きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

赤十字を創設した「アンリ・デュナン」

2010-08-14 12:52:01 | Weblog
赤十字を創設した「アンリ・デュナン」        (010.08.14.)

今朝の新聞で、赤十字国際委員会(International Committee of the Red Cross=ICRC)
が、アフガニスタンで展開する米軍の、イスラム武装勢力タリバンの掃討作戦でタリバン兵士らを対象に人命救助の組織的な訓練を実施している事が報道された。米欧の一部に「テロとの戦いの足を引っ張る行為だ」との批判もあるが、赤十字は「国際人道法(ジュネーブ諸条約)に基づく傷病者保護の任務のためだ」と紛争の続く限り行なう事を表明した。

今、世界は人道上の問題を軽んじている傾向が非常に目に付く、核戦争のような大量殺戮破壊兵器の問題をはじめ、クラスター爆弾なども、人類の滅亡に繋がる無差別大量殺戮兵器は、何のために、誰のために遣るのか、その原因を遡れば、強者が弱者に、自分のエゴを押し付ける、ただそれだけで、戦争を行なっているのではないでしょうか。

人間社会である以上、多少の諍いは、有るだろうが、何故もっと話し合いで、解決する道を選ばなかったのだろうかと思われるのである。

今回赤十字の採った姿勢は、「政治的にどちらが正しいかどうかの問題ではなく人道的立場から傷病者の保護を行なう」と言うもので、中立な立場で、活動を続けると言う事である。

赤十字の精神は人類愛の精神に基づいた人道主義思想で、今の国際赤十字委員会(ICRC)はアンリ・デュナンによって創設された物で、今年は誕生から90周年、ジュネーブ条約誕生から60周年にあたる年である。

アンリ・デュナンは土地を開発する工業、金融の事業をしていて、31歳のとき、事業に必要な水利権の獲得のためナポレオン3世に直訴しようと北イタリアに行き、ナポレオン3世が率いるイタリア・フランス連合軍とオーストリア軍の激しい戦い(ソルフェリーノの戦い)に遭遇した。 戦いが終わった後、両軍4万人を超える兵士が深い傷を負い、戦場でもがき苦しんでいた悲惨な有様をみて、大きなショックをうけ、即座に地元住民の助けを借りて救助隊を組織した。

アンリ・デュナンはこのときの精神的なショックが「傷ついた兵士を援助する組織」の構想を持ち4人の友人と1863年に赤十字国際委員会(ICRC)の基礎となる「5人委員会」を立ち上げた。そしてその1年後にスイス政府は16カ国を招待し国際会議を開催し、最初の「ジュネーブ条約」の調印式が行なわれたのである。

しかし其の後は、人道問題に力を注ぎすぎ事もあって、自分の事業が倒産する災難にあい、1868年には詐欺罪に問われると言うことも有って、デュナンはジュネーブ社会から追放されその後は、物乞いをするような貧困生活を送る様な状態で、アッペンツェルン・インナーローデン州の小さな町ハイデンに移り住んでいた。

すっかり社会から忘れ去られていたアンリ・デュナンは、1895年にドイツのジャーナリストの一人が、デュナンについての記事を掲載した事が、世界の新聞に取り上げられ、アンリ・デュナンは再び世間の注目を浴びるようになった。

そして1901年には「国際赤十字運動の基礎を築き、ジュネーブ条約を創設した」と言う功績でアンリ・デュナンは初のノーベル平和賞が贈られたのである。だがその後1910年10月30日に特別な葬儀もなくチューリッヒで埋葬された。

しかし、ノーベル平和賞に対するICRCからの公式の祝辞には次の様に書かれている。

「あなた以外にこの賞を受けるに値する人はいないでしょう。あなたは、40年前戦場での負傷者を救助する国際組織の礎を創設しました。あなたがいなければ、19世紀最大の人道援助の結晶であるICRCは恐らく生まれなかったでしょう」と書かれている。

ソリフェリーノの戦いから150年になる今年、アンリ・デュナンの意思を21世紀に受け継ぎ更に核廃絶と不戦の誓いを、確立し、世界平和に結びつける事が今世紀人類の課題ではないでしょうか。
(えびなたろう)