池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

「願え」

2024-07-27 16:41:20 | つぶやき
最近読んだ本の中にこんな文章を見つけた。

・・・・・
命令文でしか表現できない意思のようなものがある。
「急げ悲しみ 翼に変われ 急げ傷跡 羅針盤になれ」とは、中島みゆき『銀の龍の背に乗って』の一節である。傷跡そのものが羅針盤になるのであり、悲しみや傷跡が消えることを望んだ言葉ではないだろう。曲中には、人間の皮膚が傷つきやすい柔らかなものでしかないのは、「人が人の痛みを聴くためだ」ともしている。
非力な自分にはどうしたって消えない悲しみや弱さが、むしろ進むべき一つの方角を示さんことを切に命じているのである。
龍のようにはまだ飛翔できない雛だけど、しかし一歩飛び立とうとする、祈りにも似た悲痛な決意と言えそうである。

高校バレーを描いた漫画『ハイキュー』の中には、コマの要所要所に、応援席に掲げられた横断幕が描き込まれている。
「飛べ」は、主人公が属する鳥野高校の横断幕に記された言葉である。「飛べ」とは、確かに他者からの呼びかけである。選手からすれば、「飛ぼう」「飛んで見せる」という意気込みになるかもしれないが、選手にしても「飛べ」という形でしか表せないものがあるのではないだろうか。
極限まで飛んで飛んだ先にある、飛ぶしかない、という状況下において、自分に対しても「飛べ」と叫びたくなる心境はあり得るだろう。
・・・・・

人間は弱い。
だれも、弱い。
強くありたいといつも願うけれど、何か大きな壁にぶつかるたびに、弱った自身の心を見せつけられて、悩み苦しみ続ける。
悩みも悲しみも消えることはない。
だれもが、悩みや苦しさの中にあって、それでも、一日、一日を生きていくしかない。
祈りながら、願いながら、一歩ずつ歩いてゆくしかないのだと、かつて湯波のじいちゃんが教えてくれた。

戦禍の中で、世界の祭典が開かれている。
各国の選手たちの人生も、幸せな時ばかりではなく、おそらく悲しみや苦しみの中にあったのではないだろうかと、想いを馳せる。「飛べ」と自己を鼓舞しながら過ごした時間の先の華々しい舞台なのだと気づかされる。

そして。
同じテレビの画面に、同じ時間に、戦禍に傷つく人たちの映像も流れてくる。
子どもたちの命が奪われ、苦しみの中で生きていくしかない状況が映し出される。永遠に続くかのような破壊活動が止まらない。

「願う」という感覚をはるかに超えた戦禍の状況に、「願え」と自己を鼓舞しするしかない、非力な自分自身への悲しみでしかないような、そんな気がする。羅針盤を手にできるかどうか、自分は進んでいけるかどうか、大きな不安に打ちのめされそうになる。

どの人も、健やかな時間を生きることができるよう、願い続けたい。
どんなに非力でも、願うことをやめないでいたいと思う。

命令文でしか表現できない意志を、貫きたいと思う。

改めてこの歌の歌詞を調べてみたら、その言葉の深さに改めて感動したので、一部を書いておきたい。
中島みゆき 銀の龍の背に乗って

あの蒼ざめた海の彼方で 今まさに誰かが傷んでいる
まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている

急げ悲しみ 翼に変われ
急げ傷跡 羅針盤になれ
まだ飛べない雛たちみたいに 
僕はこの非力を嘆いている

夢が迎えに来てくれるまで 震えて待っているだけだった昨日
明日僕は龍の足元へ崖を登り呼ぶよ「さあ、行こうぜ」

銀の龍の背に乗って届けに行こう命の砂漠へ
銀の龍の背に乗って運んで行こう雨雲の渦を

失うものさえ失ってなお 人は誰かの指にすがる
柔らかな皮膚しかない理由は 人が人の痛みを聴くためだ

わたホコリみたいな翼でも 木の芽みたいに頼りない爪でも
明日僕は龍の足元へ崖を登り呼ぶよ「さあ、行こうぜ」



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記憶

2024-07-06 18:23:29 | デイサービス池さん

まだ梅雨の最中・・・のはず。

空は快晴。

風は熱風。

気温は、40度近く。

梅雨が変わった。

石鎚の山が、くっきりと見えている。

 

怒涛のような6月を終えた。

まごの手も、池さん印のお弁当も、6月リニューアルオープンと同時にハイペースで進んでいる。

大汗かきながら、毎日沢山の献立を作っていく。

のぼり旗も、室内も、お弁当箱も、メニューも、味付けも、こだわりの産物。

意見の集約にも並々ならない時間を費やした。

お陰様で、リピーターも方が増え「美味しかったから、また来ました。」と笑顔でやってきてくれる。

毎日来てくれる方もいて、いつも一人分は予約席にスタンバイしている。

少しずつ、変化したりしながら、池さんらしく心のこもったお弁当を届けたいと思っている。

 

デイの方も多くの変化があった。

6月は2人の人を見送った。

長い間一緒に過ごしたのだから、喪失感につぶされそうになる。

寂しさを抱えながら、いつものように皆笑顔で生きている。

寂しさや辛さを抱えながら、毎日元気に働いている。

 

ずっと前、同じ時間を過ごした美代ちゃんを見送った時、心の中の空洞を長い間埋めることができなかった。

毎日時間は過ぎていくけれど、夜になりいつもの空間にその人がいないことを感じると、無性に寂しさがこみ上げてきて、長い間、その感情が消えることはなかった。

時間が解決するのでもなく、だんだん記憶が薄らぐわけでもなく、

日に日に、いろんな想い出や肌の感覚が蘇ってきた。

そして気づいた。

この世界での形はなくなるけれど、その人が生きた証は、自分の身体の中に刻まれてゆくのだと。

決して消えることのない記憶(感覚)として、身体の中にはっきりと刻まれるのだと。

だから時間がたっても、忘れたりしないのだと思った。

亡くなっても忘れたりすることはないのだと気づいた。

今でも、はっきりと思い出せるほどに、その感覚は、私の中に確かに残っている。

ここで生きた沢山の人たちが生きた証である「その人の感覚」が、はっきりと残っている。

息遣いや、匂いまで、ふとした瞬間に蘇ることがある。

そして、その頃のいろんな想い出が心に満ちてきて、私は暖かい気持ちになれるのだ。

死にゆく人が納得してその命を終えることができた時、

その場所にいた人もまた、「その人の生きていた感覚」を、確かなものとして納得して身体の中にしまうことができる、そんな気がしている。

見送った人たちの記憶は、いろんな瞬間に鮮やかに蘇り、その人の物語を語らせてくれる。

大切に想う人の記憶を、大切な人の物語を、これからも丁寧にしっかりと紡いでゆける池さんでありたいと心から思っている。

 

 

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