池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

さまざまな出来事を

2016-10-29 22:50:21 | デイサービス池さん

毎日生きている中で訪れるさまざまな出来事。

その出来事にどう向き合うかが、自分の生き方に結びついてゆく。

目を背けたり、気付かなかったふりでごまかしたりせず、

真正面から向き合ってほしい。

例え、難しくても、

例え、自らの落ち度に向かい合うことになったとしても、

自分自身の弱さや欠点を知ることになったとしても、

真正面から向き合ってほしい。

きっと、必ず、

自分の力になる。

自らと向き合っている正直な人を、

決して投げ出したりせず、

見守っている人がいることを、

どうか覚えていてほしい。

今日の悩みは、

きっと将来、あなた自身の生きる力になるに違いない。

 

 

 

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ヒイちゃんの机

2016-10-25 22:37:23 | デイサービス池さん

現在、大頭の宅老所のヒイちゃんの机の上は、

10月22日のヒイちゃんの誕生日のお祝い物で満載!

このお祝い物をワタクシ達は、「貢ぎ物」と呼んでおります。

お酒は、金粉入りにフグのひれ酒にワンカップ。

でっかいガラスの瓶に色とりどりのお菓子。

甘酒に靴下に、酒のつまみの干物にスルメ。

ウイダーにひょうたん。

神社の御神水。

その上、なぜかタオルや可愛いキーホルダーなんかもあったりして、

ご飯を食べる時には、結構せまい!

机の上の貢ぎ物をよけながら、ヒイちゃんは毎晩ご飯を食べるわけで・・・。

今年の貢ぎ物の中で、群を抜いて際立っていたのは、

ズッキーが献上した「天狗のお面」

なぜ?

なぜに天狗?

誕生日に天狗?

という疑問は、この際なかったことにしてもらって。

この天狗をヒイちゃんに渡した時、

ヒイちゃんは目が点になるほど天狗を見つめた後、

今度はズッキーをガン見!

「これは、おまえのか? どこで見つけたんぞ? くれるんかい? かまわんのか?」

元気だったころのヒイちゃんなら、きっと言ったに違いない言葉が、

まるで聞こえるかのようなガン見。

ズッキーの気持ちは、きっとどの貢ぎ物よりも伝わったように思うヒイちゃんの表情に、

朝から皆で大盛り上がりの誕生日の朝でした。

 

ヒイちゃんがずっと前、元気だった頃(今もまあまあそこそこヒイちゃんなりに元気だけれど)、ヒイちゃんの机の上は、いつもヒイちゃんのお気に入りの物で一杯でした。

今でもずっと、その時のヒイちゃんと同じように、

ヒイちゃんの机は、いつもいろんなもので溢れています。

ヒイちゃんがきっと好きだろうと思う物に、

ヒイちゃんは今も囲まれて過ごしています。

ヒイチャンが自分で選ぶわけではないけれど、

私たちは、ずっとヒイチャンがヒイチャンらしく、過ごしてもらえるように、

貢いでいます。

 

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時の速さに

2016-10-21 23:45:05 | デイサービス池さん

ずっと頭を占領していた心配事が少し落ち着きつつあり、

長い間かかった煩雑な出来事が、やっと終わりを迎え、

崖っぷちを歩いていたような時から、

やっと目の前に続く道が見えた様な、

そんな気がする秋の夜。

 

それでもまだ目の前には大きな壁があるような、

その壁の向こうに、どんな道があるのかさえもわからないような、

いつまでたっても、

わからなくて、不安なことだらけの毎日の中で、

それでも、どこかに、

必ず道があるはずに違いないと思って、

寝ているヒイちゃんのそばで、思いをめぐらせてみる少し冷える夜。

 

明日はヒイちゃんの誕生日。

時の速さに驚きながらも、

今年もまた一緒に誕生日を祝える事を感謝して、

出会えた事を喜んで、

シワシワの手を優しく握ってみたい気がする静かな夜。

 

時間に追われ続ける毎日の暮らしの中で、

抱える荷物の重たさに息苦しくなりながらも、

時の速さに遅れないようについてゆきたいと思いながら、

それでもこうして少しだけ立ち止まり、

静かに振り返ってみたくなる少し重たい夜。

 

泣き事は言いたくないけれど、愚痴も言いたくないけれど、

あっという間の時間の中で、

毎日の小さな出来事の中に、

ほんの小さな歪みを見つけては、

悲しい気がする神無月。

 

いつまでたっても、いくつになっても、

どうやら乙女の悩みは尽きることはないようで・・・

秋の夜長は、やはり冷え冷えと心に響いてくるようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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お祭り終わりました

2016-10-17 22:07:09 | デイサービス池さん

本日、小松の祭り最終日。

大頭の祭りに始まって、氷見・西条・小松と次々移動するここらあたりのお祭り。

毎日、だんじりを追い掛けて車で走り回ったばあちゃんたちも、これでやっと一息です。

 

今日は、地元の氏神様の一行が池さんへも来てくれて、賑やかな時間を過ごしました。

毎年、神主さんに念入りに祝詞を上げてもらい、お祓いをしてもらい、お神酒を頂き、最後に全員がお札を頂戴します。

年に一度、大頭のメンバーも池さんに全員集合して、記念写真を撮る日。

ヒイちゃんはお神酒をトロミなしできゅっと一気に飲み干しました。

最高の笑顔の瞬間でした。

リンちゃんもますみさんも、笑顔でお札を頂戴しました。

ユッキーもデコちゃんも、あきえさんも、米ちゃんも、のぶちゃんも、れいちゃんも、よしこさんも、少しためらっていたよしあきさんも。

社長も新人職員たちも、私たちも。

そこにいる全ての人が、お祭りという非日常の中で、神様に祈りました。

今年も無事にお祭りができた喜びと、また一年を元気に過ごすことができますようにと。

同じ時を生きることができたことを、心から感謝しました。

 

昨日雲の隙間から少しだけ見えたスーパームーン。

祭りのだんじりの提灯と重なって、本当に美しい姿でした。

今夜は、雲が厚くて月は見えません。

また一年が、穏やかな日々であるように、見えないけどきっとそこにある月に向かって願いをかけたい夜です。

見えない大きな力によって、ここに集う人々が、どうか暖かく守られますように。

より良き方向へと導かれますように。

 

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秋の日に

2016-10-11 22:39:53 | デイサービス池さん

秋らしい日が続きます。

秋晴れの空を仰ぎながら、冬物の支度などしたらよいと・・・思ってはいるものの、まだ夏ものに囲まれて、さむっと震えながらもなぜか汗をかきかき、走り回っている今日この頃です。

現在いろんな事情により、ワタクシの夜勤は変則になっております。4日ごとにチェックしてくださっている方々、その点どうかご了承くださいませね。

さて、先日のブログをもう少し続けてみたいと思います。

 

暮らしを丁寧にということについて。

池さんに通うばあちゃんたちが若かった頃、この国はまだ不自由で貧しく、ほとんどの人たちは苦労をして暮らしを支えていました。

山で暮らしたヒイちゃんや伊藤さんは昔、子どもだった頃、小さな畑で菜種を育て油を絞って火を灯した話や、春に採れる山菜を干して食料にした話、いろんな話を教えてくれました。

季節の食料を大切に保存し、大切に食べてきた話を、懐かしそうに話してくれました。

かつての日本には、こうした丁寧に生きた人たちが確かに存在していました。

戦争中のように何もかも不足していた時代ではないものの、少し前まで、こうして暮らしていた人たちが確かにいたということを忘れてはならないような気がします。

先人たちの知恵に学び、季節の物を大切にして生きるということは、きっとこれから先のこの星の在り方にも影響があることではないかと思っています。

エネルギーの問題や環境の問題、それら全ての問題が、いつの頃からか変わってしまった人々の考え方や生き方と繋がっているのではないかと思うのです。

安価で使い捨ての物に囲まれて、どこへ行っても同じ味の手軽な食品を食べ、手間をかけずに暮らしていった先には、一体何が残るのでしょうか。

最近では、包丁ややかんを持たない家があるらしいけど、その暮らしの先には何があるのかと。

壊れたおもちゃ、100円のゴミ、あふれる流行遅れの衣服、大量のペットボトル、残菜・・・

 

「猫のしっぽ カエルの手」という大好きな番組がありますが、この中のベネシアさんのように、美しい暮らしを心がけていけたらいいなと思います。

やっぱり季節の物をきちんと調理して、しっかり食べて、丁寧に暮らしたいなと。

かつての日本の人たちが暮らしたように、知恵と手間をかけることを忘れず、(たまには手抜きもありだけど)美しく暮らせたらと。

 

知恵を使って、美しく丁寧に暮らしてゆくことは、人の生き方としてきっと大切なこと。

池さんのばあちゃんたちの話に耳を傾けることにも繋がってゆくような、そんな気がします。

ボケて頼りなくなってしまっているけれど、たまにはしっかりと昔話を聞かせてくれたりするばあちゃんたち。大切にしたいと思う記憶です。

ばあちゃんたちと共に生きるためにも、記憶の糸を一緒に手繰れる丁寧な自分でいたいと思うのです。

生き方は暮らしそのもの。

暮らし方を見たら、きっとその人の生き方もわかるような・・・と考えてみたところで、ドキッとしたワタクシですが、押し入れの中を見られたらヤバイかも?

少し片付けしないとダメかな、と反省しきりの夜ですが・・・

還暦を前に、より綺麗にシンプルに生きたいと思っているワタクシです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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秋の夜に

2016-10-03 23:59:44 | デイサービス池さん

いよいよ10月、あっという間の10月、そしてお祭りで盛り上がる10月。

月日の経つのが早すぎて、顔のシワまで急激に増える気がする秋の夜。

またまた台風到来の情報に、いつになったらスッキリした秋晴れが見えるのだろうかと思う今日この頃。

秋の夜長を利用して、おそらく長くなると思いますが来年還暦を前にして、少しだけワタクシ自身のことを書き記しておきたいと思っています。

 

ワタクシは岡山県の倉敷市生まれ。

父は小学校の教師をしておりました。給料はほとんどが酒代に消えてしまうという飲んだくれで名を上げた人でしたが、それでも教師としては結構評判がよかったようで、近隣で父の名前を知らない先生はいないと言われたような人でした。

母は結婚前、洋裁学校で縫物を教えていた人で、とても器用で几帳面で賢い人ですが、あいにく父がそんな人でしたので(お見合いした時には酒は飲まないと仲人さんに言われたそうです)、結婚した時から苦労をしたようです。

(ワタクシのアルバムを見た人は知っていると思いますが、几帳面すぎる母の作ったアルバムは、それはそれは細かくて素晴らしいものです。そして、そのアルバムを見るたびに、ワタクシはきっと大切に育ててもらったのだろうと、今でも胸が温かくなります。)

ワタクシが4歳になった頃、弟が産まれました。

その少し後から、複雑な家庭の事情(少し複雑すぎるので書きませんが)により、ワタクシ達親子は父方の親戚の家に同居することになります。

親戚の家は豊かでした。

その家のお手伝いさん的な役目を母が担うことになり、ワタクシ達はその家の2階の部屋に間借りをして暮らすようになりました。おそらく8畳と4畳半ほどの部屋だったと思います。

家族4人で暮らしていた時の記憶も、引っ越しも、その後のことも、ほとんどワタクシの記憶にはありません。同居するようになってから後の幼い頃の暮らしが、どんなものだったのか、全く覚えてはいません。

ただ、物ごころついた後、ワタクシの記憶にあるのは、いつもお酒を飲み夜中に帰ってくる父と、足音を忍ばせて戸を開ける母の記憶。

家財道具を置けばいっぱいになる狭い部屋で、親戚に気を使いながら暮らした記憶しかありません。

間借り暮らしなので友達を家に招いたこともなく、いつも誰かに気を使い続け、誰かの目を気にした貧しい生活を送っていたように思います。

親戚の家は、お店をしていたせいで、人の出入りの多い家でした。その大人の中で育ったワタクシですし、時間を忘れて友達と遊んだりすることもなかったせいか、きっと子どもらしくない子どもだったに違いないと今思います。

いつだったか、数少ないお友達が、おやつを食べに行こうと誘ってくれたことがありました。「トコロテン」を食べにつれて行ってくれたのですが、ワタクシはそんな物を見たこともなくて、これはなんじゃ、どうやって食べるのじゃ、と内心驚いたことを覚えています。

皆はお誕生会に招待してくれるのですが、ワタクシは誕生会をしてもらえず、子ども心に淋しかったことや、たまに友達を家に連れて帰ると、親戚にうるさいと怒られたことや、寝るのも食べるのも一部屋なのでごちゃごちゃとした空間で過ごすことが悲しかったことや、いつも親戚のご飯が終わらないと食事ができなかったことや、親戚が食べるものとワタクシ達が食べるものには大きな差があったことや・・・何より辛く感じたのは、親戚の人たちの機嫌を損なうことがないように振る舞わなければならないこと。そうでないと、住む場所がなくなってしまうという現実でした。

当時のことで、今でもワタクシの記憶に残っているのは、嫌だったことの記憶ばかり。

お友達の少ないワタクシにとっては、学校も楽しい所ではなく、できれば行きたくない場所でした。どの先生にも「お父さんは元気か?」と聞かれ、父の存在の大きさと現実の父の姿に、子ども心に苦しみや憎しみを抱きながら過ごした幼い日々だったような気がします。

思春期を迎る頃には、引っ越しをして間借り生活からは解放されましたが、更に複雑な事情により、ワタクシと弟の反抗は続くのです。

そうした状況をただ黙って、お酒で紛らわそうとする父への憎しみ。家族という単位を守りきれない父への葛藤。家庭という場所を安住の場所にすることのできない両親への恨み。

大学入学を機に京都方面へ、その後ほとんど実家での生活をしないまま、この西条へと嫁いだワタクシと、高校へと進学したものの退学し、その後家を出て早くから自活した弟の心の中には、「家」ということへのわだかまりがずっと消えることはありませんでした。

父も母も、望んでその暮らしをしていたわけではなく、(丁寧にアルバムを作ってくれたように、)時間があればどこかへ連れだしてくれたように、ワタクシ達姉弟を大切にしてくれたことは理解しています。

けれども当時は、ただただ悲しかった。子ども心に悲しかった。

 

ワタクシの子どもたちが産まれた時、父はとても喜んでくれて、里帰りを心待ちにしてくれていました。孫の前では、父は今まで見たことのないような笑顔の人でした。いつも不機嫌そうに黙ったままで座ってお酒を飲んでいた父とはまるで違う父が、そこにはいました。

父も母も、いろんな事情を抱えながら、その生き方やそうした暮らしを受け入れるしかなかったのだろうと、心から許せる気がしたのは、父が亡くなる時でした。

「そうするしかなかった」とワタクシ自身が納得することができた時、すべてのわだかまりが解けていくような気がしたのを覚えています。

父が亡くなった時はまだ小さかったワタクシの子どもたちもそれぞれが伴侶を得て、母に5人の曾孫を抱かせてあげることができました。苦労を重ねてきた母にとって、きっと今が一番幸せだと思うのです。

 

夫とはお見合い結婚でしたが、池内の家に嫁いだ時、ワタクシにとって本当に幸いだったのは、義父と義母は本当に穏やかな人たちだったことです。大きな声を出すこともなく、いつも物静かで優しく、穏やかな家庭でした。物を大切にし、質素に暮らし、日常を丁寧に生きる人たちでした。

そこには、かつてワタクシが夢に描いていた「家」というちゃんとした単位が成立していました。

 

「家」という言葉の響きの素晴らしさ。

家族が暮らし、つつましくても安心して穏やかに暮らせる場所。

ずっと長い間、ワタクシがあこがれ続けた「家」という場所。

ワタクシが作る「家」は、いつも誰でも遊びに来ることができ、子どものお友達もいつもいっぱいで、ご飯を一緒に食べたり、ゆっくり話をしたり・・・そして、丁寧に「暮らし」を作りたい。手をかけてきちんと食事をつくり、居心地のよい空間で暖かく暮らしたい。

必要な物だけを持ち、大切に使いたい。

だから、今でも私はお嫁入りの時のお鍋やオイルポット、お皿を使っています。かつて義母の両親が使っていたお皿を、義母も大事に使っていたように。

思い出を大切にして、暮らしたい。

だから、今でも子どもたちの想い出ケースには、いろんな思い出がしまってあります。好きだった服やお手紙や保育園で書いた絵や、よく遊んだオモチャ。かつて義父母が大切にしまってくれていた夫の子どもの頃のお弁当箱のように。

 

「家」を大切にすることは、そこに住む人の「生活」を慈しむことだと思います。ワタクシは小さい頃、悲しいことにその実感を持つことができませんでしたが、丁寧に暮らすことを改めて意識して大切に考えていきたい。

生活や暮らしやそこにいる人を大切に想うことは、ワタクシ自身の生き方として存在していますが、池さんという場所も、限りなくその延長線上にあるのだと。

池内の義父母が残してくれたこの地で、綺麗に玄関先を掃き整えて、きちんと丁寧に人を迎え、しっかりと想いを届け、少し大きな家族のように、一緒に生きてゆく、これが池さんそのものなのだという想いがしています。

介護だけでなく、お弁当だけでもなく、人と人が繋がっていく場所として、(幼い頃のワタクシの暮らしとは真逆の暮らしです)今日も池さんが存在してほしいと。

その場所は、いつも暖かくて心地よい場所であってほしいと、そういう場所を作りたかったのだと、はっきりと思えるのです。

 

もしかしたら、幼い頃の苦しい記憶があるからこそ、今まったく違う形の生きたかを、自分で選択することができているのかもしれません。

鮮烈に心に残る記憶が、より鮮明に新しいイメージを与えてくれているような気がします。

だとしたら、ワタクシの幼少の頃の出来事も、ひょっとしたら感謝に値するものなのかもしれないと、このブログを書きながら思えてきたような秋の夜長です。

つまらない告白に、最後まで付き合ってくださってありがとうございました。

なんだか秋の夜はやっぱり、センチメンタルな時間を運んでくるようです。

 

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