どんなに大切な言葉を伝えようとしても、聞く人が聞く気になって聞かなければ、心には届かない。
言葉は心に沁みずにボロボロと口元から零れ落ちてしまう。
どんなに大切な言葉を伝えようとしても、伝える方法を間違うと心には残らないだろう。
子育ても一緒。
かつて学んだ母子相互の働きかけの指針に
「 目標の正しさ 方法の巧みさ 適切な時期 」
というのがあった。
確かな言葉を誰かに伝えようと思う時、
いつも、いつ、どんなふうに伝えたら心に届くかを考える。
そして、その言葉が、
どんなふうに心に刻まれたかを考える。
もし、その時にその言葉が心に届かないとしても、
大切なことは方法を間違えずに伝え続けていると、
「その時」が来ると必ず心に蘇る。
言葉は形を持たない。
形のない言葉によって、人は傷つくこともあるけれど、反対に救われたり、癒されたり、暖められたりする。
言葉の重みは、無限大。
言葉の力も、無限大。
人の心に届く言葉を発することができるように、
優しく大きな心で、生きられるよう、
日々精進したいと思う日々。
庭の梅も咲き始めた。
何年かぶりに押し入れからお雛様をだして飾る。
私と娘のお雛様と、大正の時代を生きた義母や義姉たちのお雛様も一緒に並んで、座敷一杯に懐かしい空気を漂わせている。
戦争を生き、幼かった時代は苦しい時代だったにちがいない。
けれども、一緒にお雛様を見る人たちは苦しさだけでなく、暖かい言葉を語ってくれる。
お人形にまつわる記憶は、暖かくて懐かしさや愛しさと共に、皆の記憶に刻まれているのだと思う。
若い人には、たくさんの優しさと暖かさに溢れた言葉に満ちた人生を、生きてほしいと思う。
言葉の力を信じて。
信じた言葉を支えにして。