気がつけば11月、
池さんも17年が過ぎました。
一生懸命、前だけ見て歩いた日々も、今思えばあっという間だったなぁと、しみじみ思えてきます。
毎日毎日、同じような日々だけど、同じではなく、違う日々かと言えば、そうでもないような、複雑なようで単純なような、単純に見えて深い、深くて濃い日々、振り返るとそんな感じの今です。
17年の日々は、多くの喜びを与えてくれました。
いつも多くの想いを寄せてくれる人たちの支えのおかげで、これだけの時間を過ごしてこれたことを感謝しています。
沢山のことを学び、沢山の喜びとともに、悲しみや悩みと共に、今日の日を生きていられることを心から感謝しています。
ありがとうございました。
身体の不調を医師に相談しても、「加齢でしょう」とそっけない」回答が帰ってくる今日この頃。
立派に高齢者の仲間入りができて、嬉しいような寂しいような、介護保険料の未払いの督促状を手に、「なんということでしょう!」と自分で突っ込んで寂しく笑ったりするような、そんな日々。
終わらない争いや病や世の中に、ままならない現実と向かい合う毎日に少々嫌気がさしながらも、それでも朝は来るわけで、当たり前ではないけれど、それでもまた陽は昇る。
そうやってコツコツと生きてゆく先に、18年や19年がやってくるのだと、その続きに20周年があるのだと、改めて思う夜です。
最近手にした「若松英輔 悲しみの秘儀」の中の一文。
絶望のあるところには必ず希望が隠れていると、人生は語る。
人生は失望を飲み込み、希望という光に変じ、内なる勇者を目覚めさせる。
どんな
微細な光をも
捉える
眼(まなこ)を養うための
くらやみ
(岩崎航)
暗闇は、光が失われた状態ではなく、その顕現を準備しているというのだろう。確かに人は、闇においてもっとも鋭敏に光を感じる。
ここでの光は、勇気と同義だが、同時に希望でもある。
絶望のなかで見出した希望、
苦悶の先につかみ取った「今」が、自分にとって一番の時だ。
そう心から思えていることは、幸福だと感じている。
「人生の困難に直面したとき私たちは、もがき、苦しみ、うめく。
そんなとき人は、無意識に言葉を探す。わらをもつかむ思いで探すのは言葉なのである。」
本の帯の言葉です。
いろいろな言葉に出会う幸せを大切にしたいと思っています。
例え「加齢」の私だったとしても、きっと言葉が私を救ってくれるはず。
いろんな言葉を支えに、これからの新しいステージに向けて、皆で頑張っていきたいと思います。
いろんなときに池さんを想って下さる方々の想いを支えに、また歩いてゆきたいと思います。
変わらずに訪れて下さる懐かしい人や、お世話になった人たち、今ここに来てくれている人たち、そして応援して下さる方たち、これからもよろしくお願いします。
何年たっても、そこにある時間はずっと継続しているけれど、そこに生きる人は、小さな歩幅でも少しでも自分を見つめ、生きることを想い、深くなっていたらいいなと思っています。
限りある時間だからこそ、今をきちんと生きていたいと改めて思います。
支えとなる想いや言葉を胸に、しっかり深く生きてゆきたいと思います。
なんだか毎日刻む時間も早くなっているようで困りますが、もうすぐ師走。
あっという間の一年です。