池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

役目

2010-07-24 23:01:01 | デイサービス池さん
しばらくは、ブログを書けないだろうと思っていました。

あまりにも突然に起きた出来事に、完全に打ちのめされたような気がして。

今日は、私と同じ気持ちでいるだろう私の大事なスタッフに、このブログを届けたいと思います。



私たちは、毎日、本当に悩みぬいて目の前の人たちと関わっています。

ただの介護職員以上の「池さんの介護職員」になるために、大きなハードルを常に用意して、「今日一日、これでよかったのか?」と心に問いかけながら過ごすことを、求めてきました。

そして、皆はその気持ちに応えてくれています。

いつも流れと空気を大切にして、自分を追い込んで問い詰めて、頑張ってくれています。

ただ、

私たちの目の前にいる人たちは、決して自ら望んでここで過ごしたいと思ってきた人ばかりではありません。できることなら、どの人も、元気なままで昔の自分のままで、家族とともに暮らせたらと思っていたに違いありません。

老いたり病気をしたり・・・そんな苦しい現実を抱えた人達なのです。

在宅を続けるための方法の一つが、たまたま池さんと言う介護の現場であったのかもしれません。・・・だとしても・・・私たちは、出会いました。

ならば、

「家で過ごすための一つの方法としてたまたま出会った池さんではあるけれど、まあ、ここも捨てたものではない。ここで過ごす毎日は、結構面白いし、想像した以上の楽しい毎日が過ごせる。」と思ってもらえたら最高だと思います。

私達は、老い・忘れ・不自由な身体になり、今までの自分の生き方とは全く違う暮らしをしなければならない人たちと向かい合っています。

こんな身体だけれど、まだまだこんなに楽しいことができて、こんなに笑える毎日が過ごせる・・・もうちょっとだけ生きてみよう・・・また、ここへ来てみよう・・・と思ってもらえたら、それでよいのだと思います。

家族の代わりには、決してなることなどできないのです。

だからこそ、「家族のできないことを担う」池さんでありたいと思います。

どの人にも、元気で働き、家族とともに溌剌と生きた時間があります。

他の人にはわからない家族の歴史があります。

私たちが出会うのは、老い、何らかの助けを必要としている人達。

全てを抱え込もうとせず、自分たちの役目をきちんと果たすことができたなら、きっとそれでいいのだと思っています。

ただ、今日来てくれた目の前の人が、「今日も楽しかった!」と思ってくれたら、それでいいのだと思います。

そのために、全力で私たちが一日を過ごしましょう。

いつ、どんなことがあっても、(自分の関わりに)決して後悔することのないように!

最後に会った日の全ての会話や行動が、頭に浮かぶように!

何が大切なのか、きちんと心に焼き付けて毎日を過ごすことができたら、いつどんなことが起きようと、(悔むことなく)受け入れることができると思います。

誰にも終わりが来ます。いつかは別れなければならない人たちなのです。

だからこそ、

今日一日を決して後悔しないよう、

一緒に生きていきましょう。

目の前の人に、心をこめて向き合うことは、

私たち自身の、生き方にも繋がっていくのです。

「池さんのスタッフである」という自分の役目を果たすこと、

私たち自身が、後悔することのないように生きることは、

目の前の人にとっても、家族にとっても、

「確かに生きる」「今日、生きている」ことにつながるのです。

それで、いいのです。

それしか、できないのです。




いつ・・・

何が起きるか・・・

誰にもわからないのですから・・・



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あきらめること

2010-07-19 21:39:45 | デイサービス池さん
今日で、10日が過ぎました。

夢永様、愛媛ッ子様、ぴすたーり様、あまり様、そのほかこのブログを見て心配してくださった多くの方々、本当にご心配かけました。

今日、親戚の方が最後の捜索を行いました。池さんも、主だったスタッフは全員自主的に参加。

そして、最後の一日が終わりました。

・・・

私たちは、常に無力であることを思い知らされました。

そして、「未完結」での終わりが確かにあるということを思い知らされました。

「あきらめること」が、人生には必要なのだということも。

・・・

心の中のある一部では、「あきらめたくない」という想いを抱えながらも、いつかはきっと「あきらめなければならない」のだということを、この10日間自分に言い聞かせてきました。


「老い」や「死」という現実は、目の前にある厳然とした事実です。

しかし、「行方不明」という完結しない出来事もまた、厳然とした事実なのです。

つねに、明らかなことばかりではなく、人生の中には限りなくあいまいな不明な部分があるのだということ、神しか知り得ないことが確かに存在するのだと改めて思いました。

きっと、みちおさんは、今は見つけて欲しくないのかもしれません。見つかるべき時が来たら、きっと誰かの力を借りてご家族のもとへと帰ってくるでしょう。

・・・

今いろんなことを思い返しています。

私たちがみちおさんと出会って、まだほんの2年足らず。とても穏やかで誰とでも上手に話し、皆を楽しませてくれる、そんな人でした。

わからないことがだんだん増えていく中でも、いつも優しいご家族に囲まれて笑顔を絶やすことはありませんでした。

多分。

所詮私たちが知っていたのは、池さんの中でのみちおさんでしかないのです。

みちおさんという人間をどこまで知っていたのだろう。
みちおさんの生きた人生の何を知っていたのだろう。

本当は、何一つ知らなかったのかも・・・今そんな気持ちがしています。

・・・

病気をし、老い、何かしら厳しい状況を抱えて池さんと出会った人たち。その全ての人をもっともっと知りたい、もっと深く知りたい、もっとしっかり向き合いたい・・・今そんな気持ちがしています。

みちおさんに教えてもらった気がします。

・・・

いろいろなことを学ばせてもらいました。

本当にありがとうございました。











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祈りよ届け!

2010-07-17 22:09:52 | デイサービス池さん
祈るしかない私たちです。

もう1週間が経ちました。

近隣のほとんどの施設と店舗には張り紙があります。新聞の折り込みも。

まだ消息は全く不明です。

できる限りのことはしました。思いつく限りの所は探しました。

どうか、

一日も早く見つけてあげたい。家に連れて帰ってあげたい。

そんな想いを抱きながら、

私たちは、目の前の皆と毎日向き合い続けています。

おバカなことを言って、笑って過ごしています。

涙をこらえて、

毎日過ごしています。

みちおさん、

だれも、あきらめてなんかいませんよ。

皆が、待ってますよ。

梅雨が明けました。

真夏のような一日でした。

ヒマワリのように、いつも大きな心で皆を包んでくれたみちおさん。

みちおさん

祈り続けることしかできない、いつも無力な私たちです。

どうか、

皆の祈りが

届きますように!

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その後

2010-07-14 21:31:54 | デイサービス池さん
もう5日目です。

まだみちおさんの消息は、全く不明です。

こんなことってあるのでしょうか?

誰一人見ていない。

今日、新聞へ訪ね人のチラシが入りました。

写真も文章もみかちゃんが作ったものです。

毎日いっぱい、池さんで写真を撮っていました。

こんな形で、こんなふうに、使われるなんて想像もしませんでした。

nさん・飛子さん、そのほかの心配してくださっている全ての方へ 
皆さんが同じ気持ちでいてくださることに、本当に感謝です。
一日も早くみちおさんが、大好きなご家族のもとへ帰れるように、一緒に祈ってください。

今日も、大雨です。
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祈り

2010-07-12 23:28:50 | デイサービス池さん
金曜の夕方、散歩に出かけたみちおさんが、行方不明になった。

いつもの道をいつものように出かけたまま、帰らない。おそらく道を間違えてしまい、帰るべき方向を見失ってしまったのだろう。連絡が入ったのが、金曜夜10時過ぎ。すぐ家に駆けつけた。

消防が近所の捜索を始めていたので、私たちもすぐ車で近くの山などあちこち探した。しかし夜は、正直どうにもならない。思い当たる限りの場所を回ってみるが、消息不明。見かけた人もいない。深夜2時まで探して、結局その日は終了するしかなかった。暗すぎて何も見えない。

土曜日、夜中にみかちゃんが作ってくれた写真入りのチラシを大量にコピーして、朝6時から消防や捜索に加わる人に配ったり、チラシを貼ってくれるお店を回った。この辺りは山も池も川もある。市街地にいるなら、目撃した人もいるはず。不安に駆られながら、西条・新居浜・今治・松山と足を延ばして捜索する。

土日だったので、日勤の人以外、すべてのスタッフが捜索に加わった。全く情報が得られないままの2日間。そして、日曜の夕方5時半で、消防隊の捜索は打ち切りとなった。

月曜日の今日。大雨の朝。

いつもならいるはずのみちおさんの元気な姿は、池さんにはない。

大ちゃんは休みの日だったが、雨の中捜索に行った。自治会や消防は捜査を打ち切ったけれど、じっとしていられずに探している人もいたらしい。

今日も、結局見つからなかった。もう3日目の夜が来た。探しても探しても探しても・・・

もし、どこかで無事でいるなら、誰か気づいて!たとえ、命を失っていても、どうか誰か見つけてあげて!このままでは、誰もあきらめられないのです。

みちおさんのことを本当に大切にしてきたご家族の想い、みちおさんのことを大好きなおばちゃんのあきらめきれない胸の内を想うと、もうどうしていいかわからないのです。

池さんを作ってから、いろいろな別れを経験してきました。

年をとっているから、いずれ「死」という形で別れがくることは、覚悟できています。「死」ではないにしても、入院という形で別れること、施設への入所という形で別れること、家族の事情で通所できなくなるということもあります。すべてそれなりの「完結」があるのです。納得できる(あるいは全てを納得できないにしても、種々の事情は納得できる)事情があるのです。

こんな形での別れがあるなどと、本当に思いもしませんでした。

はっきりと木曜日のことを覚えています。

木曜日が、みちおさんが池さんに来た最後の日でした。いつもなら午後はドライブに出かけるのに、この日は「眠い」と言って昼寝グループに珍しく加わって、昼寝をしたみちおさん。「ちょっと寝たらすっきりしたわ」と言って起きてきて、それから皆で歌をうたって、炭坑節を踊りました。楽しかった~!

おやつを食べて、(最近私が西条への送迎に出ることはあまりないのだけど)その日たまたま私が西条方面の送迎担当で、帰り道だから一緒に帰ろうということで、みちおさんとふくえさんを乗せて出発しました。

途中、ヒマワリが咲いているから見て帰ろうという話になって、遠回りしてヒマワリ畑を通って、「こりゃあ綺麗な!」と言って大喜びしたみちおさん。「いつも最初に家に着くから、今日は西条まで一緒に行って遠回りして帰ろう」とふくえさんが言いだして、みちおさんも大賛成。「それがええ。そうしよう、そうしよう」それから西条へ行って、帰りにたこ焼きと饅頭買って(これは朝、みちおさんの所からパンをもらったお礼に私が買ったもの)「ばあちゃんに土産ができた」とニコニコしながら、帰っていったみちおさん。

家に着くと、「これ土産!」とおばちゃんにたこ焼きを渡して、「あ~今日も楽しかった!ありがとうございました!またね~!」と車が見えなくなるまで、いつものように手を振ってくれたみちおさん。

その日のみちおさんのすべての表情が、鮮明に頭に焼きついています。

「少しでも早く家に連れて帰ってあげたい」そんな気持ちを抱えて、今日も一日仕事をしました。目の前には、いつもの皆がいます。じいちゃんは、日曜からまた調子が悪くなっています。目の前の人は、一人だけではありません。みちおさんへの想いを胸にしまって、私たちは、目の前の人たちと向き合わなければなりません。

「いつ何が起きるか誰にもわからない」ということを、私たちはみちおさんに教えてもらいました。

真剣にしっかり向き合うことの大切さ。今と言う時を大切にすることの意味。スタッフにとって、今日が後悔のない一日だったと言えるのか。一生懸命に向き合えたのかどうか。楽しかったといって一日を終わってもらえたのかどうか。全力を尽くせたのかと。

再び、心に強く刻みつけたいと思います。

午後、よしこさんが私を見ていいました。「何か考え事でもあるの?」「はい、探し物が見つからないんだけど、どうしたらいいですか?」「それは困ったね。祈るしかありませんよ!」

心から、祈りたいと思います。どうか早く見つかりますように。

捜索には必ず限界があるのです。どこかであきらめなければならないのです。どうかその前に、見つかってほしいと思います。

そして、私たちは自分の今やるべきことをおろそかにしないよう、みちおさんに教えられたことが生きるよう、精一杯頑張りたいと思います。どの人にも、「あ~今日も生きていてよかった」と心から言ってもらえるように、私たちの役目をきちんと果たしたいと思います。

今も雨が降っています。せめて雨がやみますように。早く家に帰りましょうね。みちおさん。みんなが待ってますよ!










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心と言葉

2010-07-08 01:09:57 | デイサービス池さん
私はこれでも生活相談員という立場にいるわけで、

時々、サービス担当者会議と言うものに出席するわけです。

まあ、通常はこの会議には、生活相談員という役割の人が出席するのは当たり前なのだけれど、池さんの場合はいろいろな事情があって、大ちゃんと半々くらいの割合で出ることにしているのです。

今回の会議。私が担当。

大ちゃんに朝、よ~く言われました。「黙って聞いて帰ってください。」と。そして、スタッフの皆に言われた。「机は蹴らないでくださいね!」と。

ケアマネが利用者の言葉を聞かずに判断したり、自分の思い込みでしゃべったりすることに、私はいつも我慢できずに、ついつい腹を立ててしまうわけです。机を蹴りそうになったことも確かにあるわけで・・・。結局感情むき出しの駄目な相談員。だから皆が心配してくれるわけで・・・

で、静かに黙って、聞かれたことだけをちゃんと言って帰りましたよ。(こんな時、大ちゃんは大人だな~と思います。)

というか、今回の会議は、

私にとって感動そのものでした!

「会議の内容が」・・・なのではなく、「家族の言葉が」です。

その家族は、ばあちゃんを介護しています。

ばあちゃんは、認知症です。

認定期間が来たので、要介護3から4に変更になって、この会議は開かれました。

ばあちゃんは、池さんの他に2つのデイを利用しています。

ばあちゃんは、最近わからないことが増えて、特に夜間の排泄が大変になりました。どこへでもオシッコをするのと、目が覚めた時誰もいないと不安で叫ぶので、いつも息子さんが添い寝をしているそうです。

昼間池さんで看るばあちゃんとは確かに違うばあちゃんと毎日向き合っている家族の大変さは、大頭の宅老所で夜勤を続けている私には、とてもよくわかります。

でも、息子さんは言いました。


「ばあさんは、いよいよ何もわからんようになりました。オシッコをする場所さえも。自分の息子さえも。でも、そんなことは、何でもないことです。ボケようと何だろうと、そんなことは、何でもないのです。

その昔、ばあさんは大変な思いをして私を産んでくれ、お乳を飲ませ、おしめを替えてくれました。今はその代りに、私がオシッコの世話をさせてもらっている。当たり前のことです。私は、そうやって育ててもらったのですから。

裸になったばあさんを見てください。苦労して苦労して、身体中、傷だらけです。苦労してそうやって私を育ててくれました。痩せて小さく腰も曲がっていますが、年をとることは、悪いことではありません。
布団を汚したら、布団は干したら乾く。何にも心配せんでええ、安心おしよ。といっつも言うています。
わからんことがあっても、ばあさんは、堂々と生きたらええのです。難儀して育ててくれたのだから、大きな顔をしとってください。」


「老いていく母親を見るのは、とても辛い」と息子さんは言いました。

「どうして・・・なぜ・・・?」という自分への問いかけを繰り返したそうです。

でも、「わからなくなっても、ばあちゃんは堂々と生きればいい。大きな顔をしとってください。」という言葉を言える息子さんのすごさに、大きさに、

私は、涙が出そうになりました。

息子さんの言葉は、ばあちゃんの生きざまそのもの。息子さんの生き方は、ばあちゃんそのもの。そんな気がしました。

毎日添い寝を続ける息子さんの心とその言葉の重みに、

私は完全に打ちのめされたような、

そんな日でした。







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増築?

2010-07-05 23:03:40 | デイサービス池さん
池さんにあった心地よいテラス。

庭に面してあるテラスは、季節のいい時には日向ぼっこの場所で、皆の遊び場所で、昼寝場所。時には子どもたちの食堂にもなる重宝する居場所。

池さんの利用者が定員いっぱいに近づいたころから、ちょっとした逃げ場所が欲しかった。何しろワンルームの狭い部屋だったから、常に皆と同じ空間にいることがしんどい人もいて、何とかならないかな~と思っていた。

こんなときに頼りになる知り合いの大工さんに相談すると、「なんとでもなるよ!」という心強い返事。

で、重宝していたテラスに壁を作ることにした!

サンルームのような(夏は日差しをもろに受ける)スレートの屋根を、しっかりしたものに変えて断熱材を入れ、壁をつくってもらい部屋に改装。

土曜日に完成して、その日のうちに大ちゃんと私で床にクッションマットを張り(お金がないから自分達でするしかないわけ)窓を外してすだれをつけ、畳マットを置いて、カーテンをつけて・・・部屋らしく完成!!!

東西に窓がついているので、風通しも抜群。

今まで、ギュウギュウで毎日くらしていたのに、今日からはちょっとゆとりが生まれた池さん。

庭は少し狭くなったけど、

一部屋増えたような気分で、「ええわあ、これええわあ!」と、朝から畳にごろ寝を決め込むスタッフたち!

なんで?なんで?あんたが寝るの?

仕事しろ~~~!

と思いながら寝転がってみると、確かにこの狭い空間が心地よい空間に変身している。

「落ち着く」ということは、決して広さではない、ということに気づかされ、まあスタッフも一緒の昼寝もいいもんだと、妙に納得したりして・・・

こうして、私たちの借金は永遠に減らないわけで・・・

とりあえず、なんか部屋が広くなった嬉しい日だからと、皆で乾杯して手作りのオードブルをがっついて、

今日も、

またまた、

いつものように、おバカに楽しい一日が、

過ぎて行きました、

とさ!

昼寝したい人は、よっといで~~~!!!
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