全ては小沢氏への疑惑 (010.05.17)
法律的に見て、違反が検証されれば完全に“黒”で検察の起訴執行が決まるが、違反が検証されなければ、限りなく“黒”に近くても起訴が出来ないと言うのが検察の態度だ。
政治資金規正の問題も、全て表面的には「秘書」が本人に代わって代行しており、違反が摘発された時には、すべて本人は“知らぬ”“存ぜぬ”で押し通せば黒に近いグレーであっても本人への起訴は執行されないのである。
秘書の存在は、そのような嫌疑が起こっても常に本人との間の緩衝役として存在し、グレーの状態で、一歩も出なければ、起訴執行が行われないのである。
今までも数多くの政治家が秘書の犠牲に上に救われた例は、多数あり、また秘書と言う物はそれを覚悟の職業であるとも言われている。
今回民主党の小沢問題も秘書が3人も起訴されていても本人に何ら及ばない事をよい事に「何らやましい事はしていません」の一言で押し通し、少なくともグレーな疑いが掛かっていても潔白だと言う態度に、国民の怒りが70%の小沢氏幹事長辞任賛成になり、検察審査会での全員「起訴相当」の決議も「このまま不起訴で良い筈はない」と言う国民感情が成したものである。
国民は民主党に「政権交代」と言う公明正大で、クリーンなイメージの政治を願望しており、期待をしていたが、小沢氏の存在によって、事業仕分けには、文句を付けて妨害し、公共事業の情報についても、陳情の窓口は自分のところで一括すると言う、旧来の自民党政権下で行っていた事と何ら変わらない、政治の利権を振り回す旧来の手法と同じ事をしようとしている。
これでは何のための「政権交代」かと、言わざるを得ない。
この様な一部始終を国民は良く見ており、小沢氏と言う政治家の信頼性に疑問を持っているから、彼の疑惑を「なんら悪い事をしていない」と言っても空々しく聞こえるのである。
だから、法律的にはどうであれ、あれだけの疑惑を招けば、起訴されようとされまいとも幹事長という要職には就いて欲しくないと言うのが国民の感情的な気持ちである。
過去にも、小沢氏が関わった新政党や自由党の政党交付金数十億円のゆくえが不明になっているのも、グレーの状態には法的な責任を問えない事を知っていて、胡坐をかいているとしか思えない行為で、国民は其の事を怒っているのである。当然許せる物ではありません。
(えびなたろう)
法律的に見て、違反が検証されれば完全に“黒”で検察の起訴執行が決まるが、違反が検証されなければ、限りなく“黒”に近くても起訴が出来ないと言うのが検察の態度だ。
政治資金規正の問題も、全て表面的には「秘書」が本人に代わって代行しており、違反が摘発された時には、すべて本人は“知らぬ”“存ぜぬ”で押し通せば黒に近いグレーであっても本人への起訴は執行されないのである。
秘書の存在は、そのような嫌疑が起こっても常に本人との間の緩衝役として存在し、グレーの状態で、一歩も出なければ、起訴執行が行われないのである。
今までも数多くの政治家が秘書の犠牲に上に救われた例は、多数あり、また秘書と言う物はそれを覚悟の職業であるとも言われている。
今回民主党の小沢問題も秘書が3人も起訴されていても本人に何ら及ばない事をよい事に「何らやましい事はしていません」の一言で押し通し、少なくともグレーな疑いが掛かっていても潔白だと言う態度に、国民の怒りが70%の小沢氏幹事長辞任賛成になり、検察審査会での全員「起訴相当」の決議も「このまま不起訴で良い筈はない」と言う国民感情が成したものである。
国民は民主党に「政権交代」と言う公明正大で、クリーンなイメージの政治を願望しており、期待をしていたが、小沢氏の存在によって、事業仕分けには、文句を付けて妨害し、公共事業の情報についても、陳情の窓口は自分のところで一括すると言う、旧来の自民党政権下で行っていた事と何ら変わらない、政治の利権を振り回す旧来の手法と同じ事をしようとしている。
これでは何のための「政権交代」かと、言わざるを得ない。
この様な一部始終を国民は良く見ており、小沢氏と言う政治家の信頼性に疑問を持っているから、彼の疑惑を「なんら悪い事をしていない」と言っても空々しく聞こえるのである。
だから、法律的にはどうであれ、あれだけの疑惑を招けば、起訴されようとされまいとも幹事長という要職には就いて欲しくないと言うのが国民の感情的な気持ちである。
過去にも、小沢氏が関わった新政党や自由党の政党交付金数十億円のゆくえが不明になっているのも、グレーの状態には法的な責任を問えない事を知っていて、胡坐をかいているとしか思えない行為で、国民は其の事を怒っているのである。当然許せる物ではありません。
(えびなたろう)