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ケイの読書日記

個人が書く書評

カズオ・イシグロ 飛田茂雄訳 「浮世の画家」 早川書房

2017-12-10 16:39:31 | 翻訳もの
 先日、義姉と「日の名残り」の事をおしゃべりしていた時、「浮世の画家」の文庫を買ったと言ってたので、お借りした。
 文庫の表紙が浮世絵っぽいので、浮世絵師の話かなと思ったが、そうではない。戦前に油絵の大家として、戦争を賛美するような画風でときめいていた小野という画家が、戦後になって自分の行動を恥じ、引退して自己弁護に終始する話…といえばいいのかな?
 なんとなく「日の名残り」に出てくるダーリントン卿に似ている。

 職業軍人や政治家とは違い、なんといっても画家なので、戦争責任を問われる訳ではない。
 弟子や娘婿が彼をなじったり、世間一般が冷たくなるが、それも、いままでやってきた事を考えれば納得せざるをえない。しかし、末娘の縁談が何度も不調に終わり、これは父親である自分のせいなのか…と小野は考え始める。
 そのため、古い友人・知人をまわって、娘の縁談で興信所が聞き合わせ(結婚相手を調査すること)にきたら、良い情報だけを伝えてくれと頼んで回る。
 快く引き受けてくれる旧友もいるが、小野の密告のため逮捕された、かつての一番弟子の態度は、激しい拒絶だった。


 しかし…あの時代、牢屋に入らず生活していた大多数の人は、多かれ少なかれ軍国主義を支持してきたんじゃないかな? 戦後、世の中がひっくり返って、プロレタリア系の画家や作家の作品が評価された時期もあったろうが、いつまでも続かない。時の勢いの価値と、作品そのものの価値は違うんだもの。

 例えば、藤田嗣治の「アッツ島の玉砕」?は、戦時中に描かれ、国内の藤田の名声を高めたけど、戦後それが彼の命取りとなった。画家仲間からも、フジタは戦争を礼賛していたと、激しい非難を浴びたらしい。
 私も現物を観た事ある。素晴らしい迫力だった。

 絵画の価値が時流によって左右されるのは仕方ないと思うが、それだけじゃないはずだよね。絵を、石を投げつける道具にするな。
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「日の名残り」  カズオ・イシグロ  土屋政雄訳 ハヤカワ文庫

2017-11-19 15:30:56 | 翻訳もの
 この本は、佐野洋子がすごく褒めていたので以前から読んでみたかったが、のびのびになっていた。カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞したおかげで、本屋の店頭に平積みになっていたので、さっそく買う。

 1956年、ダーリントンホールの執事であるスティーブンスは、現在の雇用主のアメリカ人・ファラディ氏から「自分がアメリカに帰国している間、旅行でもしたら?」と勧められ、短い旅に出る。ファラディ氏の車を借りて、イギリスの美しい田園風景を眺めながら、様々な思い出が胸をよぎる。
 長年仕えてきたダーリントン卿への敬慕、女中頭への淡い恋心。二つの大戦の間に、邸内で催された外交的に重要なパーティの数々。

 ダーリントン卿は、第1次大戦後、敗戦国となったドイツのあまりの窮状に心を痛め、賠償金の支払いを少しでも軽減しようと、自分の屋敷に各国の要人を集め、パーティを開きながら根回ししていた。
 そうだよね。国際会議当日ですべてが決まる訳じゃない。前段階で決まるんだ。社交の名目で、あちこちで意見交換されるんだろう。こういったダーリントン卿の紳士的な気質にナチスはつけこみ、利用していった。結局、第2次大戦後、卿は対独協力者として、社会的に葬られることに…。
 そして1953年、廃人同様になった卿は亡くなり、屋敷は売りに出され、使用人と一緒にアメリカ人の手に渡る。

 ファラディ氏はとても気前の良い人で、執事であるスティーブンスの旅行中、フォード車を使っていいし、ガソリン代もファラディ氏が持つという。アメリカ人だから大雑把で細かい事を言わないし、理想的な雇用主。でも、スティーブンスの心の中には、過ぎ去りし華やかな思い出が、輝きを増して生き続ける。


 ダーリントン・ホールで華やかな社交行事が頻繁に行われていた時には、執事スティーブンスのもとで17人の雇人が働いていたし、その前は28人もの召使が雇われていたこともあったそうだ。
 1人の貴族が28人もの人を雇用できるという、財政的な基盤を持っているのがすごい。だってその28人は、屋敷内でサービスを提供するだけで、対外的に働いてお金を稼いでくるわけじゃないんだもの。

 お客様がたくさんいらっしゃる時の執事の仕事も、24時間勤務。夜更けまでお酒を欲しがる客もいるし、体調不良を訴える客もいる。もちろん現代では、ブラックすぎて問題になるし、ありえない話だろうが。
 そして女中頭も激務。多人数を泊めるのは本当に大変。この時代、セルフサービスでお願いします、とは言えないんだろう。

 この女中頭に、スティーブンスは淡い想いを抱いていた。彼女の方も好意を持っていたが、スティーブンスがあまりにも石頭なので、他の人と結婚し、お屋敷を辞めてしまう。
 このへんの感情の行き違いをスティーブンスは「もしもあの時、ああしていたら…」と絶えず自問するが、今更どうしようもない。
 しかし、お互いに好意を持っている事がハッキリしても、職場結婚というのは、彼の職業観からでは、できなかったと思う。

 スティーブンス、1日は夕方が一番美しい。人生もまた夕暮れが一番いい時間なんだ。楽しんで!!
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エリック・キース 森沢くみ子訳「ムーンズエンド荘の殺人」

2017-02-24 13:37:59 | 翻訳もの

 探偵学校の卒業生のもとに、校長の別荘・ムーンズエンド荘での同窓会の案内状が届いた。山の上にあるムーンズエンド荘に行くには、つり橋を渡るしか方法がなく、9人の招待客が別荘にたどり着いた後、つり橋は爆破され、彼らは孤立する。そして、密室など不可能状況下で、1人また1人と殺されていく招待客たち。
 アメリカ版・雪の山荘の『そして誰もいなくなった』。

 翻訳ミステリは最近読んでないので、とても楽しめた。犯人の手がかりが、登場人物たちの会話や描写の中にちりばめられていて、フェアな作品だと思う。

 こういった外部との接触を絶たれ、犯人が自分たちの中にいるだろうという状況下の中、私だったらどういう行動をとるか、クローズドサークル物を読むといつも考える。それぞれ個室になっている自分の部屋にこもるか、互いをけん制しあいながら、一塊になって行動するか。
 だいたいのミステリは前者だけど、私は絶対、後者だね。いくら鍵がかかる部屋と言っても、その中に一人でポツンといたら、命が助かっても気が狂いそう。
 でも、多くの推理小説では、それぞれ自分の部屋にこもって用心しているはずなのに、次々殺されていく。まあ、そうじゃなかったら、推理小説として成り立たないけど。

 私だったら、トイレなども戸口まで集団で移動してもらう。たえず人の目に触れる場所に自分を置いておきたい。寝るのも広間で2~3人ずつ交代で眠る。
 そして食事。こういった作品の中で一番違和感を覚えるのが飲食。殺人鬼が徘徊している屋敷の中で、皿に盛った料理をどうして食べる? 封が切ってない、注射針の跡がない缶詰を、缶からじかに食べる。

 この『ムーンズエンド荘の殺人』の中でも、最初の遺体が転がり出てきて、その後、すぐに厨房で夕食を用意している。そして一人が毒殺されている。いわんこっちゃない!アホか!あんたらは、それでも探偵か!!

 そうそう、探偵学校という存在も不思議な気がした。でもアメリカでは私立探偵はライセンス制だから、専門学校があってもおかしくない。だけど、卒業試験に本当の事件を扱わせるかなぁ。まあ、解決できなかった15年前の卒業試験の事件が、この『ムーンズエンド荘の殺人』の伏線となっているけど。
コメント (2)
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ウイリアム・アイリッシュ 黒原敏行訳 「幻の女」

2016-06-07 13:22:23 | 翻訳もの
 この作品は、あまりの名作サスペンスなので、私は未読だけどストーリーを知っているのだ。ほら、よくあるでしょ? クリスティの「オリエント急行殺人事件」のトリックを読んでいなくても知ってるって事。
 TVドラマ化もされているので、それも観た事があると思う。
 だから未読でも読んだつもりになっていたが、これじゃダメだと今回読んでみる。本当に面白い。ストーリーを知っていても、こんなに引き込まれるなら、知らないで読むと、夜を徹して読むことになるんだろう。


 妻とケンカし、あてもなく街をさまよっていたスコットは、風変わりなかぼちゃのような帽子をかぶった見知らぬ女に出会う。彼は気晴らしに、その女を誘って食事をし、劇場でショーを観て酒を飲んで別れた。女の素性を一切聞かずに。
 その後、帰宅した男を待っていたのは、絞殺された妻の死体と、刑事たちだった。
 彼のアリバイを証明できる、たった一人の、その〝幻の女”は、いったい何処に?
 女と一緒にいる所を目撃したバーテンダー・ウエイター・劇場のマネージャー・ドラマー・タクシーの運転手たちは、不思議なことに、スコットは見たと証言したが、パンプキン帽子をかぶった女は見ていないという。
 彼女は、本当に幻なのか?
 スコットの友人や恋人が、幻の女を探そうと手を尽くすが、証人たちは次々と事故死していき…。

 結末を知っている私も、胸がドキドキ、絶対絶命のピンチ!!!

 そういったサスペンスたっぷりの場面だけでなく、コミカルな場面もある。
 スコットが女と一緒に観たショーの人気女優・ミス・メンドーサは、ラテン女の典型で素晴らしく情熱的。機関銃のようにしゃべり、舞台を降りたホテル内での生活でも芝居気たっぷり。彼女に話を聞きに行ったスコットの友人は、あまりの大音量に、面談の前は耳栓をしていた。「鼓膜はデリケートな器官だ」と言って。

 
 そして何より驚くのが、この作品は1941~42年の話なのだ。(刊行は1942年)つまり第2次世界大戦中。
 それなのに戦争を思わせる記述は、ほんの一か所。それも訳者が注釈を付けているので分かっただけ。
 私は、1950年代のアメリカ独り勝ちの時代かと思ったよ。この豊かさ。こんな国と戦争して勝てるわけない。当時の軍人たちは、どうしてそれが分からなかったんだろうね。
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