今日で8月が終わる。
去年の8月もみちおさんを探し続けた日々だった。
今年の8月も、私にとっては長い長い8月の日々。
湯浪のじいちゃんが倒れ・みちおさんの奥さんが逝き・新盆・重さんとの別れ・そして8月最後の夜の故郷のおばちゃんの死。
めくるめくような毎日の中で、
確かに生き続ける人たち。
確かに成長しつつある子どもたち。
夏休みで、子どもたちでいっぱいの池さん。
デイサービスじゃなくて、託児所?と疑いたくなるほど、子どもで溢れかえった夏。
賑やかで幸せな日々。
老いてゆく人がいる。
病に苦しむ人がいる。
死にゆく人がいる。
そして、育ちゆく子どもがいる。
病の人も、老いてゆく人も、死にゆく人も、
生を受けた人は、次の世代にその「生きざま」を残し、確かに次の人たちが受けつないでいく。
決して、老いも死も孤独なものではなく、次々と伝えられていく暖かく確かなもの。
死も病も、寂しく辛いものばかりではなく・・・
・・・私たちは、決して一人ではない。
いろいろな場面でいろいろな人と出会い、支えられ・教えられ・導かれ・共に生き続けていく。
どんな生き方も、どんな思いも、
全てが自分自身の大きな糧となる。いえ、糧としていかなければならない。
そして、新しい人たちに伝えていかなければならない。
「こうして生きた人がいる」「こう考えた人がいる」「こう暮らした人がいる」・・・と。
様々な思いを感じた8月。
私にとって、大きく深く、心痛み、
そして心温まる思いを重ねた23年の8月。
去年の8月もみちおさんを探し続けた日々だった。
今年の8月も、私にとっては長い長い8月の日々。
湯浪のじいちゃんが倒れ・みちおさんの奥さんが逝き・新盆・重さんとの別れ・そして8月最後の夜の故郷のおばちゃんの死。
めくるめくような毎日の中で、
確かに生き続ける人たち。
確かに成長しつつある子どもたち。
夏休みで、子どもたちでいっぱいの池さん。
デイサービスじゃなくて、託児所?と疑いたくなるほど、子どもで溢れかえった夏。
賑やかで幸せな日々。
老いてゆく人がいる。
病に苦しむ人がいる。
死にゆく人がいる。
そして、育ちゆく子どもがいる。
病の人も、老いてゆく人も、死にゆく人も、
生を受けた人は、次の世代にその「生きざま」を残し、確かに次の人たちが受けつないでいく。
決して、老いも死も孤独なものではなく、次々と伝えられていく暖かく確かなもの。
死も病も、寂しく辛いものばかりではなく・・・
・・・私たちは、決して一人ではない。
いろいろな場面でいろいろな人と出会い、支えられ・教えられ・導かれ・共に生き続けていく。
どんな生き方も、どんな思いも、
全てが自分自身の大きな糧となる。いえ、糧としていかなければならない。
そして、新しい人たちに伝えていかなければならない。
「こうして生きた人がいる」「こう考えた人がいる」「こう暮らした人がいる」・・・と。
様々な思いを感じた8月。
私にとって、大きく深く、心痛み、
そして心温まる思いを重ねた23年の8月。