池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

思うこと・・・10

2012-02-27 21:44:48 | デイサービス池さん

その10。「老いと家族」

「どう老い・どう生き・どう死ぬか」を考える場合、課題は本人と私たちの関係というよりも、家族の考え方に起因しているということを何度か経験した。

社会的入院といったように、家で介護することを選択できない家族もいる。家族に愛情がないわけではないだろうし、家で看ることができない状態でもないだろうが、「とても家ではムリ」「退院の許可がでないから」という表向きの理由によって、転院を繰り返しながら(預かってくれる病院を探しながら)医療サービスに最後まで親を託す。

反対に「どんな状態であっても、何とか生活の場へ連れて帰りたい」と願う家族もいる。できるだけ早い段階で、家に帰ることを前提に考え始める。家族は医療ではなく介護サービスを選択し、様々なサービスを使い家での暮らしを続けることを願う。

どちらがいいとか悪いという問題ではなくて、こうした究極の選択をしなければならない時は、誰にも訪れるということである。もし、あなたの親が突然介護が必要な状態になった時に、その親が自分の思いを訴えることができなくなった時に、その生き方を選択しなければならないとしたら、周囲の家族がどういう生き方や死に方を選ぶのかということだ。

例えば、疾病により手足の動きが鈍くなった親がいる。病院の処方した薬を飲むと確かに身体の動きは良くなった。足も動くし手も上がる。わがままも言わないし、夜もよく寝る。しかしボ~とした表情が続き、人格が変化して幻覚や幻聴が出現する。介護するには、明らかに身体の動きの良い方が助かるし、夜眠る方がありがたいのだが・・・あなたならどうするだろうか?

どんなことがあっても「親は家で看取りたい」と思っていた家族がいた。以前から病により食べることは困難だった。けれども何とか口から好きなものを食べて欲しいと家族は願い、時間をかけて食べさせ努力を続けていた。けれども発熱で、ある日病院へ運ばれる。もちろん熱はすぐに下がったのだが、病院は退院の許可を出してはくれない。医療の現場から考えて、その人は「食べることが難しい」と診断されて、イロウの提案をされる。家族はしかたなくイロウを選択した。そしてその後入院生活を続けることを余儀なくされてしまう。今までもその人は確かに「その人なりに食べていた」のに、「医学的には必要量食べることができない」と医師に言われた時。・・・あなたならどうするだろうか?

親を家で看取ることは、大きな覚悟がいる。いつも介護している人だけではなく、兄弟や親戚や近所の親しい友人。責任のない(直接介護していない)人は必ず言うだろう。「どうして病院へ連れて行かないのか?」「見捨てる気か?」「検査をしてみた方がいい」「病院を変えてみてはどうだろう?」などと。いくら決心したとはいえ、いざ食事をとらなくなったりオシッコの出が悪くなったり、呼吸が荒くなったりする状態を目の当たりにすると、平静ではいられないかもしれない。周囲の反対を押し切って、本当によかったのだろうか?なぜ皆はわかってくれないのか・・・あなたなら迷わないでいられるだろうか?

老人の生と死は、常に老人一人のものではない。老いてゆくにつれて、子どもや嫁や親せきなど、いろいろな人たちを巻きこんで家族の問題として現れてくる。

家族にとって「その人はどんな存在なのか」「その人のことをどう考えているのか」「その人にどう生きて欲しいのか」「その人にどういう死に方をしてほしいのか」それらを考える基準が、すべて家族の思いの中にあるのだ。複雑な思いの中に。

そしてその命が終わった後に、その人は家族に何かを残してくれるに違いない。大きな安らぎと暖かい思い出を与えてくれる時もあるだろうし、困難に立ち向かう強い心を与えてくれる時もあるだろうし、見送ったことで家族の絆を与えてくれることもあるだろう。反対に深い後悔だけを残すこともあるだろう。

老いと家族のこと。決して避けては通れない大きな問題。本人にとっても、家族にとっても、私たち事業所にとっても。

その人が老いてゆくことを受け入れることができて、自然に終わることができるようにもし選択するならば、それまでの時間を池さんで過ごしたいと願うならば、私たちはどんなことがあっても「その人」と「その家族」を支えていきたいと思う。

それまでの時間を、楽しく笑って過ごしてほしい。今日も一日が終わった、また明日も生きていたらよろしくねと笑って毎日過ごしていけるように、全力でおバカになりたいと思っている。

ここで生きたいと願う人たちと共に、私たちも生きてゆきたいと思う。

 あなたがもし、その立場になった時のことを、ぜひ考えてみて欲しいと思う。

その時、あなたは本人としてどの選択をするのか?ということを。

 家族として、どう選択するのかということを。

 

 

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ある日の池さん

2012-02-24 20:30:05 | デイサービス池さん

池さんのある日のある時を紹介しましょう。

一人目。帽子が脱げるからと紐で頭をくくりつけた格好で、這いまわる。「ねえ、私どうなるん?」片っ端から聞いて回る。「ねえ、教えて!」・・・・・最初のうちは皆(利用者もスタッフも)「どうもならんよ」とか「心配いらんよ」と優しく教えてあげるけど、あんまりくどいから、そのうち誰も相手をしなくなって、彼女はひたすらリビングを這いまわる。玄関まで行って、「ねえ、だれか~~?」と言うけど、誰も気にしてない。彼女はひたすら這いまわるのです。ちなみにすぐ忘れるから、教えてもらったことも忘れてる。疲れたら、ひと眠りして我に帰ります。

二人目。ホットカーペットで昼寝中。座椅子を枕に横になってるけど、ふと見ると入れ歯が口から溢れてる。まるでねずみ男のような顔!目が覚めたとたん、座いすのひじかけで多分頭をぶつけただろう。そして「ここはどこ?」と入れ歯がほぼ口からはみ出した状態で、歩きまわる。一見ウマ?

三人目。ウロウロウロウロ歩きたいだけ歩き、やってきたケアマネのことをボロボロに言う。あなたに会いに来たわけではないのですが・・・

四人目。トトロのDVDを一日見ても飽きない人。

五人目。ひたすらおかきを口に押し込んでいる。ちなみに、お腹が減ると暴力的になる人。椅子の横には「孫の手」を置いていて、お腹が減ったらこの孫の手は凶器となる。

六人目。そんな人たちを見て「あれど~ならい!」とあきれる人。ちなみに自分だけは絶対にボケてないと主張する。

七人目。甘酒飲んで酔っぱらってる人。

八人目。我関せずの人。おやつを見ると椅子から落ちそうになりながら、しっかり食べる。

九人目。人のことを「かわいそうに」と言うけれど、自分も同じことをしていることに気がつかない人。

以降、省略。

ま、皆が皆、好き勝手なことして生きています。一日中。

好きなことをすることを、邪魔しない空間でありたいと思います。

生きたように、支えたいと思います。

スタッフが作為を持たないことで、自由で豊かな行為が行われると信じています。

その自由な行為こそが、人としての当たり前の姿だからです。

そんなめちゃくちゃで一貫性のないどうにもならない状況を、その空気こそがその場の空気なのだと感じ、「だって、どうしようもないもん」と笑って受け止めることができる器の大きなスタッフたちがいます。

バラバラに、濃く・豊かに、老いを・ボケを・生きる老人たち。

どうしようもなくて、どうにもならないけど、

愛すべき老人たちと、共にいます。

 

 

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思うこと・・・9

2012-02-21 21:57:19 | デイサービス池さん

その9。「医療の目標とは」

湯浪のじいちゃんのように、急性期を過ぎて以降の医療の目的に、疑問を感じる場面が多くある。現代の医療は、たとえば骨折などで手術を行った場合、比較的早くから離床をさせてリハビリに努め、自宅へ返すことを目標にしている。

老人医療の場合、社会的な問題も含めて入院は長期化することが多く、治療の目標となるものがあいまいなままで、入院を継続することでかえって多くの問題を抱えるという現実がある。

老人の場合、まず入院と言う環境の変化がその精神状態に影響を及ぼす。入院をきっかけにボケる人は多い。その上、老人は右肩上がりに回復をしていくわけではなく、年齢と共に体力は右肩下がりの曲線をたどる。これは当たり前のこと。以前と同じ状態になることを目標にしていたら、いつまでたっても完治はしない。

回復への道のりは、全ての人に共通と言うわけではなく、まして老人にとって以前と同じ状態に戻ることなどありえないと思っていい。

治療を行うために抑制をし、安静を求め、機能が回復するようにと全力を尽くす。検査を続け、水分を補い、炎症の犯人を探し、次々と薬を投与していく。老人は、訳のわからない状態に自らが置かれていることに抵抗し、認知症状を出現させることで本能的に辛うじて自己を維持しようとする。激しく抵抗していた老人は、やがて無表情になり食欲を失っていく。

入院によって、例えば食欲がなくなると、医療現場では必要な栄養を摂取するために即経管栄養と言う手段がとられる。鼻から管か、胃ロウを勧められた家族は、その処置をしなければ栄養がとれないと説明されれば、その選択をするしかないだろう。

老人にとって、医療の目標となるものは一体何なのか? 

本日の新聞の「地軸」欄にあった記事を紹介したい。天皇陛下の手術に関する記事である。「クオリティーオブライフ(QRL=生活の質)」日常をとり戻すために治療をするという目標を、患者と医療者が共有するための合言葉と言えよう。・・・「QOL向上のため手術を選択した」何度も会見でQOLを口にした医師は「陛下が公務と日常を取り戻すのが成功と言って良い時期」と。・・・自分らしい日常とは人それぞれ。生活こそ人生。

人が病になり、その治癒を望むなら、あくまでも「生活」できる状態にあるということが大前提になろう。例え後遺症によって身体が不自由になったとしても、そのために生活そのものが不可能になるはずはない。誰かの手を借りて、必要な支援を受けることで、人は再び新たな生活を手に入れることはできるはずだ。

老人に対する過度な医療が、老人が「人として生きる」ことを遮っている。治療と言う正義を前にして、じいちゃんのうつろな目と鼻に差し込まれた管と硬くなってゆく手足の感触を、私は思いださずにはいられない。

「日常」「生活」「人としての生」・・・

現在の老人医療への疑問は、私の中で大きく渦をまいて膨らんでゆく。

 

 

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二人の老い

2012-02-20 19:36:20 | デイサービス池さん

土曜日。私は「卒寿」のお祝い会に出席した。

90歳のこの老人は、今でも現役のじいちゃん。

じいちゃんを尊敬する人たちが有志で祝宴を催したのだが、もちろん本人のじいちゃんも皆と一緒にお酒を飲む。

昼間の会ではない。参加者が仕事を終えての7時半から10時頃までの夜の会。

それでも、じいちゃんはビールをジョッキで飲み、鍋をつつき、刺身を食べ、唐揚げをほおばり、美味しそうに酒を飲む。

下ネタ大好きで、挨拶を頼むと「私は元気なんですが、ムスコは最近すっかり元気がなくなりました。ひょっとして年でしょうか?」と言って皆を笑わせる。

90過ぎたら、99までお祝いがないのが寂しいからと、皆は来年から「長寿」を祝うことにして、じいちゃんが生きている限り祝宴を年に一度行おうと決めたのだ。

じいちゃんと共に集まった人たちは、ほのぼのと心温まる時間を過ごした。

 

日曜日。私は湯浪のじいちゃんのお見舞いに行った。

入院している病院は現在改築中で、この前に行った時は仮の病室にいたじいちゃんは、真新しい病棟の新しいベットに移っていた。そこは介護病棟というらしい。

4人部屋のベットに寝ている人達は、鼻から差し込まれた管によって全員が食事中(?)

最初、私はじいちゃんを見つけることができなかった。

4人が同じように上を向き、鼻から管を入れて寝ていたからだ。・・・というより、4人とも同じ顔に見えた。目がかすかに開き、口を開けて、頬骨がでて、のどを上に突き出すようにして寝ている4人は、皆同じに見えたのだ。

ベットに書いてある名前によって、私はやっとじいちゃんを見つけることができた。

前回よりもじいちゃんの意識は、はっきりしているようだった。

「じいちゃん」と声をかけると、そちらに目を動かした。視線ははっきり合わないけれど、確かに人物の姿は認識できているように見えた。

そして、ミトンの右手を差し出すようにして振ったじいちゃん。たまたま近くにいた看護師さんが「わかるかな~?」「はい。顔を動かしたから聞こえていると思います」「なら、手を握ってあげてください」とじいちゃんのミトンを外してくれた。

じいちゃんの手のぬくもりが、伝わってくる。

じいちゃんの手を強く握ると、じいちゃんも握り返しているように感じた。いえ、それは偶然で、筋緊張によるものなのかもしれないのだが、それでも久しぶりに握ったじいちゃんの手は確かに暖かかった。

爪の間は、かつてのじいちゃんの爪と同じで、土色に染まっていた。山で働き続けたその手は、今も硬くて太い関節を持ち、力強い。

話しながら、ふと左手付近に硬いものを感じて毛布の下を見てみた。・・・そこにはじいちゃんの膝があったのだ!

長い間ベットに寝たきりの人特有の強い拘縮が両膝を胸のあたりまで引き寄せて、じいちゃんの下半身は明らかに固まっていた。左手・右足・左足は、ほぼ同じ位置まで縮まってしまっている。

涙がこぼれそうになった。

もし座位をとり足を下ろすことを続けていたなら、もし身体をベットから起こしていれば、こんな姿になることはなかったはず。じいちゃんは、命を取り留めた代償として、この姿にならなければならなかったというのだろうか?

私は悲しくて、じいちゃんの膝をさすろうとした。その時、じいちゃんは反射的にグッと身体に力を込めた。「痛い」とでも言うように。おしめを替える時、きっとこうして痛みを訴えているのだろう。股関節は、おそらくもう固まっていて、排泄後のケアは苦痛であるに違いないのだ。

ここまで曲がるとお館には入らないで、きっと葬儀屋さんにポキポキされるのだろうと考えながら、涙をこらえて綺麗な「介護病棟」を後にする。

医療とは、「命を救う」ことに違いないのだけれど、私の目にはあまりにも残酷なじいちゃんの姿だった。命が救われた場合、その後はただ「命の維持」が医療の目的になるのだろうか?

じいちゃんに会った時間は、私に重い現実を突きつけてくる。

 

二人の老い。対照的な二人のじいちゃんの老い。

人は、「不可避の運命」と言う定めに生きているのだということを、再び思い知る。

どうしようもなく切ない週末。

そしてまた、1週間がはじまった。

いつもと変わりなく・・・笑顔がそこにある日常がやってくる。

 

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思うこと・・・8

2012-02-15 20:48:42 | デイサービス池さん

その8。「かかりつけ医の減少」

家で命の終わりを迎えたいと、誰もが願う。

だが、その現実を阻む要因の中に、在宅医の減少がある。自宅で看取りたいと思っても、往診してくれる医師や医療機関がなければ、自宅での死は事件死とみられ警察が介入することになる。

もし、自宅で最後まで生きたいと思うなら、死亡診断書を書いてくれるかかりつけ医が必要となるのだ。

在宅医の減少は、望むと望まざるに関係なく、老人を最後に病院へと搬送しなければならない現実に繋がっている。

いつでも往診してくれるかかりつけ医を持てるかどうかということが、「死をどこで迎えるか」ということに直接的に関係してくるのだ。

しかも、その医師の死への考え方も、老人の死のあり方に影響している。例え、往診してもらったとはいえ、最後の時に、「入院処置」を勧める医者もあるだろうから・・・「どう終わるのか」最後の医療に関して、私たちは考えておく必要がある。

在宅で看取ることは、こうした社会環境にも今大きく左右されているということを、私たちは知っておかなければならない。

・・・

池さんでお世話になっているかかりつけ医は、ごくごく普通の医師である。

普通の医師がどういうものなのか・・・老人にとって、話を聞いてくれて心配なことをいくら聞いてもいやな顔をしない、そんなお医者様。

この場合、老いた人にとって最も良い医者というのは、決して最新の医療を施してくれる「医師」ではなく、かゆいところでさえも診てくれる「お医者さん」だと思う。

予約していても何時間も待たなければならない。やっと順番が来て「先生あのね、」と話し始める老人の話を聞こうともしない医師ではなく、ちゃんと顔を見てくれて、ちゃんと話を聞いてくれるお医者さん。

最新の医療の現場において、医師が「集中」しているのはモニターや機械のデータや、検査結果の紙きれ・・・なんていうことが現実なのだから。最近は、PCに問診を打ち込みながら話すから、集中しているのはPC画面か?

集中してほしいのは、老人の顔色や話し声やその訴えなのだと、いつも思う。

そういう点で、池さんに往診をお願いしているお医者さんは、決して老人から顔をそらさない。まず、老人の話を聞いてくれる。同じことを言おうと、イヤな顔をせずに聞いてくれる。そして必ず、「まあ、大丈夫でしょう」と言ってくれる。話を聞いてもらっただけで、良くなるはずはないのだけれど、それでもみんな安心するのだ。

発熱の原因となる細菌の種類を論ずるのではなく、発熱で苦しい時、「辛いね」と共感してくれる医療。「お薬を出すから、飲んでゆっくり寝なさいね」と言ってくれるお医者さんが、老人には必要なのだと思う。

誰かの文章にあったけれど、その昔、往診医は黒い往診バックに、聴診器や血圧計、体温計を入れて往診した。けれどこれからは、皆が同様に高度な医療を求めるから、もし往診医が出かけるとしたら、酸素ボンベやカテーテルや血中酸素濃度計や吸引器、挙句にレントゲンやCTなんかをトラックで運ばなければならない時代が来るのだろうか?な~んて考えてしまう。

池さんに来てもらうお医者さんは、私たちと同じ考えを持っている。

「死にゆく人を、遮らない医療を」と。

自然に老い、次第に食事が取れなくなり、水分さえ自らの身体が取り入れることをやめた時、それこそが穏やかな形での死に至るための自然な過程であるとするならば・・・

その過程を、医療によって邪魔することのないよう、そんな医療でありたいという点で、私たちと先生は、合意ができていると思っている。

「老人にとって」「よき医者」とは、決して老人が理解できない高度な医療を機械を相手に無言で行う人ではなく、人と向き合い・人と語れる医者ではないかと考える。

先端医療で生きる医師も必要だけれど、「老化」という当たり前の現象に人生観や哲学観を持ち込める緩やかな感性をもった医師も老人には必要な存在なのだ。

生命と言う存在が、限りあるものであるという大前提からその医療が行われ、ゆえに「あきらめることが必要である」ことを心に深く刻みこんだ医師と出会ってほしいと思う。

 

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子どもの未来

2012-02-13 19:33:30 | つぶやき

2012年2月12日。4人目の孫誕生

福岡に嫁いでいるえみちゃん出産。

で、私は社長と共に博多へと出発。(やっぱりお祝いを言ってやりたいもんね)

11時出発。車でしまなみ海道経由、福山から新幹線で博多までの日帰り旅行。

午後4時に無事に赤ちゃんに対面して、1時間後再び新幹線に。そして福山から車で家路を急ぐ・・・けど、もう9時過ぎてるし、どこかでご飯でも食べて帰ろうか?ということで、珍しく意見が一致したわけで。

今治の帰り道で、くるくる回ってるお寿司屋さんでも(というかこんな田舎ではなかなか夜やってる所は少ないわけで・・・)

午後9時半を回っていた。

お店の中は、大行列!!!

皆、順番を待ってる!

私は超田舎に住んでるし、いつも夜は居酒屋さんに行くのは行くけど、子ども連れで家族でこんな遅くに出かけることはほとんどない生活を送っているわけで・・・目が点

だって、順番待ちのソファーには、子ども連れの家族でいっぱい。

お父さんとお姉さんはたちは携帯片手に、無言で何かやってる。子どもは、眠そうな様子でもなく、これまた黙って座ってる。ほんの1歳にも満たないよちよち歩きの子どもまで、この時間に外食のために無言で並ぶ。

遅い時間だから、お寿司はくるくる回らずにほとんどが注文受付みたいになっていて、とにかく時間がかかってしまった。

10時半閉店のこの店は、その時間にもまだ子ども連れの家族で一杯だった。

ここならすぐに食べて帰れるだろうと思って入ったお寿司屋さんで、私は衝撃を受けてしまった。

次の日は月曜日。その前日にこの状況で、子どもたちは健康に元気よく朝が迎えられるのだろうか?

子どもを連れて出かける時間ではないだろう~!とお腹の中で腹立たしい気持ちを抱えながら、これが今の世の中なのかと悲しくなる。

大人の時間に付き合わされる子どもたち。

何かの事情で特別遅くなることもあるだろう・・・と、100歩譲って考えたとしても、一緒に出かけているのに、せっかく一緒にいるのに、家族が並んで、別々に無言で携帯に向かう姿に、私はショックを隠せない。

綺麗なブーツをはいて携帯に夢中の若いお母さん。よちよち歩きの赤ちゃんおばあちゃんに抱っこさせて平気な若い親に、怒りさえ覚える。

私が年をとった証拠なのか、世の中が変わったのか、それとも子育てが変化したのか・・・

ともあれ、あの時間あの場所にいた子どもたちが、健やかに育ってくれることを祈りたいと思う。

朝起きられずに、ご飯も食べずに、集団登校の時間に間に合わずに、車で学校まで行ったりすることのないよう・・・祈るばかり。

「子どもの未来」ではなく、「未来の子ども」は、一体どこへ向かうのだろうか???

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思うこと・・・7

2012-02-09 21:46:47 | デイサービス池さん

その7。「医療に思う」

6年間いろんな出来事と向き合ってきた。その中で一番私たちが悩んだこと、それが医療現場との葛藤。介護の現場にいる私たちと医療の現場とは、もともと相反するものであるはずはないのだけれど、ただ年寄りを真ん中にして向かい合う時、幾多の葛藤に直面することがあるのだ。特に老いた人にとって、本当に必要な医療が何なのか・・・今でも、いえこれから先も私たちは、悩み続けることになるだろう。

 

いつの間にか、利用が中止になってから2年の月日がたっていた。

月ちゃんの名前をお悔やみ欄に見つけた日。私はお葬式に出かけた。

ホールに流れる映像。かつて元気でご家族と語らっていた頃の姿。笑顔でほほ笑み、お孫さんを抱く姿。どれも私たちが知らない頃の写真。いつも思う。「誰にも、確かに私たちの知らない元気に生きた時間があったのだと」

パーキンソン病によって身体は固くなり、反り返るような姿勢で、手には拘縮も見られた。座位がとりにくいことから、いつも使用している車椅子には沢山のクッションが置かれ、座っても足が床につかない状態で、月ちゃんはやってきた。私たちは、ちゃんとした座位がとれるように、クッションを外すことから始めたのだ。

食事は取れてはいたが、工夫が必要だった。月ちゃんが飲み込むタイミングを見ながら、少しづつ口に入れた。

言葉は出にくくコミュニケーションがとれにくいと言われていた。でも時々大きな声ではっきりとしゃべった。声が出にくいために、話すときは大きな声を出さなければならなかったのだ。なんとか声を聞こうと、意思表示をしてもらおうと、私たちは常に話しかけた。

特浴のみの入浴だったが、私たちは家庭浴槽に月ちゃんを入れた。いつも気持ちよさそうに身体を浴槽に沈め、笑顔を見せてくれた。お湯が熱いと「熱い!」と言ったし、身体を洗うと「こちょばい(くすぐったい)!」と言った。色白だったが良く温まると、湯あがりの肌がピンク色になって、とても綺麗だった。

お父さんも息子さん夫婦も、本当に献身的に介護されていた。几帳面なお父さんは、月ちゃんの座る角度・リハビリの時間・食事のテーブルの位置・室温や湿度など、全てを丁寧に紙に書いて壁に貼っていつも皆が目が届くように配慮し、ベットを隔てた隣室で眠っていた。

いつも家族の誰かが月ちゃんと共にいた。本当に大事に大切に。

ある日、月ちゃんは肺炎になり入院した。私たちが池さんで関わったのはそれが最後だった。

それから2年の日々を月ちゃんは、病院で過ごす。何度かお見舞いに出かけたが、いつもベットで苦しそうに寝ている月ちゃんにしか私たちは逢うことができなかった。気管切開して機械のモニターの横でチューブに繋がれ、ただ横になっている月ちゃんにしか逢えなかったのだ。いつも・・・。

肺炎が治ると当然退院できると思っていたが、医療の現場にゆだねられた月ちゃんが、帰ってくることはなかった。

医学的に考えて、様々な処置は必要なことだったのだろうか?

家族は本当にそれを望んだのだろうか?

最後の2年の月日を・・・2年もの日々を・・・ただ病院のベットで過ごすことが果たして月ちゃんにとって幸せなことだったのだろうか?

2日後お父さんと息子さんが、池さんを訪れてくれた。「いろいろありがとうございました。また帰れると思っていたのですが・・・」

家族は、また家に帰れると思っていた。家で暮らせると思っていた。「よくなったら帰れる」そう思いながら2年もたったというのだろうか。

家族は、お礼に来てくれた。そんなふうに思っていてくれたことに、私は心を動かされた。そして思ったのだ。

私たちにできることは他になかったのだろうか・・・?

もし・・・私たちにできることがあったとしたら・・・

それは残された日々について、ご家族と話し合うことだったのではないだろうか・・・

「想いを共有して深く」話し合えるほど、私たちの関係は濃く繋がってはいなかったという1点において・・・私は今、後悔の念を深くしている。

家族と深く繋がることの意味は、「本人の命とどう向き合っていくのか」ということについて想いを共有することなのだと、気付いた。

ただ、私たちの想いや理想を語るだけではなく、その家族の命への想いを受け止め、どう死にゆくかということに想いを同じくして、共に力を尽くすために。

少しの間、「死」について考えてみたいと思う。

 

 

 

 

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大頭の住人

2012-02-08 20:22:42 | デイサービス池さん

大抵いつもは、夜勤の時に大頭でブログを書いてます。ここ何日か、環境不調でPCがネットに接続できませんでした。HPを見たオーちゃんから、さっそく復旧の方法について電話があり、今日やっと繋がりました。オーちゃんありがとう。こうして、いつも気にかけてくれる人が周囲にいてくれることは本当にありがたいことだと思います。感謝です!皆様これからもどうぞ助けてくださいね。

さて、久しぶりにPCの前に座りました。

隣ではまさこさんが泣いています。

「わたしど~なるん?」「あ~~~~~~あ~~~~~~あ”~~~~~」

不安の原因はいつも様々です。今日は、探し物をしていてイヤになったようです。

メソメソを通り越して、シクシクを通り越して、幼い子どものようにヒクヒクしながら泣いています。こういう時は、何を言っても伝わりません。関わりはかえって不安な時間を長引かせることに繋がります。ただ黙って私は見守ります。横に座って、ただ一緒にいるだけです。時間がたつと不安は自然に収まります。満足するだけ泣いて、泣き疲れたらフッと我に帰るのです。そのタイミングで話しかけます。

「ココア飲む?」そうすると「うん」と穏やかな声が返ってきます。

まさこさんと出会ってもうすぐ1年がたちます。嵐の日々を過ぎて、しばらくの間まさこさんはとても安定していました。でも一度安定したからと言って、それがずっと続くとは限りません。今時間帯によって、再び不安は強くなっています。まさこさんは、こうしてだんだんと老いていくのでしょう。

ヒイちゃんの足は良くなりました。ご飯もよく食べています。けれどヒイちゃんも確実に老いています。昼間寝る時間が多くなりました。大好きな甘酒や魚のあらや、お酒を飲む時など、短時間の覚醒はありますが、そのほかの時間ウトウトと寝ることが増えています。しかも、その眠りは深いのです。入れ歯を落とし、テーブルに鼻を押し付け、「ガ~~~」と寝てしまいます。少しくらい揺すっても起きません!

大頭の二人は、老いています。確かに日々、老いています。

静かに緩やかに、けれど確実に・・・

 

 

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「確かにボケた!?」

2012-02-01 21:19:20 | デイサービス池さん

本日、ふみえばあばのお迎えは、ワタクシ大ママ。

で、いつものように元気よくご挨拶する。(ばあちゃんのご家族はみんなでっかい声で話す)

「おはようございます!」

しばらくして、ばあちゃんのいる座敷から皆が顔を出す。

車に乗るためには、この座敷を出て廊下を少しだけ移動して、掃き出し窓から縁側にばあちゃんは一度座って靴を履き、そこから少しの距離を車まで歩かなくてはならない。

今日、ばあちゃんは座敷を出て廊下に用意されたバスマットに座った。

息子さんが、ばあちゃんの乗ったバスマットを引っ張る。廊下なので、バスマットはズルズルと滑って縁側まで移動する。これこそ、究極の介護用品!

それから息子さんは、縁側にばあちゃんを座らせた。目の前には私が立っている。

「この人は誰でしょう?」いつも息子さんはばあちゃんにそう尋ねる。出かける時はスタッフを指して、帰った時は自分を指して、いつもばあちゃんに確認するように尋ねるのだ。

ばあちゃんは今日、こう言った。「だれかなあ?美人じゃねえ!」と。

息子さんは言った。「あ~とうとうばあちゃんはボケてしまいました!」

「本当のことだから、ボケてなんかないよね~」という私に、息子さんは言った。「いいや!確かにボケてしまいました!」と。溢れるような素敵な笑顔で・・・。

送迎の時のご家族の言葉と態度には、どの家族も複雑な感情が見え隠れする。

夜眠らずに大変だった時には、その表情には疲労感がにじんでいる。例えいつもと同じ会話を交わしたとしても、隠すことができないしんどさがはっきりと見えるのだ。

家族に余裕がある時は、見送る家族には暖かい気持ちが溢れている。

送迎は、そんな家族の心を感じることができる大切な時間。その日のデイに繋がる、大切な情報を得ることができる時間なのだ。

そして夕方、送って行った私に今度は息子さんはこう言った。

「ばあちゃんお帰りなさい!さて、私は誰でしょう?」

息子さんは大抵いつも同じ質問をするので、私は車からばあちゃんを下ろす時に、こう言いながら手を引いたのだ。「ばあちゃん、○○さんが迎えに来たよ。○○さん!」と。

ばあちゃんは車を降りて縁側に座り息子さんを見てこう言った。

「○○でしょ!」と。(やった~!と心の中で叫ぶ)

「正解!よろしい!ようわかっとる!今日は元気じゃ!どうもありがとうございました。」

ばあちゃんがボケたことは、ご家族は理解している。そして「ボケても、ばあちゃんは堂々と生きたらいい。私のおしめを替えてくれたように、私はばあちゃんのおしめを替えます」とはっきりと言える素晴らしい家族。ボケて自分(息子さん)のことを忘れたとしても、しっかりと受け止めることができ、向き合うことができる大きな家族。

でも、帰った時に自分を思い出していてくれたら、やっぱり嬉しいに違いない。

ばあちゃんが自分を思い出してくれたら、これから始まるばあちゃんとの夜に、絶望することなく向かい合うことができるだろう。

ほんの少しの時間。ご家族と触れ合うこの時間を、私たちは大切に思っている。 

 

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