いつになったら終わるのかと思っていた夏の暑さも、気がつけば本日処暑。
24節気の第14節目。
酷い暑さも峠を越える頃。
虫の声が聞こえ始め、実りの時期がやってくる季節。
夜はだいぶ涼しくなりました。
けれど確かに気温は下がったとはいえ、ムシムシとする昼間の暑さが結構身体にはこたえます。
皆様、いかがお過ごしですか。
夏休みもあとわずかになりました。
宿題できたかなの子どもたちグループ。
毎年、恒例の夏休みは、池さんに子どもたちの賑やかな声がして、暑い暑いと皆でアイスクリームを食べて、宿題は~?と皆に突っ込まれて、テーブルの上に宿題一杯広げて、ばあちゃんたちに励まされながら頑張って、あ~今日もよう頑張ったね~と褒めてもらって、ママと一緒に帰る、そんな夏の日の思い出。
この場所で沢山の子どもたちが、夏を過ごしてゆきました。
池さんが始まってからずっと、変わらない風景です。
夏の日の賑やかさは、今でも私の心の奥底に残るあったかい思い出。
それにしてもいつまで続くのか、重点措置。
もうしばらく我慢の時間のようです。
出会いと別れを繰り返した今年の夏でした。
納得できない事情とどうしようもない現実を前に、揺れる心を何とか押さえつけながら、離れてゆく人を見送った日。
布団の上で狂人のように過ごしていた人が、まごのて利用をきっかけに生活ペースが再生できて、今ではデイを週4日利用できるまでになったこと。輝くような笑顔で「ここへ来れてよかった」と言ってくれた日。
独りぼっちで髭も髪もぼうぼうで、ぼろ切れみたいになっていた人が、散髪してご飯食べて人間らしくなったこと。ちかちゃん(その人はみかちゃんのことをそう呼ぶ)とまこちゃんを、ちゃんと覚えてくれて笑顔で待っていてくれた日。
疾患を抱えケアハウスで暮らしていた人が、池さんに来ることになって「ここへ来れてよかったよ。うれしい。」と言ってくれたすぐあとに、グループホームの空きができて、急に入所が決まった日。涙をこらえて話したこと。
たったひと月。
夏の盛りのひと月。
でも、いろんな人のいろんな想いや生活や環境を背景に、今年もいろんな人の、人生の大事なページを紡ぎ出してゆく時間でした。
どの選択も、どの人生も、どうにもならないこともあり、どうにかできたかもしれないこともあります。
人生の分かれ道は選択できることもあるし、自分で選択できないこともあり。
だれに出会うかによっても変わってくる違いない選択。
そんないろんな偶然と必然に想いを巡らせながら過ごしたひと月です。
子どもたちの成長と、スタッフの成長と、現場の変化と入れ替わり。
何年かぶりに揺れ動く経営の波に揉まれながらも、なぜか心は落ち着いていられるのも、私が年をとった証拠なのか、どうなのか。
どちらにしても、夏はもうすぐ終わります。
行きたい所へ行けず、会いたい人と会えない、消毒液とマスクの静かな夏。
コロナ禍の2度目の夏。
生まれてからずっとマスク姿しか知らず、他人の笑顔を知らない子どもたちが、もう2歳。
ソーシャルディスタンスと、黙食、不安定な社会と不安定な大人の中で育った子どもは、どう育ってゆくのだろう。
池さんで育つ子どもたちのように、いろんなことを感じることができるのだろうか。
そんなことを考えながら、池さんの人たちと、子どもたちと、いろんな人のいろんな人生のことを、今年もしっかり考えさせられました。
今年の夏の思い出は、いつもと同じ大きくて濃い記憶を、私の心に刻み付けてくれました。