早やすでにソフトボールで勝利を収めた日本チーム。
声援や観客のいない競技場での、選手たちの人生を賭けた時間が過ぎてゆく。
この社会の中で。
この時代の中で。
次々に問題が明らかになる現状にあって、中止を求める声、非難する声、呆れる声、怒りの声、応援する声、様々な声が湧き上がっている。
そもそも・・・そもそも、誘致自体がどうであったか、誰が始めたのか、どこから何が始まったのか、振り返ればかえるほど、数えきれないほどの問題が出現してくる。
感染者数の増加のニュース、今だ不安定なワクチンの供給量。
この時代の中で、情報量は一見溢れているように見えるけれど、実はどの情報も真実なのかどうかは限りなく不明瞭。
今だ理念のありかが不明な大会は、声を大きく振り絞って「復興」と言えない曖昧さを持って、かといって「コロナ後の」とも言えない現状で、一体何を目的に、誰のために、と考えてみる。
考えてみたところで、わかりはしないけれど、
世界の平和の祭典であるはずの大会なのに、世界が互いに手をつなぎ合える大切な大会であるべきなのに、
争いや差別や民族迫害や紛争や大規模災害に、想いを寄せることができない、身近な問題として何一つ思い描けない、ただ感染者数しか目に入って来ない現状に、暗澹たる思いがする。
とりあえず、経済でもなく(無観客だから)復興でもなく(福島には行けないのだから)アフターコロナでもなく(ワクチン足らず今だ感染者数に国民は怯え)政治戦略でもなく(政治はもう機能していない)
何をテーマに・・・。
と考えていたら、愛媛新聞に為末大さんの「アスリートの出番 競技超えた言葉 世界へ」という文章が載っていた。
自身の忘れられない五輪の記憶。
2000年のシドニー「オーストラリアを一つに」というテーマのこの大会で、先住民のキャシーフリーマンが女子400メートルでトップで先頭を走っていた選手を最後の直線で抜き去りトップでゴールした時、
会場全体が揺れていると感じるほどの歓声に包まれた。
重圧から解放されたフリーマンはただぼうぜんとした様子で会場に座り込んだままだった。
その姿を目の当たりにした時、人が力を出し切った後、限界を超えた後これほどの感動を与えることができるのか。さらに究極に人が集中した時選手から自我が消え、スタジアム全ての人を取り込む器のようになる。「一度でいいからあんなレースをしてみたい」と強く思ったそうだ。
国籍も人種もすべてのカテゴリーを超越して人類が生命を燃やす場、それが彼の見た「五輪」だった。
「五輪」は装置に過ぎないと彼は言う。
人間の能力が引き出され、子どもたちがあんなふうになってみたいと夢を見る装置だ。その中心にいるのがアスリートだ。
五輪が他のスポーツイベントと異なるのは、「世界平和」という理念があるからだ。理念がなければただのスポーツイベントに過ぎない。・・・
国籍の違う、人種の違う人たちが、苦しい道のりの中で、自らの力を出し切るためのとてつもない努力に互いに敬意を払い、その姿に世界中が感動する。
その五輪を国民が一つになって成功させようではないか、困難なパンデミックの社会の中にあっても、わが国民はできる限りの努力をしてアスリートたちを見守っているのだと、国全体で自信を持って強いメッセージを発することもできただろう。
そのために事前に強いウイルス対策をとるのだと伝えることができたなら、国民の想いは一つになったかも・・・しれない。
対策の行方も、五輪の理念も、何もかもその場限りの場当たり的な言い訳しかしてこなかったことこそが、五輪という装置を、先行きの見えないイベントにしてしまっているようで残念に思う。
商業主義が見え隠れ、負の遺産ばかりで、政治色が濃く、多大な負担を将来に残すことにしかならないマイナス要素しか見えなかった大会を、応援していいのか、どう見ればいいのだろうと迷っていた私の心の中の真の部分に、為末さんの言葉が突き刺さる。
「競技を越えた言葉」
災害で苦しむ人たちのために祈り、アスリートたちの人生を想い、競技に人生をかけてきた人たちの時間を想い、苦しみを背負っている人たちを想い、迫害され続ける人たちに、世界中の人々の、平和のために。
今の時代の、この大会こそが、
競技を超える言葉を、
平和ということの真の意味を、
祈りや願いを、
伝えることができるのではないか、
その言葉を、
どうか世界の人々がその心で受け止めてくれるように。
どうか無事に大会が進みますように。
と願っている。