私の知り合いのおばちゃん。
しばらくぶりに、知人からその消息を知った。
小さい頃、時々遊びに行った。昭和30年代、まだそれほど豊かではない時代。泊まりに行くと、つくしやわらびをとりに連れて行ってくれたり、子どもが喜びそうだとおばちゃんなりに考えた料理で、もてなしてくれた。
身体が大きな人で、おしゃべり上手な人ではなかったけれど、いつも変わらない笑顔で迎えてくれた素朴な人だった。
おばちゃんは、厳格な舅・姑に長い間、仕えた。
親戚筋も複雑だったので、本当に苦労したと思う。
その上、ご主人は脳出血の後遺症で、長い間寝たきりの生活だった。
亡くなるまでの長い年月を、本当に献身的に介護していた。
そして、今、
おばちゃんは認知症が進み、施設にいるらしい。
どこにでもある施設。
起床・着替え・車椅子で食堂へ移動・食事・入浴・就寝・・・
だれとも話さず、笑うこともない。
ただ生きているだけの毎日。
私が、ヘルパーの実習の時に行った施設も全く同じだった。
声かけは、「トイレの時間で~す」だけ
一日中、車椅子に座らされたまんま!
後は、な~んにもなし!
ただ、職員は忙しそうに業務内容とやらをこなし、そこに「人」がいるなんて思ってもいない!
「腰が痛いから、どうぞベットに連れて行ってください」と泣きながら訴える人には、「リハビリだから、起きとかないかんでしょうが!」と怒り、「手が痛いから、車椅子を押してください」という人には、「甘えたらいかんよ!」と冷たく無視。
そんな、平均的な当たり前の施設。
歩くことができなくなり、トイレや、いろんなことがわからなくなり、在宅で介護が無理になり、おばちゃんの家族が決断した今の状況。
ただただ、悲しい。
ただただ、空しい。
そうせざるをえない様々な家族がかかえる状況を、知っているだけに、悲しい。
「生きること」が、なぜこんなに苦しいものなのかと、改めて思う。
「生きていくこと」が、どうしてこれほど悲しいものなのかと、胸が痛くなる。
おばちゃんは、決して、こういう老後を望んでいたはずではない。
愚痴を言わず、今まで一生懸命に生きてきたに違いない。
与えられた自らの運命を、ただただ一生懸命に生きて来たはずなのだ。
そして、周囲の人たちを大切に看取り、自分が老いた時には、住む場所さえ選べない。
「ケアの質など問題外の施設」を終の住みかと決めなければならない悲しさ。
たとえ、どのような場所であろうと、その人が生きてきた・暮らしてきた場所が一番落ち着く場所であるに違いない。
あれほど池さんに来るのを楽しみにしているみよちゃんや名人であっても、毎日池さんでよだれを垂らすほど笑っていたとしても、家に帰ったり奥さんが迎えに来た時の笑顔には、絶対勝てないな~といつも思う。
家族や家には、所詮かなわないな~といつも思っている。
だからこそ、私たちはいつも、家族が抱えられない時・家族だからできないことを、家族のように代わって支えてあげることができたらと考えている。
ケアの質はもちろんのこと、「人」を正面から見つめ、向き合っていきたいと思っている。
ただ最低限「人間」として生きるための介護ではなく、「人」として生きていけるケアをしたいと努力している。
いくら立派な施設でも、どんなに綺麗な施設でも、そこで働く人たちが「ケア」をしようとしなければ、「人」は幸せには」なれない。
そして、最大の問題は、良いケアをしている優れた施設を充分選択することができない今の状況。
ここか、あそこか・・・
預かってくれさえしたら、入所できさえすれば・・・
選択肢が限られた地域で、選択しなければならない現実。
施設数やベット数が、計算上足りていたとしても、現実にはいい施設は何年先まで予約でいっぱい。
介護保険の制度上の問題は、深く大きい。
幸せに老い、幸せな死を迎えるために、私たちが超えなければならないハードルは、まだまだ高そうだ。
おばちゃんはいつか、自分の人生を「あ~いい人生だった。」と思うだろうか?
苦しみだけの多い人生だったと、後悔はしないだろうか?
もし、もし、近くにいたら、
どんなことをしても、池さんに連れてきてあげたいと思う。
毎日笑って、いっぱいおしゃべりして、温かいご飯をお腹いっぱい食べさせて、天気のいい日はお花見へ行って、温かいお風呂に入れてあげたいと思う。
苦労して苦労して人のために生きたのだから、な~んにもわからなくなった今くらいは、いつも笑顔でいて欲しいと思う。そして、最後の瞬間は、笑って見送ってあげたいと思う。
ただ、ただ、
思うだけ。
しばらくぶりに、知人からその消息を知った。
小さい頃、時々遊びに行った。昭和30年代、まだそれほど豊かではない時代。泊まりに行くと、つくしやわらびをとりに連れて行ってくれたり、子どもが喜びそうだとおばちゃんなりに考えた料理で、もてなしてくれた。
身体が大きな人で、おしゃべり上手な人ではなかったけれど、いつも変わらない笑顔で迎えてくれた素朴な人だった。
おばちゃんは、厳格な舅・姑に長い間、仕えた。
親戚筋も複雑だったので、本当に苦労したと思う。
その上、ご主人は脳出血の後遺症で、長い間寝たきりの生活だった。
亡くなるまでの長い年月を、本当に献身的に介護していた。
そして、今、
おばちゃんは認知症が進み、施設にいるらしい。
どこにでもある施設。
起床・着替え・車椅子で食堂へ移動・食事・入浴・就寝・・・
だれとも話さず、笑うこともない。
ただ生きているだけの毎日。
私が、ヘルパーの実習の時に行った施設も全く同じだった。
声かけは、「トイレの時間で~す」だけ
一日中、車椅子に座らされたまんま!
後は、な~んにもなし!
ただ、職員は忙しそうに業務内容とやらをこなし、そこに「人」がいるなんて思ってもいない!
「腰が痛いから、どうぞベットに連れて行ってください」と泣きながら訴える人には、「リハビリだから、起きとかないかんでしょうが!」と怒り、「手が痛いから、車椅子を押してください」という人には、「甘えたらいかんよ!」と冷たく無視。
そんな、平均的な当たり前の施設。
歩くことができなくなり、トイレや、いろんなことがわからなくなり、在宅で介護が無理になり、おばちゃんの家族が決断した今の状況。
ただただ、悲しい。
ただただ、空しい。
そうせざるをえない様々な家族がかかえる状況を、知っているだけに、悲しい。
「生きること」が、なぜこんなに苦しいものなのかと、改めて思う。
「生きていくこと」が、どうしてこれほど悲しいものなのかと、胸が痛くなる。
おばちゃんは、決して、こういう老後を望んでいたはずではない。
愚痴を言わず、今まで一生懸命に生きてきたに違いない。
与えられた自らの運命を、ただただ一生懸命に生きて来たはずなのだ。
そして、周囲の人たちを大切に看取り、自分が老いた時には、住む場所さえ選べない。
「ケアの質など問題外の施設」を終の住みかと決めなければならない悲しさ。
たとえ、どのような場所であろうと、その人が生きてきた・暮らしてきた場所が一番落ち着く場所であるに違いない。
あれほど池さんに来るのを楽しみにしているみよちゃんや名人であっても、毎日池さんでよだれを垂らすほど笑っていたとしても、家に帰ったり奥さんが迎えに来た時の笑顔には、絶対勝てないな~といつも思う。
家族や家には、所詮かなわないな~といつも思っている。
だからこそ、私たちはいつも、家族が抱えられない時・家族だからできないことを、家族のように代わって支えてあげることができたらと考えている。
ケアの質はもちろんのこと、「人」を正面から見つめ、向き合っていきたいと思っている。
ただ最低限「人間」として生きるための介護ではなく、「人」として生きていけるケアをしたいと努力している。
いくら立派な施設でも、どんなに綺麗な施設でも、そこで働く人たちが「ケア」をしようとしなければ、「人」は幸せには」なれない。
そして、最大の問題は、良いケアをしている優れた施設を充分選択することができない今の状況。
ここか、あそこか・・・
預かってくれさえしたら、入所できさえすれば・・・
選択肢が限られた地域で、選択しなければならない現実。
施設数やベット数が、計算上足りていたとしても、現実にはいい施設は何年先まで予約でいっぱい。
介護保険の制度上の問題は、深く大きい。
幸せに老い、幸せな死を迎えるために、私たちが超えなければならないハードルは、まだまだ高そうだ。
おばちゃんはいつか、自分の人生を「あ~いい人生だった。」と思うだろうか?
苦しみだけの多い人生だったと、後悔はしないだろうか?
もし、もし、近くにいたら、
どんなことをしても、池さんに連れてきてあげたいと思う。
毎日笑って、いっぱいおしゃべりして、温かいご飯をお腹いっぱい食べさせて、天気のいい日はお花見へ行って、温かいお風呂に入れてあげたいと思う。
苦労して苦労して人のために生きたのだから、な~んにもわからなくなった今くらいは、いつも笑顔でいて欲しいと思う。そして、最後の瞬間は、笑って見送ってあげたいと思う。
ただ、ただ、
思うだけ。