ほんの2つ。
桜の花が咲いた。
春の来た証拠。
桜の花。
ばあちゃんが育てた水仙や菜の花など色とりどりの花が咲き乱れている。
春の庭。
そよそよと風の吹く庭でお日様の光に当たっていると、
平穏な時間のありがたさに心が満たされてくる。
明日からのご飯の準備などして時間を過ごす。
大根のお漬物、ハリハリ漬け、福神漬けを作り、魚の味噌漬けの準備や明日のカレーの肉の準備やブロッコリーのサラダの用意などする。
昨日じゅりちゃんが持ってきてくれたつくしの下ごしらえをしたり、葉物を綺麗にしたり。
今週もまた、沢山の人たちの想いを頂いて、いろんな春のお料理を作りたいと思っている。
春。
楽しみなことだけでもなくて、花粉が飛んで目が痒かったり、鼻水でマスクがべとべとになったり、なんだか変な人もいっぱいで、何が何だかわからない人もいっぱいになって、春の不安定さそのもののの毎日。
木の芽立ちとか昔から言う言葉もあるくらいだから、昔からこの時期は精神的にも揺れ動くことの多い不安定な時期だという認識だったのだろう。
フワフワしてソワソワと落ち着かない。
気分の変化も大きくて、上がったり下がったり。
子どもたちは、卒業や入学や進級でソワソワするし、
みんなもいろんな行事で忙しい。
ゆれる気持ちをコントロールしながら、痒い目をこすりながら、
卒業式まじかの学校の子どもたちの明るい声に背中を押されて、
嬉しいこと、悲しいこと、全部含めてもう3月も後半。
暮らすことが難しい人と出会い、食べることさえ難しい人と出会い、
法律と支援の狭間で、
生きることさえ難しい人を知るたびに、
現実の厳しさに驚かされる。
いろんな人の人生の質の格差に唖然とする。
コロナに起因するわけではない。
そういう人たちの暮らしを知るたびに、
社会の矛盾と支援の弱さを突きつけられる。
平和で豊かな今のこの地方でさえ、
さまざまな境遇の人が、
色とりどりの人生を生きているのだと、
改めて感じている。
春の宵。
静かな夜。
少しずつ昼が長くなってゆく。
明るい日差しが降り注ぐ春であるよう祈りたい。
暖かい春になるように願いたい。