きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

トルコで予期せぬ「おもてなし」

2013-11-08 12:25:38 | Weblog
トルコで予期せぬ「おもてなし」      (2013-11.08.)

安倍晋三首相は10月29日ボスポラス海峡を横断する地下鉄開通式に出席した際「一番列車」の先頭に乗り、海峡のアジアと欧州の中間地点で突如停車。

首相が下車すると、そこにはエルドアン首相らトルコ首脳と共に唯一安倍首相の名前と日本の国旗が記された銘板が掲げられていた。海底トンネルの工事は日本の大成建設とトルコの建設会社2社の共同で、貫通させた「国家プロジェクト」であり、安倍首相はエドルアン首相らと表示板ボルトを回して開通工事の締めくくりをおこない、喜びを分かち合ったと言う。
無論、トルコ側の「友好の演出」であり予期せぬ「おもてなし」であった。

日本とトルコとの友好は、1887年「小松宮彰仁親王」がヨーロッパ訪問の途中トルコのイスタンブルに立ち寄った。其れに応える形で、1890年オスマン帝国スルタンであったアブデュル・ハミト2世の使節としてフリゲート艦「エルトゥールル号」が日本へ派遣された。

使節は明治天皇へ親書などを手渡し帰途に就いたが、和歌山県沖で台風に巻き込まれ座礁沈没、特使オスマン・パシャを含め500名以上の乗り組み員が死亡した。しかし紀伊大島の住民が救援に駆けつけ69名が救出、知らせを聞いた明治天皇は直ちに医者と看護婦を派遣、救援に全力をあげた。さらに生存者には日本全国から多くに義援金・弔慰金が寄せられ、1891年、生存者は日本海軍の装甲コルベット「金剛」、「比叡」の2艦によりオスマン帝国に丁重に送還された。

この事件はトルコ国内で大きく報道され、日本人に対する友好的感情もこの時より醸成されたのである。

戦後も破壊された両国の国交はサンフランシスコ平和条約によって回復したが、この際トルコは日本に対する賠償金その他の請求を一切行わなかった。戦後は経済大国へと発展した日本によるトルコへの政府開発援助での支援が、積極的に行われており、特にイスタンブル市内のインフラ整備などに、日本の多額の資金や技術投入がされている。

1985年イラン・イラク戦争では、イラン在留邦人の救出にトルコ航空機が出動、200名以上が救出されたほか、1999年のトルコ大地震の際には日本からトルコへ捜査隊・救援隊の派遣、緊急円借款供与、緊急物資・無償援助、仮設住宅供与などがおこなわれている。

トルコと日本は、100年以上前から、切っても切れない友好国で、年代が変わっても、長くこの関係は継続しなくてはいけないと思います。
(えびなたろう)