きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

小沢氏の“けじめ”は付いていない

2010-08-21 10:52:54 | Weblog
小沢氏の“けじめ”は付いていない        (010.08.21.)

菅政権が出来て、新しく国の「政権交代」をやり直す姿勢が示された時に、野党からは小沢・鳩山の政治献金の問題で、国会に於ける「承認喚問」を行なうべきだ、と言う声が圧倒的に強かった。

私も、新しい国の「政治と金」に関わる問題は、今までと違った意識で対処せねばならない問題だけに、小沢氏から「国民に対する説明」か、何かの弁明があって当たり前だと、思っていた。
生方副幹事長が「国民への説明責任の必要性を」言った途端に“首”になり、それは「余りに酷い処置ではないか」の周りの声に、再びもとの役職に戻した事や、小沢チルドレンの新人議員からも小沢批判が出れば、忽ち言論統制が敷かれている。

野党の国会議員からは、「証人喚問」の要求が出されていたが、菅総理や枝野幹事長から、鳩山、小沢の両氏は「辞任と言う処置によって自ら“けじめ”を付けているから良いではないか」と言う意見が出て、そこまで後追いする事は菅新政権の新たな船出に水を差すものと、差し控える形で終わったが、9月の代表選挙を前にして、“けじめ”を付けて謹慎していた筈の小沢氏が忽ち政治の表舞台に現れ、今度は自分が総理大臣になることを画策するとは、全く呆れた事ではないでしょうか。

小沢氏の気持ちの中には、全く“けじめ”は付けていない事がはっきりしたのである。それどころか、証人喚問問題で、菅総理や枝野幹事長が小沢氏を庇った計らいには全く無視して、むしろ退陣を突きつける行動は、党内団結どころか、大混乱に陥れる行動としか思えない事である。

軽井沢集会は、小沢氏の決起集会そのもので「“気合いだ!”、“気合いだ!”、“気合いだ!”」の掛け声は、国民感情とは相当かけ離れた気勢である。 国民には「“きらいだ!”、“きらいだ!”、“きらいだ!”」と、聞こえたのではないでしょうか。

民主党の中に、あれだけ「国民に嫌われている小沢氏」を担ぐのは何故なのであろうか、それは我々が考えている以上に「小沢統制」の権力が被せられているのである。その統制の権力とは人事権と金力である。

9月以降若し誰かが代表になったとしても彼は、人事権と金力を握れるポジションは絶対放さないと思います。民主党には、「小沢一郎と言う悪魔が取り付いている」のである。

菅さんは、自分が政権をとれば、絶対に小沢氏を幹事長にはしないと言っている。果たしてその原質が守れるか、代表選の多数派工作の中で、幹事長職を小沢派に渡す事があれば、悪魔の取り付いた民主党の運営は益々困難で、「ねじれ国会」の中では、適当な時期を見て、政界再編を込めた解散総選挙を行なったほうが良いかも知れない。
(えびなたろう)