きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

八っ場ダムを如何するか 

2009-09-23 11:55:56 | Weblog
八っ場ダムを如何するか        (009.09.23.)

八っ場ダム問題は二つの視点から考える必要がある。一つは群馬県八っ場ダム周辺の住民の今日までの生活に与へた変化で、祖先から住んでいた土地から、強制的に移転させられた事は苦渋の決断であった思います、反面、ダム建設と言う、膨大な費用を投入して行う公共工事によって、人・物・金がこの地に流れ込み、経済が今まで以上に活性化し、安定した生活が、工事中止で突然停止すると言う不安である。
40年間に及ぶ長期の工事は、住民の生活の中にダム工事というものが、切り離せない存在になっていた、と言うことである。

しかし、もう一つの視点から考えると、そもそも工事の出発点は、1947年に起こった台風によって、利根川が決壊し吾妻川沿いの集落340戸が水没すると言う被害によって、対策が計画され、首都圏の利水と、地域への治水を兼ねた工事として始められたものである。
しかし、計画された時代から40年、現実には、もはや必要の無い工事で、首都圏の利水も地域の治水も心配する必要が無くなり、完成させても無用の物であるばかりか、その維持費に数十億円の費用が継続して掛かる事から、更に数千億円の税金を投入して完成させる必要が無い、と言う結論が、政権交代によって、出された問題である。

夫々の立場に寄って種々の問題を抱えているが、よく話し合い問題を整理して、対処する事が必要である。只、だらだらと工事を完成まで続行しても、工事が完成すれば、人・物・金は止まってしまうから、不要なダムを抱え、住民の不安は再燃し解決には至らないのである。

私の私案では

無用になった工事は、将来的にも無用であるから、中止するのは当然の事で、継続すると言う事は、税金の無駄であるから、国民的判断からも許されないだろうと思う。
しかし、その代わりに、住民に対する今後の経済的な生活の安定を図る必要は当然の事で、二つを一体として考える必要がある。

従来の様な、ただ、補償金や補助金と言うものではなく、その土地に、人・物・金が集まる施設を作り永久に地域住民の生活が営まれる事が必要である。

その一つの提案が、日本が今後世界に向けて貢献する事が必要で、若い有能な技術者の育成のために、「国際貢献大学」(私の仮案)と言うものを作り、この地に大学を設立し、人材育成地域にしてはいかがかと思う。

無論大学には、必要な学科は、土木・建築・農業・医学等々日本の特異な技術を国際貢献に供する国立大学にすれば、八っ場地区も、無用なダムを抱えているよりも、「国際貢献大学の学園都市」として生まれ変われば、素晴らしい村になるのではないでしょうか。

こう言う発想も、今までの自民党では、土建業者優遇の発想しかありませんが、民主党による、新政権だからこそ、広い視野で、八っ場地区の村おこしの為に大きな夢を実現しては如何でしょうか。
(えびなたろう)