3月もぼちぼちと終わりに近づきつつあり、毎日何かと忙しい中で、ワタクシ生きています。
学校も春休みに入りました。
ばあさんたちもじいさんたちも相変わらずそれなりに元気な毎日です。
池さんを作った時、ヨチヨチ歩きだった慎ちゃんは小学校を卒業し、幹太や涼ちゃんも3年生を終えました。
絃太も保育園を卒園、4月から小学生です。
月日の早さに愕然としつつ、腱症炎の腕の痛みと右手の痛みに耐えながら、「ペンが持てん!」と文句を言いつつ、ワタクシも年を感じる今日この頃です。
いろいろな出来事は限りなく池さんを襲い、いつになったら楽になるのかと思いつつ、それでもこうして働けるのは幸せなことだと自分に言い聞かせながら生きております。
最近の近況を、少しだけお伝えします。
5か月の間、池さんを襲った嵐のような荒々しい出来事も一区切りを迎え、大頭の家も再び落ち着きを取り戻しています。
介護の必要になった人と、その連れ添い、そして子ども、この3人の「家族のあり方」を通して、改めてこの宅老所という場所の意味を考えることができた出来事でした。
穏やかで暖かな場所であり続けたいと、もう一度思うことができました。
そして、私たちが(池さんが)守るべきものが何か、ということを突き詰めて考えることができたように思います。
「家族」について考えることできました。
本当の家族とは何か、家族にどう生きて欲しいのか。
「家族」という単位は絶対的なものなのではなく、当たり前だけど一人一人の人間で出来上がっているのだということ。一人一人が努力して始めて、家族という一つの単位になるのだということ。
家族だから同じ想いを持つだろうという思いこみ、反対に家族だからこそそれぞれの想いが強すぎて、結果大きな落とし穴にはまり込んで行く怖さ。
「人の想い」についても考えました。
同時に、生きる上で何が大切な事なのか、何を大切にして生きてゆくのか、ということも考えることができました。
今まで何度も感じてきたことだけれど、どの人の生き方も、ただその人と家族の生きざまでしかないのだと、改めて感じる出来事でした。
生きてきたように老いてゆくしかないのかもしれないと。
どんなに考え続けても、どれほど心を痛めても、どうにもならない現実があることを改めて思い知らされました。
全ての人が満足し、全ての事が納得できるようにすることは、とてつもなく難しいことだと。だれしも、どこかで、どうにか折り合いをつけて生きているのだと。それが人というものではないのかと。
まあ、そんなこんな3月も終わります。
スタッフ達もそれぞれが葛藤を抱えつつ、自分自身と向き合いながら、頑張っています。
熱が出るほど悩みながら、涙が出るほど考えながら、鼻水が出るほど苦しみながら、毎日過ごしています。
時間が解決してくれることもあるでしょうし、頑張らなければ解決できないこともあるでしょう。
でも、立ち止まらずにいてくれるスタッフ達に感謝しています。
日々、前に向かって進んでくれるスタッフ達を自慢に思います。
そして・・・ワタクシ、
今夜もおまじないを唱えながら、リンちゃんと一緒に過ごす夜を楽しみたいと思います。
老いてゆく人たちに愛おしさを感じながら、時間の少なさに悲しくなりながら・・・