本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

史実と違う話3

2010-10-22 11:10:50 | Weblog
 前回の続きとして史料の裏づけがない話。
 咸宜園の入門簿は、開塾から閉塾までのほぼ百年に亘り遺されているそうだ。この入門簿には、自筆で入門年月日、出身地、名前、年齢などを記入している。自筆で書かれた入門簿であるから原資料であり、門人を特定する第一級の史料でもある。だが、この入門簿に高野長英の名はない。 

 ちなみに大村益次郎の場合「天保14年4月7日、周防国三田尻、村田宗太郎、20歳」(原文は縦書き)と自書している。村田宗太郎は益次郎の幼名である。資料館には、このページが見開きで展示されている。

 高野長英も幼名または別称で入門簿に自書していないかどうか。『教聖廣瀬淡窓の研究』という本によれば、幼名である後藤悦三郎や実名の譲あるいは瑞犀の号や高野郷斎と称していたときの名もないと記している。門下生の証拠はないということだ。
 続きはまた次回に。