私たちは写真を撮り、毎日その写真をノートに貼って記録に残している。
今日はこんなことがあった、今日はこんな日だった、今日はこんな笑顔が見えた。
どうでもいいことから、大事な出来事まで、お笑い系、しんみり系、ご飯系、いろんな毎日や大切な瞬間を、記録に残す。
記録した写真は、一人ずつノートに貼って、一日の記録を残している。
毎日、毎日、写真を撮り続け、ノートに貼り続ける。
大変な作業だけれど、15年ずっと続けてきた。
毎日持って帰るノートの写真を見てご家族は、「今日のご飯は美味しそうですね。」と言ってくれたり、成長する子どもたちを見て「大きくなったね。」と言ってくれたり、「あそこの桜はもう咲いてるんですか?」と言って季節を感じてくれたり、「今日は嬉しそうな顔をしてますね。」と笑顔を喜んでくれたりする。
わからんことが増えてイライラして怒ってばかりだった人が、池さんに来るようになって笑顔が増え、息子さんが「こんな笑顔を久しぶりに見ました。」と言ってくれたりする。
その人のことだけでなく、池さんの考えていることや大事に想うこともノートに書く。
人について、出来事について、私たちの想いをノートに書く。
災害の起きた日のこと、終戦の日のこと、皆で黙とうをしたこと、その日の出来事について、「私たちはこんな風に考えている」というメッセージをノートに書く。
デイサービスとは関係なくても、介護保険とは無関係でも、その人のことではなくても、私たちからのメッセージをノートに書く。
池さんに繋がる人たちのこともノートに書く。
こういう人がこんなものを持ってきてくれたとか、遊びに来てくれたとか、そんなこともノートに書く。
ここで育った子どもたちの卒業や入学のことも、中学校から勉強に来てくれた子どもたちのことも、ノートに書く。
いろんな人たちと繋がっていることを知ってもらうことは、大事なことだと思っているので、ノートに書く。
池さんという場やスタンスや想いや、ここに繋がる人たちのことを、できるだけ知ってもらいたい。
介護保険という制度を使って、デイサービスの事業者と利用者という契約の下で私たちは出会う。
あくまで契約に基づく関係ではあるけれど、首からぶら下げるネームプレートなどには書いていない私たちの考えを、ノートを通して伝えたいと思っている。
池さんという場で時間を過ごす人たち(じいちゃんやばあちゃんたち)が、「どんな場所で、どんな人に囲まれて、どんな人たちに、どんなケアを受けて、どんな時間を過ごしているのか」知ってもらいたいと思っている。
大切な時間を、大切に生きた証として。
命の終わりを迎えた時、多くの家族がその人のノートを手にして「あ~こんなふうに最後の時間を生きていたんだ。」と思い返してくれた。
お葬式の時、親族が見てくれ、知らなかった時間に想いを馳せてくれる。
仏壇の前に今だにお供えしてくれている家族がいる。
デイサービスは「人生の最終章」という時間を生きる場所。
何処でもいいように思えて、本当は、とても大切なことではないかと、この年になって改めて思う。
だから、毎日、大量の写真を撮り、ノートに貼ってメッセージを書く。
家族に伝えるために、この場所を知ってもらうために、ここで過ごす時間を知ってもらうために。
ここで過ごす時間の意味を知ってもらいたいと思って、ノートを書く。