに、

押しつぶされそうになる。



何ができるのか。

何をすればよいのか。



「医療」を前に、

伊藤さんという人との関わりに、

何一つ、もう、私たちにできるものは何もないのか?

何ひとつ。



ただ、私たちにできることは・・・

「本当にこれでいいのか」と、

常に自分に問いかけながら、

苦しみながら、悩みながら、


進んでいくことしかないのかもしれない。






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風邪引きさんたち

2010-10-14 20:59:18 | デイサービス池さん
西条では、祭り一色!

さっちおさんは今月、14日から風邪ひく予定で、10月は14・15・16日はお休み!!!

昨日の昼(さっちおさんは昼までの勤務)、「では、しばらく風邪ひきます」と元気に帰って行った!

今日の夕方、大ちゃんは「あ~のどが痛くなってきた!熱も出てきた」と言っていつもより早く帰って行きました!

まあ、どいつもこいつも、

祭りの太鼓の音が聞こえたら、

仕事どころじゃないみたい

日曜日、

ここらへんで、一番遅い小松の祭りが終わるまで、

風邪引きさんは、出勤できそうもありましぇ~ん


祭りの買いだしに、幹太と涼ちゃんを連れていくと、

「そりゃ~よいとさ~~、そりゃ~!そりゃ~!」と大声を張り上げてスーパーの中を、カート押して走り回り、おババはちょっと恥ずかしかったけど・・・

大ちゃんがこうして育ったように、この子たちも祭り好きに育っていく・・・

こうして、西条生まれの血が受け継がれていくのだろうと、ある意味感動したりして・・・



あっと、ちなみに30年前の10月15日

私は母になりました。



まあ、

何はともあれ、

祭りは、

ここらあたりでは、

一年の区切りのような行事。


祭りが終わると、

みんな来年の祭りを目指して、

頑張るわけです


みんな、元気に帰ってきてね! 月曜日まってるよ~!


西条祭り

バンザ~イ







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ヒイちゃんのコンニャク

2010-10-11 20:11:10 | デイサービス池さん
ヒイちゃんは、内耳炎を患ってから、耳の聞こえが悪くなったものの一時落ちていた食欲も秋の訪れとともにもとに戻り、今はとても元気に暮らしている・・・というか元気すぎて、ちょっとお調子者のヒイちゃん。

特にコンニャクに目がなくて(かつては山で、自分で作っていたものだから、ウンチク言い出すととまりゃあしない!)沢山しゃべりながら、本当に嬉しそうにコンニャクを食べる。

(全く歯がないのは、何のデメリットでもないということを気づかせてくれるほど、年寄りは好きなものは、歯がなくてもちゃんと食べれるのだ)

この前も、みよちゃんの娘さんが持ってきてくれたマグロの刺身を2切れ分けてあげたら、醤油の中にベタベタつけて、じいちゃんに向かってこう言った。

「じいさん、よい!これ家でつくったコンニャクじゃけん、お上がり!」

(いえ、それ、マグロですから! しかもじいちゃんとこの娘さんの持ってきてくれたマグロですから!)

「ヒイちゃん、これは魚! じいちゃんの娘さんが持ってきてくれたんよ!」と私。

「ありゃ、そうかい!」と一旦は納得したかのように見えたけど、次の瞬間

「お食べやじいさん。うまいぞい! 山のコンニャクは!」

じいちゃん、お腹いっぱいマグロを食べていたものだから、手で「×」というサイン。
(じいちゃん、冴えとる~!)

で、ヒイちゃん、諦めるかと思ったら、私に向かってこう言った。

「あんたお食べや! 私がこしらえたコンニャク。うまいぞい!」

(あ~~~やっぱり、コンニャクですか?!)

ふと気がついたように、ヒイちゃんは言った。

「そこのおばさんにも、あげておくれ! 私のコンニャク!」

(え~っと、それ、マグロですから! みよちゃんのくれたマグロですから!)

・・・

言った本人のヒイちゃんは、この日、

コンニャク(マグロ)を醤油漬けにして遊び続け、結局2切れとも枝豆の殻で隠してしまい、どこへ行ったか・・・あのマグロ!

大切な大切なヒイちゃんのコンニャクは、

醤油とともに、枝豆の殻と一緒に、

いつの間にか流し台の上に移動し、みよちゃんが着替えをしている間に、他の食器にまぎれて、忘れられてしましたとさ!

ごめんね。みよちゃん。

大事なマグロの刺身。

2切れ分けてあげたばっかりに・・・

今度来るときには、

きっと、きっと、みよちゃんとじいちゃんのお腹に入るよう、

コンニャクに間違えられないよう、

大ママが、

しっかり、

見届けます!!!

たとえ、2切れとは言っても、

こんなマグロの最後があったなんて・・・

ごめんね。

マグロちゃん。

どうか、

大ママを許してね!
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これぞ縁!

2010-10-10 21:53:17 | デイサービス池さん
池さんが、大事にしている「縁」

ただ、会ったと言うだけの薄っぺらな「縁」なんかじゃなくて、本当に運命的に繋がっていると感じる「深い縁」

私たちは鳥肌が立つような「縁」を感じる瞬間がある。

そんな一日の出来事。

朝、竹村ばあちゃんをお迎えに行くと、「応援し隊員の更新のお金持って行ってよ~!」と言われた大ママ。「ありがとうね!」と言ったら、「これ、谷口さんのも預かったから、一緒にお願いね」と言われた大ママ。

谷口のじいちゃんは、かつて池さんに通っていた人。ぐっさんの愛称で今でも池さんの大きな想い出として、心に刻んでいる大きな人。番外編の「こりゃ、ど~でや!」は、ぐっさんの口癖を、そのまま使わせてもらっているくらい、私たちはこの人との出会いを大切なものとして過ごしてきた。

で、封筒を開けてみたら、谷口のばあちゃんが手紙を入れてくれていた。

(原文のまま載せさせてもらいます)

池さんへ

ご無沙汰しています。何とか元気で暮らしています。じいちゃんが抱っこさせてもらった赤ちゃんが、もう3歳になったそうですね。じいちゃんが亡くなってから、曾孫が3人生まれました。曾孫を見せてあげられなくて残念です。
何かあると、池さんで大事にお世話して頂いたことを思い出して涙を流しています。
ありがとうございました。今後ともよろしく購読させていただきます。


池さんは、ただの小さなデイサービス。

でも、ここで出会った谷口のじいちゃんがその命を終えてからも、毎年こうして池さん新聞の購読を続けてくれるばあちゃんがいてくれる。

じいちゃんが体調が悪くなって、2人がかりで抱えるようにしてやってきた最後のデイの日、生まれたばかりの涼ちゃんをじいちゃんが寝ているベットに連れて行った時、じいちゃんはいつものように笑って、「お~お~」と喜んでくれた。そして2日後に亡くなった。その時の赤ちゃんが「あ~もう3歳になったんだ」と思ってくれる。

この繋がりこそが、私たちが大事にしたい「縁」

ただ、出会っただけなのではない。

出会ったことに、大きな運命と必然性を感じてこその「縁」

「出会った」ことで、

谷口のじいちゃんに出会ったことで、

私たちは、

その人を尊敬することと、その人の生きた歴史を知ることがいかに大切なことであるか、「目の前の人は、私たちが想像するよりはるかに深く大きな人間であり、人生の大先輩である」ということを謙虚に思うことを教えてくれた。

池さんを深く大きくしてくれたじいちゃん。

じいちゃんが亡くなってからも、こうして紡がれていく縁

・・・

そしてこの日、もっと縁を感じる瞬間があった。

竹村のばあちゃんと谷口のばあちゃんの新聞購読料を預かったあと、たまたま行ったスーパーで、私は近藤のじいちゃんの奥さんに出会ったのだ。

ブログにも書いているけど、谷口のじいちゃんとともに近藤のじいちゃんのことは、池さんの大きな出会いの一つ。

近藤のじいちゃんに教えてもらったしめ縄を、大ちゃんは毎年作り続けている。じいちゃんは死んだけれど、じいちゃんのしめ縄は、大ちゃんを通して確かに生き続けている。

そんな大事なことを、伝え続けていくことの大切さを教えてくれた近藤のじいちゃんだった。

その奥さんに、本当に1年ぶりに偶然出会った。

「ちょうど、新聞の更新のお金を持っていこうと思っていたけどよかった、ここであえて!」と、またまた新聞の更新してくれたのだ。

「・・・ありがとうね。」とお礼を言って、1年ぶりの再会を喜んで、立ち話に花が咲いた。

こんなに、偶然が続くなんて、本当に何かあるのかも?

これこそが、本当に縁で繋がっているということなのかも・・・?

と思って、

この話をみかちゃんにしたら・・・

「もっと凄いことがあるよ」とみかちゃん。

実は、絃太が寝ているベビーベットは、みかちゃんの友達のお家から借りているもので、谷口のじいちゃんの曾孫が生まれた時にも、友達繋がりで曾孫さんのために貸してあげていたベッドなのだそうだ。

じいちゃんに見せてあげられなかった曾孫。

その代りに、ベビーベットには今、池さんに繋がる絃太が寝ている!



本当に、どこでどう糸が繋がっているのだろうと思うくらい、

私たちは「縁」でつながっている、と確かに感じることができる出来事。


「縁」は、不思議な繋がり。

目には見えないけれど、

誰かに守られ、誰かに導かれ、

心から大事にしたいと思う人や出来事に、確かに繋がっていく。

その不思議さに、

心から敬意を払い、

その重みを、

心に刻んで、

これからも、「縁」を大事にする池さんでありたいと、

深く深く、

思った今日の日。

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我が尊敬する人

2010-10-07 21:01:37 | デイサービス池さん
私のブログの最初のページに登場する人。
荒木さん。
御年、90歳。

私が尊敬する大先輩。

時々、会うのだけど、一昨日、またまた一緒に飲む機会がありました。

ビール・ワイン・日本酒・・・・・

90歳で、

皆と一緒に10時過ぎまでたらふく飲む人。

本当に、

会うたびに感動します。

こうして、

年老いていけたなら、

幸せかも?と心から思います。

私は、

こよなくビールを愛する人。

ビールを片手に老いていきたいと思っています。

で、

信頼する医師の友人も、この日一緒に飲んだので、このことを話すと、

「ああ、それなら、最後の時には点滴にビール入れたげるよ

と、

いとも簡単に言われました!

私は・・・

とても、

嬉しくなりました

どうぞ、

よろしくね。


あっと、先生と私は同い年だから、

私より長生きしてもらわないとね!(点滴にビール入れてもらえないから!)

そこんとこ、よろしく

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うれしい言葉

2010-10-06 21:20:40 | デイサービス池さん
いろいろつれづれに思うことは多々あるけれど、(おいおい、ゆっくり書いていきたいと思います)

ま、今日の一番嬉しかったこと!

9月から利用し始めたとしはるさん。

いつものように、あ~だこ~だとおしゃべりしていて・・・

「あんたはちょっと若いんかい?」
「いくつに見える?」
「そうよの・・・はたちか、24くらいか?」
「・・・

とまあ、

超うれしいお言葉!!!!!

で、

単純細胞のワタクシ。

今日一日、

ルンルンで、

しっかり、

働きましたとさ
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いろんなことの続き

2010-10-04 22:06:29 | デイサービス池さん
5周年を前にして、何とか軌道に乗って、まあなんとかやっていけるだろうと思っていた矢先、ここ何ヶ月か、怒涛のようにいろいろな出来事が池さんを襲ってきた。

月ちゃんが肺炎で入院し、そのまま入院生活、
キミちゃんが、松山の施設へ入所することになり、
みさちゃんが肺炎で入退院を繰り返すし、
みちおさんがいなくなり、
伊藤さんが、入院生活を続けることになり、
ゆみこさんも入院、

介護者として、別れなければならない辛さを抱えながらも、
経営者として、ソロバンをはじいてしまう自分への嫌悪感を常に抱きながら、

何か月が過ぎた。

そして、新しい利用者さんとの出会いが今、訪れている。

9月から利用してくれているとしはるさんとさよこさん、10月からの輝男さん。

別れと出会い。

何ヶ月か前なら、決して出会うことがなかった人たち。

新しい人との出会いを、純粋に心から喜びたいと思う。

「利用できる日を待っていたよ」と言われて訪れてくれる人達に、池さんでの毎日を心から楽しんでもらいたいと思っている。

出会うから、別れがある。

「別れ」は常に心に重くのしかかる。

納得のいく別ればかりではないので・・・まさこさんやぐっさんや、近藤のじいちゃんのように、力を尽くして見送った別れは、大きな思い出と共に私たちの心に生き続けるのだけれど・・・

それでも、池さんを必要としてくれる人たちと共に、悔いのない毎日を作り上げていきたいと思う。

新しい人たち。

また、新しい日々が始まり、池さん物語の新しいページがつくり出されて行く。

これからも、どうぞよろしく。

池さんのホームページも完成まじか・・・には程遠いか・・・!

みかちゃん、目にクマ作って頑張ってる模様!

アドレス書いておきます。

お暇ならご覧くださいませませ。

あっと、とうとうワタクシ、美しい顔を公開してしまいました!!!

皆、驚かないでちょ~~~

http://www.ab.auone-net.jp/~ikesan/ 
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