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池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

本日処暑なりて

2025-08-23 17:14:47 | つぶやき
8月23日は24節気の「処暑」なり。
暑さが収まる時期、、、のはずが、東の方では40度超えの暑さが続く。
ここらあたりは、2,3日続けて夕立ちが降ったりして、朝晩は少しだけ涼しい風が吹いたりして、「あ~夏ってこんな感じよね~」と一人で納得してみたりしている今日この頃。
幼かった頃、祖父母の家に行くと昼間はもちろん暑かったけれど、夕方になると水をまいた庭にちょっと涼しい風が吹いて、縁台に座って遊んだりした記憶がある。
夜には窓を開け放した部屋に蚊帳をつって、おばあちゃんが扇いでくれる団扇の風がそよそよふいて、今思えばトトロの世界そのままの田舎の原風景が記憶に残っている。

いつのころからか、エアコンなしでは過ごせなくなり、孫たちが来ても、バーベキューや花火が終わるとそそくさと冷えた部屋に逃げ込むようになってきた。

ゆったりと流れる大切な夏の記憶よりも、暑すぎて熱波から難を逃れる方法しか記憶に残らないことが少し寂しいような気がする。
外ネコも隣の犬も、日陰を確保するのに忙しげだ。
ラジオ体操も夏休みのプールも、海遊びも、どこか遠い思い出でしかないようで、暑すぎて忙しすぎる今の時代に、思わず愚痴を吐きたくなる気分。
元気印のはずが、もともと夏に弱い上に、7月末から夫の病院通いが続き、少々バテ気味な毎日。

池さんのばあちゃんたちは、本当に元気だな~としみじみ思う。
病や不自由さを抱えながら、みんな毎日元気にやってくる。
「ここにおったら何も心配せんでもええけんね」
「一緒におったら安心よね」
「みんなでご飯食べて、風呂入って、わちゃわちゃ言うて、遊んで」
「ここがなかったら、困るけんね」
と、毎日毎日、ありがたがってくれる。
本当は、ばあちゃんたちが来てくれんと困るのはこっちの方だから、
毎日「あ~楽しかった」「もう帰る時間?」と言いながら帰ってゆく姿に、
「暑いのに今日も来てくれて、ありがとうね。」と心の中で手を合わせたくなる時がある。

出会ってから何年もずっと一緒に過ごせる人と、出会ってわずかで別れなければならない人、いろんな人がいるけれど、どの人とも、出会うことができたことを感謝しながら今まで過ごしてきた。
こうして長い間過ごしてきたな~と感慨深い想いを感じながら、今日も帰ってゆく人たちを部屋の中から見送る。

いろんな出会いがあったと長い時間を振り返りながら、
もうすぐ20年という時間を振り返りながら、
自分自身を育ててもらった池さんという場所の意味を考えながら、
夏の終わりの時間を過ごしたいと思っている。





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人事を尽くす・・・

2025-07-21 17:36:56 | つぶやき
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がある。

全力を尽くしたから、あとは天の意思にお任せするというある意味運命論的な意味合いを含んだことわざで、一般的によく言われていると思う。
ここまで頑張ったから、あとは「運命」にお任せするしかない。
でも、ここまで頑張ったから、きっとよい結果を得られるだろうという期待を含んでいて、天命は、「結果」を天に任せるという神頼み的な印象を受ける。
運命として天に結果をゆだねるというということは、よい結果が出れば自分の頑張りを誉め、思うような結果が出なければ、運命のせいだと責任を転嫁しかねない。

「天命を安んじて、人事を尽くす」という言葉を見つけた。

大谷大学の初代学長で明治を代表する哲学者「清沢満之」の言葉。
人は、天命にしたがって生きるしかないのだから、そのありのままの自分を受け入れて、そして最善を尽くしなさいという意味。
なるようにしかならない。けれど、おのずと必ずなるようになるのだから(天命)安心して全力で生きなさいという言葉だ。

天によって与えられた命を生きる私たちは、そのことを感謝し、心配せず、ただ一生懸命に生きていればよいのだといわれているようで、安心できる気がする。

きっと毎日感謝して、頑張って生きていれば、それでよいのだと思っている。

必ず道は与えられている。
だから強く信じて、今、ここを、頑張って生きてゆきたいと思う夏の暑い日。

連休の時間は、「池さんものがたり」の再読に。
迷ったとき、困ったとき、いつも開くいろんなページ。
読み込んで、読み込んで、今ある池さんを想いながら、読み込んだ時間。
20年の間にあったいろんな出来事を想いながら、本当は何一つ変わっていないことを感じながら、時代の流れを感じながら、読み込み続ける。
かつて一緒に生きた人たちに、もう一度会える気がして、もう一度あの時の感情を思い返しながら、
私は、今を生きるために、この本を開く。

あっという間に7月で、明日から夏休み。
いろんなイベントや児童クラブのお弁当など、季節的な注文が入っていて、本店部門も大忙しの毎日。
この夏の暑さに耐えられるかと、毎年のように心配が募るけど、どうにかこうにか頑張って生きてゆきたいと思う今日この頃。

桜や梅にも毛虫さえつかず、セミもいつもの年より少なくて、犬や猫も日陰を探してヘロヘロになっている。

地球の未来に、不安が募る。
天は私たちを、いずこへ向かわせているのだろうか?


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地球の未来と手仕事

2025-06-22 16:50:44 | つぶやき
昨年は梅の不作、値段が高かったせいで、池さんの恒例の梅干し作りがあまりできなかったのだけれど、高価だったから少ししか漬けれなかった梅は本当にふっくらとおいしくて、1年中、食卓を楽しませてくれた。

ご飯を食べた後、梅を潰してお茶の入ったコップに入れて、ちょっと酸っぱいけれど、「あ~さっぱりする!」と満足そうに言うばあちゃんたちを見ていると、やっぱり、手仕事っていいなあ~と思ったりする。

おかげさまで、今年はみんなが、結構いい小梅を早くから手ごろな値段で仕入れてきて、今は塩漬けの保存瓶が池さんの部屋に並んでいる。
もう少しして赤シソが出回り始めるのが待ち遠しい。

手間暇かけて仕上げるいろんな保存食は、一年中、池さんの食卓を楽しませてくれる。
冬の間は大根のゆず漬けや簡単にできるたくあんなどがほとんどだけど、今年は大根が高価だったので、自家製のお漬物もなかなか作れなかった。
暑くなって夏野菜が出回り始め、本店のお弁当にも、やっと自家製のキュウリの辛子漬けが入り始めた。

知り合いから真竹のタケノコを頂いたので、久しぶりに明日のお弁当にはタケノコの煮物が入る予定になっている。柔らかくて、この時期にタケノコ、ありがたい。

野菜があまりなかった時期は、出汁をとった昆布とシイタケで佃煮を作ったり、保存している大根の皮をきんぴらにしてみたり、いろいろ工夫をするのもまあそれはそれで楽しい仕事。

手仕事は、心のゆとりに直結する。

生活が不自由だった時代にも関わらず、昔の人たちはいろんな手仕事を大切にしてきた。
決して暇な時間があったからというわけではなく、日々忙しく働きながらも、それでも手仕事を大切に暮らしてきた。
それは、ただ季節の食品を保存するという意味においてだけでなく、自然から与えられた食べ物を愛おしみ、大切に扱い、長い間おいしく頂けるよう工夫して編み出した知恵と言える。

塩漬けにしたり、乾燥させたり、発酵させたり、、、いろんな知恵を使って暮らしを紡いできた。
自分たちの生活の基盤である小さな生活圏で、身近な範囲で、暮らしを続けてきたのだろう。

つつましやかな小さな暮らしに想いを馳せている頃、地球のどこかの国では戦いを始める。
ニュースに移る映像は、どれもこれも荒々しい。
苦しみと絶望と、死と。
温暖化対策などどこにもなかったかのように、破壊と殺戮が繰り返される。

6月なのに、40度に迫る気温の上昇は、地球の未来を示しているよう。

夏至通過。
本来、太陽のエネルギーは、本当は人や地球に大切で優しいはず。
怒らせてしまったのは、人間たち。

何もかもを焼けつくすような、激しい太陽の熱ではなく、
穏やかで優しい暖かい太陽の光が、、、欲しい。

夏が怖い。





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今年のサクランボ

2025-05-05 10:15:06 | つぶやき
気が付けば、はや5月。
今年の連休はお天気にも恵まれて、ニュースを見ているとどこも人でいっぱいの様子。

もちろん池さんの宅老所は年中無休につき、連休も頑張ってくれている職員もいるけど、ワタクシは久しぶりの休日。

通常の毎日は、翌日の仕込みがあるのでほぼ完全な休みとはならず、子どもたちの休日試合用のお弁当を始めてからは、ほとんどお休みもなく仕事ばかりの毎日だったので、本当にしばらくぶりの連休をゆっくりと過ごさせてもらっている。

日常業務の煩雑さや仕事の多さに、正直ちょっと疲れ気味だったけれど、五月晴れの暖かい日差しを受けて、カラッと乾いた大量の冬の洗濯物、ふっくらと膨らんだお布団に満足しながら、穏やかで静かな時を感じつつ、ちょとだけ心の洗濯をしたような気がしている。

景色の変化
ワタクシ自身も高齢者になった。
池さんという場所も、実は40年近く前の私たちが住んでいた家。水回りや床や、、、家も年を重ねてきた。

池さんという場所ができて19年を過ぎた今、最初の頃とは全く違う景色を見ているように思う。

地球が変化し、気候が変化し、社会や世界が変化している。
政治もあいまいで、介護保険は20年前と大きくシフトを変えた。

コロナ禍の時を超えて、社会も人の心も変化したように思う。
家族のありようも変わり、介護に対する気持ちも変化している。
病気や治療に対する感情も、生や死への感情も、老いることへの感情も、すべてが変わっている。

アンチエイジング、いつまでも若く元気でいるために介護保険が使われる。
人が生き・老い・病を得て・死にゆく生き物であるということを認めず、年をとっても標準治療。
入所施設はいっぱいだし、在宅介護を勧めつつ家での生活に欠かせないデイサービスや訪問介護の基礎単価が低くて事業所は継続難しい時代。
加算主義で成り立つ介護保険。
子育てと違い先の見通せない介護には時間が必要で、介護離職も増えている。
なにもかも高くて生活も苦しくて、在宅で介護をというより、空きがあればできれば施設にという時代。
長年過ごした家で、最後まで過ごさせてあげたいと思う家族は少なくなり、もう無理と手放してしまう家族が増えた。
年寄りを取り巻く景色も、年寄りを抱える家族の景色も、変わった。

どうしたら老いを受け入れられるか、どうしたら最後まで家で過ごせるか、一緒に考えたいと思うけれど、その時間の余裕すらなくなっている。
疑問と、矛盾と、ジレンマと、あきらめ。

景色の変化にあたふたとしながら、その変化する景色に振り回されながら20年となる節目の年。

老いも病も死も、時代と共に変わってゆくもので、
人も社会も家族も、時代と共に変わってゆくものだからと、
感慨深い想いを心の底に抱えつつ、
萎れそうになる気持ちも同時に心の中に抱えつつ、
5月を過ごしてゆきたい。

母が倒れてからまる6年が経った。
92歳になった母の信じられないほどの回復ぶりと、まさにアンチエイジングを身をもって体現している姿に、心配頂いた皆様に改めてお礼の気持ちを伝えたい。ありがとう。
母は元気です。

昨年はダメだったサクランボの実。
お日様があたって、キラキラと輝いている。
真っ赤に輝いている。

20年間変わらないサクランボの木。

ずっと変わらずに、
ここにあって、
ここで実をつけ続けてほしい。
これから先も。
時代が変わっても。










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いろんな基準

2025-03-20 12:40:26 | つぶやき
97歳のおばあさんが言った。
「長生きしたいの~~~」
・・・
長生きの基準って?
どこまで生きたら長生き?
これはまあ、幸せな基準。

年を聞かれたおばあさん。
「89です。」
聞いたおばあさんが言った。
「ありゃ、若いの~~~」
・・・
若いの基準って?
どこからが若くてどこから年寄り?
でもこれもまあ、幸せな基準。

長期間の介護に疲れ、なんとかデイ利用をしてほしいと思った家族が、気難しいおじいさんを見学に連れてきた。
おじいさんは、部屋の中の人たちを見て言った。
「こんなところに来るようになったら、おしまいじゃ!」
気難しいおじいさんは、どんなところなら納得できるのだろう?
こんな所でなかったら、どんな所がお望みなのかしら?
年老いたおじいさんの、暮らす場所の基準とは?


常に基準はあいまい。
人によって、様々。
あいまいではあるけれど、
その基準のどれもが、
その人にとっては正しいと思っている基準。
「その人にとっての正義の基準」

世界中のいろんなことも、身近ないろんなことも、
日常のいろんなことも、
その人にとっての判断の基準と、
その判断の正しさと、
客観的に判断するときの基準と、
その判断の正しさと、
それらの間の隙間の大きさに、
ちょっと悩んだり、苦しんだりする毎日。

あいまいさは、時に必要になる。
白か黒かではなく、正義か悪かでもなく、
〇か✕かでもなく、
「ちょっとグレーな部分をどう解釈するか」
ということをできるようになると、
ちょっと大人になったような気がするような、
そんな気がする。

自分なりの正義感を、
前面に出して過ごしていた若い頃には思わなかった曖昧な世界。
グレーな部分があることで、グレーな部分をその時々に解釈することで、
人はゆるやかで、穏やかな関係を維持できていたのかもしれないと、
この年になって思う。

彼岸が過ぎ、春の訪れもあと少し。
穏やかで暖かい太陽の光を、
すべての人が受けることができるよう、
今夜も祈りを続けたい。

サクランボの花が散り始めた。
今年は、きれいに咲きそろい、ミツバチもたくさんやってきた。
風は強かったけれど、なんとか受粉できているといいな。
どうぞ、今年は美しい実がなりますように。
春の楽しみをみんなに与えてくれますように。







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問いと答え

2025-03-09 16:03:19 | つぶやき
三寒四温どころか、雪が降った3月。
石鎚の山々も雪をかぶって美しい。
あちこちで梅の花が咲き、春の香りが漂う今日この頃。

答えは世界を閉じる
問いは世界を開く

という言葉を見つけた。説明を紹介したい。

答えを得たということは『わかった』というところに立って生きるということ。そうするともう問いを持たない。だってわかっているのだから。
その問いに蓋をしてしまう。たとえそれが大事な問いであっっても、また本当にはわかっていなくても、答えを持ってしまったらそれでおしまい。
そこにもっともっと世界が広がるような問いが残されていたとしても、もう見向きもしない。だってわかっているから。

答えではなく問いを持って生きるということは『わかってない』という自分に立って生きるということ。わかりたいと願い、その問いを大事にして生きるということ。だからその人の前には世界が広がる。それが世界を開くという意味ではないか。

生きていく間には、たくさんの問いが存在する。
そして、考えれば考えるほど、また多くの問いを抱えることになる。
「より良い生き方をするには」
「人として成長することとは」
答えがあってないような、わかったようでわからないような、そんな問いを考え続けてゆくことは、きっと大切なことだろう。
ちょっと大げさな気もするけれど、
人が人として生きてゆくために、人として生まれたことの意味を考えることのできる人でありたいと思ったりする夜。

そういえば、かつて同じような気持ちになって作った「池さんのてぬぐい」があった。
強い想いのメッセージを込め、大切にしてほしい言葉をちりばめて作った池さんのてぬぐい。
もう一度、みんなで語りながら読み返してみたい気がしてきた。

「すべての人が、ともに助け合って、つつましく穏やかに生きる道はあるのだろうか」

サクランボの花が開きかけている。
春までもう少し。
穏やかな春が訪れますように。




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梅が咲く

2025-02-23 16:08:41 | つぶやき
孫の誕生を記念して玄関前に植えた紅白の二対の梅。
一輪咲いた。
今年も春が来た印。
二人の孫は、大きくなった。
二人とも、それぞれに、大きくなった。
元気な声が聞け、元気な顔を見ることができたら、
ばあばはそれで充分。
大きく育った梅の木が、よい香りを漂わせてくれるまでにはもう少し。
暖かい太陽と、優しい風が必要だろう。
まだまだ幼い孫たちの成長を、
見守り続ける周囲の人たちの暖かい目や心のように、
梅の花には、お日様の暖かく穏やかな光が必要。
今年も、きれいに咲きますように。
どうぞ、よい香りを池さんに届けてくれますように。
祈りながら、じっと待つ私。

試練と悩みの冬を超え、春の近づくのを待ちながら、
少しづつ、少しづつ、変化してゆく中で、
それぞれの努力や成長を感じながら、
日々、足元を見つめながら、少し先を見ながら、
与えられた役割と仕事をこなしている、そんな気がする毎日。

デイの皆は、新しい面々の与えてくれる課題に、真剣に取り組んでいる。
独りよがりだったいろんなことを、学びなおしの真っ最中。
「今を」一生懸命考えることで、きっと力がつくだろう。
成長する人たちを見るのは、本当にうれしい。

本店は、改装後もうすぐ1年になる。
ルーティーン化するために突っ走ってきた感じがするけれど、様々な過程を経ていろんな道が増え、今のところ順調に進んでいる。
新しいことを考えて形にしていくための努力の1年だった気がするし、いいメンバーに恵まれてありがたい。

池さん20年目の今年。
どんな形になっているか、どんな成長を遂げているか、
楽しみなような、それまで必死でやってゆこうという決意だけは固く心にある。
増えてくるしわやしみや関節痛と闘いながら、、、頑張ろうと思ったりする今日この頃。








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新春

2025-01-02 22:13:07 | つぶやき
皆様、明けましておめでとうございます。
久しぶりのお天気の朝。
暖かい陽の光に包まれた気のした一日。
今年もどうぞよろしくお願いします。

久々の風邪ひきで、体調不良のままで、
たくさんの出来事が押し寄せた年末を越えて、
深い想いを寄せた人を見送った後で、
迎えた新年。

あふれる想いは、
もう少し後で。

新しい年のはじまりを、
穏やかで静かな時間の中で、
困難な日を生きるすべての人たちへ、
想いを馳せながら、
過ごしています。

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師走になりて

2024-12-01 17:53:49 | つぶやき
谷川俊太郎さんの「子どもたちの遺言」から

「生まれたよ ぼく」
生まれたよ ぼく
やっとここにやってきた
まだ眼は開いてないけど
まだ耳も聞こえてないけど
ぼくは知っている
ここがどんなにすばらしいところか
だから邪魔しないでください
ぼくが笑うのを ぼくが泣くのを
ぼくが誰かを好きになるのを
ぼくが幸せになるのを

いつかぼくが
ここから出ていくときのために
いまからぼくは遺言する
山はいつまでも高くそびえていてほしい
海はいつまでも深くたたえていてほしい
空はいつまでも青く澄んでいてほしい
そして人はここにやってきた日のことを
忘れずにいてほしい

「一人きり」
ぼくはぼくなんだ ぼくは君じゃない
この地球の上にぼくは一人しかいない
もしかすると半径百三十七億光年の宇宙で
ぼくは一人きり

生まれる前もぼくはぼくだったのか
死んだ後もぼくはぼくなのか
どこへ行ってもぼくはぼく
いつまでたってもぼくはぼく
ぼくはぼくが不思議でしかたがない

ぼくはいま本を読んでいる
ぼくは息をしている
妹はいま大声で泣いている
妹も息をしている

いまから千年前
ここには誰がいたんだろう
いまから千年後
ここには誰がいるだろう

あとがきの中で、谷川氏はこう言っている。
生まれたばかりの赤ん坊に遺言されるような危うい時代に私たちは生きている、そう感じているのは私だけだろうか。


危うすぎる今の世界。
政治の世界のゴタゴタの見出しにうんざりしながら開く新聞には、高額飲食という見出しで、政界の1日100万円超の飲食の実態が書かれている。
国際のページを開けば、紛争の中にいる人たちの現実が。
パンを求める群衆によって13歳・17歳の少女と女性が圧死するという悲しい現実が報道される。
食べ物を求め、命をかけなければならない子どもたちの生きる飢餓の社会、紛争の終わりの見えない社会。
イライラ・怒り・嘘・デマ・支配・攻撃・・・負の感情に支配された世界。

深い海も青い空も高くて美しい山も、
いつまでこの世界に存在するのだろう。
どうか、千年も万年も、はるかかなたの年月まで、
このままの美しい自然と、穏やかな田舎の風景が続きますように。
子どもたちの笑顔が続き、ぼくがぼくで、わたしがわたしのままで生きてゆけますように。

師走になった日曜日。
夏からすぐに冬のような、激しい気候の変化に戸惑いつつ、
やっと冬服や毛布を用意して、冬に向かう支度ができた。
自分自身への課題を見つめ、自分の進む道の先にある壁に向かって、
今年最終の月を、一生懸命、生きてゆきたい。
その先にあるに違いない光に向かって、一歩ずつ。
仮に、先に光がなかったとしても、悔いのない自分自身の命のために。
過ぎ去ってゆく一年という時間は、
苦しいほどに、はかなげで、しっかりつかんでおかないと何もなく通り過ぎてゆくあっという間の時間だと、年を重ねるほどに身に染みて感じる。

石鎚は雪。
美しい自然を、大切に思いながら夜を過ごしたい。




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19年

2024-11-16 17:34:26 | つぶやき
11月15日で、池さんは開所してから19年がたちました。
来年は、成人式を迎える予定。
ありがとう。

ここに来てくれる人たち、ここで働いてくれる人たち、ここで一緒に生きてくれる人たち、ここを理解してくれる人たち、、、ありがとうございます。
「おかげさまで」という言葉さえ、なんだか薄っぺらい気がするほど、いろんなことがありすぎて、深い想いがよみがえる1日となりました。
にぎやかに派手にお祝いというのでもないけど、でもゆっくりと暖かい時間を、いつも通りの時間を、みんなで過ごすことができて、本当に感無量です。
スタッフたちが、一生懸命考えて、無理せず「今」一番よい形で、それぞれの場所で、それぞれのお祝いの気持ちを形にしてくれたこともうれしかったです。

ご飯を食べながらのおしゃべり。
「19年前は、何をしていたか」という問いかけに、若いスタッフたちの小学校の1年生だった、高校生だった、子育てに懸命だったという話に、時間の長さを思い知る。
ばあちゃんたちは、現役で仕事バリバリだった人や、定年したばかりだったり、病気になった頃だったり、、、、それぞれのその頃の思い出に話が弾む。
今は、こうして介護される立場の人たちだけど、19年前は、多くの人が元気で働いていたに違いない。
いろんな人たちがいて、いろんな人たちの人生があって、私たちの知らない人生が、「確かに存在していた」のだと、目の前の老いたばあちゃんたちの少し前の時代に想いを馳せる。
きっとこんな表情で仕事していたのだろうな。
多分こんな感じでしゃべってたんだろうな。
どんな人だっただろう。
家族とどんな話をしていたんだろう。
そんなことを考えながら、楽しい時間を過ごす。
ここにいるばあちゃんたちとの出会いを、大切に思いたい。
介護されることがなければ出会わなかった人。
年をとったからこそ出会えた人。
ここに集ってくれる人たちとの出会いを、
大切に胸に抱えて、過ごしてゆきたい。

19年という月日。
池さんの想いは19年変わらずにずっとある。
想いを伝えることはとても難しいと、19年の日々を振り返って思う。
形のない「想い」は、曖昧で、人によって解釈の仕方が異なり、理解してもらうことが大変。
でも、時間をかけて、伝え続けて、今日まで来た。
そうして、いろんな人が池さんの想いに共鳴してくれている。
もちろん人それぞれ。
共鳴できないことももちろんあるし、反対方向に向かってしまうこともある。
だからこそ、いつも、自問自答しながら、振り返りながら、少しづつ前に進んでいくのがいいのだと思う。
でないと、想いの押し付けになることもあるし、人によっては想いが重く感じることもあるだろう。
そうならないよう、自分の心をコントロールしながら、
これからも「池さんの想い」を大切にしていきたい。

大切にしてゆきたい想いと、それを伝えたい人たちと、そして、つながってくれる人たちと。
いつも、池さんは人とつながることを大切にしてきた。
看取りをした後も、ずっといろんな形で、応援してくれる人たちが沢山いる。
お野菜を持ってきてくれたり、周年のお祝いを届けてくれたり、いろんな形でずっと長く長く一緒に想いを伝え続けてくれている人たち。
感謝の気持ちと共に、これからもずっと一緒に生きてゆきたいと思う。

19年を過ごして思うこと。
池さんの介護は、生き方そのものだということ。
みんなの生き方、考え方、そのものだということ。
どうしたいか、どう感じるか、どう生きるか、
どんな毎日を送ってほしいのか、何を感じてほしいのか、どう生きてほしいのか、
生き方そのものだということ。
だから、毎日の行動や思考は、常に、自らに問いかける疑問と重なってくる。
介護のセオリーではなく、方法論でもなく、これでいいのかと、問いかける必要がある。
自らの生き方を見つめることは、ある意味難しいし、苦しみを伴うことがある。
でも見つめてほしいと思って19年生きてきた。

19年という時間。
かけがえのない時間。
暖かくて濃い時間。
一緒にこの長い時間を生きてくれた人たちに、
感謝を込めて
ありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いします。














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食、足りて

2024-10-06 18:01:34 | つぶやき
池さんができてから、どういうわけかずっといつもネコがいた。
うちにいる「ナウ」というネコも、12年前の台風の日、池さんの庭に親ネコが捨てていったネコだ。
4年前本店で亡くなった「クロ」というネコも、ナウを保護した少し後に保護したネコ。一時期行方不明になっていたけど、痩せて帰ってきて、それからずっと本店で暮らした。
ヒイちゃんが「ちょま」と名付けてかわいがっていたネコもいた。
ほかにも、金・銀・銅と名付けた3兄弟のネコや、思い出すだけでも20匹ほどのネコを保護してきた。
現在は、大頭に3匹保護ネコを飼っているし、子ネコも保護していて只今貰い手を募集中。本店では少し前に2匹のネコを避妊手術し、地域ネコとして世話している。
池さんグループの中に保護ネコチーム作ろうかと思うくらい、いつも、ネコ、多し。

どのネコも最初は人を怖がり人の姿が見えたら逃げているけど、お腹がすいているのか、そのうち近づいてくるようになる。
責任を負うことになるから、しばらくは様子を見て餌をあげることをしないでいるけど、あまりにもヨレヨレでやってくると知らん顔ができない。
現在本店付近でうろうろしているネコも、最初はひどい皮膚病で、かゆくてかきむしっていたから顔中が血だらけ、やせて骨が浮き出るほど、そんな状態で来たものだから、なんだか可哀そうで、残り物のご飯をおいておいた。
しばらくすると警戒しながらでも食べるようになって、そのうち、人を怖がらなくなって、だんだん病気もよくなり、顔を見たら近づいて来るようになった。
毎日ご飯を食べることができ、栄養状態が良くなると、毛並みや顔つきも変わってくる。優しい目つきになって、穏やかな表情になって、どのネコもだんだんかわいらしくなってくる。
ご飯が安心して食べれると、こんなに変わるんだと思うほど、「同じネコ?」とみんなが驚くほど、人相(ネコ相)が変わってくるのを実感している。

衣食足りて礼節を知る という言葉がある。
お腹いっぱい食べることができてこそ、はじめて人として大切な礼儀に心を向けることができるいう言葉。
保護したネコたちを見ていて、この小さき生き物も一緒なのだとつくづく思う。
飢えておびえて、生きることが困難な状態から、十分食べることができるのだと安心できるとネコの様子が変わってくる。穏やかで優しい顔つきになり、日向でのんびりくつろぐ様子も見えるようになる。
この、小さなネコでさえ。


戦禍に生きる子どもたちに想いを馳せる。
屋根のない牢獄と呼ばれる地域で生まれ、戦いの日々が1年も続いている。
安住の場所はなく、常に飢餓状態に追いやられ、学びも医療も十分でなく常に緊張の中で育つ子どもたち。
灰色の瓦礫と破壊された世界で育つ子どもたち。
痩せて、うつろな瞳の子どもたちの表情をテレビの画面で見るたびに、胸が締め付けられる。

青い空があり、美しい森があり、きれいな花が咲く場所がこの世界にあることなど知らずに育つ子どもたち。
海や砂浜や、雪や風や星や、様々な動物たちがいることも、小さき生き物たちがこの世界に生きていることを知らずに育つ子どもたち。
学ぶ機会を奪われ、いろんな国や人や生き方があるということを知らずに生きる子どもたち。

どうすればお腹いっぱい食べることができるのか、
どうすれば安心して暖かいベットで眠れるのか、
どうすれば明日という日に希望が持てるのか、

飢餓に苦しむ人たちに、
戦いに明け暮れる人たちに、
憎悪と仕返しに心を奪われた人たちに、
想いを馳せたい。

憎悪から何も生まれない、と
未来は、必ず変えられるはず、と
戦いのない世の中を願う人が、この世界にはたくさんいる、と
平和な世界を目指す人たちはたくさんいる、と
伝えたい。

本店で保護した子ネコは、推定1歳ほど。
地域ネコにと桜耳にカットしてもらったけれど、うちの家から出ていかず、すっかり家ネコになっている。
時間がくればお腹いっぱい食べれる安心感で、皮膚病も治り毛並みもよくなった。
食が満たされて、今は遊ぶことを覚えた。
おもちゃだけでなく、紙をかみちぎったり、いろんなものをいたずらしたり、子どもらしく一日元気に遊ぶようになった。
遊んでは寝て、起きたら遊ぶ。
見るもの全部が新しくて興味しんしん、子どもらしく成長している。
小さきものでさえ。

肌寒い今日は「寒露」
苦しむすべての命が、少しでも暖かい時間を生きることができるよう、
少しでも未来に希望が持てる今を生きれるよう、
ただただ、
祈りたい。







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誕生日

2024-08-24 17:42:41 | つぶやき
いつだったか、ヒイちゃんが言った。
「年は取るもんじゃない。もらうもんぞい!」
一年間、一生懸命生きたご褒美に、年はもらうものだ、とヒイちゃんが教えてくれた。
今年も、一生懸命頑張った。
なので、本日、一つ年を頂いた。
67歳。
先祖から続いた命、産んでくれた母、育ててくれた家族、助けてくれた人たち、一緒に生きてくれる仲間、、、
何が欠けてもできなかった今という時間の姿。

どんなに忙しい時も毎日必ず、朝一番に読む新聞のコーナーは、「今日の占い」
本日の8月の運勢。
「小事にこだわらず、コウ然の気を養うべし」
こうぜんのきとは、、、で調べてみた。

天地に満ちている、万物の生命力や活力の源となる、この上なく大きくて強い気のこと。
これが人の心にやどると、広く豊かで大らかな気持ちとなり、公明正大で何物にも屈しない道徳心となる。
孟子が重要視する精神。
転じて、何事にも屈しない道徳的な勇気。
また、わずらわしいことから逃れて、のんびりとした心持ちになることもさす。
「浩然」は、水がゆったりと流れる様子。

誕生日の朝一番で、この占いを目にして、新しい一年をどう過ごすか、示してもらったような気がして、心が躍るような気がした。
少しづつ年を重ね、しわやシミや不自由な部分も増えてきた。
でも、だからこそ、年を重ねるからこそ、見えてくるものや感じることができるものも、増えてくる。
荒々しく憤ることも減って、ちょっと間を置くこともできるようになった。
年をとると、感情が平たんになるのかと思っていたが、そうではなく、自分の立ち位置が自分の感情とちょっと離れたところにあって、俯瞰して物事を考えられるようになった気がしている。

「浩然の気」
今日頂いたこの言葉を胸に、新しい一年を生きてみたいと思う。
また来年、立派に年を頂けるよう、浩然の気を養いながら、
さらに大きな自分になれるように、
しっかりと・ゆっくりと・水が流れるようにゆるやかに・豊かに・生きてゆきたいと思う。

ということですので、皆様どうかよろしくお願いいたしますね。
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夏の日

2024-08-12 16:04:00 | つぶやき
立秋を過ぎた。
暑い暑いと毎日文句ばっかり言ってる間にも、季節は少しずつ変わり始めているような気がしないでもない今日この頃。
ほんの少し、夜明けが遅くなったし、ほんの少し、日の入りも早く感じる。
風も時折心地よく感じることもある。
でも、まだ、ほんの少しだけ。
あまりの暑さに、草木も野菜も、秋に収穫する里芋さえ、枯れ始めている。
・・・
「池さんの季節行事について」
池さんは創立以来、イベントとしての派手なクリスマス会やひな祭りや夏祭りなんかは行っていない。職員が頑張って練習したり、みんながやらされてる感が強いイベントや、年寄りがお客さんになる催しは、まあいいかな、、、という感じがする。

そのかわり、地域に伝わる季節の行事はできるだけ大切にしたいと思っている。
麦刈りの頃には蛍かごを編む。
梅の季節には丁寧に梅仕事をする。
石鎚のお山開きには感謝を込めてお参りする。
七夕は月遅れで。
8月には特攻隊の関さんの記念館を訪れる。
秋祭りには氏神様にお祈りする。
昔からばあちゃんたちが日々の暮らしの中で伝え続けてきたこうしたいろんなことを、その意味や心を、みんなで話しながらずっと伝えてゆきたいと思っている。

例えば、この地方には、「たのもさん」という行事がある。地域限定の行事らしく、愛媛県でも東予地方だけらしい。(ちなみに私は倉敷出身なのでこの行事は自分は経験がない。この土地で暮らし始めて地域の子ども会の行事に参加して初めて知った。)

「たのもさん」とか「おたのもさん」と呼ばれ、八朔(旧暦8月1日)に豊作を願い、米粉を蒸し色をつけた団子を使って、神様や動物やお人形や花を作る行事のことをいう。

この行事を伝えるときに、まず、8月1日をなぜ八朔というか、、、というところから説明がいる。八朔は果物のことではなく、旧暦八月朔日(ついたち)だから縮めて八朔というそうだ。現在では九月上旬ごろにあたるので、稲が実る頃になる。

たのもさんという言葉は、「田の実」のという言葉が変化したものらしい。
田の実は稲を指す。稲の実りが豊かであるよう願いをこめたのが田の実の節句。
稲の豊作を祈願するために、米粉で小さな人形などを作って床の間に飾り、翌日これを焼いて食べると暑気あたりの薬になるという言い伝えもある。

で、8月1日、池さんの「たのもさん」の日はこんな感じ。

朝からこんな会話。
今日から八月やね~、日が経つのは早いねえ~、と話が弾む。
そういえば、昔は8月1日は八朔言うんよ。
八朔って果物の?(違うような気がする~)
八朔食べる日?(夏は八朔はないよね~)
そうだ!八朔買いに行こう!(ちょっと違う~)
じゃあ、なんで?(さあね~)

8月1日は、「たのもさん作って過ごしたよ~」「そうそう、作った作った!」とばあさんたちの話が広がり、やっと、たのもさんの話になる。
でも、新しい職員はたのもさんを知らないから、まずたのもさんという行事のいわれや歴史を調べたり、その説明から始まる。
で、興味津々で、作ろう~作ろう~ということになり、さっそく何人かで米粉を買いに行く。

(正確には米粉をこねて蒸して作るけど、蒸す時間や手間が時間かかるから、こねて色粉を混ぜるだけにする。)
もっと柔らかいほうが、、、とか、柔らかすぎたら形ができん、、、とか、ばあちゃんたちに言われながら、それでもめげずにこねこね。こねこね。
赤・黄は、色粉で色を付け、白はそのまま、3色の団子をこしらえて、ばあちゃんたちの前に置く。

あっという間に、あちこちからばあちゃんたちが集まってくる。
どうするん?とか聞くこともなく、「懐かしいね~」「こうやって昔作ったよね~」とか言いながら、あっという間に3~4㎝ほどの小さな神様がいっぱい誕生。
神様の人形の座布団を作ったり、着物を着せてあげたり、、、花や動物つくる人もいて、90歳超えのばあちゃんたちの記憶力と経験値に、みんな感動しきり。

並べて飾って、みんなでお祈りして、たのもさんコーナーまで出来上がって、しばらくの間、この話題で盛り上がる。

ばあちゃんたちが生きてきた歴史やその歩みに想いを馳せ、大切にしてきたものを聴き、感じてきたものを知ろうとすること。
ばあちゃんたちの昔の話を聞きながら一緒に過ごすこの時間こそが、大切にすべき時間なのだと、それこそが、池さんの季節の行事の意味だと、新しい職員に語っていく。

こんな時間が大好きだ。
ばあちゃんたちの話の中には、かつての「日本人が大切にしてきた心」が映し出される。謙虚に自然に向かい合い、農作業に精を出し、質素に生きてきた人たち。戦争に翻弄され、厳しい毎日を過ごし、我慢や辛抱だけの時代を生きてきた人たち。今の時代に生きる私たちには想像すらできない過酷な時代を生きた年寄りたちと同じ時間を過ごせることが嬉しい。

すべてのものに神が宿る。
かつて、人々は、自然のすべてに神を感じて、手を合わせ、祈り生きてきた。
すべてに神を感じるからこそ、大切に思い、奢ることなく、謙虚に生きてきた。
ただ一つの神ではなく、どこにも、そこにも、ここにも、神様が宿っていると信じるからこそ、自然を大切に想い、大切に生きることができるのだと思う。そうやってかつての日本の人たちは生きてきた。
季節を大切にし、自然に敬意を払いながら、生きてきた。
その人たちの心や想いを、大切に感じながら生きていきたいと思う池さん。


こうして自然に祈りを捧げながら、謙虚な心で生きてゆけば、
争いや報復もなく、優しくて寛容な世界になるんじゃないかと思うけれど・・・。
映像の中の、崩壊した灰色の塊の空間しか目にしない子どもたちの未来を想うとき、胸が押しつぶされそうな気持になる。

平和な社会の、平和の祭典は・・・終わった。








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「願え」

2024-07-27 16:41:20 | つぶやき
最近読んだ本の中にこんな文章を見つけた。

・・・・・
命令文でしか表現できない意思のようなものがある。
「急げ悲しみ 翼に変われ 急げ傷跡 羅針盤になれ」とは、中島みゆき『銀の龍の背に乗って』の一節である。傷跡そのものが羅針盤になるのであり、悲しみや傷跡が消えることを望んだ言葉ではないだろう。曲中には、人間の皮膚が傷つきやすい柔らかなものでしかないのは、「人が人の痛みを聴くためだ」ともしている。
非力な自分にはどうしたって消えない悲しみや弱さが、むしろ進むべき一つの方角を示さんことを切に命じているのである。
龍のようにはまだ飛翔できない雛だけど、しかし一歩飛び立とうとする、祈りにも似た悲痛な決意と言えそうである。

高校バレーを描いた漫画『ハイキュー』の中には、コマの要所要所に、応援席に掲げられた横断幕が描き込まれている。
「飛べ」は、主人公が属する鳥野高校の横断幕に記された言葉である。「飛べ」とは、確かに他者からの呼びかけである。選手からすれば、「飛ぼう」「飛んで見せる」という意気込みになるかもしれないが、選手にしても「飛べ」という形でしか表せないものがあるのではないだろうか。
極限まで飛んで飛んだ先にある、飛ぶしかない、という状況下において、自分に対しても「飛べ」と叫びたくなる心境はあり得るだろう。
・・・・・

人間は弱い。
だれも、弱い。
強くありたいといつも願うけれど、何か大きな壁にぶつかるたびに、弱った自身の心を見せつけられて、悩み苦しみ続ける。
悩みも悲しみも消えることはない。
だれもが、悩みや苦しさの中にあって、それでも、一日、一日を生きていくしかない。
祈りながら、願いながら、一歩ずつ歩いてゆくしかないのだと、かつて湯波のじいちゃんが教えてくれた。

戦禍の中で、世界の祭典が開かれている。
各国の選手たちの人生も、幸せな時ばかりではなく、おそらく悲しみや苦しみの中にあったのではないだろうかと、想いを馳せる。「飛べ」と自己を鼓舞しながら過ごした時間の先の華々しい舞台なのだと気づかされる。

そして。
同じテレビの画面に、同じ時間に、戦禍に傷つく人たちの映像も流れてくる。
子どもたちの命が奪われ、苦しみの中で生きていくしかない状況が映し出される。永遠に続くかのような破壊活動が止まらない。

「願う」という感覚をはるかに超えた戦禍の状況に、「願え」と自己を鼓舞しするしかない、非力な自分自身への悲しみでしかないような、そんな気がする。羅針盤を手にできるかどうか、自分は進んでいけるかどうか、大きな不安に打ちのめされそうになる。

どの人も、健やかな時間を生きることができるよう、願い続けたい。
どんなに非力でも、願うことをやめないでいたいと思う。

命令文でしか表現できない意志を、貫きたいと思う。

改めてこの歌の歌詞を調べてみたら、その言葉の深さに改めて感動したので、一部を書いておきたい。
中島みゆき 銀の龍の背に乗って

あの蒼ざめた海の彼方で 今まさに誰かが傷んでいる
まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている

急げ悲しみ 翼に変われ
急げ傷跡 羅針盤になれ
まだ飛べない雛たちみたいに 
僕はこの非力を嘆いている

夢が迎えに来てくれるまで 震えて待っているだけだった昨日
明日僕は龍の足元へ崖を登り呼ぶよ「さあ、行こうぜ」

銀の龍の背に乗って届けに行こう命の砂漠へ
銀の龍の背に乗って運んで行こう雨雲の渦を

失うものさえ失ってなお 人は誰かの指にすがる
柔らかな皮膚しかない理由は 人が人の痛みを聴くためだ

わたホコリみたいな翼でも 木の芽みたいに頼りない爪でも
明日僕は龍の足元へ崖を登り呼ぶよ「さあ、行こうぜ」



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子どもの未来

2012-02-13 19:33:30 | つぶやき

2012年2月12日。4人目の孫誕生

福岡に嫁いでいるえみちゃん出産。

で、私は社長と共に博多へと出発。(やっぱりお祝いを言ってやりたいもんね)

11時出発。車でしまなみ海道経由、福山から新幹線で博多までの日帰り旅行。

午後4時に無事に赤ちゃんに対面して、1時間後再び新幹線に。そして福山から車で家路を急ぐ・・・けど、もう9時過ぎてるし、どこかでご飯でも食べて帰ろうか?ということで、珍しく意見が一致したわけで。

今治の帰り道で、くるくる回ってるお寿司屋さんでも(というかこんな田舎ではなかなか夜やってる所は少ないわけで・・・)

午後9時半を回っていた。

お店の中は、大行列!!!

皆、順番を待ってる!

私は超田舎に住んでるし、いつも夜は居酒屋さんに行くのは行くけど、子ども連れで家族でこんな遅くに出かけることはほとんどない生活を送っているわけで・・・目が点

だって、順番待ちのソファーには、子ども連れの家族でいっぱい。

お父さんとお姉さんはたちは携帯片手に、無言で何かやってる。子どもは、眠そうな様子でもなく、これまた黙って座ってる。ほんの1歳にも満たないよちよち歩きの子どもまで、この時間に外食のために無言で並ぶ。

遅い時間だから、お寿司はくるくる回らずにほとんどが注文受付みたいになっていて、とにかく時間がかかってしまった。

10時半閉店のこの店は、その時間にもまだ子ども連れの家族で一杯だった。

ここならすぐに食べて帰れるだろうと思って入ったお寿司屋さんで、私は衝撃を受けてしまった。

次の日は月曜日。その前日にこの状況で、子どもたちは健康に元気よく朝が迎えられるのだろうか?

子どもを連れて出かける時間ではないだろう~!とお腹の中で腹立たしい気持ちを抱えながら、これが今の世の中なのかと悲しくなる。

大人の時間に付き合わされる子どもたち。

何かの事情で特別遅くなることもあるだろう・・・と、100歩譲って考えたとしても、一緒に出かけているのに、せっかく一緒にいるのに、家族が並んで、別々に無言で携帯に向かう姿に、私はショックを隠せない。

綺麗なブーツをはいて携帯に夢中の若いお母さん。よちよち歩きの赤ちゃんおばあちゃんに抱っこさせて平気な若い親に、怒りさえ覚える。

私が年をとった証拠なのか、世の中が変わったのか、それとも子育てが変化したのか・・・

ともあれ、あの時間あの場所にいた子どもたちが、健やかに育ってくれることを祈りたいと思う。

朝起きられずに、ご飯も食べずに、集団登校の時間に間に合わずに、車で学校まで行ったりすることのないよう・・・祈るばかり。

「子どもの未来」ではなく、「未来の子ども」は、一体どこへ向かうのだろうか???

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