読売新聞の日曜版「名言巡礼」に、「ここは戦場なるぞ、会津の国辱雪ぐまでは戦場なるぞ」を採りあげていた。会津藩出身の柴五郎の言葉である。
以前、柴五郎について書いたことがある。というのは、家の近くに日露戦争の戦勝を記念した「戦捷記念碑 陸軍中将柴五郎」と刻した石碑が建っているからだ。
そのとき、柴五郎が揮毫したのは下関要塞司令官だったからだ、と書いたのだが年譜を調べてみるとこれはミスだった。
石碑を建立した大正6年当時は、小倉にある第12師団の師団長だった。まァ、大して違いはなさそうだけれど。
ところで、揮毫者の柴五郎に住民はだれもが関心ない。その当時も、たまたまこの地に近い陸軍のトップだったから揮毫を依頼しただけだろう。
会津に遠い九州の地らしい。
以前、柴五郎について書いたことがある。というのは、家の近くに日露戦争の戦勝を記念した「戦捷記念碑 陸軍中将柴五郎」と刻した石碑が建っているからだ。
そのとき、柴五郎が揮毫したのは下関要塞司令官だったからだ、と書いたのだが年譜を調べてみるとこれはミスだった。
石碑を建立した大正6年当時は、小倉にある第12師団の師団長だった。まァ、大して違いはなさそうだけれど。
ところで、揮毫者の柴五郎に住民はだれもが関心ない。その当時も、たまたまこの地に近い陸軍のトップだったから揮毫を依頼しただけだろう。
会津に遠い九州の地らしい。