日暮れが早くなった。夕方、外へ出ると、金木犀の強い香りと綺麗な三日月が見える。
祭りが終わった後の妙に寂しいような空気が満ちた町に、今夜も心地よい秋の風が吹いている。
4年ぶりに制限やマスクのない秋祭り。
時間の流れとその重さを強く感じた今年の祭り。
10月14日土曜日。美香ちゃんの住む地域のお祭り。
小学校1年生の平ちゃんは、太鼓の練習に2週間毎晩通い、手の皮がむける程一生懸命練習して太鼓のリズムをマスター、宮出しの太鼓を叩かせてもらったそうだ。4年ぶりの賑やかなお祭りを身体中で感じ、地域の人たちと同じ時間を生きていた。
お祭りは、地域と繋がる場。同じ時間を生きる場。
10月15日。獅子舞が大頭に来てくれた。
あいにく日曜日なので、大頭のメンバーしか見ることができなかったけれど、お休みだった職員も参加して、綺麗な獅子舞を堪能した。
伝統を守り続けていくことは大きな力が必要だと思うけど、こうして若い人々に伝わっている地域の文化を見ると嬉しい。加えて、今の大頭のメンバーが、家族と共に、地域のお祭りを楽しむ時間を持てたことがとても嬉しい。
地域のお祭りは、健康や幸せを祈る場。
10月16日、17日。小松のお祭り。
いろんな地域のだんじりが池さんを訪問してくれ、太鼓の音が聞こえるたびに、皆は急いで外へ出てだんじりをもてなす。
17日は例年どおり、池さん、大頭のメンバー、全員が集合する日。氏神様とだんじり、子供神輿が来てくれて、祝詞を上げてくれ、お祓いをしてくれて、お神酒を頂き、お札を配ってくれる。皆が手を合わせ、祈る。
いろんな想いがこみ上げてくるお祭り、祈りの日。
観光客向けの派手なお祭りが多い中、ここらあたりの地元の住民自身のお祭りは、豊作を願い、皆の安寧を願い、手を合わせただただ祈る地域の人々の神事。
毎年、皆でこの時間をともに過ごせることをただただ祈る。
昭和2年生まれ。御年96歳のTさん。
お祭りの話をしていて、平ちゃんが太鼓の練習をしていると言ったら、自分も叩いていたと話が始まった。お箸と箱を目の前に置くと、いきなり普通にごく当たり前のように叩き始めた。
トンチキチッチ、トントコトントントン・・・箱を叩く音が、池さんの中に広がってゆく。
96歳。
小学校の4年生まで、こうやってだんじりの太鼓を叩いていたらしい。(その後、地域の事情でこの地区のだんじりがなくなった)つまり、86年ぶりの太鼓!
これほどの長い時間が経っているにもかかわらず、身体に沁みついた太鼓のリズムは、ブレることなくTさんの心を動かし、手を動かした。その86年という時間の長さに、その場の全員感動の嵐。「もう一回」コールを嫌がることなく、ちょっと嬉しそうに、何度も何度も叩いてくれたTさん。
ふだん大人しいその人の自慢げな表情、叩かれる太鼓(空き箱)の何とも言えない不思議な心地よいリズム。
86年の時間を一瞬にして飛び越してしまったようなお祭りの出来事。
この時間と瞬間を、一緒に過ごすことができたことを感謝。
昭和30年生まれのSさん。
病によって病院の医師から胃ろうを勧められたご家族が、たとえ時間が限られたとしても、その人らしく生き切ってくれることを望み、昨年の末、大きな覚悟を持って大頭の池さんで過ごすことになった人。
お正月を過ごし、春を迎え、そして夏を生き、お祭りを迎えることができた。
15日の獅子舞の日。
ご家族も来られて一緒に、お祭りの時間を過ごすことができた。
たまたまご家族の来られた時間と、獅子舞が舞う時間が重なり、ちょっとだけ降った小雨も止み、その見事なタイミングは、まるでその人が守られているかのような不思議な感覚。
この時間に、この瞬間に、ご家族とも一緒に過ごすことができたことを感謝。
まごの手で出会って、池さん利用中のHさん。
出会った初めの頃は、長い間の引きこもり生活で、まるで仙人か浮浪者かというほどの風体だったものの、今ではごく普通の生活を送ることができている人。
マイペースの人なので、賑やかなお祭りはどうかなと思っていたけれど、当たり前のようにお祭りを楽しみ、笑顔で写真に収まった。
地区のだんじりは、お花と呼ばれる寄付(心づけ)を集めて回るので、Hさんの家の玄関には、お祭りだからと自分で用意した小さなポチ袋に入ったお花がいくつか用意されていて、お花を渡した後に代わりにもらうお礼の札が何枚か置かれていた。Hさん自身がお祭りのために、自分で用意した小さなポチ袋。
社会や人とのつながりを長い間断ち切って生きていた人が、池さんと出会うことで、もう一度社会の中で生きる人として存在したということを知って、心が動く。
お祭りに関する一連の動作は、Hさんが元気だった頃と同じように、この社会でちゃんとHさんが生きている証。
Y子さん。
Y子さんは全盲。でもお祭りをとても楽しみにしている。昨年は喪中でお祭りはできんのよと寂しそうだったけれど、今年は一番前の席でお神輿を見て、お祓いをしてもらった。お神輿が来てくれている間中、手を合わせていた。
耳も遠くなっているので、側で職員が目の代わりになって神事を説明し、Y子さんは手を合わす。
見えんけど、ずっと、手を合わす。聞こえてないかもしれないけど、しっかり手を合わす。
神事を心から大切に想ってくれるY子さんに、Y子さんと一緒にこの時間を過ごすことができることをただただ感謝したいと思う。
人と人が一緒にいて、同じ気持ちでいる時間こそが大切と思う。これこそが生きている証。
お祭りは祈りと願いを込めた神事。
この地域に生きる人にとっては、イベントとしてではなく、氏神様に守られていることを意識する大切な神事。一年に一度、この土地に生きる人たちの安寧と豊穣を願う大きな区切りの神事。
だから、この時、同じ時間を生きていることを感謝して、一緒に過ごせることを感謝して、今年も手を合わせる。
ここに集う一人一人の時間が、穏やかで暖かくあることを願って、4年ぶりの賑やかなお祭りに、手を合わす。
そんな今年のお祭り。
ただただ、一緒に生きて行けることを深く想う日。
秋の風が吹く中で、突き抜けるような真っ青な空がある中で、秋のくもが柔らかく流れる中で、今日も、私たちは生きている。
小さな場所で、皆で一緒に、生きている。
そんな気持ちになった10月。
柔らかくて、暖かくて、重い、想う、10月の時間。