小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

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その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

青ヶ島と母島のつながり(青ヶ島滞在記④)

2020年03月10日 | 青ヶ島 滞在記
その③の続き

■僕自身初めて訪れた、伊豆諸島最南端の有人島「青ヶ島」。
人口170人の日本で一番小さな村。

2年前に妻が単身で訪れてハマって以来、本当に沢山の話を聞いていたので、色んな想像をしていました♪

今回、次女の短期留学の迎えとしてたった1泊でしたが、ようやくお邪魔することができました。

実際に訪れた青ヶ島は、想像以上の場所でした(#^.^#)♪
断崖絶壁に二重カルデラの美しい景色、
子ども達を本当に宝物のように大事に見守り育ててくれる情け島。

そんな素晴らしい所に次女は1か月もお世話になれたのです。

そして、ここでも色んな繋がりを感じる事が出来ました☆

青ヶ島には有名な青酎(あおちゅう)という焼酎があります。

これは島で作られるサツマイモを原料にオオタニワタリの麹で作る、
青ヶ島の名産品です。

作った杜氏の数だけ、味が違うあおちゅうが存在します。

中にはすべての材料が青ヶ島だけのものでできて、
昔ながらの伝統の製法で作られた「青酎伝承」、

青ヶ島に直接行かないと購入できない伝説のあおちゅう
「初垂れ(はなたれ)」があるそうです。←まだ未経験。超興味ありです!

初垂れは焼酎造りにおいて、
最初に生成されるアルコール度数60度の原酒がほんの少しだけ造られるそうですが、
あまりにも少なすぎて、下限が決められている法律の下では販売できなかったそうです。 
(年間○○リットル以上造らなければ販売禁止)
それが2017年末に特区として内閣総理大臣に認められ、販売可能になった幻の焼酎なのだそうです。


今、我が家にはなんと4本の青ヶ島産のお酒があります♪

1本は2年前、妻が青ヶ島を訪れた時のお土産。
1本は今回の青ヶ島を発つ時に頂いたもの。
右から2番目がかいゆう丸で購入した古酒。
一番右が母島と繋がっているご縁で頂いた、ヤマモモから作ったお酒です♪

後述しますが、泊まった宿「かいゆう丸」の女将さんの親があおちゅうを作っていたそうです。
もう亡くなってしまい、製造はしていないのですが、
10年ものの古酒が売られていたので、もちろん購入しました(#^.^#)

青ヶ島でお世話になった方から頂いたオリジナル手拭い。青ヶ島の魅力が詰まっています!

■東京宝島でもお世話になっている十一屋の荒井智史さん。
青ヶ島を様々な分野で支えている、とても重要なカッコいい人です♪(僕と歳も近い!)

島ではやはり超多忙でゆっくり話す暇はありませんでしたが、
車を貸してもらったり、次女の滞在に色んな分野で沢山の尽力をしてもらっています。
本当にどうもありがとうございました!

僕が青ヶ島に行ったときは丁度、消防団の訓練中でした。
一昨年母島に来てくれた東京消防訓練学校の教官に、
居酒屋で会った時はそのつながりに驚いたほどです(笑)。

日程とヘリのチケットの都合で1泊しかできなかったのがとてもとても悔しいですが、
2度の来島ですっかり青ヶ島ファンになった妻と、
1か月青ヶ島にお世話になった次女のお蔭で、
道行く色んな人に笑顔で話してもらえました♡

本当にありがとうございました(#^.^#)

■今回の青ヶ島における次女の短期留学は様々なつながり(ご縁)があって実現したものでした。

最初は2019年春にハワイに行ったSHIPハワイ研修プログラム
そこで小笠原と八丈の高校生とハワイ島を訪れたのですが、
そこで島っ子が島在学中に敢えて外の島で過ごす経験の意味を確信します。

そして、2019年夏の島嶼サッカー大会「愛らんどリーグ」。
なんと会場は八丈島!

SHIPで仲良くなった八丈のみんなに会えるということで、
頑張ってサッカー練習に望み、八丈島に行き事ができました。
そこで、青ヶ島から参加してきたたった一人の素敵な同級生(小4)に出逢うのです。


■八丈島での愛らんどリーグで出逢った、たった一人で参加してきた青ヶ島のYちゃん。
サッカーチームとしては足りないメンバーを八丈島のメンバーがフォローしていたそうなのですが、
夜に行われた各島のアピール合戦「島自慢」で圧倒的なパフォーマンスを誇り、
会場の多くの人の心を鷲掴みにしたのが、青ヶ島から唯一来ていた彼女でした。
「ぜひみなさんも青ヶ島に来てください!!」
早速、うちの次女は名刺交換をして、その後文通に繋がります。

僕はその時の発表を見れてはいないのですが、
その場にいた色んな人からその素晴らしさを聞いていました。
もちろん彼女が島自慢の最優秀賞を受賞したのは誰も疑う余地がなかったそうです♪

その後、僕自身も東京宝島会議などで青ヶ島の方と出逢うことも意味があり、
どんどん繋がっていきました♪
こういう時の流れというものはいつも本当に不思議なほどです(#^.^#)
そのYちゃん宅にホームステイして1ヶ月過ごせることが決定しました。


■そして僕が青ヶ島でお世話になった宿「かいゆう丸」。
こちらはなんと今年オープンしたばかりの新しい宿。
とても食事も美味しくて、綺麗で素晴らしい宿でした♪

料理が本当に豪華で美味しいのです♪
青ヶ島は居酒屋が2件、日中の飲食店はゼロなので、
宿は3食を提供してくれます。

これは夕食に出てきた島魚の酢漬け。
なかなか冬は海が悪くて漁に出れなかったそうで、
お客さんの食事の為にこうして島の魚を準備してくれていました♪

小笠原の郷土料理にもピーマカと言われる、魚の酢漬けがあります。
それにそっくりです(#^.^#)


自家製大根葉のご飯も超おいしかった♡

料理上手な女将さん曰く、「青ヶ島料理は八丈島の料理とは違う所があるのよ」と言っていました。


イカリングフライも絶品(#^.^#)
お盆から溢れんばかりの料理に舌鼓を打ちました(#^.^#)


宿の女将さんのお母さんが作っていた自慢のあおちゅうも頂きました♪
さすが10年以上前に作られた古酒、芋焼酎なのに甘く、マイルドでした(#^.^#)

遠くに出かける場合はお弁当にもしてくれます。

今年、宿を始める前からずっと島のお弁当やオードブルを作っていたそうで、
僕が着いた日も島の懇親会の料理を娘さんと一緒に一生懸命に作っていました(#^.^#)

お部屋もすごく綺麗でWifiまで完備!!
お勧めのお宿です☆

なんとその宿の女将さんのおばあちゃんが母島出身らしく、
意外に繋がっていることにとても驚きました☆
冒頭のヤマモモのお酒もそんなご縁からぜひ!と言って頂きました。
本当にありがとうございます!

母島にも随分と前になるそうですが、来たことがあるそうです(#^.^#)
これを機に、また行きたいと言ってくれていました♡
ぜひ来てほしいです☆

あおちゅうに描かれた地図。みんなつながっています♪

■また、僕が父島時代に最初にお世話になった小笠原ユースホステル。
そこの初代・故「佐々木卯ノ助」さんはなんと青ヶ島出身。
まだ親戚の方がいらっしゃるということで訪問してきました。

マツミ荘を経営している、前・村長さん佐々木宏さんです。
訪問をすご~く喜んでくれて、本当に行って良かったと思います♪
僕も逢えてすごく嬉しかったヽ(^o^)丿

小笠原YHの初代・佐々木卯之助さんの名前は、
青ヶ島に名を残す英雄から頂いた名前なのだそうです。

「佐々木卯之助さん」の名前は実はとても有名です。
集落には佐々木卯之助翁の碑がありました。

佐々木卯之助さんは、江戸幕府の大筒役で、
当時は天保の大飢饉が発生しており、卯之助の計らいで
農民が立ち入り禁止の相州炮術調練場で耕作を黙認していたため、
青ヶ島遠島の刑に処せられ、そのまま青ヶ島で過ごし、死去した人物なのだそうです。

そんな役人よりも庶民を大事にして飢饉から農民を救ったとして、
農民にとても感謝されていたそうで、記念碑が作られたそうです。

前・村長さんはその末裔とのことです。

そしてなんと現・青ヶ島村長さんも母島に親戚がいる方なのです!

母島のうちの近所に住む農家さんに宜しく伝言を頂く連続でした(#^.^#)
予想もしないところで沢山繋がっていて、驚くことばかりでした。


■青ヶ島の物資の流通は基本的に船です。
しかし、湾のない黒潮の海流に囲まれた絶壁の青ヶ島。
就航率は50%以下といいます。
海が時化る冬にいたっては1週間以上も船が来ないこともザラのようです。

9人乗りのヘリは霧がない限りはほとんど毎日就航するようですが、
そのチケットは購入が本当に困難で、空くかどうか分からないキャンセル待ちに頼らざるを得ません。
(今回の僕のお迎えも1ヶ月前の朝9時の繋がらない怒濤の予約電話でキャンセル待ちを経てから得られた奇跡の切符でした)

そこで初めて就航率90%を越える、
小笠原の父島の二見港、母島の沖港の有り難みを知ることになりました。
小笠原は航空路こそありませんが、台風がない限りはほぼ予定通り船は就航しています。
これがこんなにも有り難いものだったとは。

以前の記事にも書きましたが、青ヶ島と八丈島を繋ぐ「あおがしま丸」は
ははじま丸と同じ伊豆諸島開発(株)が運航しています。

伊豆諸島開発はははじま丸、あおがしま丸、他にはゆり丸(基本的に貨物船)を運営しています。(ゆり丸は、ははじま丸がドック中の代船にもなってます)
船員さんたちも交代で回っているそうで、
こんなところにも繋がりを感じました♪

次女はあおがしま丸で青ヶ島に辿り着きましたが、
ヘリで往復している僕はまだあおがしま丸は未経験です。

いつか必ず乗ってみたいと思います☆

そんな青ヶ島が繋ぐ航路の先に八丈島が見えます。
この滞在時はその見える八丈島に妻が来ています。

1か月離れていた母親が見える隣島にいる感覚は次女にとってはどうだったのでしょう?


■次女が1ヶ月お世話になった青ヶ島は、人も暮らしも景色も本当に圧巻でした。

次女は柔道もしていたので、青ヶ島の駐在の方に柔道でお世話になったり、
サッカー練習にも混ぜてもらったり、とても充実した日々だったと思います。

慣れない環境の中での生活で色々苦労したと思いますし、
お世話になった学校やホームステイ先でお世話になったことは数知れないと思います。

その中で沢山の多様な価値観を学び、
色んな自信を身につける事になったと思います。

母島よりも子供の数が少ない青ヶ島にとっても、
子供が一人増えることはとても大きな事だったと思います。

12月に連絡し、1月には訪問してしまうタイトなスケジュールの中、
前例のない他島の島の子供を受け入れるという事を、
とても丁寧に対応してくださった青ヶ島の学校の皆さん、教育委員会と役場の皆さん、そして青ヶ島の地域の皆さん、
それをフォローしてくださった母島の先生方、校長先生の皆さん、
そしてホームステイを快く受け入れてくださったYちゃんファミリー、
本当にありがとうございました!

この短期留学が子供たちだけでなく、
青ヶ島や母島、さらには他の島の未来にとって有意義な物になることを祈っています。
どうもありがとうございました!!

その⑤につづく→



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