1年半前に選挙を通じて出会ったじいちゃん。夕浪のじいちゃん。
長いお付き合いでもないし、いつも逢うわけでもないじいちゃん。
でも、逢うといつも私の心を暖かくしてくれるじいちゃん。
選挙の挨拶にいったのが始めての出会い。
その時じいちゃんは、山の中で仕事をしていた。
小さな体。90度に曲がった腰。初めて逢う気がせずに、挨拶にいったときも長話をして帰った記憶がある。
じいちゃんの目はとても温かくて、じいちゃんの目を見ていると、いつも心の中を見透かされているように感じる。
選挙の日、じいちゃんは誰よりも早く、まだ投票所が開く前から集会所に行ってくれて、一番乗りで私の名前を書いてくれたそうだ。
そして、選挙に落選してすっかりめげている時、じいちゃんは朝早く車を運転して、私を励ましに来てくれた。
「お金をいっぱい使う人がいる中で、あんたは信念を通して、まっとうな選挙をしたのだから、きっといいことがある。あんたの後姿を子どもが見て、きっとまっとうな生き方をしてくれるだろう。悲しむことなんかない。」とお茶を飲みながら話してくれた。
そのタイミングの良さとじいちゃんの生き様が、その時の私の心に深くしみて、私は救われた気がしたのを覚えている。
それから今日まで、何ヶ月かに一度、じいちゃんが柿を持ってきてくれたり、私たちがお弁当を持っていったりという関係が続いている。
今日、利用者さんと秋の話をしているうちに突然、夕浪へ行こうということになった。「行こう行こう」といつものようにすぐに決まって、ありあわせのものでお弁当をつくり、フミちゃん達といっしょに、3台の車に分乗して出発。
いつものように、じいちゃんは山にいた。「じいちゃ~ん」と呼ぶと、山の中腹からいつものように腰を曲げてスタスタと降りてきてくれて、「お~お、久しぶりじゃな」と喜んでくれた。「事業はうまくいきよるか?」と仕事のことを一番に心配してくれ、「芋があるけん、ちょうどよかった。もって帰れ」と言ってくれた。
総勢10名の突然の訪問にも、いやな顔もせず、利用者さんの1人とはすっかり話も合って、いつものように皆で長話をして、じいちゃんの夕食用にとけんちん汁とお弁当を置いて、かわりにおイモやキノコをどっさりもらって帰ってきた。
いろいろな出会いがあり、いろいろな別れがある。
仕事を通じて知り合う人、池さんに利用者として来てくれる人、タムタムやたぁさんのように永遠のお別れをした人、池さんから他の施設へと移っていった人・・・
多くの出会いを重ねて、出会った多くの人たちから、生き様や考え方を学ばせてもらっている。お年寄りだけでなく、障がいをもった人、そして子ども達・・・
悩みや苦しみが何にも無い人など、1人もいない。
みんな何かしら苦しみを抱えつつ、それでもなお懸命に生きている。
周囲に感謝し、前を向いて歩んでいる人たち。
夕浪のじいちゃんに逢う時、
私はいつも「人と人との出会い」の偶然さと大切さを思わされる。
そして「出会えたこと」を素直に感謝する謙虚な気持ちを、いつも思い出させてくれる。
じいちゃんは私にとってかけがえのない人。
また、お弁当つくって逢いに行きますね。じいちゃん。
長いお付き合いでもないし、いつも逢うわけでもないじいちゃん。
でも、逢うといつも私の心を暖かくしてくれるじいちゃん。
選挙の挨拶にいったのが始めての出会い。
その時じいちゃんは、山の中で仕事をしていた。
小さな体。90度に曲がった腰。初めて逢う気がせずに、挨拶にいったときも長話をして帰った記憶がある。
じいちゃんの目はとても温かくて、じいちゃんの目を見ていると、いつも心の中を見透かされているように感じる。
選挙の日、じいちゃんは誰よりも早く、まだ投票所が開く前から集会所に行ってくれて、一番乗りで私の名前を書いてくれたそうだ。
そして、選挙に落選してすっかりめげている時、じいちゃんは朝早く車を運転して、私を励ましに来てくれた。
「お金をいっぱい使う人がいる中で、あんたは信念を通して、まっとうな選挙をしたのだから、きっといいことがある。あんたの後姿を子どもが見て、きっとまっとうな生き方をしてくれるだろう。悲しむことなんかない。」とお茶を飲みながら話してくれた。
そのタイミングの良さとじいちゃんの生き様が、その時の私の心に深くしみて、私は救われた気がしたのを覚えている。
それから今日まで、何ヶ月かに一度、じいちゃんが柿を持ってきてくれたり、私たちがお弁当を持っていったりという関係が続いている。
今日、利用者さんと秋の話をしているうちに突然、夕浪へ行こうということになった。「行こう行こう」といつものようにすぐに決まって、ありあわせのものでお弁当をつくり、フミちゃん達といっしょに、3台の車に分乗して出発。
いつものように、じいちゃんは山にいた。「じいちゃ~ん」と呼ぶと、山の中腹からいつものように腰を曲げてスタスタと降りてきてくれて、「お~お、久しぶりじゃな」と喜んでくれた。「事業はうまくいきよるか?」と仕事のことを一番に心配してくれ、「芋があるけん、ちょうどよかった。もって帰れ」と言ってくれた。
総勢10名の突然の訪問にも、いやな顔もせず、利用者さんの1人とはすっかり話も合って、いつものように皆で長話をして、じいちゃんの夕食用にとけんちん汁とお弁当を置いて、かわりにおイモやキノコをどっさりもらって帰ってきた。
いろいろな出会いがあり、いろいろな別れがある。
仕事を通じて知り合う人、池さんに利用者として来てくれる人、タムタムやたぁさんのように永遠のお別れをした人、池さんから他の施設へと移っていった人・・・
多くの出会いを重ねて、出会った多くの人たちから、生き様や考え方を学ばせてもらっている。お年寄りだけでなく、障がいをもった人、そして子ども達・・・
悩みや苦しみが何にも無い人など、1人もいない。
みんな何かしら苦しみを抱えつつ、それでもなお懸命に生きている。
周囲に感謝し、前を向いて歩んでいる人たち。
夕浪のじいちゃんに逢う時、
私はいつも「人と人との出会い」の偶然さと大切さを思わされる。
そして「出会えたこと」を素直に感謝する謙虚な気持ちを、いつも思い出させてくれる。
じいちゃんは私にとってかけがえのない人。
また、お弁当つくって逢いに行きますね。じいちゃん。