紙幣が刷新され、1万円札の肖像画は渋沢栄一とある。彼の出身地の深谷市はフィーバーらしい。
その渋沢栄一を知らない人が意外に多いようだ。しかし少なくとも中高年の男性なら知っていて当然と思うのだが。
新紙幣発表の9日に、たまたま『外国人が見た日本』を読みかけたところで渋沢栄一が出てきた。
それは明治26年3月に結成されたに「喜賓会」なる会に寄与した話題である。この会は「外国人観光客を積極的に受け入れ歓待するための団体」とある。観光を産業として考えるという先見性があったということだ。さすが500以上の企業の設立にかかわった大実業家らしい。
昨10日に、やはり読んでいる『同時代を見る眼』という本に北里柴三郎が出てきた。佐賀鍋島藩の代々藩医の家に生まれた相良知安の話の中のことだ。相良が時の政府に弾圧されたが、それでも援助していたひとりに北里柴三郎がいたとあった。それだけのことだが新千円札の人物の名がひょいと出てきたということ。
本を手あたり次第渉猟していると、思わぬ出会いがしらにぶつかる。
その渋沢栄一を知らない人が意外に多いようだ。しかし少なくとも中高年の男性なら知っていて当然と思うのだが。
新紙幣発表の9日に、たまたま『外国人が見た日本』を読みかけたところで渋沢栄一が出てきた。
それは明治26年3月に結成されたに「喜賓会」なる会に寄与した話題である。この会は「外国人観光客を積極的に受け入れ歓待するための団体」とある。観光を産業として考えるという先見性があったということだ。さすが500以上の企業の設立にかかわった大実業家らしい。
昨10日に、やはり読んでいる『同時代を見る眼』という本に北里柴三郎が出てきた。佐賀鍋島藩の代々藩医の家に生まれた相良知安の話の中のことだ。相良が時の政府に弾圧されたが、それでも援助していたひとりに北里柴三郎がいたとあった。それだけのことだが新千円札の人物の名がひょいと出てきたということ。
本を手あたり次第渉猟していると、思わぬ出会いがしらにぶつかる。
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