池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

移り変わる時に

2017-03-29 22:30:12 | デイサービス池さん

3月もぼちぼちと終わりに近づきつつあり、毎日何かと忙しい中で、ワタクシ生きています。

学校も春休みに入りました。

ばあさんたちもじいさんたちも相変わらずそれなりに元気な毎日です。

池さんを作った時、ヨチヨチ歩きだった慎ちゃんは小学校を卒業し、幹太や涼ちゃんも3年生を終えました。

絃太も保育園を卒園、4月から小学生です。

月日の早さに愕然としつつ、腱症炎の腕の痛みと右手の痛みに耐えながら、「ペンが持てん!」と文句を言いつつ、ワタクシも年を感じる今日この頃です。

いろいろな出来事は限りなく池さんを襲い、いつになったら楽になるのかと思いつつ、それでもこうして働けるのは幸せなことだと自分に言い聞かせながら生きております。

 

最近の近況を、少しだけお伝えします。

5か月の間、池さんを襲った嵐のような荒々しい出来事も一区切りを迎え、大頭の家も再び落ち着きを取り戻しています。

介護の必要になった人と、その連れ添い、そして子ども、この3人の「家族のあり方」を通して、改めてこの宅老所という場所の意味を考えることができた出来事でした。

穏やかで暖かな場所であり続けたいと、もう一度思うことができました。

そして、私たちが(池さんが)守るべきものが何か、ということを突き詰めて考えることができたように思います。

「家族」について考えることできました。
本当の家族とは何か、家族にどう生きて欲しいのか。

「家族」という単位は絶対的なものなのではなく、当たり前だけど一人一人の人間で出来上がっているのだということ。一人一人が努力して始めて、家族という一つの単位になるのだということ。

家族だから同じ想いを持つだろうという思いこみ、反対に家族だからこそそれぞれの想いが強すぎて、結果大きな落とし穴にはまり込んで行く怖さ。

「人の想い」についても考えました。
同時に、生きる上で何が大切な事なのか、何を大切にして生きてゆくのか、ということも考えることができました。

今まで何度も感じてきたことだけれど、どの人の生き方も、ただその人と家族の生きざまでしかないのだと、改めて感じる出来事でした。

生きてきたように老いてゆくしかないのかもしれないと。

どんなに考え続けても、どれほど心を痛めても、どうにもならない現実があることを改めて思い知らされました。

全ての人が満足し、全ての事が納得できるようにすることは、とてつもなく難しいことだと。だれしも、どこかで、どうにか折り合いをつけて生きているのだと。それが人というものではないのかと。

まあ、そんなこんな3月も終わります。

スタッフ達もそれぞれが葛藤を抱えつつ、自分自身と向き合いながら、頑張っています。

熱が出るほど悩みながら、涙が出るほど考えながら、鼻水が出るほど苦しみながら、毎日過ごしています。

時間が解決してくれることもあるでしょうし、頑張らなければ解決できないこともあるでしょう。

でも、立ち止まらずにいてくれるスタッフ達に感謝しています。

日々、前に向かって進んでくれるスタッフ達を自慢に思います。

そして・・・ワタクシ、

今夜もおまじないを唱えながら、リンちゃんと一緒に過ごす夜を楽しみたいと思います。

老いてゆく人たちに愛おしさを感じながら、時間の少なさに悲しくなりながら・・・

 

 

 

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お彼岸の頃

2017-03-21 23:07:49 | デイサービス池さん

「お彼岸」のことなど少し。

そもそも、

「彼岸」という言葉の意味は、生と死の海を渡って行きつく悟りの世界だとか。

つまりあっちの世界。

その反対側の私たちがいる世界は、「此岸」(しがん)と言われ、苦しみや迷いが一杯の現実の世界ね。

つまりこっち側。

「彼岸」の中日といわれる春分の日・秋分の日は、太陽は真東から昇り、真西に沈むため、彼岸と此岸が最も近い日と言われてきました。

万物のエネルギーが力をみなぎらせるからかどうか、とにかく何かの力に引っ張られるように、いろんな出来事が起こるような気がするのですが・・・。

皆様の身近ではどうでしょう?

時空の流れとエネルギーを感じることができましたか?

 

3月17日が彼岸の入り。

3月18日は井上のじいちゃんの命日でした。

そして、リンちゃん夫婦と出会うことになった日もこの日。

池さんにとっても、この前後の日々、いろんな転機になることが大きくて・・・。

大きなエネルギーの流れを整えて1週間を過ごしたいと思うわけですが、どうやら今年も流れくる波は結構大きいようです。

 

昨日は春分の日。

冬を超えた木々は芽吹き、成長の準備を整えます。

彼岸桜が満開を過ぎました。

私の大好きなモクレンの真っ白な花が、青い空にみごとに映える春の景色です。

23日の彼岸の明けまでの1週間。

理想だけではなく、綺麗ごとではなく、限りなく人間くさい自分自身を発見するという大きなテーマにきっとぶつかるでしょうが、でもそれでよいのだと思います。

もともと此岸に生きるワタクシ達は、多くの迷いの中で生きる人間なのですからね。

というなんか、宗教チックな話になりましたが、

ワタクシ、親鸞大好き人間なので・・・あしからず。

 

夕方、奇跡のような光景が。

大小2本の虹が、海方面から山に向かってかかっていました。

ちょうど送迎を終えての帰り道でした。

虹が余りにも美しく2本綺麗に見え、しかも虹の始まりはなんと、池さんのあたりを照らしていたのです。

すぐに車を止めて、思わず携帯を取り出し、激写!

写メだと、遠すぎるからかあまり綺麗でなかったのが残念なのですが。

大いなるエネルギーに感謝の心を込めて、

よき流れに守られますようにと、祈ったりした送迎からの帰り道。

桜の季節ももうすぐです。

 

 

 

 

 

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お馬の親子は・・・

2017-03-17 21:14:47 | デイサービス池さん

本日朝の送迎で、

久しぶりに綺麗に見えた雪帽子の石鎚の山。

 

ワタクシ:「見て見て!今日は綺麗に見えるよ!」

じいさんA:「ほんとじゃ。」

じいさんB:「うん、うん」

ばあさん:「ほ(ん)に、ほ(ん)に」

ワタクシ:「綺麗な!」

3人:アハハ

 

じいさんA:「あれは、結構高いもんじゃね。」

じいさんB:「高いとやっぱり美味しいでしょう。」

ばあさん「ほ(ん)に、ほ(ん)に」

ワタクシ:???

3人:アハハハ

 

じいさんA:「高いとよう見える。」

じいさんB:「やっぱり、お腹いっぱい食べたら幸せです。」

ばあさん:「ほ(ん)に、ほ(ん)に」

3人:アハハハハ

4人:アハハハハハ

 

一体全体、何の話をしているのか、そもそも、何の話でこの車内が盛り上がっているのかさえもわからなくなる今日この頃。

こうして、送迎中の話題は毎日あらゆる方向へと広がっていくわけで・・・

いちいち気にしては、やってられないというのがワタクシの本音であります。

皆のそれぞれの想いの中で、風景や季節が変わってゆく・・・じいさんやばあさんの見ている風景は、ワタクシが見ている風景とは違っていて、曖昧な思考の中で限りなく曖昧に広がってゆく。

そう考えると、どの人の思考回路がどう繋がっているのか、ということに興味をそそられる気がするのです。

それはきっと、介護というこの仕事のおもしろさに繋がって行くのかもしれないと思ったり。

人って、本当に面白い生き物です。

そういえば・・・りんちゃんの寝言も最高です。

「お馬の親子は、パカパカパカ。かわいいお馬はパカパカパカ。りんちゃんかわいい、パカパカパカ。」

「かわいいから抱っこしてください。お馬の親子はかわいいです。パカパカパカ・・・」

なんてったって、リンちゃんだもの。

夜中にうるさいくらいでっかい声で歌っても、寝言は絶対言ってないと言われても、起きているのかと思って話しかけたら寝とると怒られても、りんちゃんだもの。

リンちゃんの見ている風景が心の中でどうなっているのか、記憶の中でどう変化しているのか、ちょっと知りたいと思ったりして。

と思っていたら、またまた始まるりんちゃんの寝言。

「トンチチチッチ、トンチチチチッチ、トントンチチチ・・・」

祭りかい!

だんだんヒートアップしていくリンちゃんの声。

おかげで、じいさんBが起きてしまう。

じいさんAも、目を覚ます。

ばあさんBもごそごそと。

りんちゃん、お願い。

静かに心の中で歌ってね。

寝言もうわごとも歌も、どうぞ静かにお願いね。

心の中を知りたいと思ったワタクシ、大いに反省いたします。

知らなくて構いません。

だから、どうかとりあえず、寝てください。

そしてまたまた、始まる歌のレッスン。

たまに、時々、ほとんど大抵、りんちゃんの頭の中を見てみたくなるわけですが、

そういうワタクシも他の人から見れば、たいして変わりはないような気がしますので、

この辺で失礼したいと思います。

 

どうやら・・・今度はトイレのようでして。

賑やかな夜が今日もはじまりそうです。

こわ~い

 

 

 

 

 

 

 

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自主性と主体性についての考察

2017-03-13 23:23:03 | デイサービス池さん

いきなり難しい題名をつけてしまったけど、昨夜は満月。

関係ないか。

でも見事な月に、心の中のよどみを洗い流してもらえる様な気がして、いつものように少しの時間月の光を見ていたら。

その時心に浮かんだ言葉が、「自主性と主体性」という言葉。

悩みを突き詰めて考えてゆくと、その先にあった言葉がこの言葉で、ふと心に浮かんだ言葉。

調べてみると、こんなふうに書いてあった。

 

自主性とは、他者から干渉をや保護をうけず、独立して行うこと。

やるべき時にいかに人から言われる前にやるかということで、ある意味で考える習慣がつかない、つまり反射的に行動することが多くなる傾向がある。

例えば、挨拶を例にとると、「挨拶は?」と誰かに言われる前に自分から挨拶するという行動を行えるとか・・・

主体性とは、様々な環境下で自分の意思で判断や行動を行うこと。

やるべきことをやるだけにとどまらず、場合によっては、今までやってきたことが効果的でないと思った時はやめるという判断をすることもある。反対に何をやるか決まっていない状況でも、自分で考えて判断し、行動を行うこと。

例えば、挨拶する時に、まず目的を考えること。そしてその目的が何かを定義して、そのために必要な行動を行えることである。挨拶が人と人の関係性を高めることであるとするなら、「おはよう」と言うだけでなく、「元気だった?」とか、「会えてよかった!」という表現をして、よりよい人間関係につなげようとするとか・・・

つまり・・・

「主体性を持つ」ということは、自分で状況を判断し、自らの責任で最も効果的な行動をとることができるということである。

とかなんとか・・・

心に浮かんだ言葉から、こんなふうにいろいろと広がってゆきまして・・・

 

まあ、いろいろ思うことはあるものの、

とりあえず、本日のまとめ。

この2つの言葉の違いは、自分の頭で考えるか考えないかということ。

さらに、「主体性」には、自分がとった行動の結果について、自分が責任を負うという要素が含まれる。

簡単に言うと・・・

自らの言動に責任を持ち、自らが考え、判断し、そして行動し、ということが主体性を持つということであるわけで・・・

自らが責任を負ってはじめて、目の前の出来事に対して、おのずと発する言葉も考えも、行動も、一貫性のあるものになってゆくはず。

これを職員の指導方法にあてはめてみると、

「新人の自主性を潰さずに育てていくことが主体性となる」わけで。

新人が育っていく過程で、ヒントを与え自らが考えてゆけるように動いてみることができるようにという流れを、どうつくってゆけるのかが大切なことで。

うまくいかなかった時に、なぜそうなるのか、それによって何がマイナスになったのか、ならばどうすればよいのかを考察し、結果自主的に動くことができる範囲を広げてあげるということが、指導に主体性を持たせることになるのではないか。

まずやらせてみること、そしてやるべきことをはっきり示してあげること、なぜやるのかを考えさせてあげること、どうすればできるのかを自らの責任のもとしっかり体験させてあげると、おのずと結果に繋がるような・・・

主体性が無く、本能や感覚で行っていることは、その場の適応に追われて実は何も考えていなかったことを知ることになるはず。

想像する・判断する・決断する・行動する、などのさまざまな能力を使わなければ、自主性をもった行動にはつながらないだろうと。

そうした全ての行動をただ一点に集中していくために必要なことは、「確固たる意思の力」

なら、意思とは何か。

目的に向かうための精神的な力、

つまり心の中の推進力。

池さんの場合だと、「池さんの柱へ向かって進むという心のエネルギー」かな。

あ~~~、止まらん。

考え出したら、止まらん。

考察癖はもうやめて、仕事しよ。

 

そんなこんなことなどを、うつらうつらと考えている夜。

この前のお泊まりの時は、PCが動かず諦めた仕事を、今宵はこなすことにしましょう。

終わりのないように思える仕事を前に、集中したい気持ちは山々ですが、リンちゃんのでっかい声とばあさんの呼ぶ声が家中にこだましていて、はてさて今宵も仕事になりますかどうか・・・

できれば、静かな環境で仕事をしたい・・・というのは、そもそも何かのせいにして現実から逃げているワタクシの弱さなのかもしれないと思いつつ・・・

主体的に建設的に生きてゆくことは、なかなか難しいようで。

ならば視点を変えて、今宵もリンちゃんたちと楽しい夢を見たいものだと、早や既に逃げを決め込んで、とりあえずポジティブに考えることに致しましょう。

皆様、おやすみなさいませ。

 

 

 

 

 

 

 

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上弦の月に

2017-03-06 23:18:12 | デイサービス池さん

本日、上弦の月を過ぎました。

少しだけ満ち始めた月が綺麗に夜空に輝いています。

ヒイちゃんが時々恋しくなります。

車椅子に座って、いつもじっと何かを見つめていました。

私たちはヒイちゃんにいつも話しかけました。

「ヒイちゃん、どう思う?」

もちろんヒイちゃんは何も応えてくれないことが多かったけれど、それでも何も言わないヒイちゃんがかすかに頷いてくれたり、いやいやと言うように首を振ってくれたりするだけで、なぜか安心できたりしていたのだと、日が経つ程に、より強く感じています。

人の存在は、何かをするとかしないとかだけではなく、限りなく曖昧な感覚の中に、私たち自身の心の中にこそあるのだとしみじみと思う毎日です。

悩みの絶えない日々の中で、何かにすがりたいと思ったり、何かに助けを求めたいと思う心の弱さが、かつて一緒に生きた人への想いに繋がってゆくのだとしたら、それは紛れもなく自分自身がその人によって支えられていたということをもう一度見つめることなに他ならないのかもしれません。

亡くなった人を思い返すという行為が、その人ならばどう言っただろうかという価値判断をつくるということに繋がっていくのかもしれないと思うと、それこそが残された人への大きな贈り物に違いないと思えてくるのです。

ここで逝った人たちとの時間こそが、これから私たちが生きる指針となると思う時、もう一度自らの生き方や考え方を見つめ直していくきっかけになるのではないだろうかと。

宗教でもなく哲学でもなく、ただ毎日の暮らしの中で単純に考えてみる時、そうやって心に刻まれたはずの大切なメッセージを見失いたくないと思うのです。

一生懸命生きた先人たちの想いや生き方を思い返して、大切にこれからの時間を生きてゆきたいとつくづく思う上弦の夜です。

 

業務連絡です。

大きな試練が目の前にあります。

ただ何も考えずに一生懸命に走り続けるだけでは、疲れるだけで、この壁は超えられないかもしれません。

でも、かつてここで教わった様々なことを、もう一度心の中で整理して思い返していくと、必ず道は開けるはずです。

ここで過ごした時間は、どの時間も決して無駄な時はなかったはずです。

いろんな人がいろんなことを、その身をもって教えてくれたでしょう。

だとしたら、その命に報いるために、常に前を向いてしっかり考え、謙虚に頑張っていくしかないのだと思っています。

考えることを忘れず、必要な知識を身につけて、池さんの柱を想いながら、頑張ってください。

難しいようだけど、本当は単純なことなのだと思いますよ。

なぜなら、池さんの柱については、もうきっと皆は理解できているはずですから。

しっかり知識を吸収して、よりよい考え方を身につけて、判断を誤らないように毎日を過ごして行きたいものです。

皆で力を合わせて、この壁を乗り越えて行きましょう。

きっと笑って、あんな時があったと言いあえる日が来ると思っています。

一人では無理でも、お互いが補い合いながらやっていけば大丈夫。

今のスタッフ達は、心が通じ合ったメンバーだからね。

大丈夫。

今ここで踏ん張ることは、それは紛れもなく、じいちゃんやばあちゃんのために必要なことなのです。

そして池さんという場の未来のためにも。

時間と共に変化していくこの場所を、ずっと穏やかで安心できる場所にするための頑張り時は、今です。

さ、明日も頑張りましょ!

疲れたら、満ちゆく上弦の月の光を浴びてください。

きっと新しい気持ちで、むくむくとやる気が湧いてくるはずです。

湧き上がってくる気持ちに正直に、前に進んでみてください。

皆の成長を、応援していますよ。

 

 

 

 

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3月始め

2017-03-01 22:42:09 | デイサービス池さん

あっという間の3月1日。

1月は行って、2月は逃げて、3月は去る・・・と昔の人は言ったけど、まことにその通りでもう2か月が過ぎってしまいました。

本日は高校の卒業式。

池さん前の中学校では、卒業式用の音楽の練習が始まっています。

それぞれが旅立ちの時。

夢に向かって力強く歩いて行ってほしいと願い、

新しい道に向かって、しっかりと自分の足で歩いてほしいと思いつつ。

学校から聞こえてくる音楽に、目頭が熱くなるような感動を今年も覚えているワタクシです。

今年の池さんファミリーは、しんちゃんが小学校卒業。(池さんものがたりP73参照)

げんちゃんが保育園卒園。(池さんものがたりP357参照)

子どもたちはどんどん大きくなって、私はどんどん年をとるわけで。

まあ、いろんなことがあるけれど、「私、池さんが好きです」というスタッフに囲まれて、池さんも少しづつ成長しているようで、嬉しさ募る今日この頃。

睡魔に襲われながら夜な夜な事務仕事に精を出し、やってもやっても終わらない仕事に目はかすみ、気力は萎え、自分で自分が開けたドアにぶつかり、それを見ていたじいさんに笑われ、お腹がすいてパンをかじれば舌を噛み・・・という間抜けな月初め。

さて、今月も一体どうなりますことやら。

どうぞお楽しみにね。

皆様のご期待に添えるようなオモシロ出来事が、池さんのあちこちに転がっているような、そんな気がする弥生の始め。

オモシロ出来事に気づくかどうかは、きっとおそらく自分次第。

そんなふうに考えて、毎日を楽しく笑い飛ばしてゆきたいものだと、つくづく想うのです。

顔が引きつるような苦しい笑いではなくて、とびっきりの笑顔で、今月もやりきってみたいと思っています。

 

 

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