しばらくは、ブログを書けないだろうと思っていました。
あまりにも突然に起きた出来事に、完全に打ちのめされたような気がして。
今日は、私と同じ気持ちでいるだろう私の大事なスタッフに、このブログを届けたいと思います。
私たちは、毎日、本当に悩みぬいて目の前の人たちと関わっています。
ただの介護職員以上の「池さんの介護職員」になるために、大きなハードルを常に用意して、「今日一日、これでよかったのか?」と心に問いかけながら過ごすことを、求めてきました。
そして、皆はその気持ちに応えてくれています。
いつも流れと空気を大切にして、自分を追い込んで問い詰めて、頑張ってくれています。
ただ、
私たちの目の前にいる人たちは、決して自ら望んでここで過ごしたいと思ってきた人ばかりではありません。できることなら、どの人も、元気なままで昔の自分のままで、家族とともに暮らせたらと思っていたに違いありません。
老いたり病気をしたり・・・そんな苦しい現実を抱えた人達なのです。
在宅を続けるための方法の一つが、たまたま池さんと言う介護の現場であったのかもしれません。・・・だとしても・・・私たちは、出会いました。
ならば、
「家で過ごすための一つの方法としてたまたま出会った池さんではあるけれど、まあ、ここも捨てたものではない。ここで過ごす毎日は、結構面白いし、想像した以上の楽しい毎日が過ごせる。」と思ってもらえたら最高だと思います。
私達は、老い・忘れ・不自由な身体になり、今までの自分の生き方とは全く違う暮らしをしなければならない人たちと向かい合っています。
こんな身体だけれど、まだまだこんなに楽しいことができて、こんなに笑える毎日が過ごせる・・・もうちょっとだけ生きてみよう・・・また、ここへ来てみよう・・・と思ってもらえたら、それでよいのだと思います。
家族の代わりには、決してなることなどできないのです。
だからこそ、「家族のできないことを担う」池さんでありたいと思います。
どの人にも、元気で働き、家族とともに溌剌と生きた時間があります。
他の人にはわからない家族の歴史があります。
私たちが出会うのは、老い、何らかの助けを必要としている人達。
全てを抱え込もうとせず、自分たちの役目をきちんと果たすことができたなら、きっとそれでいいのだと思っています。
ただ、今日来てくれた目の前の人が、「今日も楽しかった!」と思ってくれたら、それでいいのだと思います。
そのために、全力で私たちが一日を過ごしましょう。
いつ、どんなことがあっても、(自分の関わりに)決して後悔することのないように!
最後に会った日の全ての会話や行動が、頭に浮かぶように!
何が大切なのか、きちんと心に焼き付けて毎日を過ごすことができたら、いつどんなことが起きようと、(悔むことなく)受け入れることができると思います。
誰にも終わりが来ます。いつかは別れなければならない人たちなのです。
だからこそ、
今日一日を決して後悔しないよう、
一緒に生きていきましょう。
目の前の人に、心をこめて向き合うことは、
私たち自身の、生き方にも繋がっていくのです。
「池さんのスタッフである」という自分の役目を果たすこと、
私たち自身が、後悔することのないように生きることは、
目の前の人にとっても、家族にとっても、
「確かに生きる」「今日、生きている」ことにつながるのです。
それで、いいのです。
それしか、できないのです。
いつ・・・
何が起きるか・・・
誰にもわからないのですから・・・
あまりにも突然に起きた出来事に、完全に打ちのめされたような気がして。
今日は、私と同じ気持ちでいるだろう私の大事なスタッフに、このブログを届けたいと思います。
私たちは、毎日、本当に悩みぬいて目の前の人たちと関わっています。
ただの介護職員以上の「池さんの介護職員」になるために、大きなハードルを常に用意して、「今日一日、これでよかったのか?」と心に問いかけながら過ごすことを、求めてきました。
そして、皆はその気持ちに応えてくれています。
いつも流れと空気を大切にして、自分を追い込んで問い詰めて、頑張ってくれています。
ただ、
私たちの目の前にいる人たちは、決して自ら望んでここで過ごしたいと思ってきた人ばかりではありません。できることなら、どの人も、元気なままで昔の自分のままで、家族とともに暮らせたらと思っていたに違いありません。
老いたり病気をしたり・・・そんな苦しい現実を抱えた人達なのです。
在宅を続けるための方法の一つが、たまたま池さんと言う介護の現場であったのかもしれません。・・・だとしても・・・私たちは、出会いました。
ならば、
「家で過ごすための一つの方法としてたまたま出会った池さんではあるけれど、まあ、ここも捨てたものではない。ここで過ごす毎日は、結構面白いし、想像した以上の楽しい毎日が過ごせる。」と思ってもらえたら最高だと思います。
私達は、老い・忘れ・不自由な身体になり、今までの自分の生き方とは全く違う暮らしをしなければならない人たちと向かい合っています。
こんな身体だけれど、まだまだこんなに楽しいことができて、こんなに笑える毎日が過ごせる・・・もうちょっとだけ生きてみよう・・・また、ここへ来てみよう・・・と思ってもらえたら、それでよいのだと思います。
家族の代わりには、決してなることなどできないのです。
だからこそ、「家族のできないことを担う」池さんでありたいと思います。
どの人にも、元気で働き、家族とともに溌剌と生きた時間があります。
他の人にはわからない家族の歴史があります。
私たちが出会うのは、老い、何らかの助けを必要としている人達。
全てを抱え込もうとせず、自分たちの役目をきちんと果たすことができたなら、きっとそれでいいのだと思っています。
ただ、今日来てくれた目の前の人が、「今日も楽しかった!」と思ってくれたら、それでいいのだと思います。
そのために、全力で私たちが一日を過ごしましょう。
いつ、どんなことがあっても、(自分の関わりに)決して後悔することのないように!
最後に会った日の全ての会話や行動が、頭に浮かぶように!
何が大切なのか、きちんと心に焼き付けて毎日を過ごすことができたら、いつどんなことが起きようと、(悔むことなく)受け入れることができると思います。
誰にも終わりが来ます。いつかは別れなければならない人たちなのです。
だからこそ、
今日一日を決して後悔しないよう、
一緒に生きていきましょう。
目の前の人に、心をこめて向き合うことは、
私たち自身の、生き方にも繋がっていくのです。
「池さんのスタッフである」という自分の役目を果たすこと、
私たち自身が、後悔することのないように生きることは、
目の前の人にとっても、家族にとっても、
「確かに生きる」「今日、生きている」ことにつながるのです。
それで、いいのです。
それしか、できないのです。
いつ・・・
何が起きるか・・・
誰にもわからないのですから・・・