きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

「天安門車両突入テロ」について

2013-11-05 10:26:40 | Weblog
「天安門車両突入テロ」について      (2013-11.05.)

2013年11月3日、中國中央電視台(CCTV)国際チャンネルの番組で「中国新聞」は、天安門車両突入事件についてCNNが悪意の報道を流したと批判した。

10月31日CNNはサイトに「天安門車両追突:テロリズムか、それとも絶望の叫びか」を掲載。これが「テロリスト」に同情的な内容だと中國官制メディアが批判をあびせている。

中國側から見れば「もし世界貿易センタービルに車が突入したならば、おまえら(米国人)は民主主義と自由を損なうテロ行為だと言うだろう。ところが中国で事件が起きると当然の事態だという。不誠実すぎるにもほどがある。」「どうやら米国人は自分が被害に遭った時だけ『テロ行為だ』と言う様だ。」と
この様な記事が、レコード・チャイナーで発信している。

テロに関しては、夫々両者側の言い分で、夫々が、おたがいに相手を批判している。テロ行為に関しては、行う側も、将に、命を賭けて行っていて、尋常一様な考えだけで遣っているわけでは有りません。無論行為そのものだけに付いては、相手の予期せぬ合間を狙て行うのであるから、卑怯といえば卑怯な遣り方で許しがたい行動かも知れないが、決して表面的な物で処理する浅はかな物と理解すべきではないと思う。

無論米国でも中東では「テロ行為に」連日の如く悩まされている。だからと言って此れを武力行為で、沈静化させた例は、全く有りません。一時期は治まっても完全には治まって居ません。此れには、人間社会の深い人道的問題が深くかかわっているのです。解決方法は、御互いに話し合い、長い時間を掛けてでも、お互いが理解し合う、合意点を見出す以外には有りません。

地球上に住む人類はみな平等で甲・乙の差は全く有りません、どちらかが力の差で、優位を示せば、必ずその差は恨みを残す事になり、其れが嵩じてくれば再び「テロ」として表面化するのである。

政治の力・外交の力は、その裏側に潜んでいる、問題を掘り起し、両者の理解を図る事につとめることが重要である。それを度外視して、武力で押さえつける事は、恨みを残し、それが積もれば、必ず「テロ」として返ってくることに成るのだと思います。
(えびなたろう)